04:差出人のない花
その花束が届くのは、毎年、同じ日だった。
最初に届いたのは、淡い黄色と白の花を茶色い紙で包んだ花束だった。
差出人の名前はない。小さなカードも添えられていなかった。
配達員に尋ねても、分からないという。
「すみません、これ、差出人が分からないんですけど……。私、頼んだ覚えもないので」
私は花束を見つめたまま、配達員に言った。
「ですが、お名前もお届け先も、こちらで間違いありませんよ」
配達員は伝票を確認しながら答えた。
「そう言われても……」
「差出人のお名前は記載されていないんですが、お届け先は間違いなくこちらです」
私はもう一度、伝票に目を落とした。
宛名は私の名前。住所も、確かにこの部屋のものだった。
間違いではないらしい。
私は少し迷ったあと、花束を受け取った。
花をもらうような心当たりはなかったけれど、せっかくなので花瓶に飾ることにした。
部屋のテーブルに置いて、少し離れたところから眺めてみる。
黄色い花が、窓から入る光を受けていた。
そのとき、不思議な光景が頭に浮かんだ。
白い柵に囲まれた、小さな庭。
花壇の脇には黄色いじょうろが置かれていて、足元を一匹の猫が走り抜けていく。
どこかで、誰かが笑っていた。
私は目を瞬いた。
今のは何だろう。
見たことのない景色だった。それなのに、まるで昔から知っている場所のような気がした。
少し考えてみたけれど、思い当たる場所はなかった。
私は花を飾ったまま、いつもの生活に戻った。
それから一年が過ぎた。
玄関のチャイムが鳴り、出てみると、配達員が花束を持って立っていた。
私はすぐには受け取らず、伝票を確認した。
宛名は私の名前。住所も間違いない。
けれど、差出人の欄は空白だった。
「これ、去年も届いたんですけど……。差出人は分からないんですか?」
配達員は伝票を確かめ、申し訳なさそうに首を振った。
「すみません。こちらにも記載がなくて」
私は花束と伝票を交互に見た。
去年と同じ日。今年も差出人が分からない。
少し迷ったあと、私は花束を受け取った。
今年は、青や紫の小さな花が中心だった。
私は花束を見つめ、思わず笑った。
「また来たの?」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
花瓶に生けていると、去年と同じように、頭の中に景色が浮かんだ。
あの庭だった。
今度は、白い柵の向こうに小さな木が見えた。木の根元には、丸い石がいくつも並べられている。
今度は、白い柵の向こうに小さな木が見えた。木の根元には、丸い石がいくつも並べられている。 庭には、小さな女の子がいた。顔はよく見えないが、楽しそうに笑う声が聞こえた。
私は花瓶を持ったまま、しばらく動けなかった。
知らないはずなのに、懐かしい。
そんな感覚が、胸の奥に残った。
三年目も、四年目も、花束は届いた。
そのたびに花の種類は違ったけれど、浮かんでくる景色は、いつもあの庭だった。
私はだんだん、花束が届く日を楽しみにするようになっていた。
今年はどんな花だろう。
今日は、どんな景色が見えるのだろう。
そして、あの庭はどこにあるのだろう。
ある年、花束の包み紙に、小さな花屋の印が押されていることに気づいた。
私は花束を持って、その店を訪ねてみた。
駅から少し離れた、古い商店街の一角にある店だった。
店内には、色とりどりの花が並んでいる。奥では、年配の女性が花の茎を切りそろえていた。
「あの、こちらのお店から花束が届いたんですが」
私は写真を見せた。
「毎年、同じ日に届くんです。差出人が分からなくて……」
女性は写真を眺め、それから私の顔を見た。
「ああ、この花束ね」
「ご存じなんですか?」
「ええ。毎年、ご注文をいただいているものだから」
私は驚いた。
「誰が注文しているんですか?」
女性は、奥から古い帳面を持ってきた。
ページを何枚かめくり、ひとつの記録を指さす。
そこには、私の名前が書かれていた。
届け先も、私の住所だった。
「……私?」
「はい。ご依頼主のお名前も、お届け先も、こちらのお名前になっていますよ」
私は帳面を見つめた。
自分で注文した覚えはない。
そもそも、なぜ自分が自分に花束を送るのだろう。
「いつ頃から、この注文があるんですか?」
女性は少し考えてから答えた。
「ずいぶん前からですね。でも、不思議なご注文なんですよ」
「不思議?」
「毎年、花の種類はお任せなんです。ただ、ひとつだけ、ご希望がありましてね」
女性は帳面の端を指でなぞった。
「花を見たときに、何かを思い出せるようにしてほしい、と」
私は言葉を失った。
そんな注文をした記憶は、どこにもない。
女性は、困ったように笑った。
「最初にいらしたときも、同じことをおっしゃっていましたよ。ずいぶん真剣な顔をされていたのを覚えています」
「私が、ですか?」
「ええ」
女性はそれ以上、何も言わなかった。
私は礼を言って店を出た。
商店街を歩きながら、何度も考えた。
自分が注文した?
