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盃月の短編集

護りの鎧

作者: 盃月群青

 オルムリーズ魔法学園、年度初めの集会の場にて。


「――総代表アルノート・レティカ、前へ!」


「――はい」


 告げられた自身の名に落ち着いた声で応じ、俺は立ち上がる。

 5学年、千にも及ぶ生徒たちが集った集会場は、それを機にざわめきに包まれた。

 俺はそんな彼らの間を堂々とした足取りで進んでいく。


「――やっぱり今年もレティカか」


「――入学以来四年連続で総代だろ?もう中央騎士団から声がかかってるって話もあるし――」


「――ねえ、今レティカ君こっち見たって!ほら!」


 そんな俺に向けられるのは憧憬や畏怖の眼差しだ。

 それもそうだろう。

 リルディア王国は最高学府、かの偉大な魔法の祖の名を冠したここオルムリーズ魔法学園で、俺は14の頃から他を寄せ付けない圧倒的な力でもってその頂に座り続けている。

 もはやこの学園どころか、王城の方でも俺を知らないものはいないと言われるほどだ。


 俺は厳かに飾り立てられた壇上に登ると、これで通算四度目、毎年の恒例になりつつある学園総代として新年度の宣誓を行っていく。


「オルムリーズに連なるものとして、今また新たな知の探究を続けられる幸せを――」


 一度目などは緊張でガチガチだったが、ここまでくると、我ながら実に堂に入ったものだと思う。


 俺は壇上から生徒たちを睥睨しつつ言葉を重ねていく。

 一人一人の顔を見るだけの余裕もあるし、なんなら脇に立つ学園長に薄く微笑んで見せることまでできる。


 不思議なもので、例えば同じ言葉を選ぶ二人がいたとしても、聞く側が格上だと思う相手ならば、そいつの話す内容までもなんだか高尚に聞こえたりするのだ。

 それが相乗効果となっているのかは知らないが、誰しもが俺の言葉に耳を傾けているのが分かる。


 俺はリラックスしつつ、暗記した原稿を丁寧に言葉にしていった。

 やがてそれが終わると、会場中に溢れる拍手喝采。


 それに笑顔で答えながら、柔和に微笑む学園長と握手をしてみせ、その後に悠々と壇上を後にしようとした。


「あ、少々お待ちください」


 されど、司会を務めていた中年の女性教諭がそれに待ったをかける。

 進行表にない事態に何事かと学園長を振り返るも、彼もまたはてなと首を傾げていた。

 司会の教諭は駆け寄ってきた二人ほどの同僚としばし言葉を交わしていたが、やがて確認するように幾度か頷くと。


「えー、ここで少々予定を変更して、もう一人の総代表・・・・・・・・から挨拶を貰いたいと思います」


「は?」


 彼女の言った内容を瞬時に理解できず、ポカンと口を開ける。いけない、と、慌てて表情を引き締めて周りを見れば、どの顔も困惑を隠せないでいる。

 当然だ、読んで字のごとく『総代表』だ。

 二人もいるもんじゃない。


 だけど、なぜだかその言葉は使われていて、そうしてざわつく講堂内に一つの紅が立ち上がった。


 燃えるような炎髪、されどそれは清らかな水のようにさらさらと流れていて、彼女が一歩を踏み出すたびにまるで燐光でも振りまいているかのように周囲の目を惹きつける。

 真っすぐ伸びた背筋に、正面以外は目に入らないと言わんばかりの凛とした様子に、彼女が通った後にはただ静寂のみが残される。


 気が付けばあれほど騒がしかった講堂はもはや彼女の独壇場と化していた。

 それは俺とて例外ではない。

 ただただ彼女を見つめることしかできず、次に意識を取り戻したのはそんな彼女が俺の隣に並び立った時だった。


 彼女は、困惑しながらも興味深げに事の成り行きを見守る学園長に一礼。

 そしてそっと息を吸うと。


「オルムリーズに連なる者として、ここに祖らが積み上げてきた知を共有できる友がいることを嬉しく思います――」


 そして、堂々と、まっすぐ体を突き抜けるような声が響きだした。


 時折強弱をつけて振られる彼女の腕に、ゆっくりと角度の変わる視線に、一挙手一投足に目が離せない。


 それがどれほどの時間だったのかは分からない。

 一瞬だった気もするし、日が変わってしまったような感じすらある。


