第九話 晩酌
恵が家に来て数日経った。
父が亡くなって昼間はバタバタと働き、夜に家に帰って、恵と夕食をとり、お風呂を沸かす。秋葉はよくシャワーだけで済ますことが多かったが、恵は風呂をやたらと気に入ったようであり、毎日お風呂を沸かす習慣がついた。
そして、今日は週に一度の大学に通う日だった。
バイト先の繁華街を抜けた先にある秋葉の大学は、卒論真っ最中だ。特に理系学科の同級生は、ふらふらと目にクマを作ってうろついている。
「秋葉〜!」
ゼミの研究室へいくと、友人の未来が秋葉に抱きついて来た。もう一人の友人の絵麗奈も駆け寄ってくる。
「大丈夫?お父さん大変だったね!」
未来と絵麗奈は、秋葉が入学した時からずっと仲の良い友人だった。同じゼミに入り、この3人で大学生活を楽しんできた。しかも二人は家にも遊びに来たことがあったので、父とも面識がある。
「本当…ご愁傷様です」
絵麗奈も眉を下げて悲しい顔をしている。普段あまり表情の変わらない絵麗奈と、明るく誰にでもとっつきやすい未来。秋葉は二人の肩にグッと手を組んだ。
「………ありがと!大丈夫!」
ほっとしたような二人に、秋葉も笑みがこぼれた。
「ねーねー聞いてよ、もう言葉が出てこないよーー」
「卒論でしょ?何文字いった?」
「半分くらいかなぁ…」
「まぁまだ締切あるしね」
「理学部とかマジやばそうだったよ」
「秋葉は大体終わったんだっけ?」
3人でゼミのテーブルを囲み、お互いの進捗報告をする。
秋葉は持って来たノートパソコンを開いて、デスクトップのファイルを開いた。
「それがさ〜……全然進んでないんだよね。忙しかったからさ」
「そりゃそうだ」
「進んでたらびっくりするよ」
女子3人で話すのは久しぶりだ。恵は比較的落ち着いて話すことが多いし、バイトもここ最近忙しかった。日常に戻って来た感覚である。
「もう先輩の卒論パクリたーーい」
未来が足をぷらぷらさせながらノートパソコンに突っ伏した。やる気は全くなさそうだ。
秋葉は卒論を見据えて4年生の序盤動いていたので、ある程度構成が固まっている。あとは後半の文字を起こすだけだが、それがしんどいのも分かるので合わせて頷いた。
「でもはやく一旦教授に出した方がいいよ。すんごい付箋ついてくるよ」
「マジかぁー。秋葉は途中経過出したんだもんね。すごいなぁ。どんな感じ?」
「誤字めっちゃあってさー」
こうして友人と過ごすのは久しぶりで、話に花が咲く。卒論という重い話題だが、二人とも笑っていた。気にせず普段通りの二人に感謝した。
*
なんとなくお酒が飲みたい気分になって(現実逃避というやつだ)、買い物袋は少し重たい。今日はバイトの店が休みの日なので、大学が終わって買い物をして帰る。簡単なおつまみと、ビールを選んでふと、恵も飲むのだろうかと考える。
「…神様って、飲みそう」
果たして飲むかは分からないし口に合うかも分からないが、日本酒も一緒に買った。
「ただいまー」
家に着いて扉を開けて、靴を脱ぐ。今日は暖かかったので、ゆるめのシャツに赤のカーディガン、グレーのスカートという格好だった。やがて、奥から恵が顔を出す。
「おかえり」
初日こそ不安げに待っていたが、秋葉も帰りの予定時刻を教えることにしたので、ここ数日はきちんと家で待っているようになった。そういえばあの日の恵は可愛かったな、と思い出す。
「今日は大学だったか」
「はい、久しぶりに友人に会えて楽しかったです!」
買い物袋を自然に恵が持って、「今日はまた重いな」と中身を覗く。
「あ、あの…………恵様。よかったら、なんですけど」
