第32話
「はっはっは!聞いたとおりだろう、サルブス伯爵。我が愛するベアトリスは、人助けを当然と考え、それを世に明かすことを求めない。聞いても知らぬ存ぜぬを通されるだけだ」
「…そうなのですね」
笑いながらそう言うヴィンセントに、サルブス伯爵は苦笑していた。
だが、ベアトリスの内心は穏やかではない。
今のヴィンセントの言葉は、サルブス伯爵の言う少女の正体がベアトリスだと言っているも同然。ベアトリスからすれば、ヴィンセントにバレているのも驚きである。
当人はいたって真面目に、誰にもバレないようにしていたつもりだが、各地の目撃情報と、国内にヴィンセント以外に使い手がいない転移魔法を使う。そして、目の前で堂々と紺のローブを羽織っているのだから、気付かないわけがないのだが、そういう抜けているところが、ベアトリスの愛おしいところだとヴィンセントは思っている。
早く否定しないと思い、ベアトリスはヴィンセントの方を向いた。
「殿下、人違いですと…」
「あの日、コートを焦げ付かせ、ベッドに倒れた君を見たとき、私がどれだけ心配したと思っている?あなたは文字通り、命を張って彼らの子どもを救ったのだ。胸を張れ。あなたは…感謝されていいいんだ」
「っ!」
そう言われ、まっすぐに漆黒の瞳がベアトリスの金の瞳を見つめる。
黒き瞳に映る、心配と怒り、そして優しさ。
それに、ベアトリスの心で頑なだった部分がほぐれていくような感じがした。
「それに、あのとき助けた子供がどうなったか、聞きたくはないか?」
「それ、は……」
聞きたい。
あの火災の中にいたのだ。まだ未熟な体だったあの赤ん坊が、大きなけがをしていないか、何か後遺症が無いか。
けれど、聞こうにも正体を隠していた以上聞くことはできない。屋敷も燃えつきしまい、その後どうなったかは千里眼でも追えなかった。
(聞いて、いいのかしら?)
ためらうベアトリスの肩を、ヴィンセントがそっと支えた。
口元に笑みを浮かべ、うなずく彼にベアトリスはそっと口を開いた。
「…あの子は、元気?」
それに夫妻は喜色満面と言った顔になる。
「はい、元気です!王子妃殿下のおかげで、息子は大きなけがもなく、今は元気にハイハイをしております。本当なら、王子妃殿下に助けていただいた命が無事な様子を、ぜひとも見ていただきたかったのですが…」
夫妻が揃って頭を下げるのを、ベアトリスは微笑みを浮かべてながら見ていた。
(良かった、無事だったのね)
気がかりが無くなり、ほっとした。
ヴィンセントは子どもを王城に連れてこようとした夫妻に苦笑している。
「それは次の機会にしてくれ」
「はっ」
夫妻は何度もお礼を言い、離れていった。
そこに、老齢の男性が近づいてきた。
「フォルティス公爵か」
「失礼、話が少し聞こえてきましてな」
男性は豊かな髭を蓄え、がっしりとした体をしていた。
公爵ということもあり、その立場にあった威厳も備えている。
その彼の目が、ベアトリスへと向けられた。
「……確認させていただくが、王子妃殿下が、国内各地に現れる正体不明の紺のローブを纏った正義の味方なのですな?」
「違います」
ベアトリスの即答に、ヴィンセントもフォルティス公爵も目を見開いた。
「ベアトリス、今さっき認めたのだから今更否定しても…」
「私は、正義の味方などではありません」
それだけは否定したかった。
正体不明なのはそうしたかったからいいとしても、どうして正義の味方扱いになるのか、それが分からない。
それにフォルティス公爵は苦笑し、改めて問い直してきた。
「失礼。では、各地で民を無言で助け、無言でその場を転移で消え去る、慈善と慈悲の心の塊であり、紺のローブを纏った女神の代行者とも呼ばれているあの方は、あなたなのですな?」
「知りません」
(女神の代行者って何?)
正義の味方からさらにあだ名がおかしな方向に行っている。さすがにベアトリスも口元がちょっと引きつり始めた。
これはどんな理由であっても、認めるわけにはいかなかった。
「公爵。それ以上妻をからかうのは止めてもらおうか」
「これはこれは、揶揄ってなどおりません。実際、我が領地の民は、助けてくれたあの方をそう称しておられるですから。他にも、神の遣い、隠れ天使、衣を纏いし聖なる代理人など色々な呼び名があるのは、殿下もご存じのはず」
「まぁな」
(変な呼び名が増えてる…!)
ベアトリスは頭を抱えたくなり、むしろ違う意味で正体を明かしたくなくなってしまった。
まさか正体がばれたくなくて沈黙を守っていたのが、こんな事態を引き起こすとは誰も思うまい。
フォルティス公爵は軽く咳払いすると、改めてベアトリスに向き直った
「……ベアトリス王子妃殿下。我が領民のため、尽力していただいたこと、まことに感謝申し上げます。領民の意思の元、我がフォルティス公爵領は王子妃殿下を歓迎いたします」
そう言ってフォルティス公爵は膝をつき、ベアトリスに向けて頭を垂れた。
これに周囲の貴族たちはざわめいた。
フォルティス公爵は貴族の中で最も王族に近い、筆頭公爵家だ。
そこがベアトリスを認めたのだ。こうなると、ベアトリスを他国の元王女だなどと侮れば、フォルティス公爵家を敵に回しかねない。
さらにさっきのサルブス伯爵家も、国内有数の資産家であり、大商会を経営している。そこの嫡男となるであろう子どもをベアトリスは救ったのだ。
ベアトリスの全く目的外れで行った慈善活動が、ベアトリスの立場をヴィンセントの妻として相応しいものにするべく芽吹き始めている。
それにベアトリス自身はピンと来ていないが、ヴィンセントはそんな愛しい妻が、名実ともに認められつつある状況を嬉しく思っていた。
(これで、ベアトリスが自分自身について自信を持ち、なおかつ自分を大事にしてくれればいいのだが…)
ヴィンセントの目下の悩みは、『ベアトリスがどうしたら自分を大切にするか?』だった。
王族意識が強すぎるベアトリスは、民のためとあればいともたやすく命を投げ出す。民のために王がいて、民のために王は死ぬ。それを比喩でもなんでもなく、文字通り実行する覚悟を持っている。
(火事の件も、聞いた時は背筋が凍ったものだ…)
ヴィンセントがサルブス伯爵より、紺のローブの少女について相談を受けたとき、どうしてベアトリスの纏うローブが焦げ臭かったのか、合点がいった。
同時に、そんな危険なことをためらいなく、しかも魔法による脳酷使で危険だったにもかかわらず行ったベアトリスの命知らずの行動を、止めなければと思った。
実際には止めるわけにもいかず、せめて体調管理だけでもしっかりしたいと思っているが、本心で言えば止めたい。
(これ以上、無茶しないでほしいな)
フォルティス公爵を立ち上がらせ、握手を交わすベアトリスを見ながら、叶いそうにない願望をそっと心の奥に閉じ込めた。




