はじまり
(家族が平和に過ごせますように)
(商売繁盛商売繁盛商売繁盛!)
(りょーへーくんとけっこんしたいです!)
(お金持ちになりたいです。今日買った株が当たって、彼女ができて楽しく暮らせますように)
(神様、私はどんな罰でも受けます。でも、この子だけは幸せにしてください)
毎日毎日聞かされる、日々を生きる人間達の願い事。
赤子の泣き声に混じって響いた声だけが、妙に印象に残った。
赤子の泣き声。
「……なんだ?今の」
この子だけは。この子だけは。この子だけは。
余程願いと想いが強かったのだろう。その部分だけがやたらと心に残った。
ふと見下ろすと、社の脇、段ボールの中に、バスタオルでぐるぐる巻きになった赤ん坊が入れられていた。オムツが数枚、ミルクの使い残りと哺乳瓶。段ボールはよくある通販のものだろうか。バスタオルも少し汚れかけている。
中の赤子だけは綺麗で、少なくとも怪我や病気で泣いているのではなさそうだった。
「そうか、ここで祈られていたのか」
全国から、自分宛の願いは後をたたない。全てを聞いていたらキリがないので、基本的には聞き流しだ。このように、自分がふと気になった願いには気を留めて、時には願いを叶えたりする。
それが、恵比寿である自分の役目だった。
闇の中、赤子の泣き声が気にかかった。
正直言ってうるさいが、赤子なので仕方がない。自分がわざわざ出ていって、抱き上げる必要があるのだろうか。人間に触れたのなんて昔すぎて覚えていない。赤子を持ち上げることができるとは思えず、結局のところは放置していた。
幸いなことに、この東神社に神主はいないが世話役が毎日通ってくる。町の皆も温かい。誰かが気づくだろう。
「恵様……どうされました?」
「あぁ、ちょうどよいところに。草苅、どうにかしてくれ」
世話役――中年の男性だろうか。年齢はよく覚えていないが人が良く気に入っている――がきて、食事の載った盆を祠に置いて赤子を抱き上げる。
「あぁこれは……泣き疲れたねぇ。よしよし」
「少し前に誰かがここへ置いていった。草苅は女を見かけたりしなかったか?」
「いえ特に…。かなり前でしょう。この神社は寂れてますからねぇ。けれど、貴方様の元に置いたら何とかなると思ったのでしょう。この女の子も母親も偶然ですが、よかったですね」
「…………そうか。祈りだけは聞こえた。この子だけは幸せになってほしいと」
世話役がコロコロと笑った。
「そうですね、事情があったのでしょうが、幸せになって欲しいと思うのは母親の共通の願いでしょう」
「すまないが、頼めるか」
「…………本来ならば警察などに言うべきでしょうが……」
「それが果たして幸せになる道なのか分からん。それよりはお前の家で育ててもらったほうがよかろう。少なくとも、私はそう感じるな」
自分のところから赤子の姿はハッキリと見えないが、草苅に抱かれて少し落ち着いただろうか。泣き声は止んでいた。
妙にザワザワする。
そもそもここは人間の赤子があまり来るような神社ではない。気になるが、先程までどうしようもないので放置していた自分も充分酷いのであまり見ないことにした。
「恵比寿様にに言われては、頑張るしかないですなぁ。私は子育ての経験がないゆえ、何人か女性に手伝ってもらわねば」
どことなく、草苅は少し楽しそうだった。この男に任せれば安心できる。人脈もあるので、きっとどうにかするだろう。
「では、任せる」
「承知しました。……それでは、恵様にお名前をつけていただきましょう!」
「名前?私がか?」
「はい。恵様のところに託された子どもです。恵様がこの子の幸せを案じて下さった。あとは名前をつけていただければ、きっと幸せになりましょう」
人間の名前など、つけたことはない。そういった願いもなくはないが、あまり興味はなかった。
名前なぞ、大切なものではないのか。それこそ一生を共にするものだ。しかし、世話役の言うことにも一理あるように思う。
ふと目をやると、社から下方に海が見える。闇に沈む暗い海。毎日見ている光景。
今は………秋頃か。ちょうど神社の中も紅葉が赤く染まっているのが暗闇越しでもわかる。
「…………………………秋葉」
ちょうどそれは、20年ほど前だろうか。
自分がつけた初めての人間の名前。
気に入ってもらえるだろうか、不都合はないだろうか、幸せになるだろうか。名付けとは難しいものだ。
けれど、何か大切なようなむずがゆいような。
人の名前はすぐ忘れるがこれはきっと、忘れないだろう。
設定とかは突っ込まないでください。




