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勇者は婚約者が大嫌い!  作者: えあきる
8/9

私はあの子を愛してる

 私の名前は、シャーリー・アナスタシア。アナスタシア王国の王太子だ。エメラルドグリーンの瞳はその証。この瞳の色が、神の瞳の色と同じだと言われているためだ。

 王太子に加えて、巫女という役割も担っている。王族の中でも、この巫女という役割を担える者は、歴史上でもほんの数人と言われている。神からのお告げを聞くこと、神や精霊へ言葉をお伝えすることが私巫女の役割だ。その他、神や精霊からお許しかご命令があればできることはあるけれど、意味がないので割愛する。

 さて、私とクロエについて話しましょう。

 クロエと私は、十年来の付き合いだ。当時、姫巫女としての能力に目覚めたばかりの私は、心が不安定で酷く苛ついていた。侍女達にも辛く当たり、気づけば腫れ物に触れるかのように接されるようになっていた。

 苛々するし、心細いし、悲しいし、ムカつくし、と私の心は目茶滅茶だった。

 その日も、私は人目を避けて王宮にある小さな薔薇の園に隠れて泣いていた。思いっきり泣けば、心がほんの少し落ち着くのだ。嗚咽だけ押し殺して、溢れる涙を止めず、私は泣き続けた。ドレスを濡らさないために目元に当てたハンカチは含んだ涙を滴り落とすほどに水を含ませてしまっており、このままでは結局ドレスが濡れてしまう。泣き続けてぼんやりとする頭で、そんな事ばかり気を遣う自分が可笑しかった。

 泣いていることなんて、知られたくないのに。

 切実な願望だった。

 私はアナスタシア王国の王太子。簡単に人に涙を見せることを許されない人間だ。だから、こんな人も通らないところで泣いている。

 だと言うのに。

「これをどうぞ、レディ」

 差し出されたレース地のハンカチに、我慢していた嗚咽が止まった。

 差し出された手は大人のものではないし、耳に伝った声は男のものではない。

 騎士然としたその物言いに、私は俯き続けていた頭を上げて、ハンカチの持ち主を見た。

 ルーナーさま?

 私は、本当に精霊ルーナーがそこにいるのだと思って、吃驚した反動で涙も止まった。

 月光のような白銀の髪が、一括に結われ、木漏れ日を受けてキラキラと輝いている。蒼い瞳は静かに私を見つめ、形の良い唇はニコリと微笑んでいた。私と然程も違わない年頃だが、その身体には白百合騎士団の団服が纏われていた。

 ルーナーさまだと思った少女は、差し出していたハンカチで私の目の周りを優しく拭い、そのハンカチを私の手に握らせた。

「差し出がましいこと、申し訳ございませんでした」

 傅いて礼をとり、少女はその場を立ち去って行った。

 気づくと、私の胸はこれ以上ないほど高鳴っていた。


 ◇


 彼女の身元はすぐに判明した。

 クロエ・フォン・デヴェリア。デヴェリア伯爵の末娘。まだ十歳にも満たないが、その身体能力、魔法技術は同年代の子どもより抜きん出ている。その才能と、騎士団団長を長年輩出するデヴェリア家の娘と言うこと、女性騎士で構成された白百合騎士団が人手不足ということ、彼女が強く望んだことを受け、騎士見習いとして、白百合騎士団に務めている。

 非常に勤勉で物腰穏やか。騎士でありながら、伯爵令嬢としての礼儀も心得ており、茶会で見る彼女はまるで妖精のようだと密やかに噂されている。

 何ですの、この方。完璧じゃないですの。

 侍女に依頼した彼女の調査結果を見て、私は彼女を羨み、ひっそりと溜息を吐いた。それと同時に、親近感を抱いた。

 私は、人を羨んだことなど一度もない。人に出来て自分に出来ないことがあるのは当たり前。人が自分を羨むのは、人よりも富んだ衣食住に恵まれているから。しかし、そういったものの裏には、必ずそれを上回る責務を背負わされる。物覚えがつく前から厳しく躾けられた私は、その責務を果たし続けている。それに伴って身についた礼儀や所作さえま羨まれ、私はイタチごっこを繰り返す。

 幼さの抜けない見目に反して、年頃の令嬢よりも淑女らしい彼女を、人々は淑女の中の淑女と彼女を例える。それだけの努力をしてきた。けれど、幼い私の心はまだ幼かった。必死に大人のふりをしても、辛いものは辛かった。

