第29話
(馬鹿な…!血判状が燃えたのだから、あの男は死んだはず!まさかあの娘、しくじったのか!?)
国王には目の前の光景が信じられなかった。
黒い髪に黒い瞳、そして金の刺繍が施された黒の軍服姿を纏った男の姿に。それに、前回戦争を仕掛けた直後、あの男に急襲され、敗北を余儀なくされた嫌な記憶がよみがえる。
国王の目にはさらに不可解なものが映る。
ヴィンセントの隣に、シャンデリアの輝きにも負けない煌めきを放つ白銀の長い髪に、金糸をあしらった真っ白なドレスを纏った令嬢らしき姿だ。壇上からは背が低く、令嬢の目までは見えない。
その姿に見覚えは無く、それよりもヴィンセントが女性連れでこの場に現れたことに混乱していた。
(一体なぜここに!?やつの目的はなんだ…)
ヴィンセントは令嬢を引き連れ、悠然と歩いてくる。それに会場の貴族たちは、まるで亡霊を恐れるかのようにわきによけていく。
ヴィンセントの歩みを誰も止めてはならないような…そんな畏怖が王にも伝わってくる。
事実、この国はソーシアス国の属国なのだ。宗主国であるソーシアス、その国の王子であるヴィンセントには逆らえない。
震える王だが、そこで思い返す。
これはチャンスであると。
ヴィンセントが生きているのは誤算だったが、ここで改めて殺してしまえばいいのだ。
(そうだ、何も恐れることはない。どうして奴がここにいるのかは知らないが、堂々と現れたということは、こちらを害するものではないのだろう。なら、その隙をついて今度こそ殺せばいい!)
国王はすぐに隣に控えた側近に指示を出す。
側近は驚いた表情をするも、国王がにらみつけるとその指示を伝えに動く。
この会場には魔法を使えず、剣しか使えない騎士の他、魔法師団の精鋭が10名ほど警備についている。
いくら上級魔法が使えるヴィンセントといえど、精鋭10人にかなうはずがない。
(私が指示を出せば、ヴィンセント、貴様の死が確定する。その時を、覚悟して待つがいい)
手筈を整えば国王は、余裕をもってヴィンセントを見やる。
会場の中央まで歩みを進めたヴィンセントはそこで止まり、悠然と国王を見上げた。
漆黒を塗り固めたように真っ黒な瞳が、国王を見据える。
その瞳には強い決意が宿っており、その目に見竦められた国王は体を震わせた。
(な、何を恐れる必要がある!あやつはもうすぐ死ぬのだ。ほれ、今私が指示を…)
自分が手を上げれば、魔法師団の精鋭がヴィンセントへ必殺の魔法を放つ。それで終わりだ。
国王がその合図のために腕を上げようとしたところで、ようやくヴィンセントが口を開いた。
「愚かだな、ホスティス国王」
「なに…?」
「貴様は救うべき民に重税を掛け、おろかにも自分たちはこんな身の程知らずの愚行に及んでいる。これを開催するために、民たちがどれほどの血と汗の涙を流していると思う?それを考えたことがあるか?」
「はっ、何を言うかと思えば…」
なんてくだらないことを言いだすのだろうか。
民など、所詮家畜に過ぎない。人である王族と、それに連なる貴族だけが人として生き、そうでないものは家畜であり奴隷だ。
民など、『生きさせてもらえてありがとうございます』と感謝に頭を垂れるべき存在だ。
(それを救うだと?やれやれ、全くこれだから、もうすぐ死ぬ馬鹿は愚かしい。死んでその認識を改めるがいい)
「それが最後の言葉でよろしいか?ヴィンセント王子」
「はて、最後の言葉だと?それはどういう意味だ?」
「こういう意味だ!」
国王が手を上げる。
その合図を受け取った魔法使いたちはヴィンセントへ魔法を放つ動作に入った。
…しかし、ヴィンセントには一つも魔法が届かない。
それに国王は慌てた。
「な、何をしておる!?早くこやつを始末しないか!」
「わ、わかっております!」
国王がそう叫ぶも、魔法使いたちは何が起こっているのか分からない。
魔法が発動しないのだ。
そこに、ヴィンセントの隣にたたずんでいた令嬢―ベアトリスが顔を上げた。
「無駄です。この王城全体に、魔法無効化の結界を張りました」
「……な、なに?」
国王はその令嬢の顔を見た。
見覚えが無い。だが、その両目に宿る金の輝きに、やっと顔も忘れたはずの娘の顔を思い出し、自身の顔を恐怖にゆがめた。
「ば、バカな!貴様は死んだはずでは!?」
「死んでません」
国王の焦りの叫びに、ベアトリスは淡々と返す。
「残念だったな、血判状が灰になって、ベアトリスが死んだと思ったのだろう?それはただこちらの持っている血判状を燃やしただけだ。それを貴様は勘違いした」
「なっ……く、くく…わざわざ自分から血判状を燃やしたとはな。なら、遠慮なく貴様の国を攻めることができる!愚か者が!」
「愚か者は貴様だ。まだこの状況がよく分かっていないようだな?」
「なんだと?」
ヴィンセントの余裕ある笑みに、国王はいぶかしむ。
すると、あちこちで魔法使いたちの困惑する声が上がった。
「き、貴様ら何をする!?」
「や、やめろぉ!」
見れば、魔法使いたちが騎士によって取り押さえられ、縄で縛られている。
その光景に、国王が目を剥いた。
「な、何をしておる貴様ら!味方を縛るなど…!」
「味方?散々魔法を使えないからと侮辱しておきながら、味方とはな。とんだ変わり身だ」
呆れたように言い放つヴィンセントの言葉に、国王は怒りのあまりに目を血走らせる。
「ならば私自身が貴様を始末してくれる!燃え尽きて死ね!」
しかし、国王の手からは何も出てこない。
「な、なに?魔法が…!」
「本当に愚かだな。もう聞き忘れたのか?この王城には魔法無効化の結界が張られている。ベアトリス以外は、誰も魔法が使えない」
「ば、バカな…」
信じられない…そう思っても、魔法が使えない状況が、それが真実だと知らしめる。
「ベアトリス、見せてやれ」
「はい」
言葉が真実であるかのように、ベアトリスが手を上へ掲げると、途端に雷鳴を響かせ、恐ろしい轟雷が会場中を埋め尽くす。
その桁違いの光景に、国王はおろか、会場中の貴族や魔法使いが恐れをなし、轟雷から逃げるようにひれ伏した。
「もういい」
「はい」
轟雷が消え去り、場に静寂が戻った。
だが、誰もがひれ伏した状態から立ち上がれない。魔法使いならば、絶対的な力の差を感じ、そこに抵抗する気力すら浮かんでこない。魔法すら使えない者たちならば、なおさらだ。
「ば、バカな…」
国王は、目の前で起きたことが信じられなかった。
自分は一切魔法が使えないのに、妾の出来損ないの娘だったはずのベアトリスが、見たこともないほどの規模の魔法を扱っていることに。
だが、頭ではどんなに否定しようと、轟雷を生み出すほどの濃密な魔力は、体にそれが真実だと否応なしに叩き込んでくる。
膝から力が抜け、床にへたり込んだ。
「ホスティス国王。貴様の悪政は今日で終わる」
ヴィンセントの宣言と同時に、閉じられていた会場の扉が開いた。