「――学園総代、カリファ・ミランド。――この春から転入してきました。皆さん、よろしくお願いします」


 そうして最後にふわりと、まるで蕾がほころんだかのように浮かぶその笑顔に、俺は一瞬で彼女の虜になったことを自覚した。






 *


 とある子供の話をしようと思う。


 彼は王国のしがない片田舎で、なんの変哲もない農家の長男として生を受けた。

 生まれてしばらくは病気がちで、体の成長も人よりはだいぶ遅かったらしい。

 両親が懐かしみつつ語るには、四歳になる彼と、二つ年下の弟の体格はそれほど変わらなかったという。


 だがそこは決して裕福とは言えない小作人の世界だ。

 体が弱いとはいえ、そんな彼も必要に駆られて幼いころから家の手伝いを余儀なくされた。


 毎日の労働に汗を流していた彼が、当然勉強なんてものに触れる機会もない。

 世の中には、というか貴族やちょっと裕福な家庭の子などは、数えて6の頃には魔力の適性診断などが行われるのだが、ろくな知識を持つ大人の少ない田舎において、勉強や魔法といった専門的なあれこれはほとんど無視されていた。


 代わりにというべきか、では幼い子供のコミュニティで何が基準・・になるかというと、単純な力比べ一択だ。

 前述の通りいくら畑に出ているとはいえ、周りもそうした子供ばかり。

 必然、生来体の小さいそいつが子供たちの中での最底辺だった。


 ただ彼は小さい体の割に負けん気だけは大したものを持っていたのだろう。

 正々堂々挑んでは当然のように負け、がむしゃらに突っ込んではあしらわれ、少し知恵を使っても力でねじ伏せられる。

 だがそれでも懲りず、諦めなかった彼に、突如転機が訪れた。


 何度目かの、力比べという名の取っ組み合いをしていたある日、投げられてふわり宙を舞った彼だったが、落ちる痛みに歯を食いしばったもののいつまで経っても衝撃が襲ってこない。

 恐る恐る目を開ければ、自分はいつも通りに地面に倒れ伏している。


 だけど、痛みはない。


 ならばまだやれると再びガキ大将に突撃し、また宙を舞う。

 今度は近くの木に背中をしたたかに打ち付けた。

 それでも、痛みはこない。

 どころか、かすり傷一つ負っていない。


 彼が持つ魔法、特に固有魔法と呼ばれる、一万人に一人の確率であるそれが発現した瞬間だった。


 それから村はてんやわんやの大騒ぎになった。

 なにせ魔法から最もほど遠いと言える部類の場所である。

 周囲の子供たちは不気味なものでも目にしたように遠巻きになっているし、駆け付けた両親も、理解不能な事態にどうしていいか分からないようだった。


 ほとんどの大人たちも同様で、ついには悪魔の呪いなどと言い出す輩が現れ始めたとき、村のはずれに住む、年老いた一人の医師がこう言ったのだ。


『これは魔法という、おそらく天がこの子に与えた奇跡だろう』と。


 それから、一月に一度巡ってくる行商のおじさんや、たまに村を訪れる冒険者をつかまえて聞いたところ、どうやら本当に魔法であるということが分かった。

 しかも、この『どんな攻撃にも全く傷つかない』という、単純にして強力な効果が分かってからは、明らかに周囲の態度が変わった。


 その頃には子供たちの勢力図が完全に彼に傾いていて、それまで辛酸を舐めてきた彼は有頂天にもなっていた。


 魔法の発現からしばらく、誰かが町でした彼の噂を聞きつけ、とある有名な学園からスカウトが彼を見定めにくるらしいという話になった。

 それを知った両親をはじめ、村の連中は、やれ私たちの誇りだなんだと少年を持て囃し、彼もまた必要以上に尊大な態度を取るようになった。


 しかしある時、元ガキ大将で、その小さなプライドを大いに傷つけられていた一人の少年が声高に主張した。


 曰く、『相変わらずどんくさくて、守るばかりのお前なんて、まるで亀のようじゃないか』と。


 加えて、『自分だけ守るなんて、お前はなんて臆病なやつなのだ』と。


 それに、少年もムキになってこう言い返したのだ。


 曰く、『なら見ていろ。俺にはこんな凄いことができるのだ』と。


 完全に見切り発車だったが、一度言葉にしてしまった以上後には引き返せない少年は、うんうん唸りながら、さも凄いことが起こる風に見せかけて、大仰な仕草で腕を振ったのだ。