 強い心が欲しい。屈しない心。他人を慈しむ心。公務などで一年に数回しか会えない優しい母を思い浮かべ、私の心は一人寂しさに負けて泣く。

 クロエは、そんな私が欲する心を持っているように感じた。彼女も、決して祖先の功績に胡座をかかず、自らの力で陛下の信頼を得続けるデヴェリア家の娘として、多くのことを我慢して、多くのことを努力してきたのだろう。十歳にも満たない令嬢ならば、今頃は自分の家で家庭教師らに礼儀やダンスを学んだり、頻繁に行われるお茶会に参加したり、過ごしているのだろう。だと言うのに、彼女は朝から夕方まで騎士見習いとして働き、しかし令嬢としてのマナーはきちんと備わり、大人の中に入って職務を全うするだけの知識も持っている。

 甘んじない心。自分を高める努力をし続ける、凛と佇む優しい少女。

 私が彼女と仲良くなりたいと自ら願い出るのに、然程の時間も掛からなかった。


 ◇


 ある日のこと。それは、王宮で年に数回行われる茶会の席での話だ。

 招待した子息令嬢の方々に挨拶をし終え、クロエの元へ向かっていたところ、一人の子息が私の横を駆け抜けて行った。一括にした空色の髪と、顔の横に垂れた三つ編み。その髪型はバルゲンシャ族の髪型だった。今日の招待者にはバルゲンシャ族の族長の子息も含まれていた。王都から離れた地に住む彼らもまた我が王国の国民であり、族長とは王都に住む公爵家と同等の権力を有しているためだ。特に、今は来る魔王との戦いのために、戦力強化を国全体で努めている。彼ら一族は、一人一人が卓越とした技術を持つ弓士だ。その中でも、族長とその子息は素晴らしい才覚を持つと言われている。今の内に彼に王都に慣れてもらい、来る日に魔王討伐の選抜隊に入ってもらおうと言う魂胆だ。と言いつつも、彼には殆ど拒否権はないのだが。

 話を戻そう。

 私は、彼が居ただろう場所を振り返った。そこには、私の探し人であるクロエがいた。若葉色のドレスに緩やかに巻かれたハーフアップに結われた髪、今日も妖精と呼ぶに相応しい姿をしていた。しかし、その顔にいつもの微笑みはなかった。私は、その顔に覚えがあった。自分もよく、そんな顔をしていたからだ。

「クロエ、少しあちらへ行きましょう」

 彼女の返事も聞かず、周りの制止も聞かず、私は無理矢理彼女の腕を引いて、人目から外れた場へ向かった。

「クロエ、どうしたの?」

 振り返った私に、無理して取り繕うクロエの引き攣った顔が向けられた。

「何でも、ありませんわ」

 唇は震えていた。蒼い瞳は今にも泣き出しそうに潤ませて、揺らめいていた。

「クロエ、我慢しないで。此処には私達しか居ないわ」

 私は、幼い頃に母がしてくれたように、クロエの身体をギュッと抱き締めた。身長差があるので、抱きついているという表現の方がしっくりくるのだが。私は腕を伸ばして、クロエの頭を撫でた。いつもの流れるようなそれとは違うふんわりとした髪を、大丈夫だよ、という気持ちを込めて。

 ぽたり。

 頬に雫が落ちる。クロエの蒼い瞳から、涙が零れ落ちていた。見上げるクロエの表情は、悔しそうに、悲しそうに、歪んでいた。

「ふっ、……く、……ぅ」 

 嗚咽を殺して、クロエは私の身体を抱き締め返す。ギュッと抱き締められて少し苦しかったが、私は文句も言わず、クロエの好きなようにさせた。

 クロエも泣くのね。

 そう思ったと同時に、クロエが泣く理由を考えていた。あの子息が関係していることは明白だ。しかし、あんな初対面の男の子に泣かされるほど、クロエは弱くない。

 では何故?

 それからと言うもの、あれから頻繁に王都へやって来るようになった子息―ジル・ダン・シャフトに、クロエは幾度となく辛い顔をして見せた。ジルさまは、クロエに会う度に意地悪な発言と態度を示した。クロエと会う直前までは、物腰穏やかな様子だったというのに。クロエはクロエで、彼女の才覚などを羨んだ他の子息令嬢に同じことをされても素知らぬ顔で過ごすというのに、ジルさまにはそれが出来ずにいた。まるで、普通の少女のように、悲しい顔をして、堪えていた。

 クロエはもしかして、ジルさまを好いているの?

