75 貴族令嬢コスプレ作戦
数日後、休日のアイス屋にて。従業員が集まって緊急会議が開かれた。
といっても大袈裟なものではなく、アルメとエーナとジェイラという、いつものメンバーなのだけれど。
そこに加えてもう一人、ファルクが混ざっている。
魔法疲れはもうすっかり癒えたが、休みを消化しなければいけなくて暇なのだそう。
新しい商品――アイスキャンディーを食べてみたいとのことで、食べがてら、彼も会議に参加することになった。
そういうわけで、四人でアイスキャンディーをかじりながら、会議が始まった。
アルメはキャンベリナの店のチラシをテーブルに置き、ざっくりと事情説明をした。
「――というわけで、先日現地に確認に行ったところ、うちのアイス屋と同じ名前のお店ができていました……。向こうのお店にはキャンベリナ・デスモンドさんが関わっているみたい。お金持ちの貴族家のご令嬢です」
「そのキャンベリナって人、前にアルメの店に来て、手切れ金を押し付けてきた人よね? 嵐みたいなご令嬢だったから、面倒なことになりそう……」
「オープンは来月かー。とりあえず、開店したら乗り込んでやろうぜ。戦をするには、まず敵情視察から、ってな!」
「向こうのお店はドレスコードがあるみたい。庶民はお客さんじゃない、って通行人を追い払っていたわ。乗り込もうにも、門前払いをくらいそう」
アイスキャンディーをシャリシャリと食べながら、みんなでう~ん、と悩み込む。続けてファルクが意見を出した。
「ならば、ドレスコードに添うような装いをすれば問題ないのでは?」
「お、変装かー。それでいいじゃん! お貴族様っぽい格好してりゃ、入れるんじゃね」
「となると、ドレスを着て、ばっちりお化粧して、髪型を変えてって感じ? アルメはいつも髪を下ろしてるから、アップにするだけでかなり印象変わりそう!」
「ちょっと待ってちょうだい。私が乗り込む前提なの!?」
全員の目が、当然のようにアルメに向く。思わず、口元を引きつらせてしまった。
「アタシらが行くより、店主が直接乗り込んだ方が色々情報得られるっしょ?」
「俺がお供いたしましょう。格式の高い店は男女で入ったほうがより自然です」
「とりあえず必要なのはドレスよね!」
「ド、ドレス……って、いくらくらいするの? というか、まずドレスを買いに行くドレスがないわ……!」
あっという間に話が進んでいく。押し流されないように、なんとか声をねじこんだ。
が、ファルクによって一瞬で流された。
「ドレス店のグレードは上から下までありますから、そう構える必要はありませんよ。入りやすそうな店を探しておきましょうか。今度お休みの日にでも、覗きに行ってみましょう?」
「はぁ……いや、でも、変装のためだけにドレスを買うというのは、なんだかちょっともったいない気も……」
別に夜会に行くわけでも、公の場に出るわけでもないのに、上等な服を買うのには抵抗がある。
敵情視察を終えたら、もう着る機会もないし……と、考えると、貧乏癖がチクチクと心をつついた。
そんな歯切れの悪い返事をしながら、アルメはアイスキャンディーをパクリとかじった。出てきた棒を見て、無意識に声が出た。
「――あ、『あたり』が出たわ」
「あら、おめでとう! ついてるわね! その運気があれば、きっと変装作戦も上手くいくわ!」
「あたりも出たことだし、乗り込むのはアルメちゃんで決定ってことでー」
「アイスの神様にも背中を押されているのでは?」
「……みなさん、都合のいい解釈をしすぎです」
なんてことないアイス棒の『あたり』に、諸々をこじつけないでほしい……。
そんなアルメの思いをよそに、もう変装乗り込み作戦は決定の雰囲気になっていた。
ひとまず、キャンベリナのアイス屋がオープンしたら、令嬢に扮して敵情視察をしに行く、ということで今日の会議は終了した。
前世には『コスプレ』なる文化があったけれど、まさか今世でデビューすることになるとは思わなかった。
『貴族令嬢コスプレ』、どうにか形にできるよう頑張ろう……。
■
――という会議が、もう数日前の話である。
数日の営業日を経た後、早速、貴族令嬢コスプレのための衣装を見に行くことになった。ファルクが早々と、手頃な店を見繕ってくれたのだ。
