君は私の推し
「ピピッ、ピピッ」毎朝耳元で鳴る不快な音で重い瞼を開ける。今日は何だかいつもより体がだるい。7連勤の仕事の疲れだろうか。明日が休みであるということをモチベーションにし、立ち上がった。静寂は昔から好きではなく、テレビをつけてから支度を始めるのが毎朝のルーティーンだ。洗顔を終え、着替えを済ませた後、冷蔵庫に入っていた納豆を白米にかけて食べた。「本日デビュー5周年を迎えた Your girlの reikaさんになんと独占インタビューさせていただけることになりました!」意気揚々とした女性アナウンサーの声に、僕は箸を止めた。いや、止められたという表現が正しいだろう。その時頭に浮かんだのは、同じような毎日の繰り返しになる前の、美しく、輝いていた自分の人生だった。
ちょうど桜が満開になる季節、僕は地元名古屋市内にある偏差値60ほどの進学校に入学した。入学する前の僕は、新しい環境に対する不安と緊張があったが、それ以上に僕は新たな出会いへの期待に胸を膨らませていた。入学して1週間もすると僕は自分の席の周りのクラスメイト達から好かれ、1か月ほどでクラスの外交的な人たちとは友達になった。明るく朗らかな自分の性格は、同性からも異性からも好かれるものだったからだろう。2回目の席替えで隣になった子は、おしとやかで落ち着いた雰囲気だが、クラス内の外交的な女子たちとも上手くやっている人だった。そして何より、その子はクラス、いや、学年でも噂になるほどの美女だった。僕は話したことがなかったのとその美貌による眩しさで少し緊張したが、意外にも最初に話しかけてきてくれたのは向こうのほうからだった。「私、佐藤麗華。よろしくね!」「僕は瀬戸蓮。こちらこそよろしく!」形式的な挨拶だったが、僕にとってそれは周りに自慢してしまうほど誇らしい出来事だった。それからというもの、僕達は毎日話す仲になり、LINEも交換した。僕はみるみるうちに彼女の虜になり、席替えから1か月経った日、1限目の数学が終わった後に勇気を振り絞って彼女に話しかけた。「もしよかったら今度2人で遊びに行かない?」2人の間にほんの少しの沈黙が流れた。失敗したと思い、勝手に1人で失意のどん底に暮れるぼくの心とは裏腹に、彼女は快く、「いいよ!じゃあ次の英語の時間の最中にこっそりどこ行くか決めよ!」と言ってくれた。僕はその言葉に思わず、「やった!」と声を漏らしてしまった。お互いなかなか予定が合わず、遊びの日にちは夏休みを迎えた3日後だった。その日はもちろん気合を入れてヘアセットをし、ビジュアル万全の状態で映画館へ向かった。自分の顔はずば抜けてイケメンというわけではないが、悪いと思ったことはなかった。映画館に着くと約束の時間の15分前にもかかわらず、彼女は待ち合わせ場所の、チケット売り場の前の大きなシャンデリアの下に立っていた。僕は驚いたが余裕を見せるために堂々とし、彼女に話しかけた。「ごめん、待たせた?」「うんうん、さっき着いたところだよ」「まだ15分前なのにいるなんて凄いね」「蓮くんこそ」デートの出だしとしては満点に近い会話をし、僕たちは映画の開場を黒いソファーで待った。彼女は高校生らしい、ナチュラルなメイクだったが、いつもの10倍かわいく見えた。おそらく休日の2人きりの空間という相乗効果の影響もあってだろう。その後も会話が途切れることはなく、開場したスクリーンに足を運び一緒にホラー映画を見た。上映前ひそかに期待していた恐怖のあまり手を繋ぐというシチュエーションはなかったものの、2人で隣り合って見る時間は夢のようだった。映画が終わり、近くにあったスターバックスで感想を語り合った。事前にネットで調べたとおりの完璧な流れだ。「私怖くて涙出そうだったよー」彼女の可愛らしい感想に微笑み、「ねー僕も終始ビクビクしてたよ。