 だがここで、幾つかの奇跡、偶然―あるいは不運―がものの見事に重なった。


 まず、彼は数えて10になっていた。

 性格もやや向こう見ずで、魔法も発現したばかり、力の制御ができない・・・・・・・・・と判断されるに十分な条件が揃っていた。


 二つ目は、話にあった『有名な学園からのスカウト』が村の目前にまで迫っていたことだ。

 これにより、事が起こってすぐに、そのスカウトはその・・規模の大きさと、誰がそれ・・を引き起こしたかを周りにへたり込む子供たちの反応から察することになった。


 そして最後、少年がなるようになれとヤケになって腕を振ったそのとき。

大地を激震が襲った。

 農具小屋など、比較的造りの脆い建築物がいくつも倒壊し、轟という竜の遠吠えのような音が辺りに木霊した。

 家畜たちは恐慌状態に陥り悲鳴を上げ、川を挟んだ向こう側の崖からいくつもの巨大な岩が水中に姿を消していく。


 そうしてそれら全てが過ぎ去り、後に残るのは、人外の力を前に腰を抜かした子供たちの輪と、その中心で呆気に取られた表情で固まる彼。

 そして、そこに駆けつけてきた学園のスカウトだった。


 これ以降、その少年は、彼本来の固有魔法『まことを護る鎧』とは別に、架空の固有魔法『天を衝く大地の牙』の使い手として、学園史上類を見ない不動の一番手として、その名を広く知られることとなる。






