65 竜との戦い
黒い魔霧が広がる中、一隊から五隊までの戦闘員が配置について命令を待つ。
戦地に着いてすぐ、精鋭五隊と弓兵隊は戦闘体勢に入った。屯所や塹壕の設営は控えの二隊に任せて、剣兵と弓兵は魔物に向かう。
アイデンも鎧をまとって剣を抜き、隊長の号令がかかるのを待っていた。
霧は今までにないほど濃くて、息苦しさを感じる。
霧の中心部からはバサバサという羽音と唸り声が聞こえてくる。この騒がしい音の主が、今回の相手だ。
竜型の魔物である。
真っ黒で、翼を持ったトカゲのような姿をしている。鋭い爪と牙は厄介だ。きっと掃討戦が終わるころには、戦闘員たちの鎧はズタズタになっていることだろう……。
――唯一幸いだったのは、竜が小型だったことだ。男二人いれば抱え込める程度の大きさである。大型ではなかったことに、みんなホッと胸をなでおろした。
つい最近、遊びで寄った占い屋で引いたカード――『竜』のカードが当たってしまって驚いたが、小型であれば、まぁ、安心だ。
一番ビビっていたチャリコットも、今では隣で愚痴を言っている。『俺の心配を返せよ! 魔物野郎め~!』とかなんとか。
しかし竜型魔物はとんでもなく数が多い。最近の魔霧は、魔物の大量生産にハマっているらしい。
弓兵が大弓の矢を雨のように降らせて、竜の翼を次々と撃ち抜いていく。矢は対魔物用の鉄製だ。
翼を傷めた竜は地面に落ちて暴れている。これを討ち取るのが剣兵の仕事。そろそろ突撃の合図が来る頃だろう。
ほどなくして、アイデンの耳に隊長たちの大声が届いた。
「全魔物の飛行不能を確認! 弓兵隊、撃ち方やめ!」
「五隊は待機! 一隊、二隊、三隊、四隊は剣を構えよ! 攻撃用意!」
命令の通りに両手で剣を握り直す。アイデンは三隊の所属だ。そして隣にいるチャリコットも。
グッと体を緊張させ、次の命令を待つ。
「剣兵隊、攻撃開始! 進めー!!」
怒鳴り声のような号令と共に、剣を持った戦闘員たちは走り出した。
地面に落ちた竜の群れへと突撃して、戦いが始まった。
アイデンは走り込んだ勢いのまま、最初の竜の首を叩き切った。黒い体液が飛び散って、あっという間に鎧が真っ黒になる。
転がった胴体にもう一度剣を突き刺す。竜はピクリとも動かなくなった。その様子を素早く確認したら、剣をひるがえして次の竜に向かう。
牙をむき出しにした竜をなぎ払い、胸を突く。
横から飛び掛かってきたのを避けて、また剣を振り下ろす。
三体、四体、と切っていき、五体目の首を落とした直後、足にガツンと衝撃が走った。
足を払われて体勢を崩した。
地面を転がりながら確認すると、すねに真っ黒な爪が刺さっていた。鎧を貫通して、深く刺さっている。
首を落とした竜が胴体だけで動き、攻撃してきたらしい。
――と、状況を確認した瞬間、足に光が飛んできた。これは神官の治癒魔法だ。
従軍神官たちは戦場を囲むように立っている。大盾持ちに守られながら、魔法杖で癒しの光を飛ばす。
チカッと一瞬光った後には、もう痛みがやわらいでいた。血もあまり出ていない。なんとも素早い魔法である。この魔法を飛ばした神官は、ずいぶんと腕がいいようだ。
爪は刺さったままだが、これは後で、手術で何とかしてもらう。ひとまず戦闘中は応急処置程度の治癒で十分だ。
「やりやがったな! さっさとくたばれよ……!!」
竜の胴体にもう一度剣を突き刺した後、腕を叩き落とした。足に刺さった爪は抜けずに、竜の手ごと絡みついたままだ。……歩きにくい。
そんなことを気にする間もなく、別の竜が飛び掛かってきた。剣で牙を受け止め、振り払う。爪で鎧を引っ掻かれて、ギャリギャリという不快な音が響いた。
竜は着地を決めて、間髪入れずにまた飛び掛かってきた。動きにくくて反応が遅れる。
防御の構えをとって受け止めよう――としたところで、竜は豪快に真っ二つにされた。叩っ切ってくれたのはチャリコットだった。
「アイデン! 大丈夫かー!?」
「おう! 助かった!」
「足に爪刺さってんじゃ~ん! それ新しいお洒落?」
「装飾品はエーナのブレスレットだけで十分だっつの」
軽口を交わしながら背中合わせに剣を構える。ありがたいことに、チャリコットがサポートをしてくれるようだ。これで動きにくさもカバーできそう。