あ、怖かったといえばあのシーンさ、」事前に打ち合わせでもしたかのように僕らの会話ははずみ、気づけば空はオレンジがかった美しい色に変わっていた。「そろそろ帰ろっか。」彼女の言葉にぼくは「うん。楽しかったね」そう言い店を出た。駅までの帰り道、僕は内に秘めた思いをすぐにでも伝えたくなったが、告白は3回目のデートの帰りが最も成功しやすい、というネットの情報を信じ、グッとこらえていた。しかし、彼女と話していくうちにその制御は機能しなくなり、駅に着いてそれぞれが別々の路線へ向かう分かれ道、僕は思わず彼女に思いを伝えてしまった。「麗華、僕君のことが好き、だから付き合ってほしい」その言葉に最初こそ動揺していたものの、彼女は微笑んだ。僕が心の中でガッツポーズをした次の瞬間、彼女は口を開いた。「蓮くんはすごく面白いしいい人だけど、君は私の推しなんだ。だから、ごめん」その言葉に僕は充電切れのロボットのように固まった。「そっか。ごめんねこれからは今まで通り友達でいよう」そう放った僕の口と脳はまるで別の人の臓器であるかのように一致せず、電車に乗った後はしばらく放心状態だった。家に着いて、泣きたい気持ちを抑えて「今日はありがとう。機会があったらまた遊びに行こうね」とLINEを送ると、意外にもすぐに既読が付き、「こちらこそありがとう!また行こうね!」と返信が来た。僕は振られた悲しさと彼女の返信の内容の安堵で涙が零れた。1か月という長い休みは僕の心の傷を癒すには十分な期間で、僕は8月下旬にはすっかり元気になっていた。だが1つ、僕の心の中で古傷のように痛み続ける言葉があった。「君は私の推し」その言葉は1か月間ずっと僕の頭の中をぐるぐると回り、僕はずっとその言葉の意味が分からずにいた。「推しってなんだ?好きと推しは何が違うんだ?」入学してすぐに仲良くなったクラスメイトの海斗に会って聞いた。「うーん、恋愛感情はないけど、蓮のことを男の中では上のほうの人間だと思ってるんじゃない?」その言葉の意味が自分には理解できず、「君は私の推し」という言葉は未解決のままあっという間に僕の高校生活最初の夏休みは幕を閉じた。夏休み明け僕は彼女と席が離れたが、恋心は決して消えなかった。しかし席替えに伴って僕たちの話す頻度は大きく減り、2人で遊びに行こうともなかなか言い出せず、お互い友達の関係のまま月日は流れた。僕は恋愛に積極的なほうではないのでアプローチをすることもできず、気が付けば冬を越し、また桜の花が開き始める季節になっていた。僕は1年間で何度か告白されていたが、僕は一途な思いを曲げられずすべて断った。意外にもそれは彼女も同じで、理由こそわからないものの告白をすべて断っていた。終業式が終わりみんながそれぞれ好きな人や彼女にツーショットを申し込む中、僕だけは勇気が出ず言えなかった。そんな僕の恋心は温度を保ち続ける中可能性は下がっていく一方だった。2年生になると僕と彼女は別々のクラスになり、本格的に関りがなくなった。僕は小学生から続けていたサッカーを続けたいという一心で入ったサッカー部で青春を謳歌していた。彼女はバレー部でキャプテンを務めていて、僕と彼女お互いがお互いの青春を楽しんでいた。彼女はその美貌からか、ちょくちょく誰かと付き合っているといううわさが出たが、それらはすべて噂にとどまり、彼女が付き合っているという事実は2年生の間も1度も出ず、嫉妬に悩まされる必要のない安定した恋愛だったが、僕自身が何もアプローチすることができなかったので結局自分の恋としての進展はゼロといっていいほど何もなかった。そのまま何の進展もない2年生が終わり、気が付けば僕たちは受験生になり、部活も恋愛もやってられないほど勉強が忙しくなった。僕の恋心も冷めたわけではないが、一度セーブされたゲームデータのように心のどこかへしまわれた。僕はもともと勉強ができないわけではなかったので、進学校の中でも中の上くらいの成績を維持し、無事都内の国立大学への合格が決まった。