80 潜入作戦の決行
アイスキャンディーブレスレットくじ、恋みくじ、新作フルーツミルクシェイク。この三つを新しく集客の要として展開し始めてから、一ヶ月が経った。
店の知名度がどれくらい上がったか、というのは肌感覚でしか測れないが、結構上手くいっているような気がする。
売上もじわじわと、確実に伸びていっている。
特に学院に通う子供たちのコミュニティーでの広まりが、思っていた以上のものだった。
友達間で広まり、親へも広まる。そして親の友達へ広まり――と、学院の外側のコミュニティーにまで、アイスキャンディーくじの話が届きつつある。
そうして子供に連れられてきた大人たちは、店内で別のアイスを目に留めて、食べていく。
そこへポイントカードと数人で使えるクーポン券を渡して、リピーターと新規の客を取り込んでいく。
――という戦略を、この一ヶ月と少しの間、せっせと実行してきた。
一応出来る限りのことをして、キャンベリナの店と戦う下準備をしてきたつもりだ。
そして今日は、いよいよ迎えた『乗り込み敵情視察作戦』の日である。
先週の頭に、キャンベリナのアイス屋がオープンしたのだ。
もちろん、オープン初日にも店の様子をうかがいに行った。
通りがかりを装って、外から確認する程度だったが……大通り沿いの店だけあって、初日から客入りは好調であった。
キャンベリナの言っていた通り、『客』というのは、富裕層のみだったが。
店に寄るのは身なりの美しい富裕層ばかりなので、通行人たちも店の雰囲気を察したらしい。庶民はチラッと視線を向けるだけで、立ち止まる人はいなかった。
そんなキャンベリナの店の様子に思いを馳せながら、アルメは今、美容室にてヘアセットを受けている。
時刻はもう夕方を過ぎた頃。
この後、闇に乗じて乗り込む予定――と言うと物騒だが、夜の時間の方が目立たないだろう、ということで、この時間に決行することになった。
アルメの支度が済む頃合いに、ファルクが迎えに来る予定である。
今いるこの美容室は、以前アルメが髪型を変えた時に訪れた店だ。まだ二回目の来店だが、美容師デュリエはアルメのことを覚えていてくれた。
先にドレスを着付けてもらい、メイクも仕上げてもらった。紺色のドレスに合わせて、メイクは青系で整えた。
空色のアイシャドウの上に、銀色の粉がキラキラと輝いている。
ほどなくして出来上がった髪型は、綺麗に結い上げた夜会スタイルだ。
デュリエは前回も素晴らしいヘアスタイルに仕上げてくれたが、今回のセットも完璧だ。
彼女は後ろで鏡を持ち、アルメの髪を映した。
「いかがでしょうかお客様。お召し物が落ち着いた色合いですから、上品な印象を崩さないよう仕上げてみました。――もう少しほぐして、遊びを足しましょうか?」
「いえ、もう十分過ぎるほど華やかで、素敵な髪型です。すごいですね、別人のよう。デュリエさんは魔法使いですね」
「お褒めにあずかり光栄です。長く美しい黒髪はセットのしがいがありましたわ。仕上げの飾りですが、この花の髪飾りは、まとめ髪に添える感じでよろしいですか? 少し横のあたりに」
「はい、お願いします」
最後に、いつも身に着けている白い花の髪飾りを着けてもらった。
これで支度が整った。
もう一度、姿見鏡で全身を確認してみる。鏡に映る姿はもう庶民娘ではなく、すっかりどこぞの令嬢だ。
(貴族令嬢コスプレ、完成したわ……よかった)
作戦が決まった当初はどうなることかと思ったが、ひとまず形になってよかった。ドレスと化粧、そしてヘアセットのおかげである。
姿を確認しながら、アルメは胸元に輝くネックレスに触れた。ファルクからもらったガラスのネックレスは、こうして全身を整えた状態で見ると、高価な宝石のように見える。
よし、大丈夫、行ける! と気合いを入れたところで、美容室の扉が開かれた。ファルクが迎えに来たようだ。
着飾ったアルメの姿を見て、ファルクは思い切り顔をほころばせた。
「こんばんは、アルメさん。お迎えに参りました。とても素敵ですね! 敵地なんて行かずに、このまま舞踏会にでも誘い出してしまいたいくらいです」
「なんのための変装ですか……遊びに行くための装いではありませんよ」
敵地に乗り込むにあたって、アルメは少々緊張しているのだが……ファルクはのほほんとしたいつもの調子だった。
彼もアルメ同様、いつものラフな装いではなく、きちんとした身なりをしている。後ろ丈の長い薄手のジャケットにスラックスの、ツーピーススタイル。
もちろん、変姿の魔法で姿を変えている。
「ふふっ、冗談ですよ。――さて、お支度はいかがでしょうか? もう表に馬車をつけていますから、いつでも向かえますよ」
「では、行きましょう。デュリエさん、素敵に仕上げていただき、ありがとうございました」
「いってらっしゃいませ。楽しい夜をお過ごしください」
デュリエはウインクを投げて寄越した。
きっとデートか何かだと思われているに違いない。残念ながら、これから二人が行うのは敵情視察のスパイ行為である。ロマンチックの欠片もなくて申し訳ない……。
ファルクの用意した馬車は、美容室のすぐ脇の通りに停められていた。
ふわふわしたドレスの長いスカートと、履き慣れないハイヒールにヒィヒィ言いながら、エスコートを受けてどうにか乗り込む。
御者に行き先を告げると、馬車はゆっくりと動き始めた。
東地区の通りを走り、中央地区へと向かう。
窓から外を見ていると、遠くにキャンベリナの店が見えてきた。
夜のとばりが下りた街の中に、『ティティーの店』の看板が浮かび上がっている。魔石ランプを贅沢に使った、明るい看板だ。
馬車は店近くの通りに停まった。
他にも何台か馬車がある。この店は、昼間よりも夜の客入りの方がいいのかもしれない。
夜の街で遊ぶ貴人たちの、ちょっとした休みどころとして機能しているのだろうか。
馬車から降りて、アルメとファルクはアイス屋の前に立つ。店の外観をまじまじと眺めてしまった。
「昼間に見るより、夜に見た方がギラギラとしてますね。この魔石ランプ、一体どれくらい費用をかけているのでしょう?」
「店内もなかなか贅沢な様子ですね。――では、入りましょうか。どうぞ、俺の腕を支えにして歩いてください」
「は、はい。お借りします。それでは、行きましょう」
ファルクに言われるまま、そっと、彼の腕に手をまわした。
人の腕を便利な手すりにしているようで落ち着かないのだが……でも、歩きやすくなるのは助かる。
いつもの手繋ぎよりも距離が近づき、体温を感じるのは、少々気恥ずかしいけれど。
わずかにドキドキし始めた胸は緊張のせいなのか、照れのせいなのか、もはやわからない状態だ。
ファルクに寄り添い、店に近づく。ドアマンが扉を開けて、二人を中に招き入れた。