 *


「アルノート・レティカくん!今日こそ私と勝負しましょう!」


 意気揚々と、教室の扉を開け放った彼女は開口一番にそう言った。


 相も変わらず、さらさらと流れる炎髪。

 キラキラと輝く瞳には、まだ見ぬ魔法や技術への純粋な好奇心が映り込んでいて。


『もう一人の総代表』、カリファ・ミランドは今日もまた、俺に勝負を挑んでくる。


「また来たのか」


 苦笑する俺に、もちろん、と彼女は力強く頷いて。


「当然です!だって私、まだあなたの本当の力を見ていないんですから!」


 屈託なく笑う彼女に、俺は相も変わらず曖昧に笑うことしかできないでいた。



 新学期が始まってはや一か月。

『いつも』と変わらないと思っていた俺の日々が確実に変わってきている。

 そのすべての原因が、目の前のカリファだった。


 固有魔法『悪しきを清める炎』をはじめ、座学、実技、その他様々な教養に通じた天才。

 教会の孤児院にいたという彼女は、俺と同じく学園職員に見出されここにいる。

 元々はその明晰な頭脳が噂を呼んだとのことだったが、調べてみると固有魔法を持っていて、さらには実技など身体能力の高さに天賦のものがあったらしい。


 この一か月、彼女の経歴に嫉妬や疑いを抱いた生徒たちがあの手この手で挑んできたが、それらは彼女の格の違いをより明確にしただけだった。

 彼女はいつも笑って全ての挑戦に応じ、そして真っ向からそれらを下してきた。

 見ていた者も、敗れた者も、須らく彼女を認めた。

 彼女は堂々として相手を侮ることをせず、細かな配慮や相手への敬意をも忘れず、常に生徒たちの先頭に立って皆を引っ張った。


 そうして今や、彼女の名は憧憬や畏怖とともに全校生徒に刻まれている。

 そう、この俺と同じように。


 そんな彼女が俺に興味を持たないはずがない。

 いつからか彼女は俺に勝負を挑むようになっていて、そして、俺は一度だけ彼女の挑戦を受けたことがある。


 ルールは簡単。俺に傷を付けることができれば彼女の勝ち。できなければ俺の負け。もちろん俺が彼女を打ち倒せば俺の勝ち。


 多くの生徒が見守る中、俺も彼女も堂々と相対した。




 ――結果は、俺の勝ちだった。


 長く続いた激闘。


 彼女は、彼女が積み上げた知恵と力の限りを使い俺を打ち倒そうとした。

 それを、俺は俺の固有魔法『まことを護る鎧』で受け止め、隙あらば彼女を倒そうと立ち向かった。

 魔力障壁で囲まれたフィールドは彼女の魔法により更地になった。

 それはおそらく竜が暴れたよりもなお強力な威力で、俺はその中を無傷のまま切り抜けた。


 そうして終了間際、観客たちが異次元の戦いに言葉と時間を忘れていたころ、俺の『鎧』は魔力切れから遂に消え去った。

 一方の彼女は息を切らしていたものの、まだ戦うだけの余力はあったのだと思う。

 俺の剣はろくに彼女に届かなかった。

 だが傍目から見れば、そして彼女にしてみても、結果は一目瞭然だったのだろう。

 なぜなら俺は、強力無比な固有魔法『天を衝く大地の牙』を使わなかった・・・・・・のだから。


 こうして勝負は俺の勝ちで幕を閉じたが、以後も彼女は俺への挑戦を諦めてはいない。

 彼女の魔力は日々高まっていて、彼女自身の技術も、知識も、著しく成長している。

 だから彼女はそれらを試したくて仕方がないのだろう。

 なぜならここに、『俺』という存在があるからだ。


 自分の全力をぶつけられる相手。

 ライバル、目標と言い換えてもいい。


 この学園で彼女の相手をできるのはもはや俺しかいないのだ。

 いや、この国では、と言ってもいいかもしれない。

 彼女にまだその自覚はないが、彼女の才はもう常識の範疇にはないのだ。


 だから俺は今日も言う。


「悪いけど、遠慮しておくよ」


「どうしてですか?あなたも、自分の力は試したいでしょう?」


「そうかもしれない。だけど、俺はまだ自分の魔法を制御できていないんだ。君ばかりでなく、周りも破壊してしまうかもしれない」


「……あなたの言う通りかもしれません。でも実際にやって初めて分かることもあるでしょう?」


「君の言うとおりだ。だけどまだ、俺にはその自身や覚悟がないんだ」


「……そうですか。なら仕方ありませんね」


 言葉は残念そうに、だけど彼女は朗らかに笑って言うのだ。


 じゃあ、あなたが安心して力を発揮できるくらい、私が強くなってみせますね、と。




 それからまた半年という月日が流れた。

 今でも彼女は俺の元にやってくる。とはいっても、以前のように毎日ではない。


 一週間に一度だったり、二度だったり。


 回数が減った代わりに、彼女が己の鍛錬に費やす時間は増えた。

 彼女の魔法はますます冴えわたり、彼女の纏う雰囲気もどんどん洗練されていく。

 そうした彼女の様子に触発され、学園の生徒たちの真剣さの度合いも高まっている。

 だれもかれもが彼女に憧れ、少しでも彼女の在り方に近づこうとしている。


 彼女はまるで太陽のような人だった。

 そんな太陽の目標が、俺だ。

 俺の持つ『鎧』を打ち壊し、『牙』をねじ伏せ弾き返す。

 彼女はそれに向かって全身全霊を尽くしている。


 俺は今日も彼女の挑戦を断る。

 それに、彼女は、そっか、とあっけからんと笑って見せる。


 まだまだ私の精進が足りないんだね、と。


 俺は彼女が眩しくて、眩しくて、仕方なかった。




 *


 とある男の話をしようと思う。


 彼は自身が大きな幸運を手にしたことを当然のように思っていた。

 それまでの村の中の立場を一転させ、またしても起きた幸運から国で一番の学校にも通えるようになった。

 親や周りの大人たちは手放しで褒めてきて、それからの現実のほとんどは彼が思い描いた通りのものになっていた。


 誰もが彼を認めた。

 彼に憧れた。

 妬みも、嫉みも、全ては彼を前にすると、仕方のないものとして理解された。


 しかし、やがて彼が少し年を重ねて青年になったころ。


 彼はほんの少し怖くなっていた。

 彼の元にはいくつもの誘いが届くようになっていた。