受験が終わるとそれまで詰め込んできた勉強の内容はすべて水に流されるように忘れ、地元の友達たちと過ごすことができる最後の高校生生活を存分に楽しんだ。その学校生活の中に彼女の姿がないことは僕自身にとっての物足りなさではあったが、そんな恋心を忘れさせるほど最後の高校生生活は豊かなものだった。そうして長いようで短い、僕の甘酸っぱい高校生生活は終わり、僕は上京することになった。名古屋という、それなりに発展した都市に住んでいたものの、いざ日本の中枢を担う大都市に住むとなると高校の入学式で感じていたあの緊張感とどこか似たものを感じた。だが、唯一違うといえることがあるのだとすれば、もう新たな恋に胸を膨らませていることはないということだ。そう、僕は彼女の虜になった3年前から、その恋心を抱き続けているのだ。情けないということは十分自覚している。あの日、勇気を振り絞って彼女をデートに誘った僕は、あの夏の1日を境にどこか遠くへ消えてしまった。それから何も現状を変えようと努力できなかった自分に、卒業した今大きな憎しみと後悔を感じている。しかし、考えているだけでは何も変わらない。だからといって今更、彼女に連絡することなどできっこない。僕はあの夏から3年間、何も変わることができなかったのだ。「君は私の推し」その何気ない言葉だけがただ、僕の心をズキズキと痛めつけた。
上京してから最初の3か月は、大変なことだらけだった。慣れ親しんだ故郷から離れたことによるストレス、サークル選び、友人作り、そして何より大変だったのは金銭面だ。親から毎月仕送りが来るとはいえ、止まることを知らない物価高上昇による不景気は、僕を苦しめるばかりだった。しかし、だんだんとそれも日常の一部として溶け込んでいき、僕は東京という大都市に立ち並ぶ高層ビルの数々や、その利便性にとても感動していた。法学の道を選んだ僕は、まるでアメリカのハンバーガーのように分厚い六法全書を使って法律の勉強に没頭した。もとから興味のあった学問ということもありそれは決して苦痛なものではなかった。そして僕の入った旅行サークルは男女比が4対6で、異性間もすぐに打ち解けることができたためとても楽しかった。サークル内ではカップルが飛ぶ鳥を落とす勢いで成立していき、僕は謎の焦燥感に駆られていたがもちろんサークル内にも僕と同じように成立しない男はいたため、そこまで気にするほどのことではなかった。7月が下旬に差し掛かると、大学は夏休みシーズンとなり、僕のサークルは沖縄旅行に行ったり、スポーツサークルは合宿へ行ったりと大学内がお祭り気分になっていた。もちろん僕もそのうちの一人で、大学の友人たちと過ごす時間はかけがえのない時間だった。旅行先の宿の5人部屋では、もはや学生の定番トークである恋バナが大いに盛り上がったが、3年間同じ人に恋心を抱き続けているなんてことは恥ずかしさのあまり言い出せず、サークル内で成立していない中ではかなり顔がいい
影山さんのことが好きだとその場しのぎの嘘をついた。周りからはもちろん茶化されたが、そんなものは夏休みが明けたらみんな忘れてしまうだろうと思って特に気にはしていなかった。3日間の沖縄旅行は思っていた以上に早く終わり、少し寂しかったが親睦を深めることができたのでとても満足していた。そして8月中旬、僕は地元へ帰り、海斗に会った。高校生生活ではたくさんの友人ができたが、今になっても毎日のように連絡を取り合う仲なのは海斗くらいだった。「えーお前まだ麗華ちゃんのこと好きなのかよ。いつまで経ってもうじうじしてるからダメなんだよ」「言われなくてもわかってるわそんくらい」
