馬賊による襲撃
導術と呼ばれる遠隔通信が普及している世界における、古代中国。
万里の長城建設現場において、補給物資を輸送する荷馬車が馬賊に襲撃された。
1. 襲撃
軍の仕事の九割九分は、兵站業務だ。戦闘ではない。
人間は、飯を食らい、水を飲み、ヘラで糞をする。軍人も例外ではない。
だから今日も荷馬車は、長城の砦から砦へ補給物資を届け続ける。
導術士の劉は退屈そうに荷馬車の中で身体を折り曲げていた。
二種類の波-トンとツー-の組み合わせを単語に対応付け、
頭に被った緑色の冠から波を送信していた。
《第三燧へ。荷馬車。異常なし》
定時連絡を送るだけの代わり映えしない日々。
当たり一面は半砂漠だ。
砂混じりの風から口を覆う布を見る度に、早くこの土地から離れたいといつも願っていた。
任期切れは、あと五年以上先と承知してはいるが。
「都の咸陽に大店を構えて商売したい」が劉の口癖だった。
だが肝心の商売はなにかと問われると、彼はいつも口ごもるのだった。
傍らで劉へ話しかけるにやけ面の御者が一人。
「退屈そうだな、兄さん」
劉は鼻で笑う素振りを見せながら言った。
「楽翁さんは、こういう仕事が好みかねえ?」
「仕事は退屈なくらいでちょうどいい。誰も死ななくて済む」
楽翁の身体は腕や脚の筋肉が異様に太く、おまけに鼻をそぎ落とされていた。
その昔、罪人だった証拠だ。
だからいつも顔の半分を覆い隠すように布で巻いている。
劉は敢えて楽翁の鼻に触れようとはしなかった。
楽翁も自分から話そうとはしなかった。
荷馬車は隣接する砦への行程のちょうど中間地点に差し掛かった。
楽翁の表情が険しくなった。いつ襲われてもおかしくないという事だろうか。
半砂漠の窪地へと馬車が誘われていくかのような。
荷馬車の後ろに座っていた楽翁の部下二人も目つきが変わっていった。
突然、劉の視界にいきなり現れた茶色い何か。
窪地の縁から騎兵が見えた。およそ十騎。
馬賊だ。
頭目らしい男の号令一下、馬賊が一斉に襲い掛かってくる。
荷馬車を取り囲むや、いきなり矢を放つ。
荷台を引く馬の尻に矢が当たる。
馬の嘶き。仁王立ち。
地平線が斜めに。
荷台が斜めになっただけだ。
車輪が轍に嵌まる。動かなくなった。
頭目らしい男が剣を抜いて叫んだ。
「我が名は、項土!武器を捨てて投降しろ!」
普通ならばわざわざ名乗らないし、投降など呼びかけない。そのまま殺して身包み剥ぐだけだ。
馬賊にしては上品な振舞いだ。不幸中の幸いとばかりに劉は溜息をついた。
荷馬車に乗っていた四名は全員一か所に集められ、後ろ手に縛られた。
刃物をちらつかされ、商人たちは怯えた振りをしていた。
けれどその目は、相手側の人数、導術士の有無、馬は何頭か、武器は何かと冷静に観察していた。
小声で『人数は十人、あの冠を被った男だけが導術士……』などと情報共有していた。
この商人たちとは仕事上での付き合いしかないが、一体どういう生まれ育ちなのか聞いたこともなかった。
単なる商人ではないだろう。
秦軍の補給物資を運ぶ仕事は、並大抵の商人には勤まらない。ちょうど今がそうである様に。
妙に小綺麗な項土の軍装を、劉はジッと見つめた。
腰に帯びた剣や服装は、趙軍の装い。
皇帝陛下がこの中原を統一されてからは必要なくなったものだ。
「道理で手際がいいわけだ、天下統一で失業とはね」と劉。
「だが新しい仕事は、まだ板に付いてないな」と楽翁が合いの手を入れる。
荷馬車の馬を殺すし、肝心の荷馬車は斜めになったまま轍に嵌まって動かない。
更には、自分たちで動かなくした荷馬車から
荷物をどうやって取り出したものか悩んでいるのが見えた。
これで「我が名は、項土」もないもんだ、と劉は顔を歪めた。
極めつけは、導術士である劉から、緑色の冠を奪い取ろうとしない事だ。
自暴自棄にでもなって最大出力で波をまき散らしたらどうするつもりなのか?
