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ぶつかってきた酔っ払い  作者: 莉猫。
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二話

国語現代文 教科書百五十四頁

一つのメルヘン 中原中也


時間がない。

早速教科書やノートだらけの机の中から国語ノートを引っ張ってきて、赤いポーチみたいな筆箱からボールペンを探す。

色紙用のペンだらけで、目的のボールペンは一番下に埋まっていた。布っぽい筆箱は此れだから...ッ


「こんな時に!」


こんな時に限ってペンが私の指に絡み付いてくる。

綵子あやこから貰ったメモ紙がどういう訳か此処ここに入っていた、入れたのは私なのだろうが。ごそごそ探し回る私を見て、綵子はふふっと笑った。

やっとのことでペンの山からボールペンを掴み、教科書の方に目を移す。ボールペンの柄に絡んだ緑の蛍光ペンが揺れた。教科書は、左手で止めていたものの三十頁をさしていた。


「綵子。何頁だった?」


「百五十四」


綵子は淡々と告げた。私はありがとう、と申し訳なさそうに云い、百五十四頁を目にも止まらぬ高速技で開き、眺めた。


長い。

この量ならば休み時間中に終わらせることは不可能か_____

いや、そんな事はない。絶対終わらせる。そんな期待も虚しく一つのメルヘン冒頭の「秋の夜は」と書き終えた所で予鈴が鳴った。


「じゃ。寝ないように頑張らなくちゃ。あ、昼休みは私と弁当食べようね」


綵子はそう云うと一番前の席に座った。綵子が最後だったようで学級委員は彼女が座ったタイミングで起立と呼び掛けた。私が詩を写すのに夢中になっている間に先生が来ていたのか、席を立ち突如現れた黒髪ロングの堀口先生に驚いた。

起立、気をつけ、礼といつもの号令。

堀口先生は生徒に一礼するとすぐに背を向けた。そして、黒板に題名を書く。詩歌の授業は此れだから退屈だ。さっさとノートに写してしまおう、と教科書に目を向ける。だが、詩を写している内に引き寄せられたかのように写真に目が行った。


写真に映っていたのは瞳の大きな男性だった。

おかっぱ頭に黒い帽子を被り、黒っぽい服を着て此方こちらを見ている。私から見て右の頬にほくろがあった。白黒写真だったが鼻筋が整っていて顔立ちが善く、年齢が全く分からなかった。

其れとこの表情、何処どこかで見たことがある。別に中原中也という人物に似た同級生がいる訳でもないのに見覚えがあった。前にも見たような、そんな不思議な表情。


「今日は五月十九日なので十九番の人」


げ。今日は当てられる日だった。

堀口先生は私を指名すると中原中也の詩を音読むようにと云った。写しかけのノートを教科書で隠し、恐る恐る立って読んだ。




秋のは、はるかの彼方かなたに、

小石ばかりの、河原があって、

それに陽は、さらさらと

さらさらと射しているのでありました。


陽といっても、まるで硅石けいせきか何かのようで、

非常な個体の粉末のようで、

さればこそ、さらさらと

かすかな音を立ててもいるのでした。


さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、

淡い、それでいてくっきりとした

影を落としているのでした。


やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、

今迄いままで流れてもいなかった川床に、水は

さらさらと、さらさらと流れているのでありました……




「ありがとう」


堀口先生は黒板を見て云う。細い指を滑らせ白チョークを取り、中原中也と書き、彼についての説明を始めた。

生涯は一九〇七(明治四〇)から一九三七(昭和一二)まで。となると中原中也は三十年しか生きていない事になるわね。謂わば夭折の詩人かしら_____

此処から先は先生の話を聞いていない。堀口先生の話が深くなるに連れ、私の意識が遠退いていったからだ。また、視界が霞んでいく。目が閉じる。

もうダメ、お休みなさい...


「で、その三角関係は」


パッと目を見開いた。

一気に現実に引き戻された感覚だったが後悔はしていない。私の好きな三角関係についてが今語られているのだとすると、後悔という気持ちは闇に沈んでいった。三角関係はドラマの定番だ。

其れからは堀口先生の話をよく聞いた。中原中也が長谷川泰子という女優と同棲していたこと。小林秀雄という男性とモメた事。中原中也と小林秀雄は親友だったという事。専ら自分の趣味で聞いていたものの、中原中也が他の女性と婚約した後も長谷川泰子を想い続けていた点とても惹かれた。

彼は純粋で、一途で、大人しい男性だったに違いない。そう思った。一つのメルヘンという詩も、中原中也らしい繊細さが滲み出ている。少し悲しい気がするのは、失恋してしまったからなのだろうか。山羊の歌も、何かよく分かんないけど大人しい感じがするし、在りし日の歌も、長谷川泰子の事を謳った詩なのだろうか。無知な私にはそう思えた。


しかしその予想は見事に外れる事になった。




授業が終わり綵子と一緒に弁当を食べ、先刻さっきの三角関係について話した。綵子は先刻の授業でも寝ていたようで弁当を食べ終わると大きな欠伸をした。


「未希は恋愛話が大好きね」


「うん、恋愛話さえあれば生きていけるよ」


はは、と笑いかける。綵子もふふ、と控えめに笑った。綵子のおしとやかな性格はとても真似できない。冷静で、明るくて上品で、優しくて。私には無いものを持っているからこそ余計綺麗に見える。綵子と友達で良かったと思った。


「綵子も恋愛話とか何か在るなら聞かせてよね~」


私は自信満々に云った。

綺麗な綵子だからこそ、気になってしまう。

__ふと、綵子の目の奥に暗い感情が過ったような気がした。其れ以上は触れないでくれ、みたいな。外部の人間がずかずかと歩み寄ってはいけないと云うような、制止。

しかし暗い感情は煙のように消え、いつもの綵子に戻った。


「まだ無いよ~」


「そっか、何かごめんね」


人の恋愛話に安易に近寄った事を反省し、綵子に謝る。

ううん、いいよと綵子は云ってニコッと笑った。

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