 その疑問は、それ程時間を置かずに気付いた。それならば、納得できた。それも、私には見に覚えがあったから。

 恐らく、ジルさまも同じく好いているのだろう。好き故に意地悪をしている? それにしては態度が行き過ぎているようにも思えた。本当に嫌っているかのような態度だ。では、本当に嫌っているのだろう、と言うとそれも違う。本当に嫌いならば、自分から近づく筈がない。

 その疑問も、魔王討伐が果たされてから暫く経った日の夜に知らされた。

 神のお告げは、夢の中で行われる。

 それは前触れもなく突然であるが、夢の中の自身の意識は起きている時と遜色ないほどにはっきりとしていた。

 夢の中で覚醒した私の目の前には、白い発光体―神の仮の姿と、琥珀色の髪のアルティさま、アルティさまの隣に寄り添う白銀の髪のルーナーさまの姿があった。私はお三方の御前に傅き、「シャーリー・アナスタシア、只今参上いたしました」と告げた。

『アナスタシアよ、大義であった』

「勿体無いお言葉です」

 老若男女の声が入り混じった不可思議な声。聞いたことのあるような、そうでないような、そんな声が響く。

『さて、今回もそなたたちに予言を授ける。その前に、小奴らの話を聞いてもらえるか?』

『初めまして、アナスタシアの巫女。私はルーナー。こちらはアルティ』

『アルティだ』

 物腰穏やかなルーナーさまに対し、アルティさまは無愛想に名乗ると、ふんと不機嫌に鼻を鳴らされた。

「初めまして、アルティさま、ルーナーさま。私はアナスタシア王国の巫女―シャーリー・アナスタシアと申します。お話とはどのようなものでしょう?」

 そうお訊ねすると、ルーナーさまは申し訳なさそうに『アルティのことでね、謝って欲しい子がいるの』と言われた。

『二十年近く前、私とアルティが逢瀬を果たす日に悪戯をした子どもがいたわ』

 その子どもは、アルティさまとルーナーさまが逢瀬を果たせる新月の夜、祈りの儀に使われるルーナーさまを象った像を隠した。それを怒ったアルティさまはその子に呪いをかけたと言うのだ。

『像を隠しただけなんて、そんなことで私たちの逢瀬が果たせなくなるなんてあり得ないのにね』

『だが、その子どもの行動は、私とお前の大切な逢瀬を邪魔するようなものだった。本来なら万死に値するのに、期限付きの呪いにしてやったのだ』

『だからと言って、やり過ぎはやり過ぎです』

 もう、と頬を膨らませて窘めるルーナーさまに対して、拗ねたようなアルティさま。神話に伝えられていた通りの仲睦まじい様子に、精霊も人のように恋をするのね、とポカンと見つめた。『これ、話を進めんか』と二人は窘められ、ルーナーさまは『失礼しました』と謝罪された。

「質問をしてもよろしいでしょうか?」

『はい、どうぞ』

「その子どもは、どういった呪いをかけられたのですか?」

『番と愛することを出来なくさせた』

『つまりね、愛しいと思った相手に愛を伝えることも出来ない。愛の代わりに毒を吐くようにしてしまったの』

「愛の代わりに、毒を……」

 ふと思い浮かんだのは、クロエの涙する悲しげな顔だった。不自然にクロエを嫌うジル。そんなジルを嫌うように悲しく努めるクロエ。

「もしかして、」

 私の推測は、微笑むルーナーさまに肯定された。

『でも安心して。アルティの呪いはもう解除されているわ』

「え?」

『有効期限を設けたと言ったろう。魔王を討伐したら、呪いを解除してやると伝えた』

 アルティさまは無愛想に応えた。しかし、シャーリーの中には疑問が残った。

「何故、魔王討伐が成功したら、なのですか?」

『それは』

『私が話そう』

 アルティさまの言葉を制止し、神は述べられた。

『アルティの仕掛けた呪いは私も知っていた。その呪いは、非常に都合が悪いと言えばそうだが、逆に利用も出来た。その子どもは、偶然にも勇者の番とだったからな』

 私の理解を待たず、神は言葉を続けた。

『魔王が討伐されなければ、これから言う私の予言は、予言にさえならなかっただろう。故に、心して聞くが良い。そして皆に伝えよ。姫巫女であるそなたと、勇者である娘にそれぞれ子を宿す機会を与える。その子らは番となるだろう。その子らが正しく王になった時、我の力が続く限り、アナスタシアに安寧を与えよう』

 私は言葉を失った。

 子を与えられること。国の安寧を約束されたこと。

 それよりも、私とクロエの子が番となるという予言に、私の心は歓喜に震えた。

「これ以上に、これ以上に光栄なことはありません。神よ、精霊よ、私と勇者は必ず子を正しく王にして見せましょう」

『あぁ、愛しいアナスタシアの子よ。そなたが我を思う限り、我もそなたらを愛そう。これから千年、幾年経とうとも、我らを忘れるな。忘れたその時、我らの愛は失われるだろう。故に忘れるな。今まさに、そなたらは我らに愛されているということを』

