それでも僕は君を愛してる
「ジル!」
始めに訪れた部屋へと戻ると、ソファに腰掛けてクロエが花を綻ばせるような笑顔で僕を迎えた。
ドキリと高鳴る胸と共に喜びを噛み締めつつ、僕はシャーリーへと向かった。
「シャーリーさまのお話は、終わったのかしら?」
真っ直ぐに見つめる蒼い瞳が、睨みもせず、嫌悪も抱かず、純粋に僕のことを見つめる。こんなにも美しい蒼だったのか、と見惚れてしまう。
「あ、あぁ」
ソファに座り「暫くここに居れるよ」と告げると、パアッと大輪の花のような笑顔を見せた。
淡々と紅茶を用意していた侍女がそれを終えると、香り立つ紅茶を差し出して、静かに礼をして部屋を出て行った。
しんと部屋が静まり返る。クロエは、何処かそわそわとし始め、時々交わされた僕との視線にはにかみ、そして嬉しそうに微笑んだ。
こんなふうに、彼女の笑顔が向けられる日を、どれほど望んだだろう。自分の過ちとは言え、好いた女性に蔑まされる日々は、心を壊しかねないほどに辛いものだった。自分の素直な言葉さえ伝えられず、真逆の言葉と態度で返すしか出来なかった日々。あの辛かった日を思うと、自分の素直な気持ちを伝えられるだけでも幸せだと言うのに、彼女も僕を好いてくれていると言う。薬によるものとは言え、間接的にではなく直接伝えられた彼女の言葉に、浮かれるなという方がおかしい。薬のせいだ、と知らなければ、今すぐ彼女の唇に口づけて、その女性騎士とも、ましてや国を救った勇者とも思えないほど華奢で柔らかそうな身体に触れて抱き締めて、僕のものだという証を刻んでいただろう。
……いかんいかんいかん。
危うく卑猥な妄想にまで発展仕掛けた僕は、気持ちを落ち着かせるために紅茶に口をつけた。ふわりと香ったその果実と花の香りには、覚えがあった。
「この紅茶……」
僕の呟きに、ふふっ、と嬉しそうに笑む。
「気づいていただけた? 先日、シャーリーさま伝で貴方からいただいた紅茶と同じお店で買いましたの。今、色々試しているのよ」
「そうなのかい? 気に入ってもらえて良かった」
あの紅茶は、僕の一族の者が作ったブレンド茶だ。数年前、その紅茶の魅力の虜になった商人が是非にと土下座をする勢いで自分に卸して欲しいと願い出た。契約条件も悪くなく、各所から聞いて回った噂でも良識のある商人だと裏付け出来たため、許可を出した。王都に出されるや否や、瞬く間に人気を博したそれは、今わが一族で最も熱のある産業となりつつある。
王都に出される前から僕も愛用していたため、プレゼントをしたのだが、自分でも買うほど気に入ってもらえたのは、本当に嬉しい。あとで、一族にも手紙で伝えよう。
「はい、とても。ジルが選んでくれたと思うと余計に……」
恥じらいつつも、クロエは僕へと視線を向けた。
あぁ、待って、待って。本当にどうしよう。これ、本当にクロエの本音? 嬉しすぎて泣きそう。涙どころじゃなくて、何か色々なものが出てきそう。
「クロエ……本当に?」
ようやく出た声は、震えていた。クロエは僕から視線を外すことなく、コクリと小さく頷いた。
「えぇ、勿論ですわ。 ジル、実は今まで頂いていたお手紙や贈り物、この間ようやく開封したの」
僕はその言葉に驚いた。
「え? 捨てたって聞いたけど」
「えぇ、私もそう思っていましたが、侍女が気を利かせて取って置いてくれたんです」
「そう、なんだ」
彼女へは日を置くことなく手紙を、時々贈り物を贈っていた。しかし、その手紙の返事は一切なく、伝え聞くところによると、その手紙も贈り物も、封を開けることもなく処分されたという。
何となく予想はしていたが、現実を突き付けられて流石に落ち込んだ。彼女の白銀の髪に合うだろうと見繕った髪飾り。彼女の瞳と同じ色の宝石が散りばめれた首飾り。旅路でよく彼女が好んで食べていたドライフルーツ。無理矢理にでないと会ってくれない彼女へ、少しでも愛を伝えたくて書き連ねた手紙。虚しく思う気持ちも抑え、彼女が拒むまで続けると心に強く誓い、今日まで贈り続けていた。
それが、知らずに報われていたという。彼女は僕の手紙も贈り物も受け取ってくれたという。
胸を、甘く締め付けられる。信じられない。彼女の口から、あの髪飾りはとても綺麗だった、あの首飾りは是非僕と参加する夜会で付けたい、私がドライフルーツを好きなのを知っていたの、と一つ一つに謝辞を述べられた。夢物語のような彼女の言葉は、虚しさを覚えた僕の心をあっと言う間に満たした。僕はこんなに単純だったのか、と自分で自分を笑う。
