5話
お咎めがなかったのは良かったが、皆が気にせず話をしている間も、この倒れて気を失っているアダン・グリストフ様。
放置状態というのは少し不憫に思えた。
そう思うのは私の偽善かもしれない。勿論、嫌な思いをした方は私以外にもいるようだし、実際に私は掴まれた手首が痛かった。
痛かった。痛かった?あれ?そう言えば、もう手首が痛くないな。
見てみると掴まれていた所は、赤みや痣すらなかった。あの時はとても痛かったが、痛みを感じただけで、赤みや痣にならずに済んだのかな。今は出てないけど、後から出てくる?
まぁ、だからと言って彼の行為が許される訳ではないから、この放置状態は自業自得と言うべきなのかもしれない。
でも······。だからと言って、このままにして置くのはいいのか······?
一応、シルフィード公爵令息様は従兄弟だと言っていたので、きっとこの現状を何とかして下さるだろう。
「あの、私がこんな事を言うのは何なのですが······」
「どうした?」
あぁ~眩しい笑顔。
「えっと······このままは良くないかと思うのですが······」
「······嫌なのか?」
「嫌か······と聞かれましたら、良くはないのかな?と······」
「······そうか、俺はこのままがいいと思っていたのだが······」
いや、駄目だと思いますけど?あれ??
あまり変わらないようにも見えたが、しょんぼりと悲しそうな顔にも見える。
微かに変わるそんな表情も素敵で、つい見入ってしまう。
そうじゃない!違うよ。シルフィード公爵令息様の微かに変わる表情ではなく、倒れているのを放置は良くないって事。
「いくらいけない事をした人だとしても、倒れていたら手当てをしなくては!と思うのです!」
意を決して私はシルフィード公爵令息様に言った。
すると、大きなペリドットの瞳が更に大きく見開き、ややあってからくくっと笑い答えてくれた。
「何だ、そちらの事か······」
「ん?そちら?」
「こっちが嫌なのかと思った······」
そう言って、ずっと握ってくれていた手を少し上げた。
「あっ、ちっ、違います!これは嫌じゃなくて、あの、その······」
お互い違う事を言っていたと気付かされ、何故か握られたままでいたのに、その違和感に気付かなかった自分に驚いた。
二つの意味での恥ずかしさで、赤面してしまった。
「嫌ではないのならば、これはそのままで。あれはすぐに処理させる」
「えっ?そのまま?処理?」
「クルト」
「はい」
「!?」
シルフィード公爵令息様が名を呼ぶと何処から来たのか、サッと従者らしき方が現れた。
いきなり出てきた事で、私が少しビクついてしまったのは仕方ないと思う。
「これをあの部屋へ連れていってくれ。それと、叔母上にも事の次第を伝えておけ」
「はい。承知致しました」
従者のクルトさんはそんなに筋肉ムキムキではないのに、倒れていた方をひょいっと肩に担ぎ上げて颯爽と去っていった。
流石だわ。公爵家の従者はあれくらいでないと勤まらないという事ね。私は妙に納得してしまった。
「あれはこちらで処理をしておく。君は心配するな」
「······あっ、はい、ありがとうございます。シルフィード公爵令息様」
何だか手早く事が済んでしまったので、取りあえず笑顔でお礼をすると、何故かシルフィード公爵令息様は眉間にシワを寄せていた。
何か悪いことでもしたかしら······。
そんな事を考えていると、セドリックお兄様が漸く口を開いて、全力でまた私の心配をし始めた。
「リー!!お前は本当に心優しい子だなぁ~あんなゴミにも優しく出来るなんてなぁ~」
「セ、セドリックお兄様、く、く、苦しい······」
ギュット抱きしめて、頭をスリスリする行動は全力が過ぎるので、危なく落ちるところだった。有り難い事に、そこへ助け船が入った。
「セドリック、お前はユリウスを連れて会場へ行け」
「はぁ?何でリーじゃなくて、ユースなんだよ!!リーどうすんだよ!?」
「扱い酷~い。王子ですけど~?」
「ユースには他の護衛を付ければいいだろ!!」
「え~!他の護衛よりもリックの方が気楽なのに~」
「······」
「やだよ!リーと一緒に帰る!!お前んちがホストなんだから、アルがユース連れてけって!」
「······」
「······何だよ。何か言えよ」
「······」
急に雲行きが怪しくなり、難破船状態になった。セドリックお兄様は私を連れて帰りたいようで、シルフィード公爵令息様に帰らせるように訴えている。
けれども、私はここに来た目的を全く果たしていない。戻って他のご令嬢方との関係を作らねばならない。
でないと入学早々、ひとりぼっちになってしまう!!
元々、近隣の領地に私と年が近い子どもがいないし、お兄様達も友人を家自宅に滅多に呼ばない。
たまに呼んだ時に限って、私は外出しているので、会った事も挨拶した事もない。
セドリックお兄様は「自分が在学中なのだから気にするな。友人など直ぐに出来るし、寧ろいらない」などと言った。
そんなわけにはいかない。同学年の友人がいなくては、学年での行事やグループ分けなどで支障がきたす。
でも、今はそんな事情を伝える状況ではなさそうだ。
取り敢えず、何も言わずにこの難破船状態の様子を見よう!
世の中、自分ではどうしようも出来ない時には、海に浮かぶ葉のように漂いながら流れに身を任せるのも必要だ。
何より、セドリックお兄様達の関係は何だかんだ良好そうなので、私が下手に入ってしまうと面倒な事になりそうだ。