第ニ話 夕食
子どものように泣いてしまった。
秋葉は顔を洗って、鏡を見た。目はすっかり腫れているが、気持ちは先ほどより晴れた。
(泣かせてくれたからかな)
初めて会った知らない人なのに、不思議と安心感がある。父や、母や、もしくは兄のような。神様だというのも突拍子がないように感じるけれど、彼を前にすると不思議と納得してしまった。
「すみませんでした」
「気にするな。先程より顔がよくなったな」
「……目が腫れてます…」
「そういうことではない。心の淀みは顔に出る。まぁ、無理をするな。悲しみは消えないだろうが、気にならない時間が増える。人間とはそういうものだ」
不思議だ。
彼の言うことは全て抽象的なのに、それは秋葉にとって特に違和感がなくおさまってしまう。
「あの………恵比寿様」
「恵と呼んでくれ。誰かに聞かれた時に言い訳がたたんと言って、お前の……祖父になるのか。私に呼び名をつけてくれた。名字は十日」
「十日恵さま…?」
「如何にも」
「では、恵様」
秋葉は恵が座るソファーの正面に座った。
「私、世話役ってどういうものか分かってないんですけど……どうしたらいいですか。教えてください」
恵はが真っ直ぐ秋葉のことを見た。よくよく見ると、恵はやはりとても綺麗な顔をしている。福耳なのかと思ったけれど、少し耳が大きいくらいだ。芸能人だと言われても納得する。そして、秋葉を見る目はいつも真っ直ぐだ。何もかも見通されるような気がする。
「お前はまだ傷心してるだろ。混乱もしているし、まだ無理する必要はない。………あ」
恵は思いついたように顔を天井に向けた。
「飯だ。飯だけ食わせてくれ」
「あっ!そうか、お父さんご飯持って行ってたんですよね。神様って、お腹すきますか?」
「まぁ、空くといえばそうだが死にはしないし食わんでもいい。私の身体を実体化するには、人間の食べ物を定期的に食う必要があってな」
「………はぁ…」
秋葉の様子に、恵も苦笑した。
「色々聞きたいことも多そうだな」
「そりゃあ………気になります、色々と」
「お前なら、いいだろう。草苅の家には代々世話になっている。普段ならこの家のどこかにやり方なんかが引き継いであるだろうからそれを探せと言うところだが……私は今日は気分がいい。特別にお前には私から直接説明してやろう」
自分の世話の仕方を説明してやるって、なんだか尊大だな。秋葉はイラっとしたが、説明してくれた方がありがたい。
それに、お父さんがしてくれていたことなら、自分が引き継ぐのが筋だろう。血が繋がらないとはいえ、秋葉は草苅秋葉だ。
「あぁ、まずは。手拭いか何かで私の足を拭いてくれ。外からそのまま入って来たから汚れている」
やっぱダメかも。
「早く言ってください!!!」
秋葉は洗面所で濡らした手拭いを持ってくると、当然のように拭いてもらおうと足を差し出す恵に手拭いを投げつけた。
*
「簡単なものですが」
そう言って秋葉が出したのは、普通の白米に味噌汁、冷蔵庫にあった作り置きのマリネと生姜焼き。白米の炊ける匂いが部屋に漂っている。恵はソファーの横にある、テーブルと椅子のセットに腰掛けて、秋葉が食事を作る様子を興味深げに観察していた。作るところは見たことがなかったのと、この家に来るのも初めてだったらしく、家の中を散策してご飯を待っていた。一応男性のようだから、と多めに生姜焼きを作ったが、
「ああ、肉は食わん。飯と味噌汁だけくれ」
と言われて、またムカついたので無理矢理食事の載ったお盆を恵の前に置いた。先に言ってくれ。
「肉や魚は生きていたものだからな。今まで食ったことないな」
「それを言うならお米も野菜もみんな生きてましたよ」
秋葉が言うと、恵は目を丸くした。
「お前、意外と可愛くないな。口答えが多いぞ」
「可愛くないってなんですか!失礼ですよ!」
「足も自分で拭けと言われたのは初めてだな」
「当たり前です。嫌ですそんなのやりたくない。汚いし」
「汚くはない。私は神だから」
「汚いです。玄関からずっと土がついてます。あれを拭くのも私ですか?汚くないなら拭くことないでしょ。しかもあなたさっき汚れてるって言ってました」
ツンと言い返すと、恵は持っていた箸を一本ポロリと落とした。本当にびっくりしたらしい。
「…………そんなこと言われたの初めてだな……」
「すみませんね!」
なんだか険悪な空気になったので、無言で味噌汁をすする。さっきまで、なんだか落ち着くとか思っていたが……浮世離れしすぎていて、秋葉の常識がたぶん通用しない。おかしい。普段は友達とこんな言い合いになったりしない。恵の前だと、自分が自分ではない気がしていた。
