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ぶつかってきた酔っ払い  作者: 莉猫。
6/14

六話

...卵と葱だけかよ!


黒ずんで年季の入った備え付けの冷蔵庫の中にあったのは、乱雑に入れられた卵二個と、先が曲がった葱一本、たった其れだけだった。


せめて葱ではなくて韮だったら、卵をスクランブル状にして韮卵が作れるのに。韮卵なら小学校の調理実習で作ったことがあったのに。それに此の量では一人分でもまだ少ないし、とても夕食にはならない。...なるとしたら酒のつまみくらいだ。

毎日飲んだくれな生活をしているからこんな物しか食べていないのか、と眠る中原中也を険しい顔で一瞥する。

少量の食事で一番満足度の高そうなものは何だろう。

卵はゆで卵にしてもいいけれど、目玉焼の方が腹持ちが良い、けれどもベーコンや缶詰も買い出しに行かない限りない。買い出しに行くにはもう一度あの街に出向かなければならないし、行ったとしてもこの家に帰れるという保証はない。

だとしたら卵と葱で何が作れるのか。卵焼きとスクランブルエッグと...あれ、茹で卵って何分すれば固くなる?



何を隠そう、私は大の料理下手だった。

料理や後片付け、その他の手伝いもせずに親のすねを齧って気付けば十数年間暮らしてきた。

そんな私への竹箆返しが今日、母の怨みというものが実を結んでこんな酒呑み男の家で居候することになったのだ。

タイムスリップしてしまったのは、日頃親不孝な私への罰なのかもしれない。卵と葱で作れる料理はとスマホで検索したかったけれど、スマホもない。


万事休す。完全に詰んだ...

私の出来ることは何もない、と床で清々しく眠る中原中也の姿を恨めしそうに眺めていると、スマホを弄ってばかりいる私を見る母の気持ちがそれとなく理解できた。


「よし。」



仕方ない、と奮起して立ち上がってみる。

買い出しに行ってもうこの家に帰って来られないのなら、自分の手で作るしかない。自分と向き合うことにした。

卵二個と葱を磨いたキッチンに持っていく。キッチンはこじんまりとしていてまさに一人用といった工合ぐあいだ。下宿なんて言葉、聞いたことが無かったけれど今風に言うならば寮とか一人暮らしの人のための賃貸住宅みたいな感じらしい。裂け目のあるまな板を束子たわしで洗ってフライパン、包丁を用意し、決定的なことに気付いた。

何このガスコンロ、IHじゃない...。

目の前にあったのは扱い方の分からない、茶色く錆びた見るからに使ってなさそうなガスコンロ。ヤカンのようなものもあり、中を覗くと黒く濁ったお茶の葉が底に沈んでいた。即座に鼻をつまみ、蓋をする。

視線を移すと壁にはスイッチが埋め込まれていた。教室で見る、オンとオフで切り替えが出来るスイッチ。早速オンを押すと小さな台所に黄色い電気が灯った。首を回してみると中原が眠っている場所も明るくなったような気がする。私の家ほどではないけれど、本が読めない暗さではない。此れで十分な明るさになるんだなと納得した。

却説さて、問題は此処からだとガスコンロを睨みつける。私の家のものはIHだったのでこのガスコンロは、火の付け方さえ分からない。取り敢えずフライパンを円盤型の何かに起き、数秒待ってみる。何も起こらない。フライパンと円盤の隙間が自棄やけに気になる。視線を落とすと丸の中に一が入った小さなボタンが二つあった。細長い釦だな...と思い乍ら押してみるけれど何も起きない。押して駄目なら引いてみろ、と引いてみるも此れもまた結果は同じ。釦に遊ばれているような感じだった。


「もう...何で」


とキレつつ、釦二つに挑んでみる。一の所をつまんで押したり引いたりしているとガチャ、と音がして火が付いた。


「やった!!」


...て火が付いただけで何喜んでんだ...頭に冷静なツッコミを入れる。ここまで来たら此方のもんだ。キッチンの隅にあった油を引き、慎重に卵を割る。一寸だけヒヤヒヤした。容器の底にあった塩・胡椒を掻き取り、振り掛ける。卵をまんべんなく広げ、出来上がりまで待つ。すると


「んぁ、何だこの匂い......何作ってんだお前」


と相変わらずの態度をして中原中也が起きてきやがった。中原はふぁ、と端正な顔で欠伸をし、のこのことポケットに手を突っ込んで台所に来る。私が卵焼きだよというと中原中也は「はっ」と鼻で嗤った。