海斗の言葉は僕の胸の奥を刺した。「あ、でも麗華ちゃんも上京したんだろ?もしかしたらお前とバッタリ再会しちゃったりなんかしてな」その言葉に僕はキムチ鍋に差し出していた箸の手を止めた。「え?お前知らなかったの?まじかよ」僕はあの日以来結局彼女と関わることがなかったため、彼女の進路については知らなかった。もちろん気になる気持ちはあったが、彼女のいない高校生生活は充実していたため、正直それについて自分から誰かに聞くということはしていなかった。「お前どこまで草食なんだよ。俺はお前が信じられないぜ」それらの言葉は僕の耳を右から左へ流れていき、彼女が僕と同じ環境に、そのどこかにいるという事実だけが何度も脳で処理されていた。海斗の家に泊めてもらい、久しぶりに地元での観光を楽しんだ後、僕は東京へ戻った。別れ際の海斗の、「麗華ちゃんに会いに行けよ。絶対に」という言葉が忘れられず、帰りの新幹線の中で僕は3年前で止まっているLINEの既読を眺め続けていた。「久しぶり、元気にしてた?」「久しぶり、東京に住んでるんだって?実は俺も上京してさ、」画面上に打つ言葉はどれも自分の画面の前に浮かぶだけでそれを彼女に送るということはできなかった。振られた後最初はただ気まずいという理由だけでLINEを送れなかったが、時間がたつにつれ送れない理由がどんどん増えていき、今となってはそのトーク画面はただ鑑賞するためだけのものになっていた。夏休みというものは何度訪れても足りなく感じるもので、今年も満足した休みを過ごせずに学校生活が再開した。夏休み前と変わらない毎日がまた待っていると思って特に身構えることも期待することもせずキャンパスへ向かったが、その気持ちは一瞬にして裏切られることになった。登校中、いつもの門の前で同じサークル仲間の
佐藤と矢田がスマホをいじりながら立っていた。自分のことを視界に入れたかと思った次の瞬間、2人が全力疾走で近づいてきたので思わず防衛本能で後ずさりしてしまった。「なんだよ急に、脅かすんじゃねえよ」「なあなあ、お前マジでよかったな」佐藤が今まで聞いたこともないようなトーンで話すので、僕は何かいいことでもあったのかと尋ねた。すると、その横にいた矢田が、「いいことって、お前のことだよ俺たちがこんなに興奮してるのは!」というので、僕は何かしたかと変な不安が募った。しかし、特に何かをやらかしたわけでもないので、「俺にいいことなんて特にないと思うぞ」とあしらうようにいうと、「影山さんがお前のこと好きらしいぞ。早く会って告白してこい!」と言われた。僕はその言葉を聞いてからしばらく理解が追い付かず、ただその場に立ち尽くしていた。気が付くと2人に連れられていつもの3人グループで固まっている影山さんのところへと連れていかれ、佐藤と矢田、そして彼女の友達2人も何かを察したかのようにどこかへ消えた。意図せず作り出された3年前以来の女性と2人きりという状況に緊張して、僕は何も言い出すことができなかった。そんな気まずい沈黙の中、影山さんは口を開き、「あの、矢田君たちから何か聞いてる、?」と彼女は不安げな表情で聞いてきた。ここで何も知らないふりをしておけばよかったものの、緊張と処理が追い付かない僕の脳は機能せず、文字通り脊髄反射で僕の口は「うん」と答えてしまった。「そっか。あの、その、」言葉に詰まる彼女の口が何を言おうとしてるのかは、さすがの僕でも予想ができた。・「私と、付き合ってほしいです」僕にとって迷惑極まりないこの状況は、元はといえば自分が作り出したものだということは自分でもよくわかっていた。だからこそ、ここで彼女を振ってしまうことは自分が道徳心に反することをしていて、すぐに自分の悪いうわさが広まってしまう。そう思った僕は、「うん」という2文字しか口にすることができなかった。その選択のほうがより彼女を苦しめてしまうなんてことは、少し考えればすぐにわかるようなことだったのに。それから僕達の交際はすぐにサークル内、大学内へと広まり、みんなが知るカップルという立ち位置になった。