第二節
「はい。それでは、一日目はこれにて終了とします。これから三時間は自由時間ですので、必ず夕食前の反省会に間に合うよう、ここに戻ってきて下さいね」
森本先生はその嗄れた声で、続け様に連絡事項を述べていく。
その内容に重要な点はなく、「学校の名前に傷をつける事のないように行動しましょう」や、「班長は夕食後に班長会がある事を忘れないように」など、どれも本当に必要最低限の事務的な連絡ばかりであった。
「どこ行くよ!」
先生の話が終わるなり、大輔がすぐに僕の元に駆け寄ってきた。
少し遅れて加奈も歩み寄ってくる。
「どこって言ったって、東京って何があるんだろ」
僕が心底わからないと言った様子でいうと、代わりに加奈が提案をしてくれた。
「……スカイツリー?」
「あれはダメだ、最近できたばっかりだから入れない」
都会に憧れの念を持つ大輔がやけに物知りげに語る。
「あぁ、確かに」
「……じゃあ、東京タワー?」
「それはそれで違うんだよなぁ。東京タワーを見たいとは思うけど東京タワーに行きたいとは思わない」
「あぁ、確かに」
「おい大器! 確かにばかり言ってないでお前も案を出せよ!」
「え、俺、そんなこと言ってた?」
「……うん。ていうか、それしか言ってないよ?」
「ほら、加奈も言ってるじゃねぇかよ」
大輔は勝ち誇ったように片眉を吊り上げ、表情を作る。
こいつは本当に、いつも的確にムカつく顔を作ってくるからタチが悪い。
しかも、大輔自身にムカつく表情を作っているという自覚はなく、それを無意識に作り上げてしまっているのだから尚のことタチが悪い。
僕は大輔の安い無意識の挑発に乗っかってしまう。
ただ、これは昔からよくある事であり、このやりとりに苛立ちを覚える事はもうない。
むしろこの一連の会話が心地良くすらあった。
しかも、僕はもう彼の挑発に乗せられたという言い訳を盾に自身の願望を口にする事を覚えてしまっている。
だから今回も大輔の挑発に乗ったフリをして自身の要望を口にだす。
「せっかく東京に来たんだ、地元じゃあ体験できない体験をしたいよな」
「つまり?」
「まぁ、観光地って言えるのかは人それぞれだけどさ」
「もったいぶらずに早く言えよ」
「秋葉原にでも行ってみないか?」
「完全にお前の趣味じゃねぇか!」
実は、僕の提案に大輔はすごく乗り気だった。
大輔は長い人生の中で、一度で良いからメイド喫茶というものに行ってみたいと思っていたらしく、それがあると直感でも分かる場所が秋葉原だった。
だから僕の提案に対し、賛成した。
一方で加奈は乗り気ではなかった。
当たり前だろう。
アニメが好きというわけでもなく、メイド喫茶に行きたいというわけでもない。
ましてや電気部品に興味があるわけでもない加奈からすれば、秋葉原など自身の興味からは程遠い縁のない場所だ。
それでも彼女が文句を言わずについてきたのは何か理由があるのだろうか。
加奈が反対をしなかった理由を考えていると、あっという間に電車は秋葉原に着いた事をアナウンスで知らせてくれる。
「降りるぞ」
大輔の先導で僕たちは秋葉原の街に足を踏み入れた。
ちなみに、大輔の先導で秋葉原に向かったものの、大輔は別に秋葉原に慣れているというわけではなく、そもそも秋葉原に言った事自体が皆無だった。
それでもズイズイと歩を進めていくのは、彼の潜在的な地理的能力と野生の勘の影響が大きいだろう。
「うっわ」
大輔が声を漏らす。
秋葉原の街を見た僕たちの反応は三者三様だった。
加奈はただ目を見開いて人の溢れかえっている街を眺める。
僕は多分思わず感嘆の声が溢れていたと思う。
