第23話
ディオン・ホスティス。
現国王の弟だが、彼についてベアトリスはよく知っているわけではない。
ただ、自分を虐げるだけだった王族の中で、彼だけが唯一ベアトリスを気遣い、食べ物や服をくれた。
しかし、8歳になる頃に彼はぱったりと消えてしまった。
風の噂で、辺境の地に左遷されたということを聞いている。
(あの方だけは、他の王族とは違う。きっと、協力してくれるはずだわ)
「ディオン様は、他の王族に虐げられていた私を唯一援助し、兄である国王の治世について不満を漏らしていました。彼なら、ホスティス国を正しき道へと歩ませていくと思います」
「…そのような人がホスティス国に、それも王族にいるのか。ベアトリスがそう言うなら、その人物を探してみよう」
「ありがとうございます」
ヴィンセントが自分の意見を聞き入れてくれたことにホッとする。
心優しい叔父は、ベアトリスが寂れた離宮に閉じ込められていたことをいつも謝っていた。「君はこんなところにいるべき存在ではない」と。それをベアトリスは、自身が妾の生まれであることから仕方のないことだと割り切っていた。
妾の生まれであろうと、同じ王族として対等に扱うべき。
そのように考える叔父であれば、きっと国民に不平等を強いることなく、不当な重税も撤廃するはずだ。
そうベアトリスは期待した。
それから3週間後。
ディオンの現在が判明した。彼は臣籍降下させられ、現在は公爵となっているようだ。
しかし、その権限は実質無に等しく、名ばかりとなっている。
与えられた領地はソーシアス国との国境付近。
その土地はお世辞にも栄えているとは言い難く、ホスティス国の中でも特に劣悪とされている、広大な荒野が広がる地域だ。
碌な作物が育たず、獣も耐えられない。そんな地にディオンがいると聞き、ベアトリスは心を痛めた。
「どうしてディオン様がそのような土地に…」
「どうやらディオン殿はホスティス国王にとって、よほど厄介な存在なようだな。確実に失敗するであろう過酷な地の開発を命じ、そのまま亡き者にする狙いのようだ」
「そんな」
実の弟になんてことをするのか。
しかし、仮にも実の娘であるベアトリスに、暗殺と殺されることを望む国王だ。そんなことを考えていても不思議ではない。
「私はこれから転移魔法で彼の下へ行く。直接会って、信頼に足る人物か見極めなければならないからな」
「私も行きます」
ホスティス国困窮の問題は、本来ホスティス国だけで解決すべき問題だ。
その解決に隣国の王子が乗り出し、ベアトリスがのほほんと待っているわけにはいかない。
ベアトリスはためらいなく同行を申し出た。
「…分かった」
わずかに迷ったヴィンセントだが、ベアトリスの気持ちを汲んで同行を許可してくれた。
ヴィンセントが目配せすると、ティルソンがテーブル上に地図を広げてくれた。
「ディオン殿がいるのはこの場所だ。さきに私が転移する。私がその場所に転移したのを見届け次第、あなたも転移してくれ」
「はい」
ヴィンセントが地図上の場所を指さす。
二人は千里眼により、地図上の場所へと魔力の目を飛ばした。
しばらくしてヴィンセントはベアトリスを見やる。
「ベアトリス、白い壁に板材で穴がふさがれている屋敷が見えるか?」
「はい」
地図で記されたであろう場所に魔力の目を飛ばした二人は、特徴的な建物を同時に目にしていた。
「では行くぞ」
ヴィンセントの姿がベアトリスの隣から消える。
そのすぐ後に、ベアトリスの姿も王子宮から消えた。
二人の姿は、白い壁の屋敷の前にあった。
一部崩れた箇所が見られ、それを板材で無理やり塞いでいる。
屋敷は小さく、二人の暮らす王子宮の半分以下しかない。
壁も白さこそあるが、よく見れば煤けたりコケが生えていたりと、決して綺麗とは言い難い。
この場所こそが、ディオンの住む屋敷であるらしい。
「…こうして、あなたと一緒に転移したのは初めてだな」
「はい、そうですね」
ヴィンセントに改めてそう言われると、なんだかむずがゆいような、そんな気持ちに襲われる。
(この気持ちは何なのかしら)
ヴィンセントへの愛を自覚したけれど、まだまだベアトリスには未知の感情が多い。