楽翁と視線が合った。彼も似たようなことを考えていたのだろう。
何も言わずに、荷馬車と劉の冠を交互に見やった。
素人相手であればやりようは幾らでもあろうというもの。
但し、敵の導術士の扱いには注意せねばならないが。
2.馬賊
俄か馬賊の中に、導術士がいた。李会という名前らしい。
趙の訛りが言葉の端々に現れた。什をジと発音したり、語尾が妙に落ちなかったり。
頭に被った冠の色こそ緑色だが、劉のそれとは意匠が異なる。趙軍式だ。
李会は、劉の頭に乗っている秦軍式の冠を、ジッと見つめていた。
「農民上がりが導術士とは」
とつぶやきながら、拳を握りしめた。
彼の顔の皺は、年齢を感じさせた。劉よりも一回りは上に見えた。
突き出た腹はたらふく良いものを食べてきたことを示す。
農民上がりの劉とは対称的な体型だった。
仕草や振舞いからして、典型的な貴族の役人だった。
周りへ威張り散らす癖に、頭目である項土には逐一お伺いを立てていた。
「犬と飼い主だな」
と横で見ていた楽翁の部下が酷い例えをした。
「やめとけよ」と楽翁が窘める。
「俺らだって秦の飼い犬だろうが」
項土が何事か囁くと、
いきなり李会はこちらへ近づいてきて
「何も送信するな」
と甲高い声で劉へ命令した。劉は黙って頷いた。
何も送信するなという命令は、こちらに連絡を取らせないためだろう。
逆に好都合だ。
定時連絡を二刻以上実施しないなら、その時点で異常発生と見做される。
どうやら秦軍の通信の仕組みを理解していないらしい。
ただ李会は馬鹿ではないようで、決して自ら波を発信しなかった。
人それぞれ微妙に波の個性がある。
どのタイミングで発信するか、符号語同士の間隔といった所に個性が滲み出る。
往々にしてその個性までは偽装しきれない。
馬鹿な導術士崩れだと、それらしい導術波を偽装発信してバレるのだ。
3.荷馬車
二刻(三十分)以上の音信不通により、
物資を輸送している荷馬車隊からの定時連絡が途絶えたのが伝わったらしい。
劉は第三燧からの導術波を受信する。
《荷馬車隊へ。第三燧/馬車、到着、未確認/馬車、到着、未確認》
突然李会は劉を刃物で脅した。
「一体、これはどういう意味だ。」
刃先の震えに戸惑いが滲む。威厳を繕いきれていない。
涼しい表情で「なにが?」と劉の一言。
「お前らの砦から《馬車、到着、未確認》と来ているぞ?」
「定時通りに馬車が到着しなければ、こういう文章の一つも送ってくるだろう」
如何にも自然な受け答えなのか、李会はそれ以上問いかけてこなかった。
彼は一瞬ホッとした表情を見せると、項土へ会釈しながら何事か話した。
恐らくは趙の言葉だ。問題ありません、とでも言ったのか。
だが項土は、その言葉を信じていないらしい。剣を抜いて劉に近づいてきた。
劉は後悔する。
自分の首筋に刀を突きつけられた状態で、
顔色一つ動かさずに李会へ返答したのが良くなかったか。
確かに若い軍人であれば、もう少し慌てふためいても良いはず。
落ち着き払った演技で逆にボロを出したのではないか。
自分達の知らない何かがあると、敵にバレたか。
「なんて送信する?」
瞬きもせずに項土は劉の目を凝視している。
「どういう文章を、送信する?」
彼の刃先から劉の首までは、半寸もない。
さてどうしよう。
馬賊に襲撃された際、《狼、襲撃》といった定型文を送信するよう規定されている。
けれど馬賊も趙の軍人崩れだから、そういった定型文を劉が放った瞬間に勘付くだろう。
そこで劉は最近導入されたやり方を使うことにした。