あまり話したことのない影山さんといきなり付き合うというのは相当難しいもので、しかもそこに恋愛感情がないとなるとより一層抜け出したくなるような状況だった。大学に行く日は毎日のように昼食を一緒にとり、LINEも毎日のようにした。「大好きだよ」という言葉が彼女から送られてくるたび、「僕もだよ」という言葉を返すたびに胸が苦しくなった。冷めたっていえばすぐに別れられるだろ。そう思い込み、僕はこの関係を維持し続けた。付き合って3か月経った日、僕たちはかなり遅めの初デートをすることになった。場所は彼女の提案で映画デートになり、しかもホラー映画を見ることになった。「ホラーって緊張するね」と言う彼女の笑みは純粋で無垢そのもので、その笑顔に引き込まれそうになったがすぐに罪悪感が押し寄せ、僕は精一杯無理して作った作り笑いで「そうだね」と優しく言葉を返した。映画が終わると、彼女の行きつけだというパンケーキ屋に行き、2人で3層に重なった黄色に光るパンケーキをほおばった。「いやー、あの映画ほんとに怖かったね。私涙出そうになったよ」どこかで聞き覚えのあるセリフだと思ったが、特に気にも留めず、会話を続けた。「ねー。あのシーン、冷蔵庫からいきなり幽霊出てくるのはマジで怖かった。家帰ったら冷蔵庫開けられないかも」「それなー。てかさてかさ、あの主演の女優、実は私の推しなんだよね」そこで僕はようやく思い出した。「麗華」そう口にした僕の言葉を、不幸にも彼女の耳は拾ってしまった。「れいか?誰それ」僕は自分がその名前を口にしてしまったことに後から気づき、必死にごまかそうとした。「いや、れいかっていうのは、その、」いい。このまま喧嘩してこの子と別れられたら、それでいい。そう思い、「麗華っていうのは僕の、」そう言いかけた瞬間彼女は、
「あー!れいかってあの Your girl の reika ね!細くて美人だよねー。蓮の推しなの?」彼女の言葉が理解できなかったが、その一瞬で恋心を抱き続けている相手だと告白しそうになっていた僕の勇気はどこかへ消え、「うん」とまたも脊髄反射で返事をしてしまった。すると彼女は、「勢い凄いよねー Your girl。tiktokとか Your girlの曲のダンス動画ばっか流れてくるよ」といった。上京してからは忙しさのあまりSNSにはあまり触れていなかったので、最近の話題はあまり把握していなかった。「私はどっちかっていうとkanaちゃん推しかな。でも reikaはほんとにかわいいと思う。あ、ほら。この reikaちゃんと kanaちゃんのツーショットマジでかわいいから見て!」そう言い差し出す彼女のスマホの画面を見ると、赤く派手な衣装に身を包む2人の女性の姿があった。そして、まったく興味がないことを隠すようにその画面を覗くと、僕は思わず息をのんだ。左側の画面に映っていたのが、僕が3年間一度たりとも忘れることがなかった人だったからだ。気づけば覗き込んだスマホの画面は滲み、3年ぶりに見る片思いの相手の姿が何層にも重なってみえた。「え、泣いてるの?え。どうしたの?」そう言う彼女に、「ごめん、ちょっと用事あるから帰るね。ここは奢る」とだけ言い残し、引き留めようとする彼女に振り向きもせず、僕は30分先の自宅へ向かった。上京祝いで親から買ってもらった Macbookを使って彼女のことを必死に調べた。