「庶民らしくてお前に合うじゃねぇか」



其の言葉にカチンとして言ってやる。



「酒のつまみになりそうなものばかり買うから一人分の夕食にはならないじゃんか!何時も飲んだくれな生活してんの?栄養失調で死ぬぞ」



というと中原はア”?とドラマで善く見るヤンキーの如くメンチを切り、小さな躯を仰け反って壁に手を突き、反論した。


「死ぬ訳ねェだろ。入らねーんだよ。お前、居候にしては随分贅沢な事言うじゃねえか。服装も着物じゃねぇしな。

ァ?一体、何人なにじんだお前」



私の服装は今、制服だ。

大振りの赤リボンに藍色で袖には白いラインが入ったブレザーとプリーツスカート。この時代に制服が無かったという訳ではないが、このデザインの制服は無かっただろうし、第一、私のような格好の者を先刻さっき居た街で見掛けた事は無かった。一方、黒い外套を着ていない中原の服装は簡素な黒い着物で、私の服装は異質に映ったのだと思う。

如何しよう、未来から来たと正直に打ち明けた方が良いのだろうか。中原は訝かしげな表情かおで此方をじっと見つめる。


「実は私...」


「おう」


口を開けると同時に中原の相槌が言葉を遮る。

唇を舐め、再び話そうとすると中原の瞳がフライパンの方に動きいた。



「...卵焼き、焦げてねぇか?」


「え?」


間抜けな返事をした後、私は声を上げた。

急いで菜箸で卵を裏返すと焦げ茶と黒の混じった卵の表面が姿を見せた。其所にひょこっと中原が顔を出し、噴き出した後、嘲笑した。


「あーあ。目ェ離すなって云っただろ」


そんな事、一言も云ってないと思いつつ卵の焼き加減を確認する。菜箸でチラチラと卵焼きの裏面を見ていると中原が話し始めた。



「最近は料理もしねェからな。冷蔵庫に葱があっただろ

其れと、包丁の近くにソースか何か無かったか?」



確かに、包丁の近くには空になった洗剤と一緒に容器があった。

ゴミが置きっぱなしにされていると思ったけれど中原の話を聞くにあれはソースだったようだ。中原は、ソースと葱を刻んだもので葱のソースがけを食べている、と云った。

...は?

私は呆れる。葱のソースがけが主食だって?そんなもので十分な生活が出来るわけ無いじゃないか。だから背もこんなに小さいの?



「ホントに...栄養失調になりますよ」



咎めるように云うと中原はニヒッと歯を見せて笑い、卵焼きは久しぶりだなぁと皮肉たっぷりに云った。私はムカッとして卵焼きを用意していた皿一つに移した。


「アンタにやる食事なんてない」


「ふん、なら教えろよ。お前は何人なにじんだ。

若しかして、異国から来たのか。真逆、仏蘭西フランスか?」


「あーっもう、勝手に話を広げないでください」


私は細い釦を成功した時のように回し、火を消し、焦げてしまった卵焼きを小さな机に持っていく。すると私の後を付いてきた中原が云った。


「なァ、本当に夕食作らねぇ気かよ」


手を合わせ、「いただきます」と云い卵焼きを食べ始めた私を

中原は物欲しそうな顔でじっと見つめている。中原中也の性格を知らなければ私が悪者呼ばわりされるのは間違いない。

中原は私が卵焼きを分けないと分かると口をへの字に曲げて解りやすいほどに不貞腐れた。...余程食べたかったようだ。

卵焼きをパクパクと口に入れていく内に気まずくなってくる。


「葱なら冷蔵庫にあるので」

私は眉を顰めて云った。


「ああ。」

中原が返した。



机に足を立て、胡座をかいて座る中原と正座をした私

距離は人一人分くらい空いている。此のくらいの距離が丁度良い。葱のソースがけをちびちびと口に運んで中原は訊いた。


「で、お前は何処から来たんだ」



いずれ来ると思った質問。私は平成の世から中原中也のいる世界にタイムスリップした。理由は解らない...

其れに未来から来たと云って中原から何と云われるのだろう。

アニメや漫画の世界ではこういう時、未来から来たと云っても信じてもらえないのがオチだ。

だとしたら、最初に○○から来たと偽って後からカミングアウトすることもできる。其れに中原中也は私がタイムスリップした時居なかった。適当に家出してきたとでも云っておく方が無難だ。

でも...家出したと云えば中原は必ず何かしらの行動を起こす。

何処の出だと詮索される可能性もある。

迷った結果、私は保証をかけておくことにした。



「...幻想って信じてます?」


「幻想?」


中原中也は目を丸くした。


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