「車軸が破損した、と送信する」
「それで修理屋を呼ばれたら?」
「もう怪しまれてる。事を荒立てないやり方を取った方がいい」
劉は轍に嵌った荷馬車を指さした。確かに車軸が無事であるようには見えない。
「実際、車軸が折れてるかも知れない」
劉が送信しようとするも、項土が一旦引き止めた。
「場所は教えるなよ」
「もし聞かれたら、なんて答えれば?」
「誤魔化せ。適当な場所を教えておけ」
項土は弓矢や剣を見せびらかす。無表情に。
融通の効かない軍人が時折見せる態度に焦りが透ける。
劉はこう返信した。
《車軸、破損/車軸、破損/車軸、破損/皇帝陛下万歳》
最後の『皇帝陛下万歳』は緊急符号であることを示す符丁だ。最近になって導入された。
わざとらしい符号を検知しても、李会はケッという声を出しただけだ。
いい兆候だ、と劉は内心で喜ぶ。敵は新しい符号表を掴んでない。
● ● ●
『皇帝陛下万歳』という緊急信号を第三燧で受信した導術士は、傍らにいた記録係へ叫んだ。
「例の荷馬車に何かあった。緊急符号表を出してくれ」
彼が自分の受信した文章を話すと、記録係は緊急符号表を斜交いに見つつ文章を記録する。
彼は規定通りに質問する
《荷馬車隊へ。第三燧/
工兵隊、出発、待機中(=救難部隊が待機中)/
破損、車軸、本数(=敵兵の数)、知らせろ。皇帝陛下万歳》
すぐに劉から返信がきた
《第三燧へ。荷馬車隊/
破損、車軸、本数、一本(=敵兵は十人)/
皇帝陛下万歳》
符号表と照らし合わせて受信した波を解読する導術士たち。
「賊は十人か」
「それなら騎兵十、歩兵四十で足りるな。今から手配しておく」
「頼んだぞ。到着するまで、最悪六刻(一時間半)掛かるからな」
第三燧に詰めている導術士は、手順に従って再度波を送信する。
《荷馬車隊へ。第三燧/修理部隊、出発。修理部隊、出発/皇帝陛下万歳》
救難部隊は出発したことを示す文章だ。
結果としてこれが、新たに劉を危機に陥れる。
4.引き延ばされた会話
李会が導術波を感知した。その後ろで項土がやり取りを聞いている。
「おい。《修理部隊、出発》とは。
これはどういう意味か?貴様、なんか企んでおるな」
李会の視線は微妙に後ろにいる項土に向いていた。
劉を問い詰めているのではなく、問い詰めている自分の姿を見せつけるかのように。
「怪しいとは思っていた。ワザとらしく皇帝陛下万歳なんて。
秦の皇帝ならばそれくらいはするか、とは最初思ったが。
大方、救難信号を意味しているのだろう?」
意外と馬鹿ではないらしい。
馬賊に身を落としたとはいえ、流石は元軍人だ。軍隊内での隠語の使用は大方わかっている。
背後にいる項土は剣の柄に手をやっていた。今すぐに劉を始末しそうな雰囲気だった。
先回りして、李会が劉の首を絞めあげてくる。
「修理部隊なのに、どこで馬車が故障したのかも聞きやしない。
けれども出発?お前ら、何か隠語を使っているな」
徐々に劉の首を締め上げる力が強くなる。息が出来なくなった。
「答えたくないなら、別にいいが?」
徐々に指先が頸動脈にめり込んでいく。意識が飛びかける。
楽翁が助け舟を出そうとするも、劉はそれを手で制した。
この程度の連中なら、喋りで十分捌ける。
劉が頃合いと踏んで楽翁に視線を送る。楽翁も顎を僅かに上げて応じた。
劉の一世一代の大芝居が始まった。
後ろからもうやめとけ、という言葉が聞こえるや否や、李会はさっと劉の首から手を放した。
劉は苦痛に顔を歪めつつ反論する。
「俺の言い分をまず聞いてくれ!」と大音声で叫ぶ。
