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世界の綻び

04:差出人のない花

作者: コトリ
掲載日:2026/10/12

その花束が届くのは、毎年、同じ日だった。

最初に届いたのは、淡い黄色と白の花を茶色い紙で包んだ花束だった。

差出人の名前はない。小さなカードも添えられていなかった。

配達員に尋ねても、分からないという。

「すみません、これ、差出人が分からないんですけど……。私、頼んだ覚えもないので」

私は花束を見つめたまま、配達員に言った。

「ですが、お名前もお届け先も、こちらで間違いありませんよ」

配達員は伝票を確認しながら答えた。

「そう言われても……」

「差出人のお名前は記載されていないんですが、お届け先は間違いなくこちらです」

私はもう一度、伝票に目を落とした。

宛名は私の名前。住所も、確かにこの部屋のものだった。

間違いではないらしい。

私は少し迷ったあと、花束を受け取った。

花をもらうような心当たりはなかったけれど、せっかくなので花瓶に飾ることにした。

部屋のテーブルに置いて、少し離れたところから眺めてみる。

黄色い花が、窓から入る光を受けていた。

そのとき、不思議な光景が頭に浮かんだ。

白い柵に囲まれた、小さな庭。

花壇の脇には黄色いじょうろが置かれていて、足元を一匹の猫が走り抜けていく。

どこかで、誰かが笑っていた。

私は目を瞬いた。

今のは何だろう。

見たことのない景色だった。それなのに、まるで昔から知っている場所のような気がした。

少し考えてみたけれど、思い当たる場所はなかった。

私は花を飾ったまま、いつもの生活に戻った。


それから一年が過ぎた。

玄関のチャイムが鳴り、出てみると、配達員が花束を持って立っていた。

私はすぐには受け取らず、伝票を確認した。

宛名は私の名前。住所も間違いない。

けれど、差出人の欄は空白だった。

「これ、去年も届いたんですけど……。差出人は分からないんですか?」

配達員は伝票を確かめ、申し訳なさそうに首を振った。

「すみません。こちらにも記載がなくて」

私は花束と伝票を交互に見た。

去年と同じ日。今年も差出人が分からない。

少し迷ったあと、私は花束を受け取った。

今年は、青や紫の小さな花が中心だった。

私は花束を見つめ、思わず笑った。

「また来たの?」

誰に言うでもなく、そう呟いた。


花瓶に生けていると、去年と同じように、頭の中に景色が浮かんだ。

あの庭だった。

今度は、白い柵の向こうに小さな木が見えた。木の根元には、丸い石がいくつも並べられている。

今度は、白い柵の向こうに小さな木が見えた。木の根元には、丸い石がいくつも並べられている。 庭には、小さな女の子がいた。顔はよく見えないが、楽しそうに笑う声が聞こえた。

