第12話
千里眼をヴィンセントに教えてもらった翌日。
ベアトリスは、いつも一人で起きる共有寝室から出て私室に戻った。
そこでメリッサに整えてもらい、朝食が届くのを待つ。
王子宮には食堂があるけど、ヴィンセントと共に食事をとったことは無い。
ヴィンセントが忙しいということで、わざわざ食堂に行かず、ベアトリスの私室に運ばれていたのだ。
しかし、今日になってその勝手が変わった。
「王子妃殿下、朝食は食堂の方に用意されております」
「そう、わかったわ」
メリッサに促され、食堂に向かう。
どうして今日に限って食堂になったのか、疑問に思うところだけれど、さして問題でもないとベアトリスは頭から打ち消す。
食堂に入ると、そこにはヴィンセントがいた。
昨日は二カ月ぶりに彼の姿を見たのに、連続して今日も見ることになり、ベアトリスは少し驚いた。
(どうしたのかしら)
「来たか、おはようベアトリス」
「おはようございます、殿下」
食堂に入ってきたベアトリスに、ヴィンセントはまるで待っていたかのように声を掛けた。
メリッサが椅子を引き、そこにベアトリスは腰を下ろした。
長いテーブルの上座にヴィンセントが座り、その右横にベアトリスが座る形になっている。
ヴィンセントの前には山盛りのパンにスープ、こちらも山盛りのサラダ。スクランブルエッグにベーコン、果物が並んでいた。一方、ベアトリスの前には、パンが1個に小さいカップに入ったスープ、小皿に盛られたサラダに、これまた小皿に切り分けた果物が並んでいる。
パッと見、ヴィンセントに用意された食事量に対し、ベアトリスの量はおよそ1/5だ。
その量に、ヴィンセントの目が細められる。
「…ベアトリス、あなたはそれだけで足りるのか?」
「はい」
「もっと食べてもいいんだぞ?」
「いえ、要りません」
「…そうか」
(どうしたのかしら、殿下は)
なんだか朝から妙なことが続いて首をかしげるばかりだ。
ヴィンセントと朝食を一緒に摂るのは初めてだし、食事の量を改めて聞かれても、これでいいとしか言えない。
そもそも、ヴィンセントが自分に興味を持っているかのような発言が不思議だ。
そうして朝食が始まった。
ヴィンセントはともかく、ベアトリスは何もしゃべらない。
彼女のこれまで15年の人生に置いて、誰かと食卓を共にしたのは母が存命だった4歳の頃以来で、以降はずっと一人だった。それは王子宮に来ても変わらず、使用人のメリッサは主人であるベアトリスと共に食事をとらない。
だから、すっかり食事中に喋るということを忘れていた。
しかし喋らずとも、ベアトリスは実に11年ぶりに誰かと一緒に食事をしていることに気付き、何とも言えない気持ちになった。
(なんだか、ちょっと落ち着かない)
もぞもぞするような、なんだか違和感がある。けれど、嫌なわけじゃない。
そんな不思議な感覚に浸りつつ、黙々と二人は食事を口に運んでいく。
ヴィンセントは黙々と素早く口に押し込んでいく。しかし王子である彼は、そこに優雅さを忘れない。
一方ベアトリスは、少しの食事を長く、しっかり満腹感を得られるように、とにかくゆっくり噛んで食べる。
量は5倍の差があったのに、食べ終わるのはほぼ同じという何とも奇妙なことになった。
「今日はあなたはどうする?」
食事が終わり、食後の紅茶を嗜んでいると、ヴィンセントからそう聞かれた。
「孤児院に行きます」
そう言うと、ヴィンセントは朗らかな笑みを浮かべた。
その笑顔に、ベアトリスは少しだけ心臓が跳ねたような気がした。
「そうか、気をつけてな」
「はい」
そう言って紅茶を飲み干したヴィンセントは立ち上がり、食堂を後にした。
残されたベアトリスは、紅茶をゆっくり飲みながら、ヴィンセントの笑顔が頭から離れずにいた。
(どうしたのかしら、殿下)
今日は朝から不思議なことばかりだ。なんとももどかしく、つい胸元のネックレスに触れてしまう。そこに入った毒薬を思いだし、さっきの紅茶に入れれば良かったのではと思いながら、否定した。
(こんな見られているところで入れたって、すぐにばれるわ。それに、暗殺は寝台でしろと、国王の命令だもの)
ちゃんと言われた通りにする。
そんなズレたことを思いながら、ベアトリスは紅茶を飲み干して出掛ける準備を始めた。
だが、それはその日だけではな終わらなかった。
たまたまではなく、1週間も続けば、いくらベアトリスでも不審に思う。
朝の支度が終わると、メリッサは当然のように食堂に案内するようになった。
それは構わないのだけれど、2か月も何もなかったヴィンセントが、ずっと朝食を共にするようになれば何かおかしいと思うのは当然だ。
(どうしたのかしら。もしかして、上級魔法の指南をしてもらったことが何か関係しているのかしら?)