 力ある貴族たちから、学園の教師から、魔法の専門機関から、国で最も権威ある騎士団から、はては、王族まで。


 だが、そんな彼らは実のところ、本当の『彼』を知らずに誘いをかけているのだ。


 だって、彼らが見ているのは『鎧』と『牙』を手にした彼である。

『牙』を持たず、ただ自分だけを護る『鎧』しか持たない彼ではない。


 だから、彼は自ら牙を手にしようともがいていた。


 剣技を収め、魔法への知識を得、体の扱いを一から学び、『鎧』を活かした独自の戦い方を編み出した。

 そうして辛うじて、彼は自身を苛む葛藤に耳を塞ぎながらも虚構の『彼』であり続けていた。


 そこに、彼女が現れた。

 カリファ・ミランド。

 彼と似た境遇にありながら、本物の才能を持った少女。


 彼はたちまち心を奪われた。


 真っすぐ、凛とした、溌溂とした彼女の美しさに。

 真っすぐ、目標のためなら労を惜しまず、弛まず自己を律して高みに向かうその強さに。


 心惹かれた。

 そして、恐怖した。


 いつか彼女は、この仮初の自分を殺すのではないか。

 虚構を壊し、嘘を暴き、積み重ねた怠慢を衆目に晒し、彼が目を背けてきた自身の限界を浮き彫りにし――そして、この『鎧』を消し去ってしまうのではないか。


 彼女が眩しかった。

 彼女にもっと近づきたかった。


 だけど近づけば近づくほどに、彼はその熱に焼かれそうになってしまう。

 いっそ焼かれてしまえば楽になれるのだろうか。

 そんな考えも頭を過った。


 だけどそれでも、彼は彼女という存在が、自身の悲痛な努力を簡単に凌駕してしまう本物の天才がただただ怖かった。




 *


 彼女と出会ってから一年という月日が過ぎた。


 俺は今年も、学園総代表としての訓示を述べる。

 隣に立つ、彼女とともに。


 だが、かつて俺が一身に受けていた憧れや賞賛は今や彼女のものになっていた。

 壇上で振り返れば、それが嫌でもよく分かる。


 彼女はますます綺麗になった。

 魚が水を得たように。翼を得た虎のように。

 活き活きとして、時折子供っぽさを残したあどけない笑みを浮かべ、体つきは柔らかな女性を描き、彼女の最たる炎髪は変わらず燐光を振りまいている。


 だけど俺は、変わっていない。変われない。


 衆目から見た俺は、相も変わらず『牙』を使いこなせない天才だ。

 俺から見た俺は、既に限界に達しこれ以上の成長が見込めない凡才だ。


 この一年、彼女に隠れて必死に努力を重ねてきた。

 剣技の達人を目指そうとした。

 知識の深淵に挑もうとした。

 身体能力の向上に膨大な時間を費やし、誰も辿り着いたことのないスタイルを試行錯誤し続けた。


 だけどやっぱり、俺はただの凡才だった。

『鎧』をたまたま授かった、ただの幸運な人間だった。


 そんな凡才の努力など、決して彼女に届きはしないだろう。

 間近で見てきたからこそよく分かる。

 それほど彼女は圧倒的だった。

 そしておそらく、ただ一つ残された俺の『鎧』すら、破られる時が迫っていた。


 だから俺は、年度初めの集会が終わり、彼女と二人きりになったとき。


 冗談めかして、今から私と戦いましょう?と告げる彼女に、俺は、そうだね、と返事をしたのだ。

 彼女は目を見開いて、驚きを露わにした。




 勝負は観客もいないまま始まった。



 広大な学園の敷地の外れ、俺と彼女のために作られたと言っても過言ではない、頑丈な障壁の張られた訓練場。

 だけどその実、俺が使ったことは一度もなく、ここを使うのはもっぱら彼女一人だった。



「なんだか不思議な感じがします」


「何が?」


「いえ、いつもここに立つのは私一人だったので」


「そりゃあ、魔法を使う君と同じ場所で訓練するのは勇気がいるよ」


「でも確か、私の魔法を受けても大丈夫な人が一人くらいはいたと思うんですけど」


「なるほど。君なりの皮肉だったのか」


「はい、ずいぶんと焦らしてくれましたから」


 でもやっとあなたと戦える、と、彼女は感慨を込めてそう言った。


 あの一度きりの戦いからも、一年が過ぎた。

 彼女はずいぶん成長した。

 そのことに疑いはない。


 だから彼女は試したい。

 今の自分がどこまでやれるのか、やれないのかを。


 勝ちたいのだ。

 本気でぶつかり合える相手に。


 それら全てが彼女の口調に滲み出ている。


「――それじゃあ、始めようか」


 だから俺はそう言って、静かに開始の時を待った。





 文字通り死力を尽くした。



 かつてないほど精神を研ぎ澄ませ、持てる知識、培った技術、辿り着いた戦法、そして『真を護る鎧』、それら全てを考えうる限りの最善の方法で彼女にぶつけた。


 だけど、届かない。

 それら全ての上位互換を、彼女は既に手にしている。


 知識はそれを上回る発想とともに跳ねのけられた。

 技術は力を伴ったそれに打ち負けた。

 戦法はこれまで気づきもしなかった弱点を浮き彫りにされた。


 ――そして、『鎧』は、彼女の『炎』の前に溶けて消えた。


 全てが終わり、呆然と佇むのは彼女だ。

 俺は指一本動かせないほどに気力を失い、地面に大の字に倒れている。


 静寂。


 だが、やがて彼女がぽつりと呟いた。


「まだ、私じゃ辿りつけないの?」


 違う。君はもうとっくに飛び越えているんだよ。

 遥か、遥か俺の上、誰もが目指す高みに。


「いや。勝ったのは君だよ。俺は、全身全霊を尽くした。持てる全てを出して戦った。全て、だ。――君が戦った俺が、俺の全てだ」


 重い体をようやく起こし、俺はまっすぐ彼女の瞳に向き合った。

 それは達成感と充足感、そして一抹の動揺に潤んでいた。


「そっ、か」


 俺の言葉をどう受け取ったのかは分からない。

 彼女はすとんと、噛みしめるように一言だけ呟いて、俺に手を差し伸べてくる。


 それを掴み立ち上がると、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべ、これで名実ともに私が一番ですね。

