表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぶつかってきた酔っ払い  作者: 莉猫。
5/14

五話

家に来るか...中原中也は確かにそう言ったはずだ。

そして下宿だが遠慮すんなよと付け加えた。

青春まっただ中の高校生が名前しか知らない怖い男の家に言っても大丈夫だろうか...この時代と云えども高校生というものは悪い男に捕まりそうな気がするし、偉人とは云っても女癖が悪い人もお金の使い方が荒い人もいるし信用が...

と考えながらも歩は進む。

中原中也の着ている黒い外套と黒い帽子がふらふら揺れている。家に着く前に倒れてしまわないかと心配になった。周りを見渡せば木造の家、そのちょっと手前には田圃があった。


竹垣を眺めながら歩いていると中原中也は急に立ち止まった。


「ちょ、止まらないで」


「あそこに見えるのが家だ。来い。」


中原中也が指差したのは黒ずんだ古い木造の大きな建物で、その横には広い蓮の池があった。先刻までの近代化(?)してた街とは打って変わって随分田舎にある下宿だった。


「ほ、本当に来て良いの?何で...」


「来たくないなら付いてこないだろ」


確かに...

ふと中原中也の家なんかに行くより、其処らの街で片っ端から声を掛けた方がいいような気がした。若し優しい人がいれば此処は何処だとか何かと面倒を見てくれるかもしれない。面倒を見て私が元の世界に戻れるよう、手伝ってくれるかも。

ところが今の私の眼前にあるのは知らない宿と授業で習った教科書とは大違いの人物、中原中也がいるだけ。詩を見ても未だこの人があの中原中也だとは信じられない。

玄関前まで来て、私は立ち止まった。


「何だ、帰る所でもあんのかよ」


中原中也は自分の服のポケットから何かを探し、何もねえやと言う。得体の知れないものを渡すのではないかとゾッとしたが杞憂だったようだ。


「帰る所は無いです...」


「だろうな。怪しい服装したやつ見て通報しようかと思ったが__選んだ詩を見て興味が湧いた。泊まってけよ」


名前しか知らない男の家に世話になるなんて。しかし帰る所はない。意を決し、一歩を踏み込んだ。


「お、お邪魔します」


「邪魔するぜ~」


長い廊下を歩き、中原が案内する部屋に向かう。

焦げ茶色の扉を開けると突然、強烈な埃臭さが鼻を襲った。


「汚ったな!」


図らずとも声が出てしまった。

例えるなら大掃除の時、埃だらけの棚を雑巾で拭いた感じ。しかも換気なしで。こんな部屋で寝泊まりしてたらハウスダストになってしまいそうだ。そんな中、中原中也はずかずかと部屋に入っていく。部屋の中は本が散らかっていて生活感がなく、本当にここに住んでいるのと思った。窓は締め切られていて、床は埃まみれだった。あまりにも汚いのでこんな部屋で詩が書けるものなのかと思った。


「はー、勘弁してくれよ、ほら。新聞紙敷けば何とかなるだろう?」


中原中也はそう言って側にある新聞紙を取り、自分の所だけに敷いた。

「そういう問題じゃない!ってか私のは!?」

と怒鳴ってやろうとしたが、逆ギレされるだろうと思い止めておいた。仕方なく埃が制服に付かないようにスカートを曲げ正座すると中原中也はボソ、と言った。


「泰子が出ていってから掃除してねえんだ。」


「や、す、こ?」


泰子さん...国語の授業で聞いた中原中也の恋人だった人だ

とすると今の中原中也は親友の小林秀雄に長谷川泰子を奪われた後という事になる。中原中也は今も泰子のことを引き摺っていて...その時私の中の何かが覚醒し出した。なるほど、失恋してから掃除すら儘ならなくなってしまったんだ...



「その話詳しく聞かせてください!」


恋愛話が大好きな私、ここを聞き逃すわけには。

私が言い終わらない内に中原中也は蒲団を取り出すとそのまま床に寝転んだ。



「今日は疲れた。寝る」


「へ...寝る? まだ昼なのに」



締め切った窓から見えるのは、太陽と青空。


「夜中に散歩する。今から寝れば酔いも冷めるだろ...

はー疲れた疲れた」


中原中也はそう云い、丸寝した。

待て、私はどうすれば。

暫くすると横から豪快ないびきが聞こえてくる。招いておきながら遠慮なしだ。一寸苛ついた。

早く此処から出て、前いた場所に戻ろう、あそこで転べば何かの拍子に元の世界へ戻ることができるかもしれない。


「ふぁ...むにゃむにゃ...ぐがー」


中原中也が寝返りをうった。眠っている姿はあの端正な顔立ちである...よだれ以外は。

寝ていれば中原なんだよなぁ、この人。

何がともあれこの人は起きているときより、眠っている時の方が楽なのでそのままにしてぼうっと寝顔を眺めた。理不尽にキレられるのにはもううんざりだ。

さて私は何をしよう。逃げるなら今の内だ、しかし今逃げればこの人が起きた瞬間私を追いかけてくるかも...ブツブツブツブツ考えていると在ることに気付いた。そうだ、新聞!


