4月4日②:一馬兄さんと一緒
「それで、司。なんで地下室に来ようとしてたの?」
「かずにーに、咳酷くって…胸、きゅって…抑えて」
「血は出てた?」
「?出てない、けど…」
「咳の合間に息の音は聞こえた?」
「うん。ひゅーひゅーって」
「なるほどねぇ」
焦る司の横で、奏は冷静。
呑気にコップにジュースを注ぎ、司に手渡す。
緊張で喉が渇いていた司からしたら…それは命の水も同義だった。
二人でコップ一杯、一気に飲み干して、一息ついた。
「ぷぺー」
「ぷ…って、そうじゃなくて!早く、かずにーにのところ!」
「大丈夫、大丈夫。落ち着きなされ司」
「落ち着いてられない!」
「そう思う気持ちは分かる。私もそうだった」
「かなねーね…」
「どこから説明しよっかな。まずね、一馬兄さんは」
「司〜…いる〜?」
「一馬兄さん」
「かずにーに!」
噂をしたら渦中の人物がやってくる。
少し疲れた顔をしているが、咳は落ち着いていた。
「具合は平気?」
「大丈夫だよ、司。それよりも、一人で階段降りられたね、凄いね」
「でも、怖かった」
「じゃあ、怖くなくなるまで一緒に降りよう。約束ね」
「ん…。あのね、それから、せき…」
「ああ。ちゃんとお薬飲んだから。もう大丈夫だよ」
「ほら、司。大丈夫だって言ったでしょ?」
顔はまだ青いけれど、それでも普段通りに振る舞う一馬。
一馬の言葉と奏の言葉。本来であれば信じるべきものだ。
けれど、今は…信じられない。
疑いの眼差しを察知した二人は顔を見合わせ、司を連れてソファに腰掛けた。
「まずはありがとう、司。奏を呼びに行ってくれたんだよね」
「ん…でも、意味は」
「一馬兄さんが辛そうだったから、大事を考えて私を呼びに来たんでしょ。司は偉い!」
「でも、奏姉さん大丈夫だって…」
「だって、喘息の発作だってすぐ分かったし…」
「ぜんそく?」
「司にはまだ伝えていなかったもんね。咳が酷く出ちゃう病気のことだよ」
「咳き込みながら胸を押さえて、ひゅーひゅーって呼吸音がしたんでしょ?それが症状」
「そうなんだ…でも、なんで苦しくないの?」
「今はお薬を飲んだから、発作が落ち着いたんだ」
司がほっと息をつくのを確認した後、一馬はポケットの中に入れていた吸引器を司に手渡す。
その手の上に置かれた物を司は身を乗り上げ、
「これがお薬?」
「中に入っているんだ。苦しい時、これをこうして…吸うんだよ」
「そっか。咳が辛いと、お薬お水で飲めないもんね。凄いねぇ」
「でしょ〜」
「ま、それが必要じゃない生活が一番だけどさ〜」
「その通りだね、奏。僕はこれに頼る生活をしているけれど、司や奏には、こんな物を使わずに健康で過ごしてほしいなって言うのが僕の願いだよ」
「健康…」
「そう言われたら、頑張らないとって思うね」
「では、手始めに好き嫌いをなくすところから。司はピーマン。奏はタマネギ。食べられるようになってね」
「「それとこれは別じゃない?」」
「別じゃないよ。音羽は僕の健康に気を遣って、皆にも栄養バランスが摂れた食事を提供してくれている。二人が学校や幼稚園で食べている給食だってそうだよ。まずは食生活からね。お残しは音羽が悲しむから、だーめ」
「「はぁい…」」
「いいこだね。二人とも。そんないい子の二人と…こっそりケーキでも食べに行っちゃおうか」
「「ケーキ!?」」
「近くのケーキ屋さんでね。この前、副業のお金が入金されたし…皆には内緒だよ?」
「一馬兄さん、バイトでもしてるの?」
「フリマアプリでハンドメイド品を売っているんだ。大学の学費程度には貯まったよ」
「「どんな荒稼ぎを…」」
「趣味と呼べる趣味がこれぐらいだからねぇ…運がいいことに軌道に乗ったし、バンバン稼がせて貰ったよ」
本当はそれだけじゃない。
確かにハンドメイド品の販売だけで、残りの学費を稼ぎきった。
その言葉に偽りはない。
ただ、副業収入は他にも存在している。
相談役としての収入。名前を出すのも難しいお偉い人の悩みを聞いて、答えを導く。
彼は誰よりも脆弱だが…誰よりも、聡明だった。
幼少期から異様な記憶力と頭の回転の速さを誇り、知識を加えることで異様さに磨きをかけた。
その才を手中に収めたい派閥は多い。
しかし彼の望みは「司の成人までは九重家の長男として穏やかに暮らすこと」
その願いを聞き入れられなければ、自殺すると周囲を脅し…願いを聞き入れさせた。
「一馬兄さん、体調は平気?」
「五分で着くケーキ屋さんに行くぐらい平気だよ…多分」
「たぶん…」
「二人が手を繋いでくれたら、大丈夫かも〜」
「わかった」
「仕方ないなぁ」
奏と司、二人と一緒に外出の準備を整え、家を出た。
春の日差しを浴びながら、温かい時間を過ごしていく。
両手で手を繋ぎ、前を歩く時間はたったの一時。
「かずにーに、、白線歩きたい」
「私も私も」
「わかった。車が来たら内側に来てね」
「「はーい」」
日向の下で白線を踏み、楽しそうに歩く姿を、日陰の道で見守る。
いつかこうなる未来は近い。
二人の成長をどこまで見守れるか。
見守りきる前に病で死ぬか。
見守った先で自分が望まない道に連れて行かれ…二人の歩む先を見守れなくなるか。
それ以外か…どうなるかなんて、一馬にもわからない。
けれど、できるだけ。長く。
この白線のように、見えない先まで、見守れたらいいと切実に願う。




