61 チャリコットの来店
夕方、ジェイラと二人で閉店作業をしていたところに、一人の男が顔を出した。
褐色の肌に銀の髪、はだけたゆるい服装の男性客――チャリコットだ。
外のテーブルをしまっていたところに、ゆるっとした声をかけてきた。
「よーっす。今日姉ちゃんいるっしょ? 飯おごる約束だったから迎えに来たんだけど――って、あれ? もうアイス屋終わっちゃった? 食っていこっかな~って思ってたのにー」
「チャリコットさん! さっき閉店したところですが、中でご馳走しますよ」
「えーいいの? やり~!」
チャリコットはのん気な返事とともに店内へと入っていった。
ファルクものんびりとしたところがあるが、彼もまた違ったのんびり感がある。……のんびりというか、気だるげというか。
店内に入ると、チャリコットはカウンターで売上金を数えているジェイラに声をかけた。
「よー姉ちゃん。迎えに来たー。あとアイスちょうだい。大盛りで~」
「お前さー、自分の家じゃねぇんだぞ」
「金は払うって~」
姉弟の平和なやり取りを聞いて、なんだかほっこりしてしまった。この二人はいつも家でこういう会話をしているのだろうか。
アルメも店内に入って、会話に加わる。手を洗って、アイススプーンを握った。
「どのアイスを召し上がりますか?」
「一番人気なのはどれ~?」
「一番人気は――……ええと、白鷹ちゃんアイスですね」
「はぁ!? 何だよそのアイス!」
商品名を答えると、チャリコットは大袈裟にカウンターへと崩れ落ちた。ジェイラが腹を抱えて笑い出す。
彼は突っ伏したまま呻き声をあげた。
「あの野郎、お菓子屋まで浸食しやがって~……」
「あっはっは! でも白鷹ちゃんアイス、普通に美味いよ」
「牛乳とバニラのアイスです。結構甘いですけど、冷たさで爽やかな味わいになるので、男性にも人気です」
「くそ~美味そ~! でも俺は食欲ごときに屈しねぇぞ! 蜂蜜レモンアイスにするわー」
おかしな苦しみ方をしているチャリコットに笑いながら、注文通りにアイスをとって器に盛る。
スプーンを添えて出すと、彼はパクリと頬張った。垂れ目を細めてもぐもぐと咀嚼する。
「いや、美味いなこれ! もっと早くに食いに来てればよかった~。暑い日とか最高じゃん」
「ありがとうございます。お口に合ってよかったです」
「家に冷凍庫あったら、買い溜めて毎日食えるのにな~。うちに氷魔法士がいてくれたらな~」
そう言いながら、チャリコットはチラリとアルメに視線を送った。ついでにウインクまで投げて寄越す。
受け取ったアルメは密かに冷や汗をかいた。どうやら『あの返事』を催促されているようだ……。
覚悟を決めて、カウンター裏の引き出しから小さな巾着袋を二つ取り出した。
巾着袋の中には先日購入したブレスレットが入っている。チャリコットに渡す方を確認して、彼に差し出した。
「……あの、チャリコットさん。この前のお返事ですが……大変申し訳ございません。あなたに軍神の加護がありますように」
「あちゃ~、愛の神の加護は逃したか~……!」
チャリコットはブレスレットを受け取って渋い顔をした。けれど、雰囲気は変わらずにのんびりとしたままだ。
覚悟していた気まずい空気は訪れなくて、アルメは肩の力を抜いた。
チャリコットは早速ブレスレットを取り出して、左手に着けた。
彼の手首には既にもう一つ、オレンジ色のブレスレットが巻かれている。これはジェイラが贈ったものだろう。
アルメが贈った赤いブレスレットと、ジェイラの贈ったオレンジのブレスレットが手首に並ぶ。
目の高さに掲げて眺めて、彼は満足そうに頷いた。
「返事は残念だけど、加護は厚くなったわ。ありがとねー」
「すみません、お待たせしておきながら、良い返事をできずに……」
「いいっていいってー。また普通に友達として飯食いにいこうぜ。……まぁ、次があれば」
「え?」
間延びしたチャリコットの声が、言葉尻でわずかに低いものに変わった。
ジェイラも気が付いたのか、会話に入ってきた。
「なになに? なんかあった?」
「いや~なんかさ~、この前占いの結果悪かったんだよねー」
「占い、ですか?」
占いと聞いて、アルメは神妙な顔をした。
前までは占いなんて、それほど信じていなかったのだけれど……金難と怪我の占いがばっちり当たった後なので、もう最近ではそれなりに信じている。
結果の精度は占い師の能力にもよるが、悪い結果が出たというのは素直に心配だ。
レモンアイスを一気に頬張って、チャリコットはもごもごしながら話し始めた。
「こないだ軍の連中と飲んだ後、酔ったノリで、占いで勝負しようぜ~! つってその辺の占い屋に寄ったんだけどさー」
「占いで勝負、とは?」
「一番良い運勢が出た奴が勝ち、っつー勝負」
なるほど、