何で今まで気が付かなかったのだろう。

新聞紙を見れば此処が何時いつの何時何分か分かるじゃないか。ということで中原の側に或る新聞を眺めてみる。文字が右から左へ書かれていて、たて以外読みにくかった。


と記されている。

明日のご飯の確保は出来ている。某サバイバル番組の冒険者になった気分だ。なら今私に出来る最善策は何だろう。周りに落ちている本や空の酒瓶、煙草の吸い殻、そして幸せな目をした中原中也の顔を見張る。泰子に膝枕されているのだと脳内補正した。

よし、掃除しよう!

まずは窓を開け換気する、つもりだったが中々開かない。

そんなに古いのかこの家。力任せに窓を抉じ開けると、風が入り込んできた。草の匂いがする。換気をしたら次にするのは掃除だ。掃除用具はあるだろうか。部屋の中をキョロキョロと見回し、何か無いかと探すが何もない。ため息をついていると、ある一冊の本が目についた。表紙に高橋新吉と書かれている。手に取り、読んでみると詩だった。あまり詩に関心はないが、こういった本を持っている点、矢張り中原中也なんだなとガッカリする。他にも本があり、皆私の知らない人の名前が書かれていた。中にはランボオという人の、フランス語で書かれたものもある。私はそれを一つずつ手に取って離れた所にあった棚に片付けた。


「...お」


一人、知っている名前の作家がいた。

銀河鉄道の夜でお馴染みの宮沢賢治だった。確か、国語の教科書で山猫が出てくる作品だったと思う。

題名は忘れてしまったけれど。

...おっと危ない!

棚に気を取られて掃除が疎かになってしまえばこの床で寝ることになる。そんなの絶対嫌だ

改めて掃除用具を探してみる。幸い、長い廊下で立派な箒があった。雑巾も、ハタキまであった。

よし、掃除開始




終わった頃には夕方になっていた。この分では今夜はここで過ごす他ない。家があるだけ、マシだと思おう。

綺麗になった部屋を見渡して我ながら上出来だと自分を褒めた後大の字になってお腹を見せて寝ている中原の肩を揺らす。


「ねえ、中原中也さん。晩御飯は」


...起きない。

何度か強めに揺すり、ねえ、ねえと反応を待っていると額に鈍い痛みが走った。無論、寝起きの頭突きである。


「ふぁぁ...はーよく寝たー」


中原は起き上がり、私を見るなり「痛えんだよ」と此方を睨み付ける。誰の所為だよ、私も睨み返した。すると中原は周囲に首を回し私が綺麗にした部屋を不思議そうに眺め、無愛想に云った


「何だこの部屋。」


「綺麗にしましたー!」

自信たっぷりに云い、此処までの経緯を話そうと胸を膨らませていると中原中也は興味のない素振りで「あーそう。」と言った。


あーそう。じゃない!全く、誰が綺麗にしたんだと思っているのか。てゆーか夜ご飯はどうなるんだ。

再び横になろうとする中原中也の耳元に囁いた。


「あのー、晩御飯はどうするのでしょうかー...」


「そうだな、よし。俺は疲れてるからお前が作れ。」


...はい?

言い終わらない内に返され、しかも夜御飯を作れという強要までされた。再び目蓋を閉じて眠りにつこうとする無神経な中原の姿にに少しはやることやれ、と反論したくなり



「いやいや、中原さんが作ってくださいよ」


と云うと「は?」と逆ギレされる。


「家事は女の仕事だろう?」


デカい態度の亭主関白だ...古い男め

平成の世に亭主関白なんてものは存在しない。

家事をやる男の人のことを当然だと思って見てきたが、今になって平成男子の素晴らしさが解った。


「こっちは酒飲んで疲れてンだよ作れよ」


「嫌です。昼間から酒を飲んでるのはアンタでしょ?作ってよ」


下宿暮らしといえども食事は切っても切れぬ仲。女がいる男ならカレーくらいはご馳走する事もあるだろう、そう思ってはいたがここは時代が違うしスーパーがあることさえ分からない。しかも中原中也のこの様子を見るに良いものを食べているという気はしない。酒浸りでほっそりとした体型にろくに洗ってさえいない髪。酒で生きているような男だ


「アンタが作ってよ、こっちもお腹減ってるから...」


中原中也にお腹の音を聞かれるのも時間の問題、などと思いながら中原中也をツンツンしていると、急に胸ぐらを掴まれた。



「何だお前ッ お前を殺すぞ」


「すみません作ります」



死を予感した。

小さい男と云えども力関係は男の方が強い。ましてや今日知った教科書の偉人に殺されるなんて、絶対だ。

私は勢いで食事を作ることを承諾してしまったのだった。


部屋の隅にあったまな板には包丁で切ったであろう、青菜の緑色が裂け目のように口を開けている。

主食は草か?山羊かよコイツ。


豪快な寝返りを打つ中原中也を睨み付け、

私は一人調理に向かった。


備え付けの冷蔵庫の中には卵と葱だけがあった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