恵も憮然としながら白米を食べている。
しばらく無言の時間が続いたが、
「……私の名前、お父さんから聞いてたんですか」
やっぱり聞きたいことはいろいろある。結局秋葉が沈黙を破った。
「あぁ、それは」
恵は箸を置いてまっすぐと秋葉を見た。キリリとした瞳がまっすぐ秋葉をとらえると、少しドキッとする。秋葉は、こんな美形を直接見たのは初めてだった。
「お前の名前は私がつけた」
「………えっ?」
「お前は東神社に…私の元に捨てられていたんだ。そこへ父上が来て、私がお前を父上に育ててくれるように頼んだんだ」
「………す、捨てられた?」
新事実だった。父からは養子という言葉しか聞かなかったから、てっきり乳児院のような、どこかからか引き取ってこられたのだと思っていた。まさか外に捨てられていたなんて。
「そ、そっかぁ。捨てられたんだ…」
だめだ。涙がこぼれた。
普段だったらなんとも思わないかもしれない。でも弱った今はだめだった。
「………私、いらない子だったんですね」
「ッ、待て何で泣く」
恵は少し慌てたように秋葉の顔を覗き込んだ。また泣くのは子どもっぽくて恥ずかしくて、見られないように手で顔を隠す。
「………自分が捨てられたって聞いたら。落ち込みます。生まれた時から一人ぼっち、で…」
「そうか。……でもお前の母親は私に願っていたぞ。お前だけは幸せになるように、と」
「……お母さんが?」
「あぁ。よく覚えている」
*
秋葉が拾われた経緯を語って聞かせると、彼女は興味津々だった。泣いたり怒ったり驚いたり忙しない娘だ。
「へえぇ〜〜そうなんだー。そっかそっか。恵様が名付け親なんですね」
さっきまで泣いていたのに今度はニコニコしている。本当に感情がコロコロと変わる。泣かれるよりはずっといいが。
「あと、お母さんがそう願ってくれていたのは……やっぱり嬉しいです。てっきり、もう父は死んじゃったから。生みの親の話とか、名前の話とかは聞けないと思ってました」
「あぁ…そうか」
白米と味噌汁を食べ、箸を置くと秋葉がおずおずと恵の顔色を窺った。
「……本当に食べてくれないんですか、生姜焼き」
「あぁ。食う必要がないからな」
「……せっかく作ったのに」
秋葉がまた落ち込むので、慌てて顔を覗き込む。
「お前忙しいな!おい、泣くな!」
「………さっきは泣いていいって言った」
「それとこれとは違うだろう。私が泣かせたようになるのは心外だ」
ぷぅ、と秋葉は頬を膨らませた。
「……こんなもんですよう。今ドキの女子大生ですから」
「でも俺のことで泣くな。お前が泣くと落ち着かん。……父上が亡くなって、思い出して泣くのはいい」
「なんでダメなんですか?」
なぜ。なぜだろう?
恵は逡巡した。人間が悲しむ姿はどれも一様に辛い。だから人間には幸せであってほしいし、幸せを長う存在として恵がいるはずであった。
秋葉もきっとそうだ。秋葉の父をを殺したわけではない。それで秋葉が悲しむのは不可抗力だった。しかし自分がとなると、違う気がする。
「…私は神だから、人を悲しませる存在になってはならない」
そう言ったあと、恵は残った肉を見下ろした。作ってくれたものを残すことは、秋葉を悲しませることになるのか。勝手に悲しんでいるのではない、悲しませたのは恵だ。だから……………
「………食えばいいか?」
「えっ、いやいいです無理しなくて!聞かなかった私も悪いんだし!」
「どっちなんだお前は……お前が落ち込むくらいなら食った方がマシだ」
恵がまた置いた箸をとると、秋葉がすごい勢いで皿を取り上げた。
「本当に、本当に大丈夫ですから!!!神様なんでしょ?食べて何かこう、悪いこと…………その、イラスム教みたいな」
秋葉が口にして、明らかにしまったというような顔をした。
「別に食ったから罰があったりするわけではない。好まないだけだ。返せ」
立ち上がって秋葉からお皿を取り返した。ああぁ、とか無理しないで、とか秋葉は慌てている。箸をつけて、皿の上の肉をとった。茶色くて、香辛料だろうか。癖のある香りがする。口に運ぶと、生姜と肉の香り、肉ならではの繊維を感じた。なかなか噛み切れないが、……悪くはない。
「………………美味いな」
そうこぼすと、秋葉の顔がホッとした。
「お前気忙しいな。情緒不安定じゃないのか?」
最後のこれは余計な一言だったと思う。ギャンギャンと秋葉に怒られながら、恵は肉をせっせと口に運んだ。
架空のお話なので途中わざと誤字をしています。




