68 雨の中の凱旋
今日はポツポツと小雨が降っている。
天気が悪いことに加えて、まだ昼前という時間なので、客入りは少ない。
一人勤務だと時間を持て余してしまうところだが、今日はエーナとジェイラの勤務日だ。
三人でアイスの仕込みを終えて、今はまったりとお茶会をしている。
店の窓から外を眺めて、アルメはう~んと悩んだ。
「このまま雨が本降りになったら、今日はお客さん来ないかもしれないわね」
「最近晴れ続きだったから、そろそろザッと来る気がするわ。お給金は気にしないから、お店閉めたければ閉めちゃっていいわよ」
「お、早上がりになるんなら、誰か買い物行かねー? 服買いたい」
このままだらっとお茶会を続けるのもいいけれど、出掛けるのも楽しそうだ。
この世界、庶民の店は気楽なものである。客入りが見込めない日は閉めてしまう、というのもよくあること。
「お買い物、いいですね。ジェイラさんは、いつもどこのお店で服を買っているんですか?」
「最近気に入ってるのは地下街の店~」
「地下なら雨が降ってても平気ね。私も新しい服屋開拓したいし、乗ったわ!」
「よっしゃ、じゃあ決定~!」
三人は立ち上がると、店の閉め作業に入った。
ルオーリオは地上と同じくらい、地下街に賑わいがある。雨の日でも買い物や観光を楽しめるのがいいところだ。
さっと店を閉めて、出かける支度を整えた。
外に出ると、小さな雨粒が肌に当たった。傘を差すか迷う程度のちょっとした雨だ。走って地下街に入ってしまえば問題ないが、一応傘は持っていく。
三人は通りに出てすぐの場所にある階段から、地下街へと下りた。
薄暗い中に魔石ランプの明かりが揺れる地下街は、何度来ても、なんとなくワクワクしてしまう場所だ。
お喋りを楽しみながら歩いていると、ジェイラの目当ての服屋に着いた。店内はランプが多くて、それなりに明るい。
「さ~て、可愛い服あるかな~!」
「ジェイラさんのお気に入りのお店……なるほど、なかなか大胆なデザインの服が多いですね!」
店に並ぶ服は、布面積の小さな服が多かった。お腹が見えるデザインだったり、足が見える短いスカートだったり。
アルメにはハードルの高い服だが、見ている分には楽しい。背が高くてスタイルの良いジェイラに似合う服ばかりだ。
手に取って眺めていると、エーナが悪戯っぽく笑った。
「あら、アルメもお腹の見えるブラウス買うの? 肌見せデビューね!」
「買わないわよ! 人様に見せられるお腹してないもの。エーナこそ、このミニスカートどう?」
「可愛いとは思うけど、あんまり際どい服を買うとアイデンが拗ねちゃうから」
「部屋着ならありなんじゃね~? むしろアイデンの奴、喜びそう」
笑いながら、三人で次々と服を手に取って見ていく。
深いスリットが入って、太腿が見えるロングスカート。胸元だけを覆うベアトップタイプのブラウス。股上が浅くて、腰骨がガッツリと見えるズボン。
普段着ないデザインの服ばかりで面白い。
店の奥には下着のコーナーもあった。下着も店の雰囲気にあったデザインのものが並んでいる。
「こ、これは……なんとも過激な!」
「あっはっは、全然隠す気がないデザインね!」
「このへんの下着はもう、見せるためのモンだからな~!」
際どい下着は、もはや下着ではなく『飾り』である。この店の下着コーナーは、いわゆる勝負下着がそろっているのだった。
手に取って大笑いしていたエーナは、ふいに真剣な顔になった。
「私、一着買っていこうかな。アイデンが無事に帰ってきた時の労いとして」
真顔でそう言うと、エーナは真面目に選び始めた。これぞという下着セットを決めて、店員に声をかける。
「すみません、下着って試着はできますか? 上だけでいいのですが」
「えぇ、もちろん、ご試着いただけますよ」
「アタシもスカートだけ試着しとくかな~」
「どうぞ、こちらの試着室へ」
エーナとジェイラは店員と共に試着室へと向かう。
「私は向かいのお店を見てるわね」
「了解~」
「待たせちゃってごめんね」
「いえいえ、ごゆっくりどうぞ」
二人を待つ間、アルメは服屋の前のアクセサリー店を見ることにした。