走り込んできた竜をアイデンが受け止め、チャリコットが切りつける。
連携して数体を倒したところで、隊長の声が聞こえた。
「一隊、二隊、三隊、四隊、戦闘やめ! 下がれ! 五隊、討ち損ないの始末にかかれ!」
号令と同時に、戦っていた一隊から四隊の剣兵たちは引き上げ、入れ替わるように五隊が走ってきた。
チャリコットに肩を借りて、アイデンは最前線――魔霧の中心部から抜け出す。
周囲には魔物除けの塹壕が出来上がっていて、ひとまずその中で体を休めた。
最初の魔物の群れは片付いたようだが、掃討戦は終わっていない。霧はまだ晴れていないので、そのうち二陣の魔物が出てくるはずだ。
それに備えて、休憩を取りながら治療を行う。忙しく走り回っている神官を呼んで、手当ての順番を決める布をもらった。
青色の布は重傷の怪我人用で、治療が優先される。黄色の布は次に治療を受ける怪我人用。布をもらえなかった人は最後に治療を受ける。
この治療順番の仕組みは前からあったが、白鷹が来てから徹底されるようになった。前まで適当なことをしていた奴らは、戦闘員も神官も全員もれなく、白鷹に叱り飛ばされた。
いつも涼しい顔をした、つかみどころのない神官だが、怒るとかなり怖いらしい。
アイデンは青色の布をもらった。瀕死の怪我人がいないようなので、この程度の怪我でも早く治療を受けられるみたいだ。
土の上に腰を下ろして、頭の鎧を外す。足の鎧は刺さった竜の爪が邪魔で、外せなかった。
「爪、自分で引っこ抜いたらやべぇかな?」
「やめとけって、血出そうじゃね~? 余計なことすると白鷹の野郎に怒られるっしょー……って、うわ、いるし」
そんなことを話していたら、その白鷹当人が目の前に来ていた。しゃがみ込んで早速手当てを始めながら、白鷹――ファルクは話しかけてきた。
「こんにちは、アイデンさん。お疲れさまです」
「お、おう、お疲れっす……。あの、エーナから聞いたんだけど、あんた本当にファルクさんなのか? 前に地下宮殿で会った……」
「えぇ、そうですよ。あの時は失礼しました。戦地から戻ったらまた改めて、友人として親睦の会でも開きましょうか」
最近、エーナから白鷹の正体を聞いて驚いたところだ。アルメの友達だとは思わなかった。というか、いつの間にそんなことになっていたのか……謎である。
色々と聞きたいことはあったが、なんやかんや後回しになっていた。この大きな現場が終わったら、是非ともゆっくりと話を聞きたいところだ。
軽く世間話をしながら、ファルクは足から竜の爪を引っこ抜いた。血は魔法で止められているが、ためらいも容赦もない処置にビクついてしまった。
彼は鎧を外してテキパキと処置をしていく。
そんな中、ふと隣を見たら、チャリコットが悪い笑みを浮かべていた。このニヤリとした顔は、悪戯を仕掛ける時の顔だ。
軍学校時代から何度も見てきた顔である。
何か面倒事を起こす前に止めようと思ったが、間に合わなかった。
「白鷹様よ~、そのブレスレット、アルメちゃんからもらったやつっしょ? 見て見て、俺ももらったんだ~。ちゃ~んと俺の好きな赤色選んでくれたの。しかも軍神の加護入り~」
「……あなた、もしかして最近、アルメさんと食事会をしたりしました?」
ファルクは治療の手を止めないまま、低い声で言う。目も向けないし涼しい真顔のままだが、明らかにピリっとした空気に変わった。
「お、なになに? アルメちゃんから聞いてた? その通り、一緒にご飯食べて盛り上がった仲でーす。アルメちゃんがこのブレスレット贈ってくれたのも、その時の約束がきっかけ~」
「どういう約束をしたんです?」
「二人だけの秘密だから、内緒~!」
金色の目を細めて、ファルクは口をつぐんだ。今、彼は治癒魔法を使ってアイデンの怪我を癒しているが、魔法とは裏腹に人を殺しそうな顔をしている。
怖いし気まずいし、ついでに面倒臭いので勘弁してほしい……。
チャリコットがもったいぶっている『アルメと二人だけの秘密の約束』とは、早めに告白の返事をくれ、という俗なものである。
しかも結局、振られたと聞いている。
「おい……俺をはさんでしょうもねぇ喧嘩すんなよ。怪我人に配慮してくれ……」
