第4話
ティルソンにエスコートされ、ベアトリスはソーシアス国側の用意した馬車に乗り込んだ。
馬車の中は広々としており、フカフカのシートに背もたれ、肌触りのいいクッションまで用意され、至れり尽くせりだ。
一緒に、お仕着せを着た女性とティルソンも乗り込む。
荷物について聞かれたが、「この身だけです」と応えた。
一瞬彼の顔は強張ったが、次の瞬間には「そうですか」と朗らかな笑みを崩さない。
(すごい人ね)
ベアトリスは素直にそう思った。
輿入れのための衣服1枚持たず、侍女も何も連れてこない。
そんな自分を、こうも素直に受け入れた彼の度量の広さは大きいと思った。
「なぜ私を、王女だと認めたのですか?」
馬車の中で、ベアトリスは一緒に乗り込んだティルソンに訊ねた。
あんな姿では、孤児の娘を身代わりに連れてきたのでは。そう思っても仕方ないほどなのに。
それにティルソンは、笑みを崩さず答えた。
「あなたの瞳です。かの国には、金の瞳を持った王族がいる。そう聞かされていたもので。まさかその方が輿入れされるとは思いませんでしたが」
「そうですか」
ホスティス国の王族の特徴として、紫の瞳というものがある。
国王はもちろん、王子も王女も全て紫の瞳を持っている。
王妃だけは血を継いでいるわけではないので、紫ではない。
それに対し、ベアトリスは金の瞳だ。
王族の血を引きながら、王族の証となる紫の瞳ではない。
まして、ベアトリスの母も金ではなく、ただの茶の瞳だ。
突然変異の瞳であり、そのために王妃たちに気味が悪いと言われてきた。
他に類を見ない、金の瞳。
誤魔化しようがないそれのおかげで受け入れてもらえたのなら、余計な手間が省けたというものだ。
「あとはまぁ、あなたの所作です。これでも王子の側近ですから、王族というものを間近に見てきました。あなたのそれは、まぎれもなく王族のもの。身代わりなどには、一朝一夕で身につくものではありませんよ」
「そうなのですね」
王妃であった前世の記憶。
それは否が応でもベアトリスの振る舞いに影響を与えた。
相手が何者であっても、そこに何人いようと、決して臆してはならないのが王族の義務だ。
その背に、守るべき民がいる以上、退いてはならない。
それもまた、前世で王妃になるときの王妃教育で培われたものだ。
「改めて紹介しましょう。こちら、ベアトリス王女殿下の侍女を任じられたメリッサ・ミニストレイトです」
「メリッサでございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
ティルソンに紹介され、白と黒のお仕着せを着た女性が頭を下げる。
鮮やかな藍色の髪を腰まで伸ばし、サファイアのような透き通る瞳はとても美しい。
口元が真一文字に引き締められ、少し釣り目なところが感情を表に出さない冷たさを感じさせる。
大人びた印象を受けるが、ベアトリスよりは少し年上なくらいだろうか。
まだ少女と呼ぶ方が合っているような感じだ。
「よろしく」
ベアトリスはそう応えた。
ベアトリスとしての人生には、これまで侍女はいなかった。
それは、王族としての義務を果たす上での役割も求められていなかったのだから妥当だと思うけれど、これからはそうもいかないだろう。
いくらベアトリスでも、王族としての政務を、準備から一人でこなすことはできない。
(それも、王子を殺せば終わるのだけれどね)
王子を殺せば、こうして顔を合わせている彼らともお別れになるだろう。
それまでの付き合いだと冷淡に思いながら、それまでは仕える彼らを邪険にする意味もない。
馬車は順調に進んでいく。
馬車の前後を馬に乗った兵たちが護衛している。さらにその後ろにも馬車が続いている。
それが何の馬車なのか気になり、ベアトリスはティルソンに尋ねた。
「ティルソン、後ろの馬車は?」
そう問うと、ティルソンは困ったように笑う。
「あれはですね、もしベアトリス王女殿下のお荷物が多かった場合に載せるための馬車を準備しておりました」
「そうなのですね」
(まぁ、そのくらいは想定するわよね)
身一つで来た自分が異常なのだ。いやこの場合は、身一つで嫁がせたホスティス国が異常だと見るべきか。
だが、ここに来るまでに見たホスティス国の民の生活ぶりを見れば、何台もの馬車で運ぶ荷物などあるはずもない。
(どうせ、私が死ねば全て処分されるもの。持ってくるだけ無駄だわ)
そう思っていると、馬車は賑やかな街に到着した。
窓から覗くと、きちんと整備された道路に、その道路を挟むように立派な住宅や店が並んでいる。かなりの人が往来を行き来し、店も威勢のいい掛け声を上げる人が見えた。
