第六話 いってきます
「ふあぁぁ〜っ!」
秋葉は背伸びをした。時刻は午前6時過ぎ。朝は冷える季節になり、肌寒い。パジャマにしているスウェットの上に部屋用のフリースを着込み、秋葉は布団を畳んだ。今日天気が良かったら布団を干してもいいかな、などと思う。
考えれば昨日は一人ぼっちで泣いていたというのに、今日は比較的気分がいい。もちろん父が亡くなったのは悲しいが、他のことーつまりは恵のことーが飛び込んできたのは素直にありがたい。
部屋を出て、リビングの雨戸を開けると冬の始まりの匂いがした。外はまだ静かで、冷たい。
「あ〜〜ら秋葉ちゃんっ!」
「あ、北川のおばさん!」
ちょうどのタイミングで、家の門に手をかける人影が秋葉に声をかける。近所のよくしてくれる主婦仲間(と勝手に秋葉は思っている)で、手には回覧板を持っていた。
「よかったわぁ〜!ちょっと早いかと思ったんだけどさすが秋葉ちゃんね!起きてたのね〜」
「今起きたんです……寒いですねぇ」
慌てて外履き用のサンダルに履き替える。ひやっとした感覚に身を震わせながらおばさんに駆け寄った。
「ほんっっと寒いわねぇ!秋葉ちゃん、大丈夫?寂しいでしょ?何か困ったことない?」
おばさんはいつも明るく、こうして気にかけてくれる。回覧板を秋葉に手渡すと、心配そうな目つきで秋葉の肩に手を置いた。
「ほんっっとうに、何も遠慮することはないんだからね!秋葉ちゃんはもう娘みたいなものなんだから、いつでも頼ってきていいのよ!困ったことがあったら言ってね、ご飯も食べにきてね!」
「おばさん〜〜、ありがとう…。本当に色々助かりました、父のお葬式もたくさん手伝ってもらって…」
ぺこりとお辞儀をすると、おばさんは明るく「やだわぁ」と秋葉の肩を叩いた。
「あったりまえじゃないの。四十九日とかもあるしね、心の整理がゆっくりつくといいわね」
「はい……。でも、大丈夫です。今日からバイトも行きますし、なんとか」
「本当にいい子なんだから…。息子の嫁にほしいわぁ。秋葉ちゃん可愛いし、気が利いてしっかりしてて、ねぇ!?」
最後はあははと笑って受け流す。息子の嫁にきてくれ的な世間話は、この町ではよくあることだった。
またね、と去っていくおばさんに手を振る。
草苅の家は、少し高台にある。
そもそも東町は小さな海沿いの町だ。海に港があって、そこから山に向けて坂道が続いていて、周りに家が並んでいる。頂上は東神社だ。草苅家はその坂道のほぼ終わりに位置し、家からは朝の海を一望できる。そして、秋葉はこの光景が好きだった。
「…………ハーーーッ!」
思いっきり深呼吸をして、さて朝食でもと振り返ると、開けっ放しの窓のところに恵がもたれかかってこちらを見ていた。昨日渡した着物のままで、秋葉から見ると少し寒そうである。そんなことよりも。
「めっ、恵様!?いつからそこに…!?」
おばさんに見られただろうか、とギクリとする。初七日が終わってすぐ男を連れ込むなんていう風に見られたくはない、いや実際状況的にはそうなんだけれど。
慌てて駆け寄ると、恵は平然と言ってのけた。
「先ほどの人間は覚えているぞ。よく神社にきて詣っていたな」
「そうなんですか………って、そうじゃなくって!!」
「あぁ、私の姿は見られていないから安心してよい。私は基本的に世話役以外には姿を見せない」
「あ、よかったです………。神様って便利ですね」
「まぁ、神だからな」
何でもそれで片付くなんて、本当に便利だなぁ。
秋葉は感心しながらサンダルを脱ぎ、家の中に入って窓を閉めた。恵はじっと動かずに外を眺めている。
「どうかしましたか?」
「…………いや。海を見ていた。よい朝だ」
「……本当ですね」
朝の海は綺麗だ。青だか黄色だか、いろんな色が混じってキラキラと光る。
「………いつも、海ばかりを見ていた」
「神社からだと、そうなりますね」
「うむ。だが今日はいつもと違うな。いつもよりもっと………綺麗だ」
そう言って海を眺める恵を見上げると、慈愛に満ちた、優しい表情をしていた。
「一人ではないからかもしれん。だが、こっちの方がずっといいな」
「…………はい」
「私は漁業の神でもあるから、海を見るのが好きだ。綺麗で、はつらつとして、全てを包み込む。今日も無事故で豊漁であるよう、いつも祈っている」
「そうなんですね」
そうやって自分のことを語る恵は昨日と違う。なんだか、本当に神様のようだった。
「あっ、すぐ朝ごはん作りますね!」
秋葉がキッチンに向かおうとすると、右手を掴まれた。引き留められる格好になり、不思議に思って恵をまた見上げる。
「………もうすこし」
ドキッとした。
寝起きなのか(神様が寝るのかは分からないけれど)掠れた声で、長めの黒髪から見える瞳は黒くて、真っ直ぐに明るい海を見つめている。急にどきどきとして、視線を海に戻す。自分が願っても効果はないかもしれないけれど、せめても、という気持ちで秋葉も目を閉じた。
「恵様、手冷たいですね」
「そうか?」
「はい、冷えてます」
秋葉の右手を握る恵の手はひんやりと冷たい。けれど、恵の心の温かさが伝わってくるような気がして、秋葉はきゅっと手を握り返した。
*
「今日は一日でかけるので、帰りは遅くなると思います。恵様は外に出る時は鍵をかけてくださいね!」
「わかってる」
朝食を食べて準備をして、秋葉は玄関で恵に念押しをしていた。
「ピンポンとか音が鳴っても、無視していいですから。あと、何かあったときの連絡手段がほしいとこですが………まぁ、ひとまず今日は保留で」
とにかく何もしないでくれという念押しである。
「わかったよ」
「では……いってきます」
「…………」
「恵様、出かける時はいってきます。見送る方はいってらっしゃいと言うんですよ」
恵が心底面倒くさそうな顔をした。
「……無事を祈る」
「いやそんな大事じゃないですけど…!じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
頭を下げて、家を出た。
父はいつも、門まで見送って手を振ってくれた。いってらっしゃい、そう言いながら。
恵も玄関まで見送ってくれただけで十分だろう。その優しさがなんだか心に沁みる。
(………いってきます!!)
心の中でもう一度大きく挨拶をした。
口に出してまた言えるのは、幸せだった。一人だと言えない言葉で、また待ってる、そういう意味が込められた言葉。今まで深く考えてこなかったけれど、今日はとても沁みる。
恵様も、待っててくれるかな。
空は段々と青くなってきた。