「畏まりました。アナスタシアの名にかけて、必ずやその言葉を子たちへ伝えていくことをお約束いたします」


 ◇


 夢から覚めた私は、急ぎ着替えて神官長のいる王宮内の教会へと向かった。

「神官長はいらっしゃる?」

「お待ちしておりました、殿下」

 教会へと入ると、そこには皺のない神官服を装った神官長―クレスがいた。アッシュブロンドのショートヘアは、教会のステンドグラスの光に彩られている。傅く彼へ「誰か他にいるかしら?」と訊ねると「いいえ」と返した。

「クレス、予言を聞いたわ」

 神官長を名前で呼び、私は傅く彼を立ち上がらせた。

「えぇ、私も拝聴させていただきました。……おめでとうございます、とお伝えすればよろしいのでしょうか」

 自信なく、クレスはアメジストの瞳を伏せた。私は、少しムッとなって「何故他人事なのですか」と問うた。

「他人事、でしょう? 私と貴女では、とても身分が釣り合いません」

「そんなことない、と何度言えば分かるの。魔王討伐の精鋭部隊の一人、最高位魔術師クレス」

 クレス。彼は平民であり、親を失った孤児だった。孤児院である教会で過ごした彼は勤勉で、自身の力で十代になると神官になった。その頃には術師としての頭角をあらわした上、神官長となるために絶対必須の聖魔法の才を顕した。聖魔法とは、奇跡に似た力だ。例えば、有事に王都を覆う巨大なシールドを張る、といったことだ。本来なら莫大な魔力を使わなければならず、個人でやろうものなら命を賭しても出来ないのだが、聖魔法であれば一日一定時間を二三回実施することができると言う。魔王討伐の旅の時、彼は若干二十歳にして既に副神官長の地位におり、聖魔法だけでなく魔法全般を得意としていたため、精鋭部隊の一員に抜擢されたのだ。当の本人は「自分は孤児だから悲しむ者も少ないから選ばれた」と悲観的に言うのだが、そんなわけがない。それを聞かされた私は、思わずその場で彼の頬を叩いて「貴方が死んだら泣きます、私も死にます!」と怒鳴るように言うと「貴女は王太子殿下なのだから」と諭してきたので、「貴方はその王太子殿下に愛される唯一無二の存在なのですよ!」と、如何に私がクレスを愛しているか、彼が「分かりました」と泣きつくまで言い聞かせた。

 だと言うのに、この男は。

「まだ貴方は、私の愛を疑うの?」

「違います、……いえ、こんな風に貴方の思いを否定しているのですから、そうなのでしょうね……」

 悲しげに言うクレスを、私はギュッと抱き締めた。

「殿下……」

「クレス、私の伴侶となるのは貴方しかいないの。私のことを一番理解してくれる貴方でないと」

 クレスは、神と対話する能力を持つ私の気持ちを唯一分かってくれる人だった。

 恐怖。畏怖。私如きの言葉によって、神の不興をかってしまったら……。

 この事はクロエにさえ話せない。クロエには確かに理解できないから。彼女もまた、多くの期待を担う女だから。

 そんな時、私に声を掛けてきたのはクレスだった。

『貴女は凄いのですね。尊き御方と会話するなど……、お恥ずかしながら、私はお声を聞いただけで震えてしまいました。貴女のような幼い方が果たされているならば、私も頑張らないといけませんね』

 大した言葉ではなかった。

 けれど、たったのそれだけで、私の心は救われたのだ。理解してくれる者がいる。それだけで、救いになるのだ。

 だから、私もまた貴方を救いたい。貴方の寂しさを、空虚を、孤独を、私がすべて受け止めてあげたい。

「私は、絶対貴方を一人にさせない。病める時も死ぬ時も、貴方の傍に居るわ。居させて欲しいの」

「殿下……」

「殿下じゃないわ、クレス。私の名前を呼んで」

「……シャーリー」

 今にも泣き出しそうな瞳に、私は背伸びをして口づける。

「シャーリー・アナスタシアは、アナスタシア王国のすべてを守り、導きます。ですが、シャーリーという私は、貴方だけを愛し、貴方のために生きていきます」

 ニッコリと伝えると、クレスはほんの少しだけ困った様子で嬉しそうに微笑んだ。

「シャーリー、僕にまで隠さなくて良いよ」

「……何の話ですの?」

「先の言葉も本当なんだろうけれど、愛するのは僕だけではないだろう?」

「……やっぱり、私には貴方が良いわ」

 そう、私にはもう一人愛する人がいる。

 クロエ・フォン・デヴェリア・アナスタシア。私の唯一無二の友。

「あの方が男性でなくて良かった」

 クレスの小さな呟きに、私は頬を緩めて力いっぱいクレスを抱き締めた。

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