「 reika 何者」「 reika とは」「 reika 彼氏」ありとあらゆる彼女に関する情報を片っ端から検索にかけ、まるでストーカーのように彼女のことを洗いざらい調べた。そして、彼女が中学1年生から練習生として日本の大手アイドル事務所に入っていたこと、今年の9月にデビューしたことなどを知った。彼女は今や、クラス内の注目の的などにはとどまらず、大勢の人々にとっての推しになった。僕は彼女の近況をやっと知れたことに対する安堵か、自分からは遥か遠い存在になってしまったことに対する悲しさからかまたも涙があふれてきた。そして、4か月後に彼女がライブを控えていることも知った。気づけば僕は、彼女の所属する Your girlのファンクラブ会員に入り、会員限定のアリーナ席のライブチケットに申し込んでいた。当たってほしい。ただその一心で、僕は1か月後に控える当落発表の日を待った。それからというもの、僕は毎晩彼女のことを思い出して上手く眠ることができなかった。目の下にクマがたまっていき、サークル仲間たちからは心配されたが、僕はそんな心配は気にも止まらず、ただひたすらに当落発表が待ち遠しかった。そして迎えた運命の当落発表の日、僕は届いた当落発表のメールを震える手で開いた。「この度は Your girl ticketをご利用いただきありがとうございます。厳正なる抽選の結果、ご当選となりましたのでお知らせいたします」僕は1か月間たまっていたストレスを吹き飛ばすかのような喜びに満たされた。やっと彼女に会える。そう思うだけで、胸がこれまでにないほどに高鳴った。ライブの日はちょうど、桜の花びらたちが満開になる頃だった。彼女のライブがおこなわれる有明アリーナに着くと、あまりの大きさの開場にとても驚いた。彼女はもうとっくに、僕の手では当分届かない高さのところまでいってしまったのだ。僕が当選した席は最前列から3番目のと、大当たりの位置だった。しかしかなり恥のほうだったので、ステージ中央からは少々角度があった。しかし周りを見渡すと Your girlのtシャツ、ペンライトであろうものを持った人たちがほとんどで、何もグッズを持っていないのにアリーナ席に座っているのは居心地のいいものではなかった。開場から2.3時間ほどでステージ照明は暗くなり、肝心のステージが始まった。そして7人が登場し、会場は大いに盛り上がった。そしてその中に、一際目立つ存在がいた。「麗華」彼女はあの日とは全く違う、濃くて色っぽいメイクと華やかな衣装に身を包み、あの時よりもさらに磨きがかかった美しさだった。そんな彼女にくぎ付けになった僕は、息をのむことさえ忘れ彼女の初ライブをファンの目線でじっくり鑑賞した。ライブはあっという間で、残り1曲となったところで彼女たちのトークタイムになった。そして、メンバー一人一人が感謝を伝える時間になり、4番目、センターの位置にいる麗華に出番が渡った。「みなさん、まずは今日、お忙しい中私達 Your girlのライブに足を運んでくださり本当にありがとうございます。思い返せばこのアイドルという職業、そしてこの輝きスポットライトを浴びる位置に来るまで本当に長い道のりでした。私のあこがれていたステージに、今私自身がたち、そして、私もまた誰かのあこがれになっているのかもしれない、ここまで来れたのは支えてくれたメンバーたちと皆さんのおかげです。まだまだ始まったばかりの私たちの物語を、これからも応援してください」彼女の言葉に会場は何万人もの人々の拍手に包まれた。そして会場全体に彼女は隅々まで目線を配って手を振った。そして、彼女がこちらにも手を振った。その時、そのうちの一瞬、ほんのわずかな時間、僕は reikaと目が合った。僕の勘違いかもしれないと最初は思った。だがあれは間違いなく、僕の眼をしっかりと捉えていた。その瞬間、彼女の、 reikaの目は、あの日僕に笑いかけてくれた、麗華の目と同じように見えた。メイクも服装も立場も違う。でも確かに、あの瞬間だけは、僕と麗華2人だけの空間にいるかのように思えた。だがすぐに僕は現実に戻った。もう、彼女は僕とは違う。彼女にはたくさんのファンが、彼女を推す人々がいるんだ。僕の4年間に渡る恋はこの瞬間に終わった。そして、彼女は僕の片思いの相手ではなくなった。会場全体をその日一番の歓声に沸かせた最後の一曲のライブ中、僕は心の中で彼女につぶやいた。「君は、僕の推しだ。」




