32.シェサール辺境伯
私は食堂の手伝いをし終わると、足早にアドベントゥーラの街を出た。
冒険者ギルドから一番近い門は中央門。でも、私が携帯食屋として活動してからはオチュード村に一番近い東門を使っている。ちなみに東門は、初めて一人で来た時に特別に通して貰ったが通常は魔の森でスタンピードが発生しない限り通行禁止らしい。
なのに、私がなぜ使用出来るかと言うと事前にちゃんと根回しをしたから。その根回しというのは、携帯食屋を始める事を街の長つまり町長に挨拶をしに行ったから。
アドベントゥーラの町長は世襲制で、領主様の親戚筋の家らしい。ちなみに領主様には、一度村長と共に挨拶に行っている。
領主様のエアースト・シェサール辺境伯は、先祖代々魔の森の守り主の一族で使用人も含め全員が戦うことに長けている。シェサール辺境伯は、元竜騎部隊でガタイが良く豪快な方だった。挨拶に伺った際も、私の料理の話になると「ぜひとも食したい!」と言われ、料理を作った結果辺境伯家の皆様の胃袋を掴んでしまった。
その時、厨房にいた料理人の何人かが交代で村長宅に料理研修の為に働いている。そして、週に二度ほど私が料理を教えている。といっても、スマホに保存していたレシピを見ながら作っているだけだが……。
ここからはその時に聞いた話だけど、領主様には出来の悪い弟がいるらしい。プライドだけが人一倍高く、自分が動くよりも人を動かす口だけの人。しかも選民思想があり自分より下位の者を虐げる傾向があるらしい。そして辺境伯を継ぐのは自分だと未だに言い続けているそうだ。
だが、辺境伯家の後継者になるためには、騎士として副団長以上の役職を務めるか、冒険者ランクのS以上になることで後継者候補として領地経営のための学びの機会を得ることが出来るらしい。もちろんエアースト・シェサール辺境伯も竜騎部隊の副隊長を5年ほど勤め、後継者候補になり領地経営を学んだ上で辺境伯となった。
で、その弟さんはというと獣騎部隊に入隊したものの、新人教育と雑務に嫌気がさし早々に除隊。冒険者としても鳴かず飛ばずで冒険者ランクもC止まり。だから、もちろん後継者教育なんて受ける資格もなく、兄のエアースト様に対して嫉妬をしているそうだ。
しかし、良いも悪いも人を使うことには長けていたので先代の辺境伯が慈悲で、もう一つ所持していた爵位の男爵位を渡した。それが、トラッシュ・カサドル男爵。
トラッシュ・カサドル男爵の領地は、オチュード村やアドベントゥーラの街があるシェサール領の隣。隣と言っても領都のオチュードから馬車で5日ほどかかる場所にある。しかも、道中にあるのは森と村が二つあるぐらい。
そんな所から、どこからか聞いた携帯食を買い求めにやって来るのだから、お使いの人も大変だろうとは思う。……が、並びもしないで横から掻っ攫うような行為を、私は絶対許さない。
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「ーーってことがあったの」
「またかのぉ。アイツも懲りん奴じゃのぉ」
「一度、シェサール辺境伯に相談した方が良いかな? このままだと、もっと面倒なことになりそうで」
「そうじゃのぉ。ワシからエアーストに話しておくかのぉ」
村長は翌日、早速シェサール辺境伯に連絡してくれた。仕事の早い辺境伯は、すぐに返信をくれた。要約すると……。
『自分の方にもギルマスやその他から連絡が上がっている。今の段階では、決定的な迷惑行為をしていない為にもう少し我慢して欲しい。もし、相手側からの実力行使があった場合、反撃を許す。大丈夫だとは思うが、それに併せてイツキにお手伝いという名の護衛を付ける。ってことで、よろしく〜』
と、いう事らしい。
「お手伝いって誰だろ?」
自宅のキッチンで卵焼き用の卵をかき混ぜながら考える。護衛というからには私よりランクが上の冒険者だと思うが、全く思い当たらない。
トントントン。
「イッちゃん、いる?」
ドアを開けると、アポロ婆ちゃんが小さく手を振って立っていた。その後ろには、いかにも魔術師のようなローブな身なりの私より少し背の低い人。二人をリビングに通してソファーに勧めて、お茶の準備をする。
「アポロ婆ちゃん、今日は王都に行ってたんじゃないの?」
「行って来たわよぉ。……ほら、いつまでフードを被っているの」
ソファーに座ってからずっとキョロキョロしていた人は、フードを取ると黒髪に水色の瞳の女の子だった。アポロ婆ちゃんの説明によると、魔法省に所属している魔術師で月に何度かアポロ婆ちゃんから指導を受けているらしい。つまり、アポロ婆ちゃんのお弟子さんだ。
「ほら、挨拶なさい」
「は、はい。えっと、あたしはステラ・シェサールです。あの、その……よろしくお願いします」
「ステラ・シェサール様。ん? シェサール? 辺境伯様の所の?」
「はい。シェサール辺境伯家の次女です」
「あっ、噂の末姫様?」
シェサール辺境伯家には三男二女の子沢山。その末っ子が、今私の目の前で真っ赤な顔でお茶を飲んでいるステラ様。