第十話 かわいい
「……完全に飲みすぎました」
秋葉が言うと、店長は明るく笑って水を注いでくれた。開店前のお店の支度中。昨日調子に乗って飲みすぎた秋葉は記憶がない。
うっすらと覚えてるのは、困ったように自分を見おろす恵の目。酔っ払いだあぁだこうだと言いながら、水を飲ませてくれた、気がする。あと、秋葉をひょいと持ち上げて布団に寝かせてくれた、ような。あと、その時に
「………全く、可愛いやつめ」
と、言われたような。
いやいやいやいや!!!これは妄想かもしれない!!!と首を振ると頭痛が増した。どこからが記憶で夢なのか分からない。
父は下戸だったので、一緒に飲んでもそう酔っ払うことはなかった。大学やバイト先の飲み会でも、食べてお腹いっぱいになることが多い。恵があまりにも美味そうに日本酒を飲むもんだから、つられてしまった。
「………てんちょー」
「んー?どした」
串物の下ごしらえをしながら、店長が声だけで返事をした。
「男の人って、女の子に可愛いって思うのはどんなときですか?」
「え?なに恋の悩み?珍しいね。草苅ちゃん彼氏いたことあるよね?」
「ありますけど〜〜、同じ年だったしなんか流れで、あんまり悩まなかったですね」
「流れで付き合うとはまた若いな」
店長は苦笑しながら鶏肉を刺し終わった串を置いて、新しい串を手に取った。串をくるくる回しながら考えているようだ。
「そりゃまぁ好意はあるだろうね。綺麗って言うと距離感あるけど可愛いっていうのは距離近いよ」
「……距離かぁ」
「好きとかに直結するもんでもないだろうけどさ。妹みたいだったり、色々あるさ。まぁ、俺は………好きな子には言いたくなるよ。かわいいってね」
「店長ってモテそうですもんね」
「またまたぁ。褒めても何も出ないよ。賄い何でも作ってあげる」
「チョロっ!」
そう突っ込むと、二人顔を見合わせて笑った。
「あ、店長そういえば、新メニュー差し替えでしたっけ!」
「そーーだよ忘れてた。ごめん俺今肉触ってるからさ、あっちの部屋につけっぱだから、俺のパソコンから印刷しといてくれない?15部くらい」
「分かりました、お借りしますね」
そう言って、店長の部屋に入る。店長はここに住んでいると秋葉は勝手に思っているが、そのくらい色んな生活必需品が置いてある雑多な部屋。
奥の机にあるノートパソコンのマウスを動かして画面をつけた。
「…………え?」
何かの画像。編集画面。
シンプルで、それでいて見やすいその画像は、秋葉にはものすごく見覚えがあった。推しの、配信者の、巧。
配信サイトでよく見る、彼の動画の典型的なパターンサムネイルだった。
初めて見るゲームのタイトルが書いてある。まだ公開されてないものだ。頭がパニックに陥った。
思い当たることはある。巧は、まだ登録者がそこまで多くない配信者だけどコアなファンが多い。まだ顔出しはしていないが、秋葉が一番ハマるきっかけとなったのは、生活リズムが合いやすいのだ。
大抵バイトが終わって、一息ついてパソコンを開いたタイミングで配信が始まる。時間的にも長すぎず、ちょうどいいので秋葉には見やすかった。
(そういえば、声も言われてみれば似てる……?)
喋り方が全然違うので分からなかった。店長は大人びて落ち着いた喋り方だが、巧は声が大きく、リアクションがうまい。
「草苅ちゃん?……………あ。」
遅いのを心配したのか、店長が様子を見に来た。背後で固まっているのがわかる。
「あ………えーーと俺、画像編集の副業やっててさ…」
「店長って、巧さんですか?」
「えっ?あ、知ってる?」
秋葉はゆっくりと振り返った。
「私の推し、です」
店長が息を飲んだ。初めは焦っている表情だったが、やがて諦めたようにため息をついて後頭部に手をやった。
「………内緒にしといて」
「………も、もちろんです」
どうしよう。どうしよう。さっきまで他愛もない話を何も考えずにできていたのに、いきなり何を話せばいいのか分からなくなった。二人の間に沈黙が流れる。
「あーーもうバレちゃったならいいか。仕方ないもんなぁ」
笑いながら店長がやってきて、秋葉の背後に立って手を伸ばし、秋葉越しにパソコンを操作した。近い。サムネイルの画面を閉じ、新メニューの印刷ボタンを押した。
足元にあるプリンターが音を立ててメニューの印刷を始める。
ガタン、シャー。ガタン、シャー。
その規則的な音を聞いていると、すぐ真上でパソコンの画面を見つめたまま、店長が言った。
「俺、草苅ちゃん、すごく可愛いと思う。一生懸命で」
そう言った店長の声は少し掠れている。頬が赤い。
「好き」
ガタン、シャー。ガタン、シャー。
プリンターだけが動いていて、秋葉と店長ーーーいや、巧の時間が止まっていた。
*
その頃、恵は昨夜のことを思い返していた。
目の前ではたくさんの人たちが賑やかに話している。この板はテレビと言うらしく、暇な時、これを人間は見るのだと秋葉が教えてくれた。
昨夜、酔っ払って甘えて抱きついて来た秋葉に水を飲ませると、そのまま眠ってしまった。すー、すーと寝息が耳元でくすぐったい。
「…………」
何も頭で考えていなかった。勝手に自分の身体が動いた。
自分に預けられた秋葉の小さな背中に手を回し、彼女の前髪に唇をつけた。恵にも分からない、無意識だった。秋葉はくすぐったいのか身じろぎをしているが、そのまま寝息は続いている。
「………なんだ、これ」
慌てて秋葉を引き剥がし、秋葉の部屋の布団をがさっと敷いて秋葉を抱きかかえ、布団に転がす。あのまま身を任せていたらどうなるのか、自分でも想像がつかない。
布団に転がした秋葉は、布団を首元まで自分で引っ張り上げてまた寝息をたてている。着替えていないが、着替えさせるわけにもいかない。風呂は仕方ないだろう。
その寝顔がやすらかで、秋葉の乱れた髪が妙に印象に残る。手がかからないけど手がかかる。気になって仕方ない。見ていると楽しいし、飽きがこない。
「……全く、可愛い奴め」
酔っ払い特有の潤んだ瞳が閉じられて、少し濡れていたので人差し指で軽く拭った。
初めて会った時、両手で秋葉の涙をぐっと拭ったのを思い出した。あれは秋葉は怒るだろう。
どうしてあんなに雑に触れたのか、今はもう分からなかった。




