第一節
校舎にチャイムが鳴り響き、1日の授業がすべて終わったことを知らせる。
少し前まで大学生だったのだから、中学の授業程度はなんてこと無いのだろうと思っていた。
だが、中学の勉強はそんなに簡単なものではなかった。
数学の方程式は当たり前のように忘れていたし、高校に入って以来縁がなかった科学などはもう授業を聞いているだけで頭が痛かった。
「こんなに難しかったかなぁ」
「お前、もうすぐ受験勉強を始める時期なのに、授業がわからないのか? それはやばいぞ」
僕が独り言を呟くと、隣の席で帰る準備をしていた大輔が声をかけてきた。
どうやら、僕が大輔に会話を振ったと勘違いしているようだ。
「うるせぇなぁ。お前よりは頭いいから大丈夫だ」
僕は大輔の背中を手のひらで一度だけ叩く。
「ばっか。俺の方が頭いいに決まってるだろ。なにせ、俺は天才だからな」
「よく言うよ。笑わせるな」
「とりあえず今日もウチに集合な。適当にゲームソフト持ってこいよ」
「はいはい。わかったよ」
大輔の遊びの誘いを当然のように受け入れ、「また後で」と手を振る。
僕の挨拶に対して笑顔で手を振りながら、大輔は一足先に教室を出て行った。
この時期は寒いからなのか、みんな部活が無いときは教室に長居することなくそそくさと家に帰ってしまう。
今教室に残っているのは僕一人だけだった。
懐かしい教室に一人、自分の席に座って僕は思考の整理を行う。
僕は大輔に対して強烈な嫌悪感を抱いた。
誰に何と言われようと、僕のこの感情は間違ってなどいない。
愛する人を奪われたのだから、嫌悪感を抱くなと言う方が間違っている。
だが、僕はその嫌悪感を隠して大輔と接することにした。
これまでのように、仲が良い親友の関係にあることを表面上は主張することにした。
何故だって思う人もいるかもしれない。
現に僕自身も思っている。
しかし、加奈とお近づきになるには大輔と親友であることが必要なのだ。
加奈は大輔と恋人関係になるために、僕を利用した。
僕と一度付き合うことで大輔との接点を維持し、機を見て僕を捨てる。
そうすることで彼女は憧れの大輔を手に入れたんだ。
だったら僕は再び彼女に利用されよう。
そうすることで、彼女は確実に僕の手中に一度は収まる。
そして、彼女が僕の元に来たところで、僕から大輔に乗り換える機を潰す。
結果として加奈が大輔の元に行くことはなくなり、彼女は僕のものになる。
完璧な計画じゃあないか。
自分がこれからやるべき事を整理し終え、教室を後にしようと席を立った時だった。
ガラッという音とともに、教室の後ろ側の扉が開いた。
僕がさりげなくそちらを見ると、そこにはよく見知った顔があった。
「あ。帰るの?」
と、僕に声をかけながら、僕の前の席にやってきて帰りの支度を始めた少女は、僕が前に成人式で殺したあの女の子だ。名前は確か……
「おう、大輔と遊ぶからな。清水はまだ帰らないのか?」
「千佳って呼んでほしいって何度も言っているじゃん……私はまだ委員会があるからね。帰らないよ」
「そうか。名前は……まぁ気が向いたら呼んでやるよ」
「やった! 楽しみにしてるね」
僕ははしゃぐ彼女を横目で見て、気が向くことなんて絶対に無いねと心の中で呟いた。
僕は黒板の上に掛けられた時計を見て、時間がかなり経ってしまったことに気がつく。
さすがに大輔に申し訳ないと思い、教室を後にしようとカバンを背負ったところで些細な疑問が湧いた。
「そういえばさ、清水って同じクラスだったんだな。俺、てっきり清水と同じクラスだったのは小学校四年の時だけだと思っていたよ」
「千佳だって言ってるじゃん……もう。てか、さりげに酷いこと言っているよね。私と大器って、小学校四年生の時から”ずっと”同じクラスだったのに」
そう言いながら頬を膨らませる清水を見て、僕は呆然とした。
彼女は今何と言った? 小学四年生の時からずっと同じクラスだと言ったか?
僕は彼女の言葉と自分の記憶との差に疑問を持った。
果たして、彼女と僕の記憶はどちらが間違っているのだろうか。
僕は悶々と悩みながら清水に別れを告げ、その場を後にした。
外に雪は降っていなかったが、季節柄、道脇には溶けきらなかった雪の塊が所々にあり、その周辺の道路は凍っている。
中途半端に溶けた雪が氷点下の気温で凍ったのだ。
転んでしまわないように慎重に進路を選別して歩く。
ここは凍っている。ここは凍っていない。
そのあたり一帯は滑りそうだ。あっちの一帯は安全そうだ。
僕はそうやって自然の脅威と楽しく格闘しながら家に帰った。
懐かしい実家に。
大学に入って以来はほとんど帰っていなかった実家に帰り、リビングの棚を物色した。
そこにはプレステ3やゲームキューブのソフトがたくさん並べてある。本当に懐かしい。
立てかけてある様々なゲームソフトの中から大輔が持っていないものを選別する。
マリオカートとスマッシュブラザーズを手に取り、学校指定のサブバックに入れる。
ゲームキューブコントローラは大輔も持っているだろうから、持って行く必要はないだろう。
準備をした僕はコップ一杯だけ麦茶を飲んで制服のまま家を出た。
大輔の家には自転車で向かっても良かったのだが、転倒のリスクを考慮してバスで向かう。
下り線のバスに乗って僅か一分。大輔の家の前にあるバス停に到着した。
僕は精算機にお金を入れ、「ありがとうございました」と言ってバスを降りる。
バスの扉が閉まる音を背に、僕は大輔の家のインターホンを押した。