治療はものすごく手際よく終わったけれど、どっと疲れてしまった。これからまた魔物と戦わなければいけないのに、どうしてくれる。
ファルクとチャリコットは最後に睨み合うと、二人でプイと顔を背けた。子供の喧嘩か。
チャリコットは元々こういう奴だが、白鷹も案外、しょうもないところがあるようだ。
……思っていたより親しみやすそうなので、親睦の会とやらを楽しみにしておきたい。
治療を終えると、ファルクはさっと立ち上がり、次の怪我人の元へ歩いていった。
戦闘員たちが休む塹壕の上。魔霧を眺めながら、隊長たちはこれからの動きを話し合う。
「霧、まったく晴れませんね」
「晴れるどころか、薄まる気配もない。小型とはいえ、あれだけの数の竜を生み出しながら、まだあの濃さを保っているとは……」
「今回は長引きそうですなぁ」
魔霧は全ての魔物を生み出した後に消える。普通ならば、魔物を生むごとに霧が薄まっていくはずなのだが、今回はまだまだ濃いままだ。
すなわち、まだたくさんの魔物が出てくるということ。長い戦いになりそうだ。
全員が渋い顔でため息を吐いた。
――その時、霧がゆらゆらと動き始めた。
「……そろそろ来るか」
「弓兵! 剣兵! 戦闘配置につけ! 二陣の魔物に備えよ!」
号令をかけると、戦闘員たちはわらわらと塹壕から出てきた。手際よく装備を整えて、指示通りの位置につく。
その最中、軍学校から上がったばかりの若い剣兵の声が、隊長たちの耳に届いた。
「このくらいの竜ならチョロいわ」
「俺さっき五体倒したぜ!」
「次は何体倒せるか勝負しよう!」
まったく緊張感のないヘラヘラとした声だ。総隊長はやれやれ、と眉間を押さえて、怒号を飛ばしておく。
「馬鹿者!! 戦場で無駄口を叩く奴は、神官に口を縫わせるぞ! 先ほどと同じ型の魔物が出てくると思うなよ! 気をゆるめるな!」
「は、はい……!」
「申し訳ございません!」
「すみませんでした……!」
怒鳴られた若者三人組は、ぺこぺこと頭を下げて走っていった。
若く経験の浅い者ほど、少し魔物を倒したくらいで調子に乗ってしまう。――まだ、酷い戦地を見たことがないゆえに。
「――まぁ、しかし、そんな戦は知らない方が幸せだがな」
「そうも言っていられないようですよ。見てください、あの魔霧の形……」
二隊の隊長が指を差し、他の隊長たちが目を向ける。
魔霧は揺らめきながら少しずつ形を作り始めていた。完全に形が作られ、固定化された時に霧は魔物として動き出す。
そうなってから初めて、剣や弓による攻撃が効くようになる。
固定化するまでの待ち時間はじれったいが、逆に魔物の形を予想できるので、戦いやすくもある。
――けれど、次の魔物は形がわかっていても、そう簡単に倒すことはできなそうだ。
「……大型竜か」
総隊長は低い声で呻いた。
深く息を吐いてから、各隊の隊長たちに命令する。
「霧の様子から、次は大型竜が予測される。今のところ頭が一つ、尾が一つ、足が四つ、翼が二つだ。固定化と同時に大弓で翼を撃ち抜き、飛び立つ前に落とす。それと同時に剣兵の攻撃を開始し、前足二本を切り落とす。動きの鈍ったところで全隊による総攻撃としよう」
四つ足の大型竜を相手にするときは、この流れでの攻撃が最も効率が良い。
けれど、前足二本を切り落とす、という工程がなんとも厄介なのだ。四つ足竜の前足は力強く、よく動く。
竜の気を逸らす役目の隊と、前足を切る役目の隊。そして怪我人を回収する隊で、それぞれ仕事を分担する。
この、前足切りの役目は、一つの隊が選ばれる。現状で最も欠けが少なく、最も良い動きをする隊が役目を負う。
魔物の鋭い牙と爪に真正面から立ち向かう、誇り高き戦士の役目。――言い換えると、一番、死に近づくことになる役目だ。
総隊長は並ぶ隊長たちを見まわし、命を下した。
「三隊に前足切りを命ずる。一隊、二隊は竜の気をそらし、三隊を援護せよ」
「三隊、お受けいたします! 私、シグ・セルジオが隊を率いて、必ずや竜を地に沈めてみせましょう。どうか皆様、軍神の加護をお祈りください」
重い空気の中、三隊の隊長は剣を抜いて、剣兵たちの元へ歩いて行った。