「荷馬車の車軸が折れて、修理部隊がやってくる。これの何処がおかしい?」
「だから目的地も解らないのに……」と李会。
「目的地なんざ、長城沿いの砦に決まってるだろうが!!馬鹿かアンタ?」
よくよく考えると、劉の言っていることはおかしい。
馬車の目的が物資の輸送だからといって、目的地を聞かないのはやはり不自然だった。
だが喋り方と勢いが劉にはあった。李会は黙りこむ。
「この馬車は何のために動かしていると思ってるんだ!」
劉が指さした馬車は、未だに轍に埋まっていた。そう言われると相手の導術士に立つ瀬は無かった。
今度は項土が質問攻めにしてくる。
「ではこの余りにも早い砦からの連絡をどう考えればいいのだ?二刻と経たないうちに連絡がきたぞ」
「普段から一刻ごとに定時連絡するようにと命令されている。二刻以上通信の間隔が空くことはあり得ない」
項土は苦々しげに劉を睨みつけた。
「何故それを早く言わないのだ」
「言った所で信用したか?あの場で下手に逆らうと殺されそうだった。だから言われた通り、なにもしなかった」
馬賊共は歯ぎしりした。
さぁそろそろ頃合いだぞ、劉は気合を入れなおす。
「なぁ、お互い困ってる状況だとは思わないか?」
「自分で我々を追い詰めておいて、よくもそんな」と李会。
「手を組まないかってことさ。ここまで、俺は仕事を忠実にこなしただけ。
別にお前さんに恨みなんてないよ」
本音はもちろん違う。
見ず知らずの導術士に首を絞められ、馬賊の頭目に剣先を突きつけられた。
これ以上ない程に恨んでいた。
だからこそ、復讐の下準備は入念に仕込まねば。
「この世はチョット不公平に出来てる。
俺みたいな農民の倅が一生懸命に勉強しても、
精々こんな緑色の冠被って、長城で波を飛ばすのが関の山。
でもこのままアンタらに攫われちまえば、体よく脱走できる」
騙されてくれた?この俺の臭い三文芝居が通じた?
どうだろう。この角度からでは相手の表情が読めない。
楽翁が突然、大きな声で笑い出した。
「項土さん。コイツは面白いぜ。一口乗ってみねえか?」
馬賊たちは互いに顔を見合わせて困惑するばかり。
「アンタら、要するに趙の国がなくなって、行き場がないんだろ?だから馬賊みてぇな事に手を染めてる」
「お察しの通り、俺は元々罪人だ。この鼻は削がれてる。
前科の揉み消しと引き換えに、これまで汚れ仕事をやってきてな」
そういわれて見れば、劉にも腑に落ちる所はあった。
なぜ単なる商人が、万里の長城建設現場に出入り出来ているのか。
なぜ単なる商人なのに、彼らはこんなに鍛えあげられた身体つきなのか。
なぜ楽翁は、こんなにも馬賊みたいな雰囲気を放っているのか。
「危ない橋も何回も渡った。
皮肉なもんだな、この鼻を削いだのは、秦だってのに。
もうそろそろ自分に正直に生きてもいい頃合いだ。アンタらみたいな生き方、嫌いじゃない」
楽翁の声音が、半ば本音に響いた。
「アンタらは趙の軍人さんだろ?」
劉は馬賊の連中の剣や服装をみながら言う。
「現役の導術士、
危ない橋を渡れる商売人。
皆で組めば面白いことになるんじゃねえのか?」
思わぬ提案に、項土も暫く考える。
「いきなりそんな事を言われてもな。貴様らに一体なんの利益があるというのだ」
「今言ったろう?こんな砂っぽい所で一生こせこせと働いて終わりたくないんだよ。
北の草原じゃあ、俺達の導術を高く買ってくれてるらしい。
高く買ってくれる相手に、自分達の技術売りつけないと」
もう少し利益をチラつかせるべきだったか?
