それでも僕は君が好き
カツンッ、と大きくはないが存在感のある鋭い音が室内に響き渡る。
ここは、白百合騎士団団長室。書類が積まれた両袖机を叩くのは、シャーリーさまが愛用されている扇。淑女の嗜みが、まるで剣のように突き立てられていた。
「いい加減になさい、クロエ」
「……シ、シャーリーさま。申し訳ございませんが、ただいま就業中でして」
「誤魔化さない」
「……」
シャーリーさまのエメラルドグリーンの瞳が刃のように、その切っ先が私の目前に突き付けられる。ぐうの音すら出ず、私は身体を小さくさせて、シャーリーさまから視線を外した。
「貴方、いつまでジルさまと駆け引きするつもりなの? お互いの気持ちは確認し合えたのでしょう?」
したと言えばした、してないと言えばしていないのだが……。
恐らく庭園にいただろう侍女らがシャーリーさまに漏らした情報により、シャーリーさまには私とジルが相思相愛であることが伝えれているらしい……。
相思相愛、なのかしら。傍から見たらそう見えるのでしょうか? そうなのかしら……。けれど、だとすれば、どうして、私の心はこんなに不安なのでしょうか……。
思わず、はぁ、と重く溜息を吐くと、シャーリーさまは「もうっ!」と声を荒げた。
「こうなったら、私も奥の手を使うしかありませんわ!」
パンパン、とシャーリーさまの手が切れ良く打ち鳴らされる。すると、団長室の扉が勢い良く開け放たれ、顔を布で隠した侍女たちがぞろぞろと室内へと入る。室内には私の他に数名の騎士もいたが、流されるように部屋の外へ追い出されて行った。ガチャン、と鍵までかけられた。そうこうする内に、私の周りを覆面の侍女たちが囲った。あまりの展開に私はあんぐりと口を開けて、呆然としてしまう。そして、気付いた時には身動きを封じられており、開いたままの口が侍女達の手で固定されていた。
こんな状態になって、ようやく身の危険に気付いた私は、身を捩ろうとするも無駄な抵抗に終わり、顔を青褪めさせた。
「ヒァーヒィーヒャマッ?!」
「抵抗はお止しなさい、クロエ。皆さま、やってしまいなさい!」
シャーリーさまの号令をあげると、侍女たちの内の一人が前に出た。その手には吸い飲みがある。薬を飲むときなどに使われる硝子の器の中身は、無色透明の水ではなく、紫色の濁った色をしていた。まさか、と背筋が冷えたかと思うと、その吸い飲みの口が私へと差し向けられた。
何を飲ませる気なんですのー?!
精一杯の抵抗も、数人がかりで抑え込まれた現状では只々虚しい。液体は、とうとう私の口の中へと注がれた。咳き込まないようにと少しずつ、垂らすように注がれる。
に、苦いですわ!!!