それほどまでに、初めて見る秋葉原の街は、いや、東京の街は壮大だった。
歩道は人が常に一定の速度で歩を進め続けており、真ん中で立ち止まっている人間などほとんどいない。
まるで歩道を歩く人々が総じて一つの大きな生き物のようだ。
多分、上空から見たら川の流れのように見えるのだろう。
駅からアニメイトのある方向へと歩き始めると、すぐに大輔のお目当てのものに遭遇することができた。
「メイド喫茶どうですかぁ〜」
わかりやすくメイドの服装をした女性が木製のプラカードを掲げて客寄せをしていた。
大輔は「すげぇ」と言いながら女性の方向へと走っていく。
僕と加奈もそれについていった。
もちろん、大輔のように走って向かうようなはしたない事はせず、ゆっくりと歩いて。
「連絡先教えてください!」
大輔がメイドの女性に対して放った最初の言葉だ。
突然連絡先を聞かれた女性は困った様子を見せることもなく、「お店に来てくれたらいいですよ!」と笑顔で答えている。
おそらく、大輔のような輩に連絡先を聞かれることが多いのだろう。
そして、大輔は……いや、僕たちは客寄せの女性にまんまと騙された。
電車の揺れにささやかな抵抗を見せながら、車窓を流れ行く街並みをぼんやりと眺める。
メイド喫茶はキャバクラほどとは言わずとも、商品がかなりぼったくった価格設定にされていた。
そんなものは遡る前に大学の友人から聞いたことがあったはずだった。
だから、今回メイドさんについて行ってバカのような金額を使わされたのは、軽率にメイドさんに声をかけた大輔の責任だけではなく、価格設定のことをすっかりと忘れてしまっていた僕にも原因があるというものだ。
「……まさか、一番安い料理が二千円近くするなんて」
げっそりとした様子で、加奈がぼそりと呟く。
大輔は加奈に対して「……はい」と、改まって返事をしてる。
僕も大輔に続いて「本当にすいません」と謝る。
加奈の言う通り、一番安い商品ですら二千円もしたのだ。
しかも、ただのオムライスに。
デミグラスソースのかかった半熟でふわとろのオムライスだったのなら、まだ二千円という金額を取られてもなんとか納得することはできたであろう。
だが、僕たちが頼んでしまったオムライスはふわとろどころかしっかりと焼かれており、なんなら焦げが目立っていた。
そこにメイドさんが名前を書いてくれるだけで二千円も取られるだなんて、やっぱり理解しがたい。
名前ぐらい自分で書けるぞと思ってしまう。
「大丈夫、大器は悪く無い」
珍しく口数の多い加奈に対し、心の中で自分にも原因があるんですと謝ってしまう。
本当に申し訳ない。
「でもさ、これも修学旅行の貴重な思い出じゃねぇか?」
「持つことを許されたお金の五分の一を考えもなしに浪費しておいていい思い出?」
「グチグチとうるせぇな。金にがめつい女はモテないぞ」
「……うるさい。余計なお世話」
「あ、そっか、お前には大器がいるもんな!」
「……っ!」
気がつけば大輔の巧みな話術によって話の筋が逸らされてしまっていた。
流石は大輔、こういった厭らしい世渡りが上手だ。
僕は二人の不毛な口喧嘩を他人事のように見ていたが、終わりが見えることなく逸れ続ける話が面倒になり、場を切ることにした。
「なぁ。そろそろ降りる駅だぞ」
「あ、ああ。そうだな」
「……もうそんなに来てたんだ」
加奈と大輔は思惑通り不毛な会話を止めてくれた。
別段、目的の駅に着くというわけではなかった。
なんなら二つ手前の駅だ。
それでも僕の言葉に耳を傾け、言い争いを止めてくれたのは二人ともそろそろ会話に飽きが来ていたからなのだろう。
それから十分ほどして目的の駅に到着した。