 そんなことを言う。


 ああ、その通りだ。

 俺という『偽物』ではない。

 彼女こそが、『本物』なのだから。

 だけど。


「だけど油断するなよ?まだ俺は諦めてないからな」


 一瞬、ほんの刹那の間、彼女が寂しそうな笑みを浮かべた気がした。

 そして気づけば、俺は心にも思っていないそんな台詞を吐いている。


 彼女はぱちりとまばたきすると、今度は私が挑戦される番ね。

 そう、柔らかな笑みを浮かべた。


『真を護る鎧』は消え去った。

 後に残ったのは、ちっぽけな、子供の頃から変わらない、ただの臆病な一人の俺だった。





 *


 そして、俺たちの間にあった日常は終わった。


 もう彼女が俺に挑んでくることはないし、そして俺が彼女に挑むことは遂になかった。

 俺は、俺が彼女に敗れたという話をそれとなく広め、やがて学園総代表の肩書は彼女の下に集約されることとなる。


 だけど、俺は正直肩の荷が下りた気がしていた。

 周囲の目は相も変わらず俺を天才としているが、それを上回る天才がいるからだ。



 そうして、俺たちは学園を卒業した。

 俺は数多あった勧誘・推薦の中から王都の騎士団を選んだ。

 有事には王都守護の要として、また平時には治安維持や要人の護衛を期待されるこの騎士団は、『鎧』の魔法こそ役立つと踏んだからだ。

 国の政情は安定していて、大規模な攻勢魔法とされる『牙』の使用を求められることはないと考えたからだ。


 カリファは、彼女は王家直属の近衛騎士になった。

 儀礼的な意味はもちろんのこと、高い実力が求められるかの騎士団は他の騎士団に対する指揮権も持っている。


 王都駐在の俺とは違い、彼女は叙任してすぐのころから各地に赴き、魔物の討伐や治安維持などを指揮して多大な功績を挙げた。


 人呼んで、『王国の戦女神』。


 彼女の名声はいよいよ高まり、俺はただただ人づてにその噂を聞いていた。


 そうして何事もなく年月が過ぎ去ると思っていた。

『牙』の魔法が無くとも、俺は学生時代に編み出し、培った戦闘技能がきちんと実を結んでいて、それなりに充実感もあった。


 だけど、彼女のことが忘れられない。


 今彼女は何をしているのだろうか。

 あの日々のように、笑っているのだろうか。

 今でもより高みを目指しているのだろうか。


 ――俺より他の誰かを、見つけたのだろうか。



 そうして、あの日が訪れた。


 魔物たちの活性化。

 各地で起きる異常事態。

 ――魔王の出現。


 いくつもの村が滅んだ。

 いくつもの町が焼かれた。

 いくつもの街が血に沈み、いくつかの国が消え去った。


 王国とて例外ではない。

 俺の所属する王都の騎士団ですら、各地を転戦した。

 幾度もの厳しい戦いがあった。

『牙』の魔法を求められ、されど使えず、たくさんの同僚が命を落とした。

『鎧』で守れるのは俺一人なのだと、今更ながらにそう気づかされた。


 無力感。

 周囲の期待を裏切ったことへの罪悪感。


 やはり俺はちょっと幸運なだけの人間で、俺の手で守れるのはほんの一握り。

 確実に守れるものなど、俺には俺しかいない。


 だけど王国には彼女がいた。

 戦女神、『炎』のカリファ・ミランド。


 彼女は襲い来る魔物の一切を寄せ付けなかった。

『悪しきを清める炎』、王国のみならず、他国の人々までもが彼女に希望を見ていた。


 そして、彼女はそれら全てに応えてみせる。

 魔族の将を打ち取り、奪われた他国の首都を奪還し、窮地に陥った友軍を救い、ばらばらになった人々を希望の旗の下に集わせた。



 そうして今、最後の決戦が行われようとしている。


 先頭に立つのは当然のように彼女だ。

 俺は連合軍の主力の一人として、彼女からやや離れた位置で開戦の時を待っている。


 数年ぶりに見た彼女の美しさは、まさに女神と言ってよかった。

 燃えるような炎髪も、凛々しく引き締まった秀麗な顔立ちも、女性らしく流線を描いた肢体も、ただただ美しい。


 だけど、あの朗らかで優しい笑みはなかった。

 彼女はただただ敵をまっすぐ見据えている。


 彼女の前には敵だけがいた。

