4月5日③:七峰志貴の野望
散歩を終えてパン屋へ。
響子さんがパンを買い行っている間、深参は僕と共に外で待つ。
「なー、志貴。米粉パンあると思う?」
「…」
あると思うよ、深参。
さっき窓から見えたもの。
自分に課している制限の都合上、口に出すことはできないけれど…答えは心の中に。
「おまたせ、志貴さん。深参君。米粉パン、あったから買っておいたわ」
「助かる。お前に好きだって言ったっけ?」
「志貴さんから聞いていたのよ。米粉パンとか、ふわふわした味無しパンが貴方の大好物」
「しき〜。わかってくれててうれし〜」
「私の志貴さんにデレデレしないでくれる…?」
「お前のじゃないし…俺の志貴だし…」
ふふふ。本当に二人は仲良しだ。
思ったことを素直に言えて、最後は笑い合える時間に落ち着く。
僕なんかいなくても、仲良しで居続けられるだろうと思える間柄。
羨ましいな、本当に。
「志貴はやっぱり幼馴染で親友の俺を選ぶよな〜」
「し、志貴さんは…その、私じゃ、だめかしら…」
確かに二人は僕にとって大事な存在だよ。
でも、そういうのは互いに言ってあげなよ。
僕が知らないわけではないんだよ。
二人が互いに思い合っている事ぐらい、分かっているんだよ…?
なんで僕にいうのさ。
ふと、自分の利き手を一瞥する。
包帯に包まれた火傷の跡は幼少期に。
家が義妹のいたずらで燃えて…部屋で寝ていた僕は逃げ遅れて、半身に火傷の跡が残った。
確か、小学二年生の時。親の再婚で…一時的に深参と離れていた時の出来事。
指が欠けた左手。右手は辛うじて五指あるけれど、一部は歪んでいる。
これは高校三年生の時。
…帰宅途中に拉致されて、暴行されて。尊厳を犯し尽くされた。
そして最後に、頭の怪我。
今は包帯で巻いているこの部分は、つい半年前の怪我。
色々傷ついた上に、穢れてしまったけれど、それでも僕は生きている。
まだ、やるべき事があると言われているかのように。
勿論それは僕も分かっている。
自分が何をすべきか。
何を成して、死ぬべきか。
「そういえば響子。次の仕事なんだけどさ」
「予定空けるわよ。打ち合わせいつ?」
僕の仕事は、響子さんが継いでくれた。
僕より演奏技術が遙かに卓越したピアニストだ。深参の理想は、彼女なら叶えてくれる。
凄いんだよ、響子さんは。
自慢の、ライバルなんだ。
「わ…見て、志貴さん。桜。綺麗に咲いているわ」
「座っている志貴でも見やすい場所にあるな。近くで見よう」
…花を愛でる趣味はないのだけど。
たまにはいいか。
あと何回、春を迎えられるか分からない身だ。
桜をこうして見られる回数は限られる。
目に焼き付けるほど、特別好きというわけではない。
けれど、三人で見られる時間は一瞬だ。
この時間だけは、愛おしく思う。
———本当に、二人を愛おしく思っていいのだろうか。
「綺麗だなぁ、志貴〜」
「あら、志貴さん。花びらが頭についてる」
「それはお前もだ」
「貴方もじゃない」
桜の花びらが僕に降り積もる中、深参と響子さんはお互いの頭に積もった桜の花びらを取り合う。
そうだ。選ばれるのは、時間があるもの同士でいい。
それに二人は、無垢な人達。
僕みたいに穢れきった人間には、相応しくない。
「ここの並木はもう滅茶苦茶散ってるな」
「これじゃあ志貴さんが桜で埋もれちゃうわ。早く出ましょ」
別に構わないさ。
今は桜、いつかは土に埋もれる身。
この病気がある限り、何年生きられるか分からない。
あの男の企みから、深参をどこまで守り切れるか分からない。
その企みに志夏ちゃんが辿り着いてくれるのを、僕は期待している。
あの子があいつの企みに気づけるまでの時間は、稼ぎきったと思う。
計画が動き出すのも、まだまだ先の筈だ。
少なくとも五年は…稼ぎきっている筈だ。
僕が深参達の———。
九重家の五男…九重清志を、巻き添えにして心中を仕掛けた半年前。
十八歳の僕からピアニストとしての人生を奪い、尊厳を踏みにじった事に対しての復讐では決してない。
そんな安っぽいことで、僕の命はまだ使い潰せない。
死してなお、あいつはまだ深参を狙っている。
「どうした、志貴。顔が険しいぞ」
「花びらに埋もれて気持ち悪いのよ。早く払ってあげましょう」
自分が自力で動ける事実を伏せてでも、七峰志貴の自我が死んでいない事実を伏せてでも僕にはやるべき事がある。
全ては深参から大事なものを奪うことを喜びにしているあの変態から、深参を守り切る為に。
僕の命が潰えるのは、この目的を果たし終え…深参が僕無しでも「大丈夫だ」と確信する時だ。
「…」
「どうしたの、深参君」
「いや、なんか…志貴が遠くに感じてさ」
「いつも側にいるじゃない。ね、志貴さん」
その瞬間を迎える時まで、僕は頑張るよ…深参。
僕の手を引き続けた君が、笑って明日を進めるように。
僕を置いて、駆けられるように。
今日もまた、僕は自分を大事にしている人達を欺き続ける。
全ては僕がいない先の未来で、深参が笑える未来を信じて。
ただ、進むのみ。