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85 休戦と猶予

 敵情視察を終えた翌日。

 アルメは両手に大きなミルク缶を持って、通りを歩いていた。これはミルクアイスに使う牛乳だ。


 契約している街の牛乳屋から受け取るついでに、生クリームの仕入れの相談もしてきたところである。

 

 牛乳屋の店主は快く応じてくれた。牧場にクリームを分離する機械があるそう。少し値は張るけれど、ありがたく注文させてもらった。

 これでより美味しいパフェを作れそうだ。


 そして注文ついでに、キャンベリナの店のミルクアイスとアルメの店のミルクアイスの味の違いについても、意見を聞いてみた。


 店主曰く、やはり牛乳の成分の差ではないか、とのこと。


 キャンベリナの店のやり方はわからないが、こちらは牧場直送の生乳からアイスを作っている。そこで何か差があるのではないか、という意見をもらった。


 こちらのミルクアイスの方が濃厚で美味しかった、と伝えると、牛乳屋の店主は胸を張って満面の笑みを浮かべていた。


 牧場は一族で経営をしているらしい。『この話は家族にも伝えておく』とキラキラした顔をしていた。



 午前中に材料を仕入れて、午後からは店でアイスを仕込む。昨日の今日だが、なんてことない、いつも通りの日課である。

 

 昨夜は生まれて初めて貴族令嬢の格好をして、ハラハラしながら敵地に潜入し、ちょっとした修羅場もくぐり抜け……そして、最後には一時だけ『お姫様』にもなってしまったのだけれど。


 あっという間に魔法は解けて、いつもの一日が始まった。


 競合店――キャンベリナの店に対して思うところはあるし、同時に大きな目標もできた。が、これらは数日のうちに解決できるような問題でもないため、考えつつ、一時保留だ。


 ……保留にしているうちに、向こうの店に負けてしまわないか、というところは心配だが。常に動向はうかがっておこうと思う。


 ――そういうわけで、家に戻る前に、アルメは少し寄り道をすることにした。

 

 寄る場所はキャンベリナの店である。早速だが、様子をうかがいに……。


(昨日はなんとか抜け出せたけれど……あの後どうなったのかしら。ちゃんと白鷹様疑惑は払えたのかな……)


 店の中には入れないが、外からチラッと覗いてみることにする。昨夜のキャンベリナの騒ぎが無事に鎮火しているかどうかの確認である。


 今、店はどうなっているのか……。変に騒ぎが広がらずに、こちらの店も、なんてことない日常に戻っているといいのだけれど。



 少し緊張しつつ、通りを歩いていく。


 店の外観が見えてきたところで、アルメはパチリとまばたきをした。


「あら? 今日は馬車が一台も停まってないわね。お休みなのかしら?」


 オープン初日から客入りのいい彼女の店には、常に沿道に馬車が停まっている。――が、今日は見当たらない。


 休業日なのかもしれない、と思いつつ近寄ると、玄関扉に張り紙があった。そこには申し訳程度に、お知らせが綴られていた。


『一時休店のお知らせ』から始まる一文が。


 ざっと目を通して、アルメは目をまるくした。


「休店……? まだオープンして間もないのに……やっぱり、昨日の揉め事のせい……?」


 ポカンとしたまま店先に立ち尽くしてしまった。まさか店が閉まっているとは思わなかった。


 急な休みとなると、やはり昨夜の騒ぎが影響しているとしか考えられない。一体、どうなったというのか――……


 と、心の内でうろたえていると、近くから声がかかった。


 ハッとして振り向くと、側に女性が立っていた。

 真っ赤な口紅が美しい、スラリとした姿の女性だ。パンツスタイルで、少し男性的な格好をしている。


 この女性は、前にアルメの店に来ていた女性だ。そしてカフェ・ヘストンでも、見かけたような気がする人。


 女性はあきれたような、やれやれ、といった調子で、気安く話しかけてきた。


「こんにちは。お知らせ、見ました? 一時休店ですって。表通りの『ティティーの店』はスタートはよかったのに、思わぬ後れを取りそうね。まぁ、それなりにお金はかけているみたいだから、そのうち再開するでしょうけれど」