彼の仕事が早すぎて、アルメはまったく心の準備ができていなかったのだが……引っ張られるようにして、家を出てきてしまった。
アルメとファルクは中央大通りから少し入った通りを進み、ドレス店へと入った。
吊るし売りの既製服店だそう。注文服の店に比べると、ずっと価格帯が低いそうだが……アルメの目からだと、やはりどれも高価な品に見える。
「さぁ、中へどうぞ」
「ありがとうございます。……なんだかお高そうなお店ですが、大丈夫でしょうか」
「大丈夫ですよ。ひとまず覗いてみるだけですから」
ファルクが扉を開けて、うやうやしくアルメをエスコートする。
その様子を見て、店員は出迎えの挨拶と共に、キラリと目を光らせた。
店員は四十代半ばの女性――この店の店長だ。来店した男女ペアの客を見て、頭の中で早速、分析を始めた。
(男女二人組のお客様……雰囲気的に親族ではなさそうだし、カップルね。にしては二人とも、互いに節度のある言葉使いと、態度をとっている。まだ結ばれていない関係かしら)
長くドレス店に勤めて、色々な客を見てきた経験を元に、店員はこの男女の関係を推察する。
(女性の方は服装の感じから、見るからに庶民ね。男性の方も格好は庶民だけれど、所作が上品で丁寧なエスコートに慣れている。ある程度の身分がありそう。それにこの整った容貌……女性に事欠かなそうだわ。庶民遊びをしている貴人、というところかしら)
店員は客に見えないように、やれやれとため息を吐いた。
『貴人の庶民遊び』とは、その辺の街娘に声をかけて、お姫様あつかいをして喜ばせる遊びだ。
初々しい娘の姿を見て優越感と支配欲を満たして、自分が王子様にでもなったかのような感覚を楽しむ遊びである。
お姫様役にした娘に飽きたら捨てて、また別の娘をお姫様に仕立て上げる。この庶民の女性客は、そんな貴人の『王子様ごっこ』の配役にされてしまったのだろう。
彼女に訪れる未来を思うと、なんとも言えない気持ちになる。……けれど、そんなことはもちろん顔には出さない。
店員は接客用の笑顔を浮かべて声をかけた。
「ご用命はございますか? お好きなお色やドレスのイメージがありましたら、なんなりとお申しつけください。奥にも用意がございますので、お持ちいたします」
「あ、はい、ありがとうございます。まだ決めていないので、店内のドレスを見てまわってもいいでしょうか?」
「もちろんでございます。どうぞ、ごゆっくりお選びくださいませ」
そっと身を引くと、女性はホッとした表情を浮かべた。こういう店に慣れておらず、店員の接客に緊張するタイプなのだろう。
そういう客が相手の時は、過剰に接するのは逆効果。遠くから様子をうかがうのがベストである。
男女の客は小声で相談をしながら、店内を回り始めた。
「アルメさんは何色のドレスをお召しになりたいですか?」
「まったく考えていませんでしたが、あまりにも可愛らしい色はちょっと……黄色とかピンクとか。あぁ、あと、赤とかオレンジとか派手な色も厳しいです」
「そうですか? アルメさんの黒髪には、赤いドレスも似合いそうですが。敵陣に乗り込むのですから、烈火のごとき真っ赤なドレスというのもよいのでは。強そうで」
「どこぞの劇の、悪役の令嬢みたいなものは無理ですよ……! 衣装に負けてしまいます。もっとこう、落ち着いた感じのドレスが――あ、紺色素敵ですね。無難な感じで」
アルメと呼ばれた女性客は、人型のトルソーに着せて飾られている紺色のドレスを見ていた。
すかさず近づいて、提案をする。
「よろしければ、他にも紺色のドレスがございますので、お持ちいたしましょうか?」
「あ、いえ、ええと……」
「紺色のドレス、アルメさんによく似合いそうですね。せっかくですから、ご試着もされてみては? 色々着てみましょう。悪役令嬢姿も見てみたいので、赤もお願いします」
「……ファルクさん、他人事だと思って……私は着せ替え人形ですか」
「では、試着のお部屋にご案内いたします」
女性の名前はアルメ。男性の名前はファルク。客の情報を頭のメモに書き込みながら、試着の案内をする。
他数人の店員を連れて、女性客を試着部屋へと招き入れた。男性客の対応は、他の店員に任せておく。
