四話
「タタタタタタイムスリップ!?」
兎に角叫んだ。
よく分からない車が並ぶ、よく分からない道の、よく分からない服を着た人々の、よく分からない町で。
という事は私はもう現代に帰れないのだろうか。足を引き摺って歩道に出る。車道と歩道くらいは分かった...良かった...
が、しかしどうやって戻ればい...
い...
「痛っ」
突如歩いてきた人に前方から腕を思いきりぶつけられ、横に弾かれた、痛みに思わず声が出て、顔を確認する隙もなかった。すぐに振り向き相手を探すが人だらけで見つけられない。代わりに強烈な痛みとぐらつき、それと僅かな酒臭さが残った。思いきりぶつけるなよ、酔っ払いめ...と自分の腕を擦った。いつの時代にも酔っ払いという名の厄介な存在はいるのか。辺りを見回してみると洋風の建物と、街灯があった。この西洋風の街灯、どっかで見たことがある。
記憶を辿ってみたが、記憶力の限界。忘れてしまった。
だがここ、何だか見たことがある気がする
建物、影、猫、酔っ払い...
酔っ払い?
再び振り向くと小道に黒い男が千鳥足で歩いている。
相当酔っているようで男がふらふらと寄り道すれば影もふらふら揺れていた。間違いない、ぶつかったのはあの男だ。
昼間から酒びたりで全くだらしない奴だな......ん?
男を悪く言っていたがその容姿を見るに馬鹿にできなくなった。
真逆〈まさか〉其処に居たのは
_______教科書で見た
黒帽子に黒外套。街の人が着物やよく分からない服で歩いているのに黒一色を身に付けて歩く姿は悪い意味でやけに目立っている。否、この人が変なのかな?変な物の中でも特に異質だ。
しかもその男の背丈約一五〇あまりしかない。
小さい。
街の人は皆背が高いのにその男だけが小さくおまけに黒く、変わり者だなという印象を受けた。普通ならば変な人で終わりなのだが私はその人物とある人物が似ているなと感じてしまった。
この人を何処かで見た...誰だったか。
黒帽子に黒い服、あの髪型。黒...黒...黒くて小さい...
考えていく内に脳裏にある肖像画が浮かび上がってきた。
中原中也さん?
今日授業で聞いた三角関係の人、写真で見たおかっぱで、帽子を被っていて、顔立ちの整った美形で、瞳が大きくて、大人しそうな。背丈は高そうに見えたのに。今の私の目に映る黒い男はあまりにも中原中也とはかけ離れていた。若しかしたら人違いかもしれない、否。そうである事を願いたい。
あんなに大人しそうな顔をして、昼間からふらっふらになりながら泥酔している人だったとは知りたくない。
だが真相を知りたい気持ちもある。只この黒くて小さい人が本当に中原中也だったら、恋人に逃げられた理由が分かりそうで辛いのだ。小さいから。
一歩ずつ小さい男に近付いていく。
早く帰る方法を探さないといけないのに、好奇心の方が勝っている。男は相変わらずよろよろした足で右の角を曲がった。丁度陽が差さなくなる場所だ。助かった、と思い再び男を見ると男は歩道に唾を吐き捨てた。
えええええええええ汚ねえええ
歩道の真ん中である。
大勢の人が通る街中だというのに不快になるような事を...。これは中原中也でも中原中也ではなくても注意しないといけない。若干躊躇ったが勢いに任せて衝動的に言い放った。
「ちょっと!何てことするんですか」
「ア”ァ”?」
低い塩枯れ声が耳に響いた。歩いていた人がゾッとして道の外側を歩いていく。その威勢に気圧され今更ながら声をかけたことに後悔していると黒い帽子の男は振り返り、ジロッと私の顔を覗き込んだ。そこには黒い帽子に黒い服、おかっぱ頭で端正な顔立ちをした“中原中也”本人がいた。
「な、中原中也...さん?」
蚊の鳴くような声で云うと中原中也は急にニヤニヤしてきて、「そうだ俺が中原中也だ。」と偉そうに言い、用件は何だ?俺の音読が聞きたいのかと勝手に話を進めてきた。
「いやいや、あのー」
歩道に堂々と痰を吐いた事を注意しに声を掛けたんだけど。
しかし中原中也は止まらない。
「そうかお前は俺のファンなんだな!?
天才詩人様の詩が好きとは感性のいいヤツだ、よし音読をしてやろう。幾時代かがありまして茶色い戦争ありまし」
「話を聞け!」
つい大声を出してしまった。回りの人が私を白い目で見ているのが分かった。綵子みたいな、無愛想な目だ。少しは怯んだだろうと息を吐き出した瞬間「天才様の音読を止めるとは何だア 変な服装の女ッ」と云われ胸ぐらを掴まれる。強烈な酒の匂いが鼻を襲った。
「ひいいいいいっ ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい!」
別に音読を止めた訳では無いんです!話を聞いてほしいんです。あと変な服装なのはタイムスリップしたからで...と必死に弁解すると中原中也は呆れた顔をして乱暴に手を離した。
「フン、次は邪魔すんなよ」
「はーっはーっ死ぬかと思った」
私が首元を触って一命を取り留めたことを確認していると中原中也は目を瞑り音読をし始めた。話を聞く気はないらしい。
何でこうなったかは全く分からない、注意しに声を掛けたらいつの間にか話が進められている。
「俺の『サーカス』という詩だ。
力作だから読んでるよな? あ、あとお前ランボオ知ってるか
ランボオの詩を俺が翻訳してやるから有り難く読めよ?」
中原中也は勝手に話を進めてくる。ふらふらと足が揺れているのを見る限り、かなり酔っている。
「えーと...ランボオって誰ですか?」
「ア”?其れでも中原中也のファンか」
中原中也はまたもや胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてくる。何とか機転を利かして避けた。
そもそも何でこんな話になってるの、私が名前を先に言っちゃったから?先に注意ではなく名前を持ってきたことに後悔した。
それならファンということにして唾を道路に吐いたことに触れてみよう。ファンに残念な印象を与えるということは有名人として恥ずかしいことであるはず。
「はい有り難く読みます。と、ところで...」
「ああ。新作だな?」
え?
ちょっと私の話は
「このノートを見てくれよ!いい詩だろ」
中原中也が外套の中から取り出したのは白っぽいノート、其れに詩がびっしりと書かれていた。添削を繰り返した跡もある。
難しい漢字がつらつらと並んだ詩もあれば、平仮名や片仮名の多いものもある。しかも字が綺麗だった。此れを見てやっと私の想像していた中原中也がやっと現れたという気がした。
マジっすか。中原中也マジっすか。
「手に取ってみろ。お前サンのお気に入りは何だ」
言われるがままに手にとってみた。
春、夏、秋、冬に草や花などの言葉。恋愛に、失恋。私が目にする詩は谷川俊太郎くらいしかなく詩への関心はあまりないが教科書に載るくらい凄い人だということは分かった。
...待てよ私のお気に入りか。
頁を捲り、それぞれの詩を読む、よく分からないから適当に一つを選ぼうかと思い頁を捲ると長い詩に出会った。
「おおっ 此れです。此れが好きですね」
中原中也に向けてその詩を指差すと彼の表情が一変した。
「...その詩が好きなのか」
はい、と私は返す。中原中也は暫く何かを考えた後、云った。
「家に来るか」
はい?