 彼女は人々の最前列で、横に並ぶものもなく、ただ独り敵に己を掲げている。



 ――開戦を告げる、大音声だいおんじょう


 彼女の炎が敵を焼き払う。

 それを受けますます士気の上がった味方が、彼女の背を押すように前進を開始する。

 俺もまた前進しながら、しかし先ほど見た彼女の姿が脳裏に焼き付いて離れない。



 それからどれくらいの時間が経ったのか。

 周囲は既に地獄と化していた。

 殺し、殺される凄惨な戦場。


 俺は『鎧』により傷一つ負わず、結果としてただひたすらに敵と戦い続けていた。

 戦況は、全くの互角。

 だがそう思われた戦場の雰囲気が突然変わった。


 天から降る幾多の魔法。

 それは連合軍の魔法使いが張った障壁を打ち壊し、俺たちの頭上に降り注いだ。

 それだけならばまだなんとかなっただろう。

 だが、遂に諸悪の根源、魔族の絶対的強者たる魔王が姿を現した。

 恐怖が瞬く間に伝染していく。


 かの魔王の一振りで、何十人という命が蒸発した。

 かの魔王の詠唱で、何十人という命が灰になった。


 絶望。


 だが、そこに希望が舞い降りる。

 彼女だ。


 聖炎一閃、炎髪を煌めかせ魔王に挑みかかる彼女。

 それを、俺の目は捉えていた。


 一合、二合。

 迸る魔力のぶつかりあいが、他を隔絶した強者の独壇場を形成する。

 魔族も、人々も、両者の戦いには割って入る余地もなかった。


 魔王の一振りが、あの燃えるような彼女の髪を斬り払った。

 彼女の炎が、魔王の高質化した皮膚を切り裂いた。


 俺は無我夢中で駆け出した。


 また、一合、二合。

 彼女が魔王を圧している。


 だけど、イヤな予感がした。


 魔王が遂に地に膝を付ける。

 戦場の誰もが彼女の勝ちを確信し、獰猛な雄たけびをあげた。


「ダメだっ!」


 彼女はただまっすぐ、『炎』を宿した切っ先を振り下ろした。

 それが、弾かれる。


「――――――――!」


 駆ける。


 叫ぶ。


 次の瞬間、巨大な衝撃波が彼女を襲った。

 凄まじい速度で吹き飛ばされた彼女は、水面に投げつけられた小石のように跳ねながら転がり、やがて静止した。

 そして、ぴくりとも動かない。


 誰もが言葉をなくしていた。

 誰もが我を忘れて佇んでいた。


 そんな彼らを、魔族が、魔物が、次々と手にかけていく。


 いや、違う。

 俺だ。俺は叫んでいる。俺は駆けている。

 まだ、彼女は生きていると、そう信じて。


「まだ、まだだ!」


 魔王が彼女の下へとゆっくり歩み寄っていく。


 まだ、彼女は動かない。


 駆ける。


 叫ぶ。


「俺はまだ戦える!俺はまだ生きている!死ぬな、死ぬな!俺はまだ、お前に生きて――――!」



 熱い。

 まるで燃えているようだ。


 彼女に近づけば近づくほど、距離が縮まるほど、俺を焦がす何かがある。


 かつては、そう、それは焦燥だった。

 己が築いた虚構を、彼女は簡単に崩すことができる。


 ある時は、そう、それは憧憬だった。

 俺では到底辿りつけない本物の高みから、彼女は全てをありのままに見つめていた。


 だけど、違う。

 俺が本当に感じていた熱さは、今なお忘れられぬ彼女への思いは、そんなものじゃないんだ。


「カリファ――――!」


 魔王が、人ひとりを消し去って余りある魔力を孕んだそれを振り下ろす。


 ――それを、俺はこの身の、『真を護る鎧』で受け止めた。



「―――――」


 一瞬が永遠のようだった。


『鎧』を抜けてくる魔力の余波に、破られては修復を繰り返す『鎧』の負荷に、俺の意識は何度も飛び、そして即座に戻ってくる。

 体の感覚が根こそぎ奪われている。

 生きているかどうかも、定かではない。


「……まだ……だ」


 それでも、霞む視界には魔王が映っている。

 ならば俺は、倒れるわけにはいかない。

 例えこの身が朽ちようと、俺の後ろには彼女がいる。

 空っぽだった俺に、本当の熱をくれた彼女がいる。


 ならば、俺はそれを護らねばならない。

 熱を、ほんものの俺をくれた彼女を護る鎧が、俺にはあるのだから。



 魔王が笑った。

 矮小な存在を見下し、嘲り嗤っている。


