思い出百貨店
思い出百貨店
「さて、今日はどの人間を捕えてやろう。おや、あそこを一人で歩いている男がよさそうだ。あいつにしよう……」
疲れ切った顔で歩く、一人の男がいた。仕事と家庭の板挟みで、休む暇がないのだ。男は深夜に仕事を終え、帰宅する途中だった。終電はとっくに過ぎ、少し離れた自宅へと、徒歩で向かっている。タクシーを使ってもよかったが、おかしな気まぐれを起こし、家まで歩くことにしたのだ。
「お兄さん、こっちへ、こっちへおいで」
男が歩いていると、可愛らしい子供の声が、突然聞こえてきた。声の聞こえた方向へ目を向けると、そこには小さな店があった。その外観は、男が子供の頃に、自宅の近くにあった、駄菓子屋と全く同じ。店のドアは開かれており、のれんの向こうに、昔ながらの石油ストーブが、暖かに光っているのが見えた。
男はこれが夢か現かも分からず、ぼうっとした頭で、店へと入っていく。男の記憶では、店内に入ってすぐ右側にレジカウンターがあり、そこには、いつもしかめっ面のお婆さんが座っていた。しかし今そこに座っていたのは、恐竜のソフビ人形だった。その人形は優しい声色で、男にこう言った。
「ここは『思い出百貨店』だよ。さぁ、店内を見てごらんよ」
男は言われた通りに、店内をぐるりと一望した。背の低い木製テーブルの上に、いくつかのおもちゃが乱雑に置かれている。しばらく見ているうちに、男はその全てに見覚えがあることに気が付いた。
「この店にはね、お兄さんが捨ててきた『思い出』が並んでいるんだ」
子供の頃、祖父がこの店で買ってくれた鉄砲のおもちゃ。そして恐竜のソフビ人形は、彼の祖母がプレゼントしてくれたもの。忘れていたはずの思い出が、目の前に並んでいた。
男がそれらの品を、ぼんやりと眺めているその横で、恐竜のソフビ人形は、にやりと不気味な笑みを浮かべていた。この店の正体は、妖の巣だったのだ。人間の記憶を読み取り作った、思い出の品で誘惑し、店に閉じ込め、その魂を喰らう怪物だったのだ。妖は男を店から帰さないために「これが欲しい」と言わせようと仕向けた。それが人間を閉じ込めるための呪文なのだ。
「どう、お兄さん、この思い出が欲しいでしょう?」
「これを全部、ぼくの好きにしていいのかい?」
「もちろんさ。これは全部お兄さんのものだったのだから。ほら、この思い出たちが欲しいでしょう?」
「そうか、ぼくの好きにしていいのか。じゃあ全部燃やしてやろう」
男はそう言い放つと、懐からライターを取り出し、石油ストーブを蹴り飛ばした。中から石油が漏れ出し、男は躊躇せずにそこに火のついたライターを放り投げる。あっという間に真っ赤な炎が立ちのぼり、白煙が店内に広がった。妖は予想外の事態に慌てながら、必死に火を消そうとしたが、男は楽し気に笑い声を上げていた。
「なんで!?全部思い出の品でしょ!?」
「嫌な思い出のね。ぼくは最新式のゲームが欲しかったのに、家が貧しくてこんなものしか買ってもらえなかった。友達はみんな、新しいゲームで遊んでいたのに、ぼくはその輪の中に入れなかった!こんなみじめな思い出、燃やし尽くしてやる!」
妖が火を消そうとしても無駄だった。この店は男の記憶・願望を読み取ったものなのだ。男がここを燃やすことを望んでいる以上、もう止めようがなかったのだ。妖は炎に焼かれ、悲鳴を上げながら消えていった。
男が気が付くと、そこにはもう何も無かった。男の目の前にあるのは、ただの石の塀だった。男は駄菓子屋の記憶を、綺麗さっぱりと忘れ、晴れやかな気持ちで自宅へと帰って行った。
おわり