劉は焦る。
隣の砦から援軍がやってくる迄の数刻、何としても稼ぎ出す必要があった。
項土が内心の戸惑いを隠せないのを半ば無視するかのように、楽翁が話しかける。
「あとは、俺の馬車を修理させてくれたら、問題はないんだが」
項土は意外そうな表情で馬車を見た。
「その兄さんが送信した車軸が云々ってのは、強ち嘘でもない。
大体、アンタらが横倒しにしなかったらもっと手際よく事が運んだんだけどな?」
項土は今度は楽翁に近づいていく。
「まさかとは思うが、
貴様もグルになって時間稼ぎしようとしているのではなかろうな?」
楽翁は大きくため息をついた。実にわざとらしく。
大したものだ。これが商売人の話術というやつか。
「よく考えろ!仮にここで俺達を全員殺すとしてだ。
お前等、あの荷馬車使わないで、どうやって荷物を売り捌くつもりだ!」
「馬の背に荷物積んで……」
「馬に乗ったまま、手に抱えて?」
確かに非現実的だった。荷物を売り飛ばすことを考えれば、荷馬車を使う必要がある。
自分で商売をしたことのない元軍人らしい物言いだった。
「あの荷馬車に積まれた荷物を、それぞれの馬に分けて運び出す?馬鹿言うな、サッサと直すに限るよ」
項土は四人全員の縄をほどいてやれ、と李会に命令する。
劉の縄をほどく時に、本当に顔を顰めていたものの、頭目の命令には素直に従っていた。
楽翁たち三人はそのまま、さも当然といった風に馬車の車体裏に潜り込んで車軸を取外して修理し始めた。
元々荷馬車は彼らの財産だ、直そうとするのは当然だった。
「このまんま修理が長引いて敵の部隊が来たら……」
劉は項土へあやすような口調で囁いた。
「それまでには終わらせるさ。俺に任せてくれれば秦の連中も上手く捌いてみせる。現役導術士の強みさ」
項土の剣に視線をやりながら彼は続けた。
いや、過ぎ去った過去の栄光を馬賊の頭目に意識させたのだ。
「荷馬車や導術士を抱えていると、この組織をもっとデカくする事が出来るぞ。。
いつまでもチンケな馬賊で収まっていたくないだろ? 北の草原でやり直そうぜ」
時間稼ぎに利用されていると、この頭目は薄々気付いてはいるのではなかろうか?
劉はそれが不安で堪らなかった。実は騙されてるのはこちらなのではないかと。
だがそれ以上にこの頭目は誘惑には耐えられないと見える。
趙の軍人だった頃の栄光が捨てきれていないのだろう。
そこが劉の狙い目なのだ。
車軸が完全に直り、横倒しになった荷馬車へ紐を掛けて元通りにする所まで数刻掛かっている。
しかも楽翁はチャッカリ馬賊に作業の手伝いをさせていた。
「早くしろ」
と急き立てる項土に、じゃあ作業を手伝え、と言い返す始末。
再び元通りになったちょうどそのとき、秦軍の旗が遠くに翻っているのが見えた。
5.部隊到着
五十名の正規軍が荷馬車を占拠した馬賊十名を包囲した。指揮官からの叫び声が響き渡る。
「武器を捨てて、投降しろ!」
しかし項土は余裕の表情で言い返した。
「お前らこそ、折角育成したこの導術士がどうなってもいいのか?」
そういって劉の首筋に刃を当てた。彼は劉の通信冠を見ながら、こういい添えた。
「アンタらも、虎の子の導術士が殺されたくねえなら、大人しく俺達を逃すことだな」
劉は囁くように呻いた。
「そう、そうだ。連中にとっては導術士ってのは、虎の子そのもの。
下手に喪えば責任問題になる。そこを突いていけば何とかなる。皆大過なく任期を終えたいんだから」
項土は静かに頷いた。
彼の目には、楽翁が背後から近づいてくるのが見えていない。
その時だった。
楽翁たちが一斉に馬賊共へ襲い掛かった。
一気に混戦に持ち込む。接近戦では迂闊に剣を振り回すことも出来ない。
そこへ周りからやってきた秦軍兵が加勢する。
楽翁は小刀でいきなり項土の腹を背後から差した。項土の振り向きざま、彼の腕から剣を叩き落とす。
そのまま足払いで項土を地面に叩きつける。胸の上に剣を突きさした。
楽翁とその部下は手元にある凶器を振り回しながら、馬賊共を一人また一人と殺す。
殺した相手から剣を奪い、更に殺していく。互いに背中を合わせつつ。三人一組で戦っている。