絨毯敷きの部屋に入って、早速ドレスを着付けていく。さっと仕上げて、彼女を姿見鏡の前に案内した。
「わぁ、綺麗。こういうドレスを初めて着ました。なんだかお姫様みたいで、照れてしまいますね」
紺色のドレスは裾がフワリとしていて、肩の出るデザインだ。落ち着いた色合いは彼女の雰囲気によく似合う。
乙女心に響いたのか、彼女は自分の姿を見て目を輝かせていた。
……そういう顔をされると、どうしても胸が痛む。
貴人の庶民遊びに巻き込まれた娘たちは、お姫様になった自分の姿を見て、みんなこういう顔をするのだ。
買い与えられたドレスは、ほとんどの場合、一年程度で売りに出される。捨てられた娘が、やつれた顔でドレスを売りにきて、金に換えていく。
彼女の選んだドレスもいつか古着として、どこかの店に並ぶのだろう。
そのことを考えると複雑な気持ちになるが……せめて今は、束の間の夢のお手伝いをさせてもらおう。
「お客様、とてもよくお似合いです!」
「衣装に負けていませんか?」
「そんなことはございません! とても素敵ですから、お連れ様もお喜びになるかと思います!」
「そ、そうでしょうか」
彼女は照れた顔で笑った。哀れな笑顔を見ないようにして、待つ男性客の元へ彼女を案内した。
ドレス姿を男性客に披露する。
この瞬間が、最も暗い気持ちになる。
王子様役の貴人が、自分が仕立てたお姫様を見てニヤニヤと笑う瞬間。歪んだプライドと欲が満たされて、男がふんぞり返る瞬間だ。
女性客は、男性客の前に歩み出た。
「着てみました。どうでしょうか……?」
男性客はニヤリと歪んだ笑みを浮かべ……なかった。口元を手で押さえて、感極まった大声を出したのだった。
「あぁっ、最高っ!!」
男性客の裏返った声が響いた。
店長である自分を含めて、フロアにいる店員全員が、目をまるくした。
(最高……!?)
……先ほどまでの、上品な貴人らしい雰囲気はどこへいったのか。
男性客は目を輝かせて、色々な角度からドレス姿を見まわし始めた。
女性客は恥ずかしさで頬を赤く染めて、なんとも言えない渋い顔をしている。
店員たちがポカンとする中、男性客ははしゃいだ様子で別のドレスを手に取った。
「普段の装いも可愛らしいですが、ドレス姿も雰囲気が変わって素敵ですね! やっぱり他の色のドレスも、色々着てみましょう!」
「いや……! 派手な色は勘弁してくださいって……!」
「着るだけですから、着るだけ! ね!」
「ね、じゃないですよ……! あぁ、ちょっと、持ってこないでください!」
さぁ、ほら、と男性客は女性客にドレスを押し付けた。
店員数人がかりで、ドレスを大量に抱えて試着部屋に戻る。
女性客が神妙な顔をして、低い呻き声を上げた。
「すみません……助けてください……彼を止めて……あの人があの調子だと、私、一生試着部屋から出られなくなりそうです」
先ほどまでの照れた顔はどこへやら。一転して、女性客は冷や汗をかいた真顔になっていた。
――貴人の庶民遊びに巻き込まれた哀れな娘、なんて、とんでもない思い違いだった。
この女性は、貴人に遊ばれている不幸な娘ではなく、貴人を虜にしてしまった不幸な娘である。
彼女はきっとこの先、嬉しい苦労で何度もヒィヒィ言うことになるのだろう。まさに、今みたいに。なんと羨ましい不幸だろうか。
でも、彼女は大変だろうが、こちらとしてはありがたいことである。
『遊びのお姫様』でないのなら、王子様は出し渋らないし、気持ちよく商品を勧められる――。
店員たちは満面の笑顔で、女性客を囲った。
「まぁまぁ、お客様。せっかくですし、こちらのドレス、全てご試着なさってみてはいかがでしょう。――いえ、『お客様』とお呼びするのは失礼ですね。我がドレス店の、試着部屋の『ご主人様』と、お呼びいたしましょう」
女性に入れ込んでいる様子を見るに、あの男性客は上客になりそうだ。基本的に、店員は上客の味方である。
申し訳ないが、彼女を助けてやることはできなそうだ。
彼の気の済むまで試着をしてもらって、ドレスをお買い上げいただこう。
そして店員一同、心からの笑顔で、『ご来店ありがとうございました』と見送るところまで、付き合ってもらうことにする。




