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明日

 無数の視線が一斉にリリヤに向いた。今この場で、誰が貶められていたのか、グラシスが誰を皇妃として迎えたいのか、推察できないほど愚かな者はいない。

 驚く周囲よりも、さらに驚いているのはリリヤ本人だ。

 確かにグラシスに求婚のようなものをされていたが、それがどこまで本気なのか計れないでいた。だが王女を前に口にするのならば、思っていたよりも本気なのかもしれない。

 リリヤの胸が期待に高鳴った。

「さあ、先程の娘――ロザンヌだったかな。君は本当に真実を口にしたのかい?」

 突然水を向けられて、一瞬怯んだロザンヌだったがすぐに哀れな表情を作る。

「勿論です、皇太子殿下! 私は何一つ嘘をついて――」

 だが言葉は途中で止まる。ロザンヌはグラシスと目を合わせたまま、ボウッと言葉を失っていた。グラシスはゆっくりと声をかける。

「真実を教えてくれるかな」

「ええ、ええ……もちろん、ですわ……」

 ロザンヌはまるで熱に浮かされたようなうっとりとした表情になった。

「私の家は裕福ではないので、裕福な伯爵家に嫁ぎたいと思いましたの。ヴァハル様はまさにうってつけで、何度か笑いかけて馬鹿な女のフリをしたらすぐになびいてくれました」

 邪気のない笑顔でロザンヌはとんでもないことを自白し始めた。

 グラシスは動じる様子もない。これが、皇気の力なのだ。

「そう。それで、悪いのは誰なのかな」

「悪いのは……ヴァハル様ですわ。私だけじゃなく、他にも浮気相手はおりますもの。だけどいいんです、私は伯爵夫人の座を手に入れられればそれだけでいいの」

 ロザンヌの言葉に、今まで無言を貫いていたヴァハルが立ち上がった。

「う、嘘だ! でたらめだ! ロザンヌ、どうなってるんだ! 君は僕を愛しているんじゃ無いのか!」

「愛していますよ。貴方を、次期伯爵をね。ヴァハルだって同じでしょう。可愛くて、自分より劣って、足りない自尊心を満たしてくれる女なら誰でもいい」

 にっこり微笑むロザンヌが紡ぐ言葉は恐らく真実だろう。

「こ、このっ! お前のせいで、僕の評判は滅茶苦茶だっ!」

 皇気にあてられフワフワと微笑むばかりのロザンヌに向かって、ヴァハルは手を振り下ろす。だがそれはグラシスの手によって遮られた。

「王女、どうやらこれが真実らしいよ。これが君の国では当たり前なのかな? 未来の妃相手に、随分酷い事を仕掛けてくれるね」

 わざとらしい問いかけに、王女はやれやれとため息をつく。

 掴まれたままギリリと締め上げられた腕が痛いのか、ヴァハルは「ヒイイ」と情けないうめき声を上げていた。グラシスがパッと手を振り払うと、その衝撃でヨタヨタとよろめき尻餅をついた。

「分かっているくせに……そんな訳がないでしょう」

「そうだよね。安心した。それで、どう終わらせてくれるのかなお姫様」

「城内、それも貴賓の前で随分なことをしてくれましたね。お二人とも、沙汰は追ってお伝えします」

 王女がチラと後ろに視線をやると、控えていた騎士たちが二人を捕縛した。まだ皇気の効果が残っているのか、ロザンヌはニコニコとしたまま大人しく、抵抗するヴァハルと共に連れられていった。

「ま、大した罪にはならないと思うけどね。こちらとの表舞台には出さないように」

 口元は笑みの形を作っているものの、グラシスの目は底冷えする程に冷たかった。強国の皇太子、その露骨な威圧を受け流す王女も大した人物だろう。

「全くもう……遅すぎる初恋は人をダメにするって良い反面教師になったわ。リリヤ、貴女も面倒な男に好かれたものね」

「へ……っ」

 突然水を向けられ、リリヤは慌てた。

 まだ自分の目の前で起こったことに現実感がなかった。98回勝ち誇っていたロザンヌも彼女を愛したと言っていたヴァハルも、最後にはお互いを罵りあいながら退場していった。長い間リリヤを苦しめていた二人が、あんなにもあっけなく。