舌先から口内を蹂躙する苦味は、吐き出すことも許されない。全て注がれたかと思うと、有無を言わさずに口を塞がれる。呼吸がうまく出来ないために、最後の抵抗さえ出来ず、その液体を身体へ取り込んでしまった。苦味が喉元を通り、それを確認した侍女たちは、ようやく私の身体を解放した。解放された私は、酷く咳込んだ。しかし、件の液体を吐き出すことも叶わず、涙目で私はシャーリーさまを見つめた。
「な、何を飲ませたのですか……?」
叫んで抗議をするつもりだった。しかし、それは突然に襲い掛かる眠気によって邪魔された。瞼は重く、思考もまた少しずつ閉ざされていく。
シャーリーさまは手元に添えていた、鮮やかな羽根の扇で口元を覆われていた。その目は、悪戯っぽく笑んでいると言うのに、一切の悪意が感じられなかった。
「大丈夫ですわ、毒ではありません。ほんの少し、素直になるお薬ですのよ」
ふふふ、と笑むそのお顔は、なんて愛らしい……。
「しゃ……りぃ……」
◇
その日、僕はいつものように騎士団総統司令官殿から与えられた、その隣の部屋で事務作業をしていた。書類業務は苦手だが、やらねばクロエの父である司令官殿の覚えが悪くなる。軍師と言えど、まだ見習いも良いところ。頭が回ると言えど、始めたばかりの業務にはどうしても手間が掛かってしまう。
それでも、立派に騎士団長を務めるクロエにも負けず、恥をかかせないためにも、僕は今日も必死に書類を睨みつけては一枚一枚片付けていった。
それも残すところ、あと数枚。これを各所に提出すれば、しばらくは書類から離れられる。書類を眺めつつ、万年筆にインクを付けていると、コンコン、とノックが鳴った。
「どうぞ」
入室の許可を出すと、少しだけ開いた扉から侍女が二人入って来た。
「就業中に申し訳ございません、軍師さま。シャーリーさまがお呼びです。パラスの客室へお越しいただけますでしょうか?」
「殿下が?」
殿下、という名に僕は、思わず万年筆を置いた。
「はい、一時間以内には向かわれるように、とのことです」
「……」
何か胸騒ぎを感じる。しかし、目の前にはあと数枚残された書類。出来れば、これをやり終えてから行きたいが、十分もあれば余裕だろう。
「分かった。十五分ほどでそちらに向かうと伝えてくれないか?」
侍女たちは「承知いたしました」と礼をして、退室しようとしたところ、一人の侍女が立ち止まる。
「申し訳ございません。一言、シャーリーさまより伝言がございます」
侍女から告げられた言葉に、僕は書類のことなど忘れて外に飛び出して行った。
『クロエは預かったわ。早く来ないと、どうなるか分からなくてよ?』
何をする気ですか、殿下は!
これほど恐ろしい年下の女性を、僕は知らない。
侍女たちに「今から行く」と先の言葉を撤回し、人目や場所も弁えず、急いでパラスへと向かう。肩で呼吸をする僕の姿に驚きを隠せない門衛に、入場の許可をもらう。その少しの時間も、案内するという侍女のゆったりとした足取りさえ、僕は呆れるほどに苛つき、焦っていた。
ようやく着いたその待ち合わせの場には、ソファに座られたシャーリー殿下と、団服姿のクロエの姿があった。ひとまず、クロエの姿に安堵する。少し冷静になった僕は、シャーリー殿下に敬礼をした。
「ジル・ゲン・シャフト、ただいま参上いたしました」
「いらっしゃい、ジル。随分早かったのね?」
コテン、と首を傾げるその姿は、男ならば誰もがドキリとする愛らしさと微かな色気を感じる。が、殿下がそんな只々男好きするような容易い女性でないことを知っている僕にとっては、一瞬の気さえ抜かなかった。何より、僕にはクロエという愛すべき女性がいるのだ。彼女以外に魅力は感じない。
「えぇ、クロエに何かあってはいけませんから」
「まあっ、愛されてるのね! ねぇ、クロエ」
シャーリー殿下は、その細い首をゆったりと巡らせ、クロエを見た。そのクロエは、どこかボンヤリとした表情をしていた。まるで、今さっきまで眠っていたかのようだ。魔王討伐の長い旅の中でさえ、一瞬のスキも見せなかった彼女の、スキだらけの様子に、僕の胸は高鳴った。
「……ジル」