――そうしてほんの少しの間、別行動をした後。
会計を済ませたエーナとジェイラから、アルメはとんでもないプレゼントを受け取ってしまうのだった。
「アルメ、お待たせ。――はい、これは私たちからのプレゼント!」
「アルメちゃんの縁探しに、応援の気持ちを込めて!」
「えっ、なになに? 見てもいい?」
渡された紙袋から中身を取り出してみる。なにやらテラテラとした肌触りの布だ。
これはまさか――……。
「アタシとエーナちゃんで選んだ最強の下着セットで~す!」
「ピンクと水色と白で迷ったんだけど、白にしてみました! アルメ白好きでしょ? 髪飾りもサンダルも白いし」
手に取った布を広げて、アルメはガクリと体を傾けた。プレゼントは、ものすごく際どい勝負下着だった。
透けたレースで仕立てられていて、ほとんど何も隠れないような布面積だ。上下共にリボンを結んで着用するタイプのもので、デザイン自体は結構可愛らしい。
モデルが着ているのを眺めているだけならば、きっと乙女心にキュンときたことだろう。そういう絶妙なデザインだ。
……自分で着用するのは、無理がありすぎるけれど。
「ありがとう……でも、こういうアイテムを使った縁探しは、私には無理よ……」
「冗談よ冗談!」
「無事に縁探しが終わった後に着るんなら、ありっしょ~?」
「縁探しの後でも無理ですよ……!」
こういうアイテムをさらっと身に着けられる性格をしていたなら、もう自分で相手をつかまえて、とっくに結婚しているに違いない。
腹を抱えて笑う二人を前にして、アルメは下着セットを袋へと戻した。申し訳ないけれど、この下着はこのまま袋の中で眠っていてもらおう。
■
しばらく地下街での買い物を楽しんで、一度地上に出た。
ランチはエーナのリクエストで、通り沿いのレストランに行くことになった。
――が、目的地は急遽変更された。
歩き出したところで、街の鐘が鳴ったのだ。
カランコロンと特徴的なメロディーの鐘の音――この鐘は、軍の帰還を知らせるものだ。
三人で足を止め、顔を見合わせた。エーナが表情をかたくした。
「帰ってきた……。ねぇ、沿道でお迎えしてもいい? 今回急な出軍だったから、心配で……!」
「もちろんよ。お昼は後にしましょう。帰還の行進って、出軍の行進より近くで見られるもの?」
「そこそこ人は集まるけど、出軍の見送りほどじゃないよ。場所取りするなら今がチャンス! 行こうぜ!」
雨が本降りへと変わる中、三人は中央大通りへと急いだ。
大通りはそれなりに混んではいるけれど、見送りに比べると、見物人の数はずいぶんと少ない。雨が降っているから、というのもあるかもしれない。
沿道のよく見える場所で、軍の帰りを待つ。
周囲の人々の会話を聞くと、集まっている人々は軍の関係者――軍人の家族や友人が多いみたいだ。
みんな心配そうに通りに目を向けている。
「今回は隊の規模が大きかったからなぁ……大丈夫だろうか」
「息子が初めて戦に出たの……」
「きっと大丈夫よ。パパは強いもの。パパが歩いてきたら、手を振ってあげましょうね」
人々の声に、胸がざわざわする。
エーナも同じ気持ちのようで、傘を持つ手が震えているように見える。
アルメは自分の傘を閉じて、エーナの傘に入った。彼女の手を取って、両手で握りしめる。
不安な時は、人の体温を感じると落ち着くものだ。
「アタシも入~れて!」
アルメが傘に入った後、ジェイラも入ってきた。彼女のカラッとした明るい声に気持ちがやわらぐ。
三人一緒に、一つの傘に入って軍を出迎えることにした。
しばらく待っていると、通りの向こうから人々の声と、足音が聞こえてきた。軍人たちが歩いてきたようだ。
先頭の隊が見え始めた。――けれど、出軍した時の人数より少ないように思える。
歩きの軍人たちはみんな疲れ切っている様子で、服も酷く汚れている。真っ黒なシミと赤黒いシミ、そして土埃。
剣を下げていない人は、戦地でなくしてしまったのだろうか。それとも、壊してしまったのか。
人を乗せていない馬もいる。行きには乗せていたのに……主人はどこへいったのだろう。