「兄さん!!仕事ってのは、命がけでやるもんだぜ!!」
楽翁から劉も剣を渡される。
剣を構えて手近な敵に斬りかかる。
導術士の癖に馬賊に身を墜とした李会。
混乱しながら何とか踏みとどまっている。
頭目である項土が死んだあと、本来彼がこの集団を取り纏めるべきだった。
けれど李会は自分が生き残ることに必死に思えた。
そんな李会にとって、正面切って泥臭く突撃してくる劉を見る表情ときたら。
劉の剣先が彼の身体の正面に吸い込まれていく。
半寸、一寸、二寸。そのまま劉は剣を引っ張り抜こうとした。抜けない。
李会が劉の剣を握りしめていた。必死の形相で。
自分の身体に剣が突き刺さっているにも関わらず、劉へ斬りかかろうとする。
劉は剣を放して後ろへ逃げようとしてもんどりうった。
手近な所に転がっていた小刀を握りしめ、地面の上に伏せている李会の身体を突く。
何度も、何度も。
楽翁の部下から「もう死んでますよ」と制止された。
言われるまで相手が動かないことに気が付かなった。
劉が人を殺すのは、これが初めての経験だった。
無事、馬賊は軍に捕獲された。
楽翁達一行はそのまま塩を含めた貴重品を輸送する仕事に戻る。
「なぁ、楽翁さん」
「ん?」
「武器を渡してくれて、ありがとう」
「あぁ…。まぁあそこで戦わないでいたら、今ごろ死んでただろうしなぁ」
楽翁は削がれた鼻を再び布で覆い隠しながら、劉から視線を外した。
「慣れるなよ」
「人を殺すことにか?」
「今はまだ実感が湧かないだろうが、何人も殺すうちに慣れてくる」
「慣れたらどうなる?」
「俺みたいになる」
「楽翁さんは何の為にこの仕事してるんだ?危険だし、割に合わねぇだろうし」
楽翁は目を見開いてから一言。
「人生をやり直すためだ。さっき言ったろう?
元々盗賊だの馬賊だのになり下がるしかなかった。
でもどっかでな。そんな事やってても先がねえと気が付いた」
「兄さん、アンタは?何のために仕事してんだ?」
劉は呆然とした表情で、楽翁を見る。
「少し前までは、退職金目当てで仕事してた」
楽翁は黙って劉を見据えた。
「その退職金を元手に、商売しようと思ってた。でも何の商売すりゃいいのかわからなかった」
「で、答えは見つかったか」
これだよ、と劉は自分の冠を指しながら答えた。
「今日も口先三寸で生き延びた。そんな俺が肌に合う商売ってのは、導術そのものだ。あらゆる人間の言葉を、導術で伝言する」
楽翁は首を捻って一言。
「そんなの、商売になるもんかねぇ。。」
劉は笑って、なるさ、とだけ答えた。
「世の中導術が必要なのは、軍隊の中だけじゃない。商売にだって導術を使える」
「そんな事してどうするんだ。俺は使ってねえぞ」
「何処かの砦にカネを預けて、別の砦でカネを引き出す商売だって始められる。代金の支払いってやつが変わるんだ」
「そんなん銭ごと持ち運べばいいだろうが」
「そして今日みたいに襲われるのか?」
楽翁は黙ってしまった。確かに劉の言う通りだからだ。
「それだけじゃない。出来事そのものもカネになる。
咸陽で起きた事件をその日のうちに長城の砦で聞くことが出来るとしたら?
或いは遠くにいる見ず知らずの相手と六博や葉子戯を茶館で愉しめるとしたら?」
劉はのぼせた様に捲し立てた。けれど楽翁は首を振るだけだった。
「すまん、俺にはお前が何を言っているのかすらよくわからん」
「中原にいるありとあらゆる導術士たちを網の目のように繋いでいけば、実現できる話だ」
楽翁は陸の上を歩く魚を見る目つきで劉を見た。
楽翁の部下たちは完全に元通りの配置についた。
「親方!いつでも行けますぜ。まずは第三燧を目指しましょう!」
おぉ、と返答する楽翁。劉を促して自分たちの荷馬車へ戻る。
御者の席で楽翁は劉へいった。
「兄さんは俺の想像もつかねえ商売を始めることが出来そうだ。
けどな、新しく商売するとなると、命懸けの覚悟が必要だぞ」
「誰もやったことのない商売だったら、当たり前のことだろう?」
「解ってんのかなぁ……」
二人の男は笑いあった。太陽の光が彼らの馬車へ燦々とふりしきっていた。
claude-Sonnet4.1およびChat-GPT5を利用して推敲しております。