転生物について
もはや最近とさえ言えないけれど転生物がずっと流行っている。
しかし私には不思議でならないことがある。
転生するっていうことは要するにリセットするということだ。 前世のしがらみを断つ。 たいていの話はこうだ。
不遇な境遇の前世。 事故なりなんなりで死亡あるいは転移。 新しい世界で恵まれた環境や仲間に囲まれて、与えられた才能で大車輪して幸福な結末をつかむ・・・。
多分に悪意の混ざったとらえ方かもしれないけれど、小説の個性がなくなるくらいものすごくざっくり要約したらかなりの割合の話がこんな感じだと思う。 まぁ別にそれぞれの小説の細かい話の内容の差とかは今はいい。
私は思うんですよ。
幸せになるのに必ずしも転生する必要性ある?
ああ、もちろん物語の設定上の都合として、魔法とか使えたり中世風の世界観が欲しかったりというのはわかる。 ただそれは主人公の幸福に直接結びつく要素ではなかろう。
私が言いたいのは、幸福を得るのに転生を行わなければならない必要性があるのかどうか、そこに疑問点があるということだ。
いや別に転生物というジャンルに喧嘩を売っているわけじゃない。 現地ものからの刺客ってわけでもないつもりだ。
でも正直必要性「必ずしも」ないよね?って。 なんかよくわからないけどとりあえず転生だけさせました!とか言われても最近の読者は白けるだけみたいなところもあると思う。 ぶっちゃけもう最近は様式美とかいうレベルなのがほとんどなのが実情でしょ。 転生させる「意味」、そこをまじめに考えないで転生させる話作っても読者はタイトルにひかれて寄ってきたとしてもすぐ飽きて読まなくなってしまうもんだと思う。
じゃあなんで転生物はまだはやってんの。
と言いつつ個人的な考え方だけれどなんとなく理由もわかっている。
リセットを行わなければならない。 というのは話がスタートする時点の、つまり最初のままでは幸福になれないということ。 幸福になる道筋がない。 今現在が不幸。 そういった前提がある感じがする。
なんとも不健康な話じゃないか。
なんとなく背景にあるものはわかる。 人間って割合自分と同じような境遇の話を書くものだし、各小説に出てくる主人公はたいてい自分の理想像だ。 ことこのなろうでは特にこの傾向は強いと思う。
そしてそれはつまり、話を書く本人自身が、自分があまり幸福ではないと思っているということではないか。 そういう人たちが、せめて自分の書く小説の中では、みたいな感情が影響はしてるんじゃないだろうか。 してそう。 少しはしてるでしょ。 言い方悪いけど、小説書いたり読んだりすることがストレス解消みたいなことになってる側面はあるんじゃないかと思う。 別にそれは悪いことじゃないとも思う。
まぁ流行があるから、というのもあるだろうが、そもそも流行したのはこういった境遇の内容に少なからず共感があるからだろう。 同じようなことはざまぁ系なんかにも言えると思う。
最終的に何が言いたいかっていうと転生物がはやった理由って考えてみるとあんま笑えないよねっていう話でした。
別に社会的な話をしたいわけじゃないし、いろいろ異論なんかもあるだろうとは思うけど、一つの論として見てほしい。
これから読む転生物が楽しくなくなっちゃっただろうが、というのには謝ります。 責任はとれませんが・・・。