その気持ちを振り払うように周囲を見渡すと、周辺にはほとんど人がいなかった。
遠くに豆粒ほどのサイズで人が見えるが、それもまばらだ。
枯れ木のような樹木、わずかに生い茂るだけの雑草、むき出しの岩山、土ではなく砂の大地。
それは、人間が住むにはあまりにも過酷な大地だ。
こんな土地を、王族だからといって人が住める場所に変えよと命じられたティオンは、確かにほぼ死刑宣告に近い。
しかもヴィンセントの話では、諦めてこの地から逃げたり、できないなどと言えば謀反の疑いありと見なして処刑すると脅していたという。
進むも地獄、戻るも地獄。
その環境にあっても、なおディオンはこの地で生き続けているという。
民たちの暮らしが改善するまで、死ぬに死ねないと抗い続けているとか。
それを聞いてベアトリスは、彼こそがこのホスティス国に国王にふさわしいと思う。
(叔父様、この国に必要なのは間違いなくあなたです)
「さぁ、行こう」
「はい」
ヴィンセントにエスコートされ、二人は屋敷へと向かった。
門番もいない屋敷の玄関をくぐると、そこには誰もいなかった。
ヴィンセントが大声で呼びかけると、奥から年嵩の侍女と思われる女性が出てくる。
ヴィンセントがディオンとの面会を申し出ると、ディオンは外で畑仕事に出ているという。
礼を言ってヴィンセントとベアトリスは屋敷を出る。
そのとき、気になってしまったことを、ベアトリスはぽつりとつぶやいた。
「痩せていたわ」
「…だな。この状況だ、自給自足できる食糧に限りがあるだろうし、ディオン殿の立場を考えると援助も見込めない。相当苦しい生活を強いられているだろう」
まるでかつての自分を見ているかのような女性の細さに、ベアトリスは心が痛んだ。ディオンだけではない、この地に住む人たちも同様に苦しい生活になっている。
(早くなんとかしないといけないわ)
そのためにはディオンの存在が重要だ。
侍女の示してくれた方向にある畑へ向かうと、そこには一人の男性があたまにバンダナを巻いて鍬を手に、畑を耕している。
遠目にはただの農民のようだが、近づくにつれその瞳の色は王族を表す紫の瞳であることで、彼が何者なのかは分かった。
男性も近づいてくるベアトリスたちに気付いたようで、耕す手を止め、警戒するようにこちらに視線を向けてくる。
だが、その視線がベアトリスに向けられると、徐々に目を見開き、信じられないといった形相に変わる。
「…まさか、ベアトリス、か?」
「お久しぶりです、叔父様」
幼年、お世話になったディオン。
その彼が、あれか7年経っているのにまだ覚えてくれていたことに、ベアトリスは無表情の中にわずかな笑みを浮かべた。
「お、おお…おおお!本当にベアトリスか!まさか君とまた出会えるとは。兄上が君をソーシアス国へと嫁がせたと聞いた時は、もう会えないと思っていたよ」
ディオンは涙を浮かべて歩み寄ってきた。
記憶にあるディオンと違い、彼もまたずいぶんとやせ細っていた。白かった肌は日に焼け、髪も髭もぼさびさだ。それでも、めげることなくこの地で生きるために、鍬を手に自ら畑仕事に従事している。
そんな姿の身内がいることに、ベアトリスは誇らしい気持ちになった。
(やっぱり、叔父様こそが人の上に立つべき存在だわ)
どうやら辺境の地にいるディオンの耳にも、ベアトリスがソーシアス国に嫁いだという情報は入っていたようだ。
「こんなにも美しく、立派になって……だが、どうして君がここに?」
「それは私の方から説明させてもらおう。お初にお目にかかる、ディオン公爵」
ディオンの疑問に、脇からヴィンセントが割り込むようにして入ってきた。
すっかりベアトリスに気を取られてヴィンセントの存在を意識の隅に追いやっていたディオンは、ここでようやく居住まいを正す。
そして、彼の容姿と、アトリスと共にいるということから、ヴィンセントが何者なのかを悟った。
「黒い髪に黒い瞳……そうか、あなたがソーシアス国のヴィンセント王子殿下、なのですな?」
「いかにも。今日は其方に重要な話が合って、ベアトリスと共に来た。聞いてくれるな?」
「もちろんでございます。ここでは何でしょうから、屋敷に参りましょう」