私は花瓶を持ったまま、しばらく動けなかった。

知らないはずなのに、懐かしい。

そんな感覚が、胸の奥に残った。

三年目も、四年目も、花束は届いた。

そのたびに花の種類は違ったけれど、浮かんでくる景色は、いつもあの庭だった。

私はだんだん、花束が届く日を楽しみにするようになっていた。

今年はどんな花だろう。

今日は、どんな景色が見えるのだろう。

そして、あの庭はどこにあるのだろう。


ある年、花束の包み紙に、小さな花屋の印が押されていることに気づいた。

私は花束を持って、その店を訪ねてみた。

駅から少し離れた、古い商店街の一角にある店だった。

店内には、色とりどりの花が並んでいる。奥では、年配の女性が花の茎を切りそろえていた。

「あの、こちらのお店から花束が届いたんですが」

私は写真を見せた。

「毎年、同じ日に届くんです。差出人が分からなくて……」

女性は写真を眺め、それから私の顔を見た。

「ああ、この花束ね」

「ご存じなんですか?」

「ええ。毎年、ご注文をいただいているものだから」

私は驚いた。

「誰が注文しているんですか?」

女性は、奥から古い帳面を持ってきた。

ページを何枚かめくり、ひとつの記録を指さす。

そこには、私の名前が書かれていた。

届け先も、私の住所だった。

「……私?」

「はい。ご依頼主のお名前も、お届け先も、こちらのお名前になっていますよ」

私は帳面を見つめた。

自分で注文した覚えはない。

そもそも、なぜ自分が自分に花束を送るのだろう。

「いつ頃から、この注文があるんですか?」

女性は少し考えてから答えた。

「ずいぶん前からですね。でも、不思議なご注文なんですよ」

「不思議?」

「毎年、花の種類はお任せなんです。ただ、ひとつだけ、ご希望がありましてね」

女性は帳面の端を指でなぞった。

「花を見たときに、何かを思い出せるようにしてほしい、と」

私は言葉を失った。

そんな注文をした記憶は、どこにもない。

女性は、困ったように笑った。

「最初にいらしたときも、同じことをおっしゃっていましたよ。ずいぶん真剣な顔をされていたのを覚えています」

「私が、ですか?」

「ええ」

女性はそれ以上、何も言わなかった。

私は礼を言って店を出た。

商店街を歩きながら、何度も考えた。

自分が注文した?

何のために?

そして、何を思い出そうとしていたのだろう。

その夜、私は実家に電話をかけた。

昔の写真や、子どもの頃の持ち物が残っていないか、聞いてみたかった。

母は、押し入れの奥に箱があるはずだと言った。

週末、実家へ行ってみると、古いアルバムやノートが箱いっぱいに詰め込まれていた。

私は一冊ずつ開いていった。

小学校の運動会。夏休みの旅行。家族で出かけた公園。

どれも懐かしかったが、花束の景色につながるものは見つからなかった。

もう帰ろうかと思ったとき、箱の底に、小さなノートが挟まっているのを見つけた。

表紙には、丸い字で「わたしのたからもの」と書いてあった。

私は笑ってしまった。

いかにも子どもの頃の自分がつけそうな名前だった。

ページをめくると、押し花が挟まっていた。

黄色い花。青い花。小さな白い花。

そして、最後のページに、一枚のカードが貼りつけてあった。

そこには、見覚えのある文字が並んでいた。

幼い頃の自分の字だった。


『いつか、花のことを忘れてしまっても、

花を見れば思い出せるように。』


その下には、もう一行。


『おとなになったわたしへ。』


私は、何度もその文字を読み返した。

花のことを忘れる。

思い出せるように。

いったい、何を忘れてしまうと思っていたのだろう。

ノートの後ろには、庭の絵が描かれていた。

白い柵。黄色いじょうろ。小さな木。そして、花壇の横に寝そべる猫。

私は息を止めた。

花束を見るたびに浮かんでいた景色と、同じだった。

そのとき、庭の記憶が、ほんの少しだけ戻ってきた。

花を植えたこと。

水をやりすぎて、母に笑われたこと。

花壇のそばで猫を追いかけ、泥だらけになったこと。

私は声を出して笑った。

そうだ。

あの庭は、私の庭だった。

ずっと昔、実家の裏にあった、小さな庭。

今はもう、家の建て替えでなくなってしまった場所だった。

私はノートを閉じた。

花束を注文したのが自分だったのかどうかは、まだ分からない。

花屋の帳面には私の名前があり、子どもの頃のノートには、未来の自分に向けた言葉が残っていた。

それでも、どうして毎年花が届くのか、その仕組みまでは分からなかった。

ただ、ひとつだけ、はっきりしたことがあった。

私は、花が好きだった。

子どもの頃、あんなに夢中になっていたことを、いつの間にか忘れていただけだった。

帰り道、私は駅前の花屋に立ち寄った。

店先には、色とりどりの花が並んでいた。

私は小さな鉢植えをひとつ買った。

家に帰り、窓辺に置いた。

来年、また花束が届くかどうかは分からない。

もし届いたら、今度はどんな花なのだろう。

私は鉢植えに水をやりながら、ふと思った。

いつか、あの花束を注文したのが本当に自分だったのか、確かめられる日が来るかもしれない。

そのときは、今度こそ自分で花を選ぼう。

窓辺では、小さな花が光を受けていた。

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