そうして、一通りの謝辞を述べ終えた彼女は、改めて僕へ向き直り、口を開いた。
「私、貴方のことが好きです」
「っ、クロエ」
思わず、僕の手は彼女へと差し伸べる。しかし、彼女はそれを避けるように身を縮めさせた。少なからず彼女の態度にショックを受けた僕に、彼女は「違うのです」と頭を振った。
「怖いのです。呪いとは言え、出会ってからずっと、貴方からは“嫌いだ”と言い続けられてきました。そんな事がまた遭ったら、と思うと……私……」
彼女の華奢な肩が震える。蒼い瞳は長い睫毛に陰り、彼女は口を閉ざした。
彼女の憂いは、紛れもなく僕の罪だった。精霊に対するものではなく、純粋に残酷な彼女に対する罪。何よりも、深く重い罪だと悟った。彼女の憂いを晴らすには、どうすれば良いのか。その答えを出せぬまま、ただ彼女の寂しく震える身体を慰めるために、僕は彼女の元へ傅き、強く握り締められた手の指を解いて、始めに彼女がしてくれたように、僕の指を彼女の指に絡め、口づけた。
「ジル?」
白い肌が朱に染まる。鼻を擽る甘い香りに脳が蕩けてしまいそうだったが、その先には
不安に苛まれたクロエがいる。彼女の蒼い瞳は揺らめき、今にも泣き出してしまいそうに見えた。そんな彼女へ、僕は静かに謝罪した。
「クロエ、すまない。僕はいつまでも僕のことしか考えていない。君にばかり辛い重いをさせてしまっている」
「そんな、こと」
「でも、もうあんな酷いことは言わないし、しない。僕の意思では絶対しない。それでも不安は拭えないのならば、もし約束を破ったら、君の全力で僕を殴ってくれて構わない。だから、」
逸る気持ちを抑えるため、ひと呼吸置いた後、僕は彼女に告げた。
「僕と結婚してください」
「ジル……」
絡まる細い指に、ほんの少し力が篭もる。彼女の瞳から陰りが消える。震える唇は、何かを必死に紡ごうとしていた。
「……ジル、私」
「ストップ」
「え?」
僕は、彼女の口を制止した。その僕の態度に、クロエは眉を潜めて、何故と訴えた。
「その答えは、明日聞かせてくれないか?」
「明日、ですか?」
「そう、明日。明日ならいつでも良い。何なら君の都合の良い時間に君の元を訪ねよう」
有無を言わせずに僕が告げると、クロエは瞳をパチパチと瞬きさせつつ、頷いた。
「明日、でしたら、十五時頃であれば手が空くと思います。こちらの部屋で待ち合わせるというのはどうでしょうか?」
「いいよ。明日十五時、ここに来よう」
身体を起こし、彼女の傍を離れる。何かを言いたげに、クロエは口を開くが、結局何も告げられなかった。
「もし、君が来なくても、僕はずっと待ってる」
僕はそう告げると、部屋の扉を開け、彼女の元を立ち去った。
◇
眠りから覚めると、窓から茜色の光が降り注いでいた。
「こんばんは、クロエ。よく眠れたかしら?」
「シャーリーさま」
ここは私の部屋。傍らにはシャーリーさまが座っていらっしゃる。
私はどうしたのかしら。
団長室に居たのに、とぼんやりとする頭を必死に動かした。
「覚えてるかしら? 薬を飲んだ後、ジルと会ったのだけれど」
あぁ、そうだ。薬。とんでも無く苦かった薬。それを飲んだ後、パラスの客室へ運ばれていて、少ししたらジルが来て……。
『ジル、好きです』
「ひゃあぁああ!」
思い出した。ジルに好きだと告白した。あああ、しかも、絶対秘密にしようと思ってたのに、贈り物開けて喜んだことも伝えて、それで、あとは……。
『結婚してください』
「………………」
結婚? 結婚……。結婚?!
「なんて、ことなの」
唇が戦慄く。展開が早すぎる。しかも明日までに返事をしなければならなくなってる。否、シャーリーさまを始めとする周囲からは「まだなのか」と幾度となく催促されていた。充分に考える時間は与えられていた。けれど、踏ん切りのつかない自分がいた。
『怖いのです』
ジルに告白した、自分のありのままの気持ちを思い出す。
私は、怖かったのですね……。
好きになった人からの拒絶。それは、子どもだった私の心に深く突き刺した。暫く立ち直ることも出来ず、けれど度々会うことになった彼から逃げることも許されなかった。そんな私がとった行動は、彼を嫌いになること。彼のことが嫌いだ、と言い続ければ、それはいつか本当になる。そう言い聞かせて、私はひたすらに心に唱え続けた。
私はジルが嫌い。大っ嫌い!