何のために?
そして、何を思い出そうとしていたのだろう。
その夜、私は実家に電話をかけた。
昔の写真や、子どもの頃の持ち物が残っていないか、聞いてみたかった。
母は、押し入れの奥に箱があるはずだと言った。
週末、実家へ行ってみると、古いアルバムやノートが箱いっぱいに詰め込まれていた。
私は一冊ずつ開いていった。
小学校の運動会。夏休みの旅行。家族で出かけた公園。
どれも懐かしかったが、花束の景色につながるものは見つからなかった。
もう帰ろうかと思ったとき、箱の底に、小さなノートが挟まっているのを見つけた。
表紙には、丸い字で「わたしのたからもの」と書いてあった。
私は笑ってしまった。
いかにも子どもの頃の自分がつけそうな名前だった。
ページをめくると、押し花が挟まっていた。
黄色い花。青い花。小さな白い花。
そして、最後のページに、一枚のカードが貼りつけてあった。
そこには、見覚えのある文字が並んでいた。
幼い頃の自分の字だった。
『いつか、花のことを忘れてしまっても、
花を見れば思い出せるように。』
その下には、もう一行。
『おとなになったわたしへ。』
私は、何度もその文字を読み返した。
花のことを忘れる。
思い出せるように。
いったい、何を忘れてしまうと思っていたのだろう。
ノートの後ろには、庭の絵が描かれていた。
白い柵。黄色いじょうろ。小さな木。そして、花壇の横に寝そべる猫。
私は息を止めた。
花束を見るたびに浮かんでいた景色と、同じだった。
そのとき、庭の記憶が、ほんの少しだけ戻ってきた。
花を植えたこと。
水をやりすぎて、母に笑われたこと。
花壇のそばで猫を追いかけ、泥だらけになったこと。
私は声を出して笑った。
そうだ。
あの庭は、私の庭だった。
ずっと昔、実家の裏にあった、小さな庭。
今はもう、家の建て替えでなくなってしまった場所だった。
私はノートを閉じた。
花束を注文したのが自分だったのかどうかは、まだ分からない。
花屋の帳面には私の名前があり、子どもの頃のノートには、未来の自分に向けた言葉が残っていた。
それでも、どうして毎年花が届くのか、その仕組みまでは分からなかった。
ただ、ひとつだけ、はっきりしたことがあった。
私は、花が好きだった。
子どもの頃、あんなに夢中になっていたことを、いつの間にか忘れていただけだった。
帰り道、私は駅前の花屋に立ち寄った。
店先には、色とりどりの花が並んでいた。
私は小さな鉢植えをひとつ買った。
家に帰り、窓辺に置いた。
来年、また花束が届くかどうかは分からない。
もし届いたら、今度はどんな花なのだろう。
私は鉢植えに水をやりながら、ふと思った。
いつか、あの花束を注文したのが本当に自分だったのか、確かめられる日が来るかもしれない。
そのときは、今度こそ自分で花を選ぼう。
窓辺では、小さな花が光を受けていた。