 ああ、せいぜい悦に浸っているがいい。

 だけど、俺は倒れない。


 幾度も剣が振るわれた。

 幾度も魔法が空間を埋め尽くした。


 でも、ダメだ。

 俺は彼女を護ると、彼女に並び立つと、そう決めたのだから。



 もう目も見えない。

 耳もろくに聞こえない。

 だけど、魔王が苛立っているのが気配で感じ取れた。

 何事かを言っているみたいだが、もう俺には関係ない。


 だってほら、まだ火は消えていなかった。


 背後で立ち昇る、聖なる炎。


 それはそっと俺を撫でると、清浄な、されど確かな意思を持って、目の前の巨大な魔へと挑みかかっていった。






 *


「――――」


 誰かが呼んでいる。そんな気がした。


 薄く目を開けると、蒼空がどこまでも澄み渡っている。

 真白き太陽が眩しくて、俺は腕で影を作ろうとするが、全身が気怠くてとても動かせそうにない。

 だけど、降り注ぐその温かさが心地よくて、俺はもう一度そっと瞼を閉じ――



「――だから、起きてください」


 聞き覚えのある声。

 それにゆっくり首を動かすと。



「やっと気づきました」


 そう、向日葵のように笑う彼女がいて。



「……ずいぶん長く寝ていた気がするよ」


「私も、あなたを起こすまでにずいぶんと時間がかかりました」


「そうだね。でも、間に合った。君を失わずに済んだ。君を一人にさせずに、済んだ」


「……どうしたんです、いきなり。熱でもあるの?」


「――ああ、多分ね」


 そうして満足げに笑ってみせる。

 逆光でよく見えないが、そういう彼女の頬も、まるで熱があるみたいに少し赤く染まって見えた。



「髪、切ったんだ。似合ってるよ」


「切られた、です。まったくあの魔王、デリカシーに欠けると思いません?」


 拗ねたようなその表情が可笑しくて、俺は思わず吹き出した。


「やっぱり!本当は似合ってないと思ってるんでしょう!」


「ごめんごめん。いや、なんだか懐かしくてね。まるで学園時代に戻ったみたいだ」


 そう言うと、彼女は疑わしそうにしながらも、それでもあの日々に思いを馳せたのか。


「なんだか遠くまで来た気がします」


「俺もだよ」


「……でも、…………です」


「ん?」


 嘘だ。本当は聞こえていた。

 でももう一度、今度はちゃんと目を見て言ってほしかった。


 少しして、彼女は意を決したように。


「来てくれて、嬉しかった、です」


 そう呟くなり、フイと顔を背けてしまう。


 だから俺はこう言った。


「君が好きだ」


「なっ!?」


 目を見開く彼女。


 やはり、彼女は綺麗になった。

 それはきっと、彼女は変わらず彼女のままで、そして俺がようやく彼女を真正面から見れるようになったからだろう。





 *


 とある男の話をしようと思う。


 少年だった彼の日常は、手に入れた幸運とたまたま作られた嘘により、なんの不足もなく回っていた。

 だが身の丈に合わない過大とも言える期待が、次第に嘘の少年を成長させていく。


 そこに、とある一人の少女が現れた。

 少女は魅力的で、様々な才能に溢れていた。


 そんな彼女が追いかけたのは嘘の少年だ。

 それでも、その彼女の想いの強さ、大きさを目の当たりにし、嘘で塗り固められた少年は次第に本物を求めるようになっていく。


 されど少女と少年の限界は違っていた。

 少年は悟った。

 自分では彼女の隣に並び立てないと。


 彼は彼女と戦い、そして決着がついた。


 諦めた。彼女と競い、共に在ることを。


 だけど、気づいた。

 長い時間がかかった。

 それでも、彼女は独りだったのだ。


 彼女が呼び覚ました熱が、男の体を突き動かした。


 そうして今、男は彼女の隣に立っている。


 なぜなら敵を貫く『牙』は持たずとも、大切な人を護るための『鎧』を、彼は心に持っているのだから。


お読みいただきありがとうございました!

書き方や人物の口調に統一感がなかったかもしれませんが、楽しんでいただけたなら幸いです。

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