第34話
フォルティス公爵がその場を去り、ベアトリスとヴィンセントはようやく壇上の席に戻ることができた。
会場では次の音楽が始まり、貴族たちが思い思いにダンスを楽しんでいる。
それを見ているベアトリスは、人を助けた事への充実感に、そっと酔いしれていた。変なあだ名がついていることへの苦悩は一旦隅に置いて。
公爵から自分の異常な魔法の才の理由もわかり、これまで以上に遠慮なく魔法が使えることに喜びを感じてもいた。
「疲れてないか?」
「少し」
疲労は顔に出さないけれど、ベアトリスはそっと息を吐いた。
ほぼ貴族全員からの挨拶を受け続けたのは、思う以上に疲れる。ついでにサルブス伯爵とフォルティス公爵とのやりとりも、しっかり疲労感を追加してくれた。
「ならば引き上げよう。私たちの出番は、もう終わっているしな」
「よろしいのですか?」
「ああ。では国王陛下、我々は退出させていただきます」
「ああ、よいぞ。ゆっくり休むがよい」
今日のお披露目の主賓なのにと思ったが、国王陛下があっさりと許してくれたので、それに甘えることにした。
王子宮にまっすぐ戻ると、侍女たちによってドレスが脱がされ、入浴した。
温かな湯の感触に、強張った体の疲れが抜けていく。
「はぁ……」
さらに侍女たちのマッサージもそこに加わる。
そうなれば、ベアトリスが夢の国に飛び立つのに時間がかからなかった。
「……ふぇ?」
次にベアトリスが目覚めたのは共有寝室だった。
「起きたか?」
頭の上からヴィンセントの声が聞こえる。
視線を巡らせると、ベアトリスの身体はソファーに横たえており、毛布が掛けられている。それに、端に座ったヴィンセントの膝に頭を乗せる形になっていた。
「すみません、殿下。今起き…」
「ああいい、ゆっくりしてくれ」
起き上がろうとしたところを、ヴィンセントはゆっくり手で制し、再びベアトリスの頭を自分の膝に乗せた。
(人の膝で寝たのなんて、初めての経験だわ)
いわゆる膝枕というもので、ベアトリスは胸を高鳴らせていた。
ヴィンセントを見上げるのはいつものことだけど、真下からの光景は珍しく、なんだか楽しい。
ただ、どうしてこんな体勢になっているのかは不思議だった。
「どうして膝枕を?」
「ん?ああ、なかなかあなたは甘えてくれないからな。勝手ながら、あなたに甘えてもらった」
「はぁ」
眠ってしまったものを、勝手に膝に乗せて甘えさせたといえるのだろうか。
疑問に思ったけれど、口には出さずに置いた。
(殿下、なんだかうれしそう)
そのまま口ずさみそうなご機嫌さだ。そんなにもベアトリスを膝に乗せることが嬉しいのなら、逆にベアトリスが膝に乗せたらどんな反応をするのか、気になった。
(いつか、殿下に膝枕してあげましょう)
そう思いながら、ベアトリスはそっと目を閉じた。
正直を言えば、枕と言っても男性の膝…というか太ももだ。
柔らかいとは言えず、正直寝心地は良くない。だけど、『彼に甘えている』と思えるようなこのシチュエーションが、ベアトリスの心に安心と心地よさをもたらした。
(私……認められたのね)
今日のお披露目を思い出す。
国王の挨拶に始まり、これまでの自分の行動が皆に成果として認めてもらった。
本当は隠しておきたかったことだけど、それによってヴィンセントの隣に立つにふさわしい人物という評価につながったのならば、悪いことではない。
ただ、それだけでは足りない。
ベアトリスにはもう一人、ヴィンセントの隣に立つにふさわしいか、その答えが欲しい人がいる。
「殿下」
「どうした?」
「私は、あなたの隣に立つにふさわしいですか?」
それはヴィンセント。彼にこそ、その答えが聞きたい。
一瞬目を見張ったヴィンセントだが、すぐに顔を柔和な笑顔に変えた。
「もちろんだ。あなただけが、私の隣にふさわしい。それだけじゃない、あなたの隣に立つ資格があるのも、私だけであってほしい。あなたの一番近くにいるのが、私であってほしいんだ。そう、望んでもいいか?」
「もちろんです」
そんなの、答える必要もないくらい、当然の答えだ。
でも、ベアトリスがそうであったように、ヴィンセントももしかしたらどこか不安だったのかもしれない。
はっきり答えると、彼はより笑みを深くし、ベアトリスのなめらかな銀髪に指を通す。
「ふふっ」
「髪に触れられるのは、嫌だったか?」
「いいえ、殿下には触れてほしいです」
彼のゴツゴツして細い指が、頭皮から髪を撫で、梳いていく。
侍女に梳いてもらうのとは、まったく異なる感覚だ。
髪を綺麗にするためのものとは違う、慈しむような行為。
ただでさえ安心しているのに、ますますベアトリスは夢の世界に飛んでいきそうになっている。
「……なぁ、ベアトリス。頼みごとがあるんだ」
「何でしょう?」
彼が改まって頼み事とは珍しい。
「私のことを、愛称で呼んでほしい。私も、あなたのことを愛称で呼びたいから」
「愛称…」
なんて可愛らしい頼み事なんだろう。
言った本人は、少しだけ頬を染めている。恥ずかしいという自覚はあるようだ。それがますますかわいいのだが、今は言わないでおく。
「……ヴィン?」
短くしただけだが、それにヴィンセントは破願した。
「いいな。なら私は、あなたをリスと呼ぼう」
「はい」
なんだか小動物のリスを思わせるけれど、なんだか自分でもそれが合うような気がした。
「ヴィン」
「リス」
互いに愛称を呼ぶ。
それだけでくすぐったい気持ちになり、どちらからともなく、笑い声が漏れた。
ベアトリスは体を起こし、ソファーの上に座り直した。
かつて殺すはずの相手だったはずなのに、今では名実ともに夫で、とても大事な人となったヴィンセント。
彼と見つめ合っていると、ゆっくりと彼の顔が寄ってくる。
それが何を意味するのか、知らないわけではない。
ベアトリスは目を閉じると、数秒後に唇にそっと触れる感触があった。
「ん……」
少し乾燥してて、でも思ったよりずっと柔らかい、彼の唇。
名目だけだった夫婦が、ようやくここで夫婦らしい、心が通じ合った行為をした。
それがベアトリスにはとても嬉しい。
「ヴィン」
「ん?」
「愛しています」
そう言って、今度はベアトリスから顔を寄せる。
ヴィンセントが目を閉じ、すぐに小さなリップ音が響く。
離れると同時に互いに目を開き、小さく笑い合った。
「私も、リスが好きだ。愛している」
お返しのキス。
相手にキスをされれば、今度は自分がキスをし返す。
次第にキス合戦になっていた2人は、ベアトリスが彼の胸に飛び込んだことで終戦となった。
互いを抱き締め、ヴィンセントはベアトリスがその細い腕で一生懸命に抱き締めてくれることへの愛おしさを、ベアトリスはヴィンセントのたくましい腕が自分を抱き締めてくれることへの安心感に浸る。
互いのぬくもりを感じながら、二人の夜は更けていった。