それなのに、現実は彼と私を離してくれなかった。勇者になると、一緒に旅をすることになり、散々に嫌ったかと思いきや、時々不自然に助けれくれた。
誰かを通じて受け取る間接的なものが多かったけれど、その優しさは度々私の心を揺さぶった。
何度も何度も、心に刻むように「嫌い」と言っても、彼の少しの優しさの前には無意味となる。
魔王討伐を成功して、王族に籍を移すことになり、これで彼と会うことも、頻繁にはなくなるだろう。ようやく、彼を忘れる時間が作れる。
そう悲しく安堵した最中だった。
あの試合で、彼と対面した時、酷く心が荒れた。
忘れようとしているのに、何故惑わすことばかりするの。
好きだなんて、軽々しく言わないで。
キスなんてされたら、もう、一生忘れられないじゃない……。
「シャーリーさま、もうこのような事はおやめ下さいませ……」
彼に曝け出した自身の弱さ。彼に振り回される愚かな女。そんなもの、絶対見せたくはなかった。薬によって、呆気なく曝してしまったことに、酷く自分を責め立てる。
なんて弱い。
こんなのが勇者だなんて呆れてしまう。
私なんて、神から力を授からなければ、ただの女でしかない。
心は、こんなにも弱い。
「もちろん。貴女がきちんとケリをつけられたなら、止めるわよ」
ケリ、とは。
彼に、返事をしろと言うことですか?
言葉を発さず、私はシャーリーさまを見つめた。
「貴女の気持ちは知っているわ。辛かったことも知ってる。陰で泣いていたことも……。ジルさまのしたことは、例え自分の意思でなかったとしても、決して私が許さないわ」
「シャーリー、さま?」
シャーリーさまの小さな手が、私の頭をそっと撫でる。幼い子どもにそうするように、優しく。揺るがないエメラルドグリーンの瞳が、私を映した。
「私が許さない分、貴女はジルを許しなさい。ジルにたっぷり愛されるのよ。それで、ジルに何かされたら私に言いなさい。今度こそ、貴女に一切近寄らせないように私が貴女を守るから」
力強く言い切るシャーリーさまを、ぽかんと見つめる。シャーリーさまは、穏やかで慈しみ深い眼差しで、クロエを見つめていた。
最後に、その細い腕でギュッと抱き締められる。薔薇の優しい香りがふんわりと鼻を擽る。年下の少女で、自分が守るべき方だと言うのに、彼女の腕の中はとても温かく心が落ち着いた。
そう言えば、この方は気付くといつも私の傍にいて下さった。身分の違う私を、臣下である私を、友と呼んでくれた。
貴女が言うのなら、私、頑張ってみますわ。
◇
「クロエさま、お時間ですよ」
「わ、わかったわ」
昼を越し、いつものように事務作業で書類の処理をしていた。が、先日まとめて書類を片付けてしまったので、数はそれ程なく、一時間も掛からない内に終わってしまった。
これから訓練を行うにも、汗臭い格好でジルに会うのは気が引ける。
そう考えていた矢先、侍女のスージィが私を自室へ誘った。部屋に着くと、そこに待機していた他の侍女たちが一斉に私の身なりを整え出した。
軽く巻かれた髪をピンなどでまとめられ、ジルの贈り物である髪飾りが最後に留められる。首元にもまた贈り物の首飾りが付けられた。それを強調するように、オフショルダーのドレスを着せられ、いよいよ逃げ場がなくなった、と思った。逃げる気はなかったが、こうも周りを固められると、却って緊張が高まるのだが、侍女たちは相変わらず完遂感の悦に浸っていた。
「クロエさま」
準備を終えた私を迎えに来たスージィは、待ち合わせの部屋に到るまでの道中、ふと立ち止まった。
「何?」
私が首を傾げていると、スージィは私の耳元へ口を寄せて「僭越ながら、応援しております」と告げた。
彼女との付き合いも、また長い。ほぼ同い年で、近々結婚を理由に退職すると聞いていた。彼女もまた、影ながら私を見守っていた内の一人。ジルに好意を寄せているのを、辛い思いで必死に隠していた私を知る数少ない一人だ。
スージィは、ニコリと励ますつもりで微笑んだ。スージィの気持ちが分かるほど機微に富んではいないが、私はその笑顔に勇気を貰ったように感じた。
「……ありがとう」
私は感謝を述べると、スージィをその場に残して、たどり着いた目的の部屋へと入って行った。