「え、っと、あの、あなたはこの前、うちのアイス屋にご来店いただいていた――」

「あら、嬉しい。覚えていてくれた? 私、グルメライターなの。あなたのお店のアイスのファンよ。どうぞお見知りおきを」


 女性は真っ赤な唇で綺麗な笑顔を作った。


 その笑顔に、ほんのちょっとだけ、胡散臭さのようなものを感じてしまったのだけれど……あまりにも失礼なので、忘れることにする。


 呆けるアルメをよそに、自称グルメライターの女性はペラペラと喋りだす。


「気になっていたのだけれど、こっちの店はあなたとは関係のない店なのよね? 名前と看板が同じだけれど」

「まぁ、はい」

「どうして路地奥の庶民の店を再現したのかしら。何か理由があるのでしょうね」

「それは……」


 なにかお喋りを誘導されている感じがして、アルメは冷や汗をかいた。ライターは怪しげな笑みを浮かべている。


 ヒヤヒヤしながら口ごもると、彼女はパッと話を変えた。


「私、この店にも二回ほど来てみたのだけれど、ミルクアイスはあなたのお店の方が美味しかったわ。やわらかくて食べやすいし、濃厚な味わいが素晴らしいもの」

「ええと、ありがとうございます」

「他のアイスも全部食べ比べてみようと思っていたのだけれど、休店じゃあ仕方ないわね」

「そう、ですね……あの、休店というのは、どういった理由なのでしょうかね……?」


 アルメはチラッとライターに目を向けた。なにやらこの女性からは、情報通の気配を感じる。


 何か昨夜の件に関して、世間の噂をキャッチしているかもしれない。恐る恐る、探りを入れてみることにした。


 ライターは綺麗な笑みと共に、声を落とした。


「噂によると、店の関係者の娘が公の場で、とんでもない醜態をさらしたとか」

「醜態……」

「この店のお飾りオーナー、下級貴族のご令嬢、キャンベリナ・デスモンド嬢。パートナーのいる男性客に対して『白鷹様』だと騒ぎ出して、心を狂わせてしまった。――って、今日のゴシップ記事を賑わせているわ」

「ひえ……ゴシップ記事……!?」


 昨日の今日でもう記事になっているとは……。一時休店の措置も納得だ。 


 なるほど、と神妙な顔で頷いていると、ライターはペラリと付け足した。


「デスモンド嬢は放心してしまったそうよ。なんでも、彼女が『白鷹様』だと勘違いした男性客が、まったく王子様らしからぬ生活をしていたようで」

「はぁ、それは……まぁ、ショックかもしれませんね」


 場を切り抜けるためにファルクのオフの様子を一部明かしてしまったのだけれど、キャンベリナのダメージに繋がってしまったらしい。


 確かに、理想を崩すようなことを言ってしまったかもしれないが……作戦としては上手くいったので、まぁ、今回ばかりはよしとしよう。


 ライターはアルメをうかがい見て、何かを試すような笑みを浮かべた。


「でも、白鷹様の私生活なんて誰も知らないのだし、もしかしたら本当に、王子様に似つかわしくない暮らしをしているのかもしれないわよね。――ねぇ、あなたはどっち派?」

「えっと……どっち、とは?」

「あなたは白鷹様は素でも王子様だと思う? それとも、素はなんてことないただの男だと思う?」

「……私は、白鷹様は――」


 問われるがまま、アルメは答えた。

 流れるようなお喋りに乗せられ、取り繕う間もなかったため、率直な気持ちが口からこぼれてしまった。


「私は、白鷹様の素は王子様ではない派ですが……でも、なんてことないただの男の人だとも思いません。彼は誰よりも格好良くて、素敵な人なのではないかと……」


 ぺらっと口に出してから、一瞬の間をおいて、なんだか恥ずかしさが込み上げてきた。


「……ええと、それじゃあ、私はそろそろ」

「えぇ、お喋りに付き合わせてしまって、ごめんなさいね。またあなたの美味しいアイスを楽しませてもらうわね」

「ありがとうございます。またお店でお待ちしています」


 アルメは逃げるように、アワアワとライターの元から歩き去った。


 『誰よりも格好良くて、素敵な人』

 心の内からポロっと出てきた言葉は、自分で言っておいて、胸をドキドキとさせてしまった。


 昨日からどういうわけか、ちょっとしたことで心臓の挙動がおかしくなる。……いや、今に始まったことではなく、思えば前から時々あったような気がしないでもないが……。


 なんとなく気にしてはいけないような感じがして、忘れるようにしているのだけれど。


 こういう時にも、氷魔法は便利に使える。アルメは魔法を使って、ドキドキする胸の熱をさっと冷ました。

 


 しばらく早歩きで進んだ後、歩みをゆるめて肩の力を抜いた。

 体の脱力にまかせて、表情もゆるめる。


 どうやらキャンベリナの店との戦いは、一時休戦となりそうだ。思わぬ猶予を得ることになった。


 ホッと息を吐きながら、アルメは軽い足取りで歩いて行った。




 ――こうして競合店との戦いには猶予を得た。

 が、間もなく、それとはまた別の、心を大いに騒がす戦いが始まることになるのだけれど。


 アルメはまるで気がつかず、実にのん気に過ごしているのだった。



 目覚めた鷹が狩りを始めることなど、これっぽっちも考えずに――。


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