さあ?
その凜とした幼い声に令嬢は皆立ち上がり、礼をする。
日傘を侍女に持たせ、薄紫色のドレスを着こなした王女殿下がいつの間にか立っていたのだ。そしてその隣には――。
「グラシィ……」
思わずリリヤの口から名前が溢れた。どうしてここに、いや、この場が用意されたのはされた事を考えれば自然な事なのかもしれないが。リモッシア皇国式の略礼装に身を包んだグラシスは、リリヤの視線にパチンとウインクを返した。
一歩遅れて慌てて礼をしたロザンヌとヴァハルは、俯いたまま唇を噛んでいる。潔癖なことで有名な王女の前で醜聞を晒してしまったのだから当然だろう。
父親である国王に最も愛されているのがこの末王女だ。王女の一言で社交界での立場がどう変化するか、それを知らない者はこの場にいない。
「淑女らしからぬ話はここで終りにしなさい。さあ、お茶会を楽しみましょう」
馬鹿げた話はここまでだと、王女は終止符を打ったのだ。
周囲は既にどちらに非があるのか判断し終わっているだろう。
そしてグラシスの顔を見て、リリヤはホッと肩の力を抜いた。どうしてだろうか、こんなにも心が跳ねる。
「お待ちください王女様! わ、私は間違った事は言ってませんわ!」
既に次の話題に移ったはずだったが、ロザンヌは王女に向かって蒸し返す。
「ほう?」
ゆったりとした笑みを浮かべ、王女はロザンヌに顔を向けた。
その表情を見て、ロザンヌは明らかに安堵の表情を見せる。だが子爵令嬢のロザンヌは知らないのだろうが、王女のこの表情は気分を害しているときに浮かべるものだ。
「ここにいるヴァハルと私はずっと愛し合って来ました! そこに公爵令嬢という立場を使って割り込んできたのがリリヤ様です! 私たちはただ、真実の愛のまま手を取り合っただけなんです!」
「つまり?」
話を聞く姿勢を見せた王女に、ロザンヌの調子が戻ってきた。
目に涙を浮かべて、いつものような砂糖菓子の雰囲気を纏わせる。
「このままでは皆さん私たちが嘘をついていると思われるでしょう。しかし真実を明らかにしたいのです。愛し合う私たちを引き裂いた悪女、それでいて婚約破棄を受け入れられず見苦しく足掻いたのは誰かを、きちんと知ってほしいのです!」
先程の態度と打って変わって、小刻みに震え無実を訴えるロザンヌは可憐に見えた。
一瞬リリヤはグラシスを見てしまった。彼がロザンヌを信じるかもしれないと思ってしまったのだ。他の誰に誤解されようとも、グラシスにはされたくない。リリヤは強くそう思った。
そして何故そう思ってしまうのか、こんな状況にも関わらず自分の気持ちに気づいてしまったのだ。
(私、グラシィの事が――)
好きなのだと。気がついた。
だが先程までリリヤに好意的だった空気が、ここに来て変わってしまった。
小鳥のように可憐なロザンヌと、それに同調するかのような王女の態度。分かるものが見れば王女は何一つ肯定していないと分かっているのだが、ただその数は令嬢の中ではそう多くなかった。年若い王女がどちらを良しとするか――王女の上辺だけを見ている者は、ロザンヌの肩を持つかもしれない。
「つまり貴女がた二人にとって、それらは嘘偽りのない正当な理由なのだと?」
「ええ、ええ! もちろんです! 私は何一つ嘘を申しておりません!」
どれだけ嘘をつけば気が済むのか。リリヤはあまりのことに怒りで言葉を失った。
婚約破棄をしたことはもうどうでもいい、浮気をした結果捨てられたことも99回目ともなればもはや許せた。
だが自分たちのためにリリヤに全ての責任をなすりつけ、あまつさえ陥れようとありもしない嘘まで真実のように語るのは許せなかった。
ギュッと握った手のひらに爪が食い込む。痛みは怒りで感じない。
お待ちください――そう声を出そうとしたが、先によく通る声が響いた。
「嘘だね。その令嬢は嘘をついている」
声の持ち主は、グラシスだった。腕を組み、冷めた瞳でロザンヌを見ている。
その助け船に、リリヤは泣きそうになった。孤立無援のこの場所で、リリヤの味方をしてくれる人がいる。
何者なのか分からない周囲はざわつくが、王女が手を挙げる事で場を鎮めた。
「彼はグラシス・ジェ・リモッシア。私の友人でもあり、リモッシア皇国の皇太子です。そして――リモッシアに伝わる真実の目を持つ唯一の人間」
王女の言葉に、会場は驚きの声に溢れた。
まさか強国の皇太子が来ているとは思わなかったのだろう。
「真実の目なんて大袈裟だな。皇気を持っているだけだよ」
リリヤは知り得なかったが、王族にとってリモッシア皇国の皇気は常識なのだろうか。他人を意のままにできるという皇気とは、どこまでの範囲で有効なのかはきっと他国には教えられるものではないだろうが。
「でもリモッシア皇国始まって以来の強力な目だと聞いていますわ。どうぞ末永く我が国と仲良くしてくださいね」
敵に回したくない、そうまっすぐ伝える幼い王女の言葉にグラシスは苦笑した。
「さあ? 未来の皇妃を意図的に貶められた場合は、それも叶わないかもね」