思い当たるのはそれしかない。しかし、関連性が分からない。
それに、沈黙を守っていた朝食の場で、少しずつヴィンセントが話しかけてくることが増えた。
「孤児院では何をしていたのか」とか、「面白い本はあったか」など、差しさわりない話題を振ってくる。
さすがに話しかけられればベアトリスも返事しないわけにはいかないし、ベアトリスからも「政務は忙しいですか」など聞く。それくらいはしないと無礼なことくらいは分かる。
そして極めつけはこれだ。
「明日、転移魔法についての指南をする。時間を空けておいてくれ」
「はい、わかりました」
なんと、ベアトリスから言わないのにヴィンセントから上級魔法である転移魔法を指南すると言い出したのだ。これにはベアトリスも内心喜ぶ。
(転移魔法…!それが使えれば、どこにでも好きな場所に行けるようになるのね)
千里眼を学んで以来、ベアトリスは時間があれば千里眼でソーシアス国内を見渡すようになった。
そして、豊かに見えるソーシアス国にも、多くの問題が潜んでいることが分かった。
盗賊、土砂崩れや洪水などの災害からの復旧、諍い、喧嘩、病気、怪我…様々な問題を千里眼を通して見ることができる。だが、見ることしかできないことにもどかしさを抱えていた。
だが、転移魔法を使えるようになれば、直接現場へ行くことができる。
上級魔法が使えるほどの実力がある今なら、民を助けるだけの魔法を使うこともできるだろう。
「ベアトリス様、嬉しそうですね」
「そうね」
いつものように孤児院に向かう馬車の中、メリッサからはそう言われた。
そんなにも分かりやすいだろうか。
なんだか気恥ずかしいような、そんな感情に襲われたベアトリスは、らしくもなくメリッサの視線から逃げるように窓の外を見ていた。
そして翌日。
ヴィンセントから転移魔法の指南を受けると、早速ベアトリスは転移魔法を発動させた。
「……わかってはいた。いたが、こうして目にすると、本当に悲しくなるな」
ヴィンセントが何か言っているようだが、小声すぎてベアトリスの耳には届かなかった。
転移魔法は自分が知っている場所へ転移できる魔法だ。
手始めに庭の端から端へ、見えている範囲での転移をしてみろと言われたので、早速実践したら転移できた。
「できました、殿下」
「ああ、見事だ。では次は、自らの目ではなく、千里眼で見た先に転移してみるといい。そうだな……王子宮の中の食堂に転移だ」
「わかりました」
まずは千里眼を発動させる。魔力の目を飛ばし、食堂内を視認する。そこに転移魔法を発動すると、ベアトリスはヴィンセントたちの前から消え、見事に食堂へと転移していた。
少し小走りで王子宮から出てきたベアトリスは、いつもの無表情ではなく道端に咲く小花のような笑みでヴィンセントへと駆け寄ってきた。
「できました、殿下」
「っ!」
しかし、笑顔のベアトリスに咄嗟にヴィンセントは口元を手で隠し、そっぽを向いた。少し耳が赤い。
それをベアトリスは不思議そうに見上げる。
「どうしました?」
「…いや、何でもない。呑み込みの早さに少し驚いただけだ」
「そうなんですか」
早いと言われても、よく分からないので曖昧に頷いた。
(これでどこにでも行けるようになったわ。やっと、民のために外に出られるわ)
これまでは、夜に寝台でヴィンセントを待つ必要があるから、日帰りできる孤児院にまでしか行けなかった。
だが、転移魔法が使えれば、どこに行っても必ず夜には帰ってこられる。
明日からどこに行こうかと、ベアトリスはこれまで千里眼で見てきた光景を思い出し、優先順位を決め始めた。