ボロボロの行進を呆然と眺める。
エーナが震える声で呟いた。
「……三隊の人たちが通り過ぎたわ。アイデン、歩いてなかった……」
「チャリコットの奴もいねぇな」
「……」
何も言えずに、アルメは唇を噛んだ。
隊列は通り過ぎていく。
もう行進も終わりに近い。主人を乗せていない馬の集団が、兵に引かれて歩いてきた。
馬には魔法杖だけがくくりつけられている。従軍神官たちの馬だ。美しい魔法杖は泥を浴びたように、真っ黒に汚れていた。
その馬の群れの中に、白灰色の馬もいた。この馬は確か、ファルクが乗っていた馬だ。よく覚えている。
――けれど今、その背には誰も乗っていない。
胸のざわつきが大きくなって息苦しい。エーナは体をこわばらせて、アルメも手が震えてきた。
淡々とした声でジェイラが言う。
「怪我人は馬車に放り込まれるから、中にいるのかもなー。死んだ奴は……酷い戦地だと、しばらくは置き去りだ。生きてる奴を先に街に帰した後、お迎えの隊が出る」
ジェイラはいつも通りに背筋を伸ばして、真っ直ぐに立っている。冷静に受け止めているようだ。
もしジェイラが男性で、軍人になっていたならば、きっと立派な兵になっていたことだろう――。
ぼんやりとそんなことを考えて、現実逃避をしてしまった。
――が、その直後に、一気に現実に引き戻されることになった。
最後尾の集団の隊列から、一人が沿道の方に出てきた。髭を生やした大柄の軍人だ。
馬に乗った騎士服の軍人は、勢いよく剣を抜き、空へと掲げた。それと同時に、大声を上げたのだった。
「勇敢なる我らがルオーリオ軍は、数多の竜と戦い、これを見事に討ち取った! 戦地には指の一欠片も残さず、一人の魂も残さず、全隊員無事の帰還である! 戦士たちをたたえよ! ルオーリオ軍をたたえよ――!!」
その大声を聞いた途端、周囲からどっと歓声が上がった。
アルメもエーナも目を見開いた。
「竜の魔物を相手に……誰も死なずに……? みんな生きて帰ってきた、のね……? アイデンも馬車の中にいるのね……!? よかった……よかった~……っ!!」
エーナはアルメに力一杯抱きついてきた。アルメも思い切り抱きしめ返す。ホッとして泣きそうだ……。
本当に、本当によかった。
ルオーリオ軍は全員生きて帰ってきた……!
ジェイラとも喜びのハグを交わそう、と、彼女の方を向いたが、長身のジェイラが見当たらなくなっていた。
ふと足元を見ると、彼女はしゃがみ込んで、両手で顔を覆っていた。
「チャリコットのバカ野郎~……っ! ふざけんな! ばっちり生きてるじゃねぇかよ~! 無駄に不吉なこといいやがって……! 帰ったらぶん殴ってやる~……っ!! あ~~もうっ! 化粧が落ちる~……っ!!」
ジェイラは大泣きしていた。
アルメもエーナもギョッとしてしまった。今さっきまでの動じない姿はどこにいったのだ。
彼女は罵声を飛ばしながら、しゃくりあげてボロボロと泣いていた。
「ジェイラさん!? 大丈夫ですか!?」
「ちょっとハンカチ! ハンカチは!?」
「アタシ、ハンカチ持ってねぇ~! 貸してくれ~……!」
しばらく泣き続けて、ジェイラの化粧はすっかり落ちてしまった。彼女は意外と、泣き出すと止まらなくなる質らしい。
すっぴんの彼女は、容姿までチャリコットによく似ていた。
その日の翌日、エーナからアイデンの怪我についての知らせを聞いた。治療は済んでいるけれど、重傷を負った後なので休養が必要とのこと。
さらに翌日には、ジェイラから手紙が届いた。
チャリコットはしばらく入院するらしい。でも、元気にご飯を食べているそう。
二人の無事を聞いて安心した。
――けれど、ファルクからの連絡はなかった。
帰ってきたその日のうちに手紙を出したのだけれど、返事は来なかった。毎日、何回もポストを確かめたが、彼からの手紙はない。
そうしてまた胸のざわつきを感じ始めた頃、ようやく返事があった。
返事、というか、本人が姿を見せたのだった。
翼を傷めた鳥のように、フラフラとした様子で現れて、アルメはギョッとしてしまうのだった。




