4月5日①:深参と志貴と響子の奇妙な同居生活
時刻は六時半。
九重九人きょうだいで唯一、離れて暮らしている九重深参はベランダから朝日を拝みながら、徹夜明けの頭に「朝だ」と言い聞かせる。
「朝だぁ…」
「朝ね、深参君。相変わらず徹夜をするような馬鹿で安心したわ」
「無駄に早起きだな〜響子」
「活動時間は朝の四時。ふらふらしながら貴方に朝ご飯を作り、部屋全体の掃除をしようとして、洗濯物を干そうとしてくる「あの人」を放置できるの?私はできないわ。貴方じゃないから」
鳴瀬響子。ここで暮らしている二人の青年とは高校時代から付き合いがあり、深参とは大学も同じ。
二人とは特別な間柄ではない。ただの気を許せる友達だ。
高校時代は顔を合わせる度に喧嘩をしていたが、今は落ち着いている。
今は、取り合っている場合ではないから。
「俺だってできねぇよ…てか、やっぱりあの状態になっても生活は崩れないのか?」
「全然よ。そしていつも貴方を探しているの。ね、志貴さん」
「…」
響子が連れてきた車椅子に腰掛ける金髪の青年こそ、深参の幼馴染で本物の同居相手。
七峰志貴。火傷の跡が残る顔の右半分を包帯で覆い隠し、虚ろな目を向けている。
昔は、自力で立てていた。自分で色々な事ができていた。
けれど、あの事故でこうなってしまった。
「ほら、深参君よ。おはよう、しましょう?」
「…」
半年前の事故以前に失い、歪になった左手を力なく伸ばしてくる。
伸びきる前に深参がしゃがみ込みながら距離を詰め、志貴の顔を見上げながら、伸ばされた手を、自分の両手で包み込んだ。
「おはよ、志貴。今日は体調が良さそうだな。朝の散歩でもいくか?」
「いいわね。朝ご飯どうする?」
「近くのパン屋で買おうぜ。できたてパン、どうよ」
「賛成。志貴さんは?」
「…」
「って…返事、ないわよね」
言葉にする度に、現実が重くのしかかる。
何度声をかけても、当たり前のようにあった返事はない。
視線すら向けられず、言葉だけが通り過ぎる。
その虚しさを飲み込んで、志貴の前で笑みを浮かべた。
「…志貴。先に、いつものご飯食べて、薬飲もっか」
「…」
「深参君、食事の準備は私がしておくから…顔、洗ってくるといいわ」
「…ああ」
響子に志貴を任せ、自分は洗面台に。
もう慣れた筈なのに、やっぱり慣れない。
『深参、朝ご飯の準備できてるよ』
『いつでも食事は僕が作るから、絶対に台所へ入らないでね』
『仕事に集中してほしいだけだよ。火災未遂のことは、気にしてないよ?』
『今日は深参の大好物だよ。半熟卵焼き。上手くできたと思うんだよね。自信作』
かつての朝は、もうこない。
冷水を顔に当て、酷い顔を元に戻す。
「はぁ…」
この家の洗面台も大分色々な物が増えた。
志貴が以前から使っていた薬。子供の頃に負った火傷が今も張る時があり、それを緩和するための薬が並べられている。
それから、火傷の跡を消す為の化粧品。響子曰く「舞台用のしっかりしていてお高いやつ」らしい。
残念ながら、深参も響子も化粧品に詳しいわけではない。ただ、そういうものなんだろうなと思うだけ。
それを使わないと志貴の火傷を違和感なく見せることはできなかった事だけは、理解していた。
それから…。
「きょーこー。洗顔料のストック買った〜?もうないぞ〜」
「妙に減りが早いと思ったら貴方も使っていたの〜?棚の下は〜?」
「なーい」
「今日買いに行くから、共同メモ書いておいて〜」
「りょ〜」
端末をささっと操作して、買い物メモに洗顔料の商品名を記載しておく。
少々伸びて不格好な髭を剃り、顔を洗って、寝癖を整えた。
鏡の前には、いつもの九重深参が立っている。
大丈夫。もう酷い顔はしていない。
「よし」
いつもどおりを確認して、洗面所を出る。
そしてまっすぐリビングに向かって…いつも通り、笑うのだ。
「響子、ご飯どう?」
「できているわ」
「じゃあ、俺がやっておくから…着替えてこいよ」
「助かるわ」
役を交代し、今度は深参が志貴の前に。
その間に、響子は自分の事へ取りかかる。
二人の朝は忙しない。
けれど、二人はどんな状況に置かれようとも、志貴のことを見捨てない。
深参は親友で相棒で、大事な人物だからこそ。
響子は友人で初恋で、愛した人物だからこそ。
そして互いに同じぐらい志貴を大事にしている存在を、見捨てることなどできやしなかった。