その光景に、ベアトリスはこれこそが国家としてのあるべき姿だと感動した。
(ソーシアス国は豊かと聞いていたけれど、国境近くの街ですらこの賑わいなのね。この豊かさを、少しでもホスティス国に…)
そんな風に思っていると、馬車はひと際大きな建物の前で止まった。
ティルソンが先に降り、ついでメリッサ、そしてベアトリスと降りていく。
「今日はひとまずここに宿泊いたします。あと、ついでにベアトリス様の身の回りについても整えさせていただきますね」
「ええ」
ティルソンが自分を『王女』と呼ばなかったことを、ベアトリスは瞬時に察する。
騒ぎになるのを避けたのだろう。
早期終結したとはいえ、敗戦国の王女だ。
下手に身分を明かせば、どうなるか分からない。
宿の中は広く、貴族向けという感じの華やかさが演出されていた。
壁のあちこちにランプと絵画や並び、見る者を楽しませる。
案内された部屋は広く、質の良い家具や調度品が揃っていた。
「ではまず、ご入浴の準備をさせていただきますね」
貴族向けらしく、部屋ごとに入浴設備があるようだ。
メリッサが手早く準備を整え、終わるとさっそくベアトリスは浴室へと案内された。
擦り切れ、異臭を放ち始めていたドレスを脱がされ、ベアトリスの肌があらわになる。
そこには鞭で叩かれて蚯蚓腫れとなった跡や、蹴られて内出血を起こした部位がそのまま白い肌に残っていた。
長年の栄養不足であばらは浮き出て、腕も骨と皮だけ。胸のふくらみは全くない。
そんな自分の体についてメリッサは何か言うだろうかとベアトリスは身構えたが、メリッサは何も言わなかった。
(躾けられているのね)
並の侍女であれば悲鳴の一つでも上げるだろうが、メリッサは淡々とベアトリスの身体を洗っていく。
人に洗ってもらうなど、初めてのことだ。
久方ぶりの感覚に、ベアトリスはつい気持ちよくて目を閉じた。
ぼさぼさでしわがれた髪を、何度も泡が包んでは流されてを繰り返す。
頭皮にメリッサの細い指が届き、ぐいぐい押される刺激は眠ってしまいそうなほど気持ちいい。
髪を洗い終えると、今度は身体。
泡でふわふわに包まれ、温かな湯気の空間が心地いい。
至福の時間は終わらない。
洗い終えた後は、たっぷりの湯が用意された浴室へと入れられる。
(温かいお湯に浸かるなんて……初めてかも)
ベアトリスに許されたのは水浴びだけだった。
離宮にも浴槽はあったが、部屋がすき間風だらけだし、水も、それを沸かす火もない。
冬には水浴びすらできなかった。かろうじて顔を洗ったり、濡れ雑巾で体を拭くのが精いっぱいだが、それでも凍えるほどに寒かった。
それに比べれば、ここは極楽というしかない。
湯船に浸かっている間も、皮しかない腕をメリッサがずっとマッサージし続けてくれた。
湯船を出て水分を拭き取ると、バスタオルを体に巻かれたまま部屋に戻る。
そこにはいつのまにか大量のドレスやワンピース、下着が並べられていた。
いずれもパッと見ただけで分かるほど質がいいものばかりだ。
「ベアトリス様は衣類をお持ちになっておりませんので、急ぎ街の仕立て屋に用意させました。お気に召した物を、好きにお選びください」
メリッサにそう言われ、ベアトリスは困った。
どうせヴィンセントを殺すまでにしか着ない服だ。
何着も要らないし、ましてこんな高価そうなものも要らない。
(とはいえ、王子の横に立つのに、あまりに安物でもまずいわね)
いつ殺せるかは分からないが、すぐだという保証もない。
最低限見られるだけの服は揃えておくべきだろう。
適当にこれでいい…そう思って手を伸ばしたところを、メリッサに止められた。
「ベアトリス様……本当にそれでよろしいので?」
「? ええ」
手に取った服をよく見ると、赤と紫のなんとも目に激しい色合いのドレスだ。
しかし触れて分かる通り、生地はなめらかで気持ちがいい。きっと高級な絹でできているのだろう。
(これならバラシて売れそうね。生地がいいし、庶民向けのアクセサリーに加工もできそう)
ベアトリスからすればドレスの是非などどうでもよく、あえて言えば自分が着なくなった後に使い回せるものであればよい。
白は汚れやすくて大変なのは、これまでの人生で良く学んだ。それからすると、濃い色は色褪せるが他の色が付きにくく、汚れも目立ちにくい。
庶民が使う素材としても良さそうだ。
そう思って選んだのに、メリッサはどこか不満げだ。
「差し出がましいようですが、私が選んでもよろしいでしょうか?」
「ええ」
選んでくれるのなら、それに越したことは無い。
どことなくホッとした様子でメリッサが服の吟味を始めた。
ベアトリスはそれを、自分が着る服なのにどこか他人事のように眺めていた。