 それから皇子であるグラシスの言葉も、まだ自分は夢を見ているような気持ちでいた。リリヤにとって都合の良い、これは夢なのかもしれないと。

 そんなリリヤをよそに、グラシスは彼女の目の前に跪いた。

 よく見れば二人の衣装に使われている生地は同じものだ。借り物だと思っていたドレスは、グラシスが用意させたものだったのだ。

「リリヤ、君が好きなんだ。どうか俺と結婚してくれないか」

 手を取られ、そんな風に懇願される。

 それを確かに嬉しいと思うが、リリヤにはグラシスに好かれる理由が分からなかった。リリヤにとって自分は、せいぜいこの国の公爵令嬢という価値しか差し出せない。

「初めて見たときから、分かっていたんだ。こうやって君を好きになるって」

「……どうして?」

「寝っ転がってた君が可愛かったのもあるし、毅然と俺を注意する真っ直ぐな態度も気に入ってたけど」

 リリヤの好きな、グラシスの瞳が優しく細められる。

 それだけでリリヤは泣きそうなくらい嬉しくなるのだ。触れた手を、もう二度と離してほしくない。

 グラシスはリリヤの手を握り立ち上がると、そっと耳元に唇を寄せた。

「内緒だよ。歴代の皇帝はさ、妃には皇気が全く効かなかったんだ」

「それって――」

「運命だなんて陳腐な言葉、君は信じてくれる?」

 そう言ってグラシスはリリヤの目元を拭った。それでもボロボロと溢れる大ぶりの雫を、愛おしげに唇で吸われる。ギュッと抱きついたリリヤの態度が、全ての返事だ。

 王女の呆れたような声がかかるまで、二人は抱擁を続けたのだった。



◆ ◆ ◆


 99回目の巻き戻りは、とうとう最終日となった。

 七日目の朝だ。

 リリヤは昨晩帰って来ていた両親と共に、応接室に座っていた。テーブルに向かい合って父と母、そしてリリヤの隣にはグラシスの姿がある。

 両親はリリヤと入れ違いに城に呼ばれ、明け方まで戻ってこなかった。今朝になって朝食をとっていたリリヤの元に、グラシスと共に現われたのだった。

「話は全て聞いたよリリヤ。辛かっただろう」

 両親にとってはほんの数週間ぶりだろうが、リリヤにとっては二年ぶりの再会だった。色んな感情が胸に溢れて、言葉にならなかった。

 顔を横に振りながらも無言で涙をこぼす娘を、両親はどう思ったのか。身を乗り出し駆け寄って、父も母もリリヤを抱きしめた。

 子供の頃のように泣きじゃくるリリヤの髪の毛を、母親は同じように涙を浮かべて撫で続ける。

「リリヤ、王女とも話をしたんだ。あの二人はそれぞれの領地に軟禁となる。王都へは今後来ることも、社交の場へ顔を出すことも叶わないだろう」

「実家である伯爵家と子爵家には、私たちの方からも圧力をかける。今後あの一族に良縁は難しいかもしれないが、リリヤの受けた苦しみに比べたらたいした事はないだろう」

 思っていた以上の処罰に、リリヤはそれをやりすぎではないかと思ったがすぐに考え直した。彼らは知らないかもしれないが、リリヤは99回も彼らの身勝手で傷つけられてきたのだ。それに躊躇いもなく他人を踏み台にしようとする人間を放っておくのもよくないだろう。

 その考えは今までのリリヤとは違う。こんな風に変わった自分が不思議だった。

「それでリリヤ、式はいつになるのかしら?」

 母の言葉に、部屋の空気が凍り付く。

「はっはっは。リリヤは皇太子妃が務まる器ではありませんのでね、このままこの国で静かに暮らすことにさせますよ」

「おやおや、父親というのは厄介だ。可愛いリリヤをいつまでも手放さないんだから、子離れをそろそろした方がいいんじゃないかな」

 二人の間に、バチバチと飛び散る火花が見えた。

 不穏な、だけど幸せな空気だ。リリヤは幸せに胸が一杯で、涙が溢れそうになる。あの悪夢のような繰り返しの中では得られなかった幸福だ。

「明日――」

 リリヤは呟く。

 今日で巻き戻りの七日目だ。明日にはまた、あの腹が立つ婚約破棄の日へと戻るのだろう。だけどいいのだ。今回の99回目は、あの二人をやり込めることができた。また次回の巻き戻りで何か仕掛けられようとも、もうリリヤは怖くない。

「もし明日、グラシィ――貴方に会えたなら。すぐにでも皇国に連れて帰ってほしいわ」

 巻き戻りで残された時間はもう終わる。だからもしも万が一、明日もグラシスに会える未来があるのなら、もう二度と離れたくない。

 リリヤの切実な願いに、グラシスは喜び抱きしめた。

 それから父にそれを咎められ、また二人の間で火花が散る。

 母と一緒にそんな二人を見てクスクスと笑う、実に幸福な空間があったのだった。


 そうして新しい朝日を迎えたリリヤの元に、大輪の薔薇を抱えたグラシスがやってくるのは、そう遠くない翌日の話だ。



 


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