甘く掠れた声で、僕の名を呼ぶ。小さく開かれた唇は、さくらんぼのように赤く艷やかで、思わず凝視してしまう。
その僕の様子を怪訝そうに、クロエはもう一度僕の名を呼ぶ。それに気付いた僕は、慌てて口を開いた。
「クロエ、眠っていたのかい? 体調が悪いのなら部屋へ」
「ジル」
僕の言葉を遮ると、クロエはソファから立ち上がり、僕の目の前まで楚々とやって来た。手持ち無沙汰だった僕の手に、彼女の細く白い指が絡まる。彼女の両手で包まれた僕の右手を、クロエはその唇まで寄せたかと思うと、チュっと口づけた。柔らかな感触と温い吐息が肌に伝わった。途端、熱が噴出しそうなほどに、体温が上がる。見開いた目の先には、うっとりと熱に浮かされ、蒼い瞳を潤ませた愛する女性がいる。高鳴る胸は止まらない。寧ろ、飛び出すほどに勢いを増し、このまま死ぬのではないか、と錯覚する。モジモジと、唇を紡がせた彼女の唇が、薄っすらと開いた。
「ジル、好きです」
「……………………は」
デジャヴを感じた。
否、あの時は逆だったかな。僕は夢でも見ているのか。白昼夢か。それとも、ここは天国か。
思考停止まであと僅か、というところで、シャーリー殿下の侍女が、スッと僕とクロエの間に割り込んできた。
「ジル、幸せそうなところ申し訳ないけれど、少し事情を説明するわね」
現実へと引き戻された僕へと向けられたシャーリー殿下の笑顔に僕は、一抹の不安を覚えた。
◇
カクカク云々。
クロエと離れ、殿下と別室に移った僕に、シャーリー殿下は事の成り行きを話された。
「と言うわけですのよ」
フフフ、と悪気のない笑みを浮かべるシャーリー殿下に、僕は思わず顔を顰めた。
「あら、不服そうですわね?」
御顔よりもふた周りは大きい羽根の扇で口元を隠し、殿下は心外だと言わんばかりに口にした。
「それはそうでしょう? 薬なんかに頼らずとも……」
時間を掛けてでも、少しずつ彼女の心の蟠りを解いて解していきたかった。彼女とのやり取りの一つ一つを、彼女自身も含めて真綿に包むように大切に、共に過ごしたかったのに。
「勝手をしたことは申し訳ございません。ですが、私、こう見えてとても短気なのですの」
「は、はあ」
扇に顔半分を隠した殿下の表情は、読み難い。目元だけは、ずっと笑みを浮かべていた。
「両思い同士の駆け引きなんていう、犬も召し上がらないようなものを見せられ続けるこちらの身にもなって下さいませ? いい加減、こちらとしてはお二方に結婚いただいて、子作りに励んで頂きたいのですよ」
最後の一言に、思わず盛大に吹き出してしまい、慌てて「申し訳ございません」と解せぬ謝罪した。
「ち、直球ですね」
「ええ。これでも王族ですから、閨事の教育も万全でしてよ? あ、勿論このような破廉恥な事、他では言いませんわよ」
「……」
国一の淑女。女性の中の女性。王国に咲く一輪の白百合。
殿下を賞する言葉は多くある。全て清純さや純潔さを思わせるものばかりだ。
しかし今、僕の中でそれらはガラガラと音を立てて崩れていった。知りたくはなかったが、殿下とクロエはその身分差に関わらず仲が良い。クロエとの結婚が叶えば、彼女との接点も増えていくことだろう。いつかは知ることになったのであれば、早めに知ることが出来て良かったのかもしれない。
「とにかく、今のクロエは、ほんの少しだけ本音を喋る状態になってます。たった三時間しかありませんけどね。もちろん、記憶が消えたりするようなことはありませんので、色々話をして言質を取りなさいな。閨事は禁じますけどね。それは素の彼女と了承を得てから手順を踏んで下さいまし」
「それはもちろん、ですが」
「ですが、ではありません。自分の仕出かした事の尻拭いを、赤の他人である私が、助力しようと言っているのです。そこの貴女と貴女、彼をクロエの元に連れて行って下さるかしら? 部屋の扉は閉めても良いけれど、怪しくなったらすぐに止めてちょうだいね」
「か、畏まりました……」
指名された侍女は、顔を真っ赤にして頷いていた。クロエよりも少し年上と言ったところだろうが、まだ純なのだろう。
殿下が男でなくて良かった、と思うと同時に、殿下の相手はまたとんでもない曲者になりそうだ、と密かに思うのだった。