余計なことをと思われるだろうか。恵は食にあまり興味はない。飲み物も特に飲む必要はないそうだ。ただ、父と一緒に飲んでいた頃を思い出して、少し家で飲みたくなっただけ。
一人で飲んだっていいかもしれない。けれど、この家で一人で飲むのはなんとなく色んなことを思い出して辛い気がした。
「ば、晩酌、しませんかっ?」
思い切って言うと恵が振り返って、驚いたように笑った。
「秋葉お前、飲めるのか。いいな」
よかった。ほっとして、秋葉は早速夕食とおつまみの準備にとりかかった。
*
「それでぇ〜〜、結局ぜんぜんすすまなくて……」
「おい、飲み過ぎじゃないのか」
つまみながらゆっくり酒を口にしていたら、目の前の秋葉は勢いよくビールを飲み干し、恵と同じ酒を飲み始めた。強いのかと思っていたが、顔はみるみる真っ赤になって目はうるみ、明らかに同じ話を続けている。
「めぐみ様も、そつろんてつだってー」
「分かった分かった。秋葉、飲み過ぎ」
秋葉の手から猪口をぶん取ると、秋葉はむぅと膨れたまま突っ伏した。
「まだのめます!」
「そうかよ。ほらもう髪がついてる」
勢いよく突っ伏したもんだから、長い黒髪がつまみに少し入ってしまう。文句を垂れながら髪をどけてやる。
「めぐみさま……おさけつよいですね」
「秋葉が弱いんだ。私は神だぞ、強いも弱いもあるか」
酔っ払った秋葉が口にしたのは、大学での様子、働いている時の様子、忙しかった愚痴、卒論?とやらを考えなければならないこと。
「父上が亡くなったばかりだろう。卒論はのばせないのか」
「そんな簡単なものじゃないんです!伸ばしたらそつぎょうできません!」
「じゃあ頑張るしかないだろう」
いじわるー!と秋葉が喚くので、面白くなった。人間というものは皆こうなのだろうか。笑ったり泣いたり怒ったり、忙しい。しかしそれが人間らしいのかもしれない。
「………無理はするな」
「えへへ、ありがとうございますぅ」
真っ赤な顔でへらっと笑った秋葉がまた酒をお代わりしようと立ち上がって、ふらついた。
「あっ……」
よろめいた秋葉が、恵の前から消えた。どすん、と音がして、地面に転がっている。
「…………いたあぁい」
「言わんこっちゃない。おい、大丈夫か。立てるか」
恵もしょうがないなと立ち上がり、秋葉の側にしゃがんだ。今日はいつもより鮮やかな服を着ている。赤い羽織が、秋葉の長い黒髪と白い肌によく映えた。
「………おい。おい大丈夫か」
おずおずと、秋葉の肩をゆする。ごにゃごにゃ口の中で一人で喋っていた秋葉だが、やがて急に目を開いたかと思うと、いきなり起き上がり恵に勢いよく抱きついて来た。
「ちょっ、」
反動で後ろに尻餅をついて受けとめる格好になる。
「めぐみさま、きれい」
「はいはい。酔っ払いの相手は散々だよ」
「でも、やさしい」
「そりゃどうも」
「……やさしいから、あまえるの」
恵の首に抱きつく秋葉は、酒のせいか熱い。酒臭いが、どこか花のような香りがした。秋葉の表情は見えないが、泣いているのかぐすぐすしている。
いつもより子供のような喋り方の秋葉は、恵に抱きついたまま肩に額を擦り付けている。そうか、甘えているのか。
甘えるということがよく分からないが、自分に素を見せられているということなのだろうか。今日は色々あったようだし、気が抜けたのかもしれない。
秋葉の身体が急に頼りなく見えた。
こんなに小さくて細くて、たかだか20年ほどしか生きていない。やはり抱えているものを吐き出すところも必要だろう。
左手を秋葉の頭にぽんと乗せる。
えへへ、と秋葉が笑って「いつもありがと」と言う。明日にはきっと彼女は覚えてないだろう。
今はただ、あのときは外で泣いていた赤子が成長して、恵の胸で泣いている。それだけで恵は満足だった。




