第二話"自傷衝動"⑥
時間は僅かに遡る。
それは、天壌と硫崎が二度目に出逢った時の話。
硫崎は女子トイレでいつものように自傷行為に至っていた。
見られてはまずいと思いつつも、その衝動は抑えきれず、また、人通りの少ないこの廊下の隅にあるトイレは学校中を探しても一番の穴場だった。
散々さまよい、迷ったあげく、結局またここへ帰ってきていた。
以前はあまりにも堂々と洗面台の前に突っ立っていたのが問題だったろう。
ならば個室の中ならば、平気だ。
そう思って。
硫崎は、その個室を選んだ。
一番奥の、その個室を。
天壌はこう見えて行動派だ。
というのも、今まで衝動的に何かをしてきたことはなかった。
ただ漫然と生きているだけで、全てが手に入った。
全てを他人が与えてくれた。
欲しい。そう言えば良かった。それだけで全てが済んだ。
そんな生活を続けていく内に、いつしか神経は摩耗していった。
磨り減っていったのだ。
おそらく、人として重要な、何か大切なものが。
失くしてはいけないものを。いつの間にか手放していたのだ。
その所為だろうか。
天壌が求めるこの欲望は、猛烈に膨れあがっていた。
今まで、何も抱くことのなかった焦燥感にも似た衝動。
天壌はそんな気持ちを抱いたことは今までに一度もなかったのだ。
それゆえの反動のように、ダイエット直後に盛大にリバウンドしてしまうのと同じような感覚で。
天壌はその衝動に突き動かされてしまうのだった。
我慢など出来ない。その仕方すら分からないのだ。こればかりはどうしようもない。
気持ちが求めるままに。衝動が望んだままに。
天壌は即座に行動をした。
せざるを得なかったのだ。
一日で分かった。分かってしまった。
彼女が誰で。どういう人物か。
家は学校から電車で二駅の霧林ニュータウン、家族構成は両親、姉との四人暮らし、朝起きる時間は6時40分、朝食は主にハニートーストとダージリンティー、気分に合わせてレモンティーも嗜む。学校ではあまり話さず、成績は上の下。得意科目は国語、生物、保健、家庭科。苦手科目は物理、体育。所属部活動なし。遅刻、忘れ物はなく、担任の評価は高い。ただし、欠席、早退が稀にあり、やや心配を掛けている。友人らしい人物はおらず、休み時間は大抵ひとりで本を読んでいる。学年は一年生。セーラー服はサイズがSサイズだが、それでもぶかぶか。身長142センチ、体重35キロ、体型痩せ形、胸のサイズは控えめ、髪の色は黒、長さは腰下15センチ、肌の色はかなり白い。やや病弱な体質で、蕎麦、花粉にアレルギーを持つ。利き腕は右。視力は両眼ともに0.7。足のサイズは21センチ、愛用するソックスは黒色。学校の指定鞄にて登校。よく転ぶらしく、身体にはよく包帯を巻いている。学園外ではワンピースを好んで着ている。帰宅後は自室にて勉強か読書をして過ごし、7時30分に姉、母親と食事を摂り、姉、母、硫崎の順にお風呂に入り、およそ10時に床に就く。父親は帰ってこないことが多い。家族は母と姉はよく会話を交わしているが、硫崎にはほとんど話は振られず、基本沈黙を保っている。
聞き込みと実地調査だけで、おおよそこの程度までは把握していた。
もっと時間を掛ければ更に細かく調べ上げられるだろうが、そこまで掛けるのは正直、時間がもったいないところだ。
放課後。あらかじめ早退をしておいて時間は充分に余っている。向笠が少し寂しそうに見つめていたので、少し後ろ髪を引かれる思いだが、今大事なのは硫崎だ。ここは苦渋の選択だが向笠ならきっと分かってくれるだろう。天壌はひとり、そう納得するのだった。
硫崎の行動パターンもある程度は解析してある。だが、安全な個室トイレを探すなら、やはりここしかないだろう。
血を拭える水道があり、個室があり、人通りも少なく、自分にとっても馴染み深い。
これだけの要素があれば、一度天壌に目撃されたとしても、またここへ来るだろう。
そう思いながら、トイレへ侵入し中を確認する。
一番奥の使用中の個室。わずかに漏れる吐息。
思わず高鳴る心臓を押さえつける天壌。
――だいじょうぶ……。確かにすごい、どきどきしてるけど。でも、聞こえるわけない……。
一歩。踏み出した足を身長に地面に下ろす。
行為に夢中になっているとは言え、物音を立てればさすがにバレる。
バレたところで逃げ道など何処にもないのだが、可能な限り気取られたくはない。
何故なら、このためにひとつの罠を仕掛けておいたのだから。
そうして、亀のような動作でどうにか個室の前に辿り着いた天壌は、念のため一歩遠ざかっている。足下が見えてしまう可能性があるからだ。
そこから。
一歩踏み出し、戸に手を掛ける。
もちろん鍵が掛かっている。
だが。
さらに押し込むと扉がぐい、と動き始める。
同時にカラン、と渇いた音が鳴り響いた。
そう。あらかじめネジ穴を緩めておいたのだ。普通に使えば使えるけれど、強く押し込めば外れてしまうような、絶妙な加減で固定しておいたのだ。
「ひぅッ!」
その時、個室から可愛らしい悲鳴が上がる。
その声が、天壌を昂ぶらせる。
自然、呼吸が荒ぶる。
天壌が更に歩を進め、扉を押し込むと、そこには、血を垂らし今にも泣きそうな表情で佇む硫崎茉水の姿があった。
「みぃ~つけた。あなたを、探してたの。……硫崎茉水さん」
テコ入れ。というわけでもありませんが、ちょっと振り返っています。
④とほとんど一緒ですが、色々と伏線を張ったり張らなかったり。
ホントは④でこういう流れにしておけば良かったんじゃなかろうか。ホントに構成がへたくそで申し訳ありません。
心情を追うか、手段を追うかの違いになってます。いちおう。
もうちょっとで終わるはずですのでご辛抱いただければ、と。