第21話
(そういえば、ホスティス国は今どうなっているのかしら?)
ソーシアス国での活動にいそしんで外に出ていたベアトリスは、ふと思い出していた。
ヴィンセントを殺す機会がなかなか訪れず、仕方なくソーシアス国を支援することで間接的にホスティス国が奪う価値を高めていたが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
ソーシアス国内は、ベアトリスが解決に時間がかかりそうな難題を魔法の力で強引に解決しているため、ただでさえ明るい国内がさらに明るく、賑わいを増している。
これなら少しくらい奪われたって…そう思ったとき、頭の隅に今まで助けた人々の喜ぶ顔がよぎる。
あの笑顔を曇らせてまで、自分がやろうとしていることは正しいのか。
それに迷う自分がいた。
(やらなきゃだめ。それが私の役目で、ホスティス国の王族として生まれた私の役目なのだから)
必死に頭を振り、迷いを振り払う。
そして、千里眼でホスティス国を見たとき、ベアトリスは愕然とした。
「うそ……」
そんなつぶやきが漏れるほど、ホスティス国の状況は悪化していた。
ベアトリスがソーシアス国に来るまでに訪れた村。
それを見たとき、そこには荒れ果てた村の姿があった。
ベアトリスが国を出るまでは、まだ少ないながらも人通りはあった。
それが今では寂れ、人一人歩いていない。
かろうじて畑仕事をしている者がいるが、その姿は哀れなほどにやせ細っている。
それを見て、ベアトリスはもうホスティス国がもたないと知った。
(なんとか…早く殿下に毒薬を飲ませないと)
もはやホスティス国が生き延びるには、ソーシアス国から奪うしかない。
それを強く認識したベアトリスは、少し早めに王子宮に戻った。
湯あみも済み、後は寝るだけとなったベアトリスは、共有寝室のソファーに座っていた。
しかしその表情は無表情なのに硬く、口元は引き締められ、膝に乗せられた手は固く握られている。
(今夜、殿下を殺す)
猶予はもう無い。
待っていてはもうだめだ。飲ませる状況を作り上げるしかない。
そこでベアトリスはあらかじめグラスを2つ用意し、棚から適当な酒を持ってくると、あらかじめ注いだ。
そして、ネックレスから毒薬をそれぞれのグラスに入れた。
(2つあったのは、こういうことなのね)
ヴィンセント一人殺すなら、1つで十分だ。
それが2つあることの意味。
―――『一緒に死ね』
そういうことなのだろう。
毒薬をスプーンで酒の中で砕く。
これでもう見た目には分からないだろう。
準備は整い、あとはヴィンセントを待つだけ。
余り時を待たずして、ヴィンセントが現れた。ベアトリスと同じく寝間着で訪れる彼は今日も色っぽい。
だが、今日のベアトリスにはそんなことを気にする余裕は無い。
今の彼女には、先に注いだ酒をどうやってヴィンセントに飲ませるか、それだけしか頭にない。
「…ん?ベアトリス、今日はもう酒を注いでくれていたのか。助かる」
「いえ」
「ところで、グラスが2つあるが、あなたも飲むのか?あなたが酒を飲むところは見たことは無いが」
「少し、だけ」
嘘だ。ベアトリスは一度も酒を飲んだことが無い。
でも、いつも自分で注ぐヴィンセントに怪しまれないよう、あえて自分の分も用意した。
「そうか、では頂こう」
そう言ってソファーに座ったヴィンセントは、酒の注がれたグラスを手に取った。
ベアトリスの目には、その流れがとてもゆっくりに見えた。
(これで、殿下は死ぬ)
それで父王の命令は完遂し、ホスティス国の民も助かる。
ヴィンセントのもつグラスが傾き、その中に注がれた琥珀色の液体も一緒に傾いていく。
もうすぐ、中の液体がヴィンセントの口の中へと入っていくのだ。
その流れをしっかり見ているベアトリスの手は震え、呼吸も荒くなっていった。
同時に、倒れたときに看病してくれたことや、一緒に朝食を摂った光景、ティータイムでケーキを掬って差し出してくれたこと、彼に抱きしめられたまま寝たことが頭をよぎる。
次の瞬間、ベアトリスの身体は勝手に動いていた。
「だめぇぇぇぇーーー!!」
それはベアトリスには珍しい大声だった。
彼女は立ち上がると、今まさに飲もうとしていたヴィンセントのグラスを弾き飛ばした。
グラスは床に落ちて割れ、中の液体が床にこぼれる。
弾き飛ばすために、ヴィンセントに飛び掛かるよう形になってしまったベアトリスは、彼の胸の中に飛び込んでいた。それをヴィンセントはしっかりと受け止め、目を瞬かせている。
「どうしたベアトリス?」
彼からすれば、ベアトリスの行動は意味不明なものに映るだろう。
しかし、力の限りグラスをはじき飛ばした彼女の息は荒く、その上黄金の瞳には大粒の涙を浮かべている。
「はっ、はっ、はっ……うぅ……ぐすっ……」
ベアトリスは何も答えない。
ただ、飛び込んだヴィンセントの胸の中で、こらえきれない感情を押し殺すように泣き始めた。
(無理。私には、殺せない)
ベアトリスは見たくなかった。彼が毒にもがき苦しみ、死ぬ様を。
今こうして触れられるぬくもりを失いたくない。
力強く抱きしめてくれる抱擁の中にいたい。
自分の中にいつの間にか生まれ、育っていた感情。
それはベアトリスの王族としての使命を退け、ただ一人の女性としての意思で体を動かした。
しかし、これでもうベアトリスにはヴィンセントを殺す手段は失われた。
グラスはもう一つあるが、とても飲ませたいとは思えない。
もともと、自分が飲むようにと用意したものだ。なら自分が飲めばいいかといえば、そんな選択をベアトリスには取れない。
(私は、どうすればいい?私が死んだって、ホスティス国の民が救われるわけじゃない。民を救って、殿下も殺さないで……そんな方法が、あるの?)
考えても、答えが出ない。
しゃくりあげる声が収まるころ、ヴィンセントの光も飲み込む漆黒の瞳が、黄金と涙で輝くベアトリスの瞳を見つめる。
「あなたは今、何を考えている?それを、私に教えてくれないか?」
「……言えない」
「言ってほしい。あなたが抱えるものを、私にも背負わせてくれ」
「そんなことは」
させられない…そう言おうとして、ヴィンセントの口から出た言葉に耳を疑った。
「私はあなたを愛している」
「…えっ?」
「あなたが1人で、懸命に我が国の民を助け、救ってきてくれたことを知っている。ひたむきにまっすぐで、誰かのために尽くし、それには我が身すら惜しまないあなたのことを、私は愛している。だから、あなたが1人で抱え込んでいるものを、私にも背負わせてくれ」
(そんなことは、王族として当たり前なのに)
誰に感謝されようと、讃えられようと、それは王族の義務として行ったに過ぎない。
だから、そこにベアトリスは喜びも感動も感じてはいけないと自分を律してきた。
なのにどうしてだろう。ヴィンセントから言われたことに、こうも心が躍るのは。
彼の言葉だけは、ベアトリスの心の深いところに届く。
それがどうしてなのかを、ベアトリスはヴィンセントの言葉で持って理解した。
(そう、私も…)
「殿下」
「ん?」
「私も、あなたを愛しています」
漆黒の瞳に、初めて無邪気に笑う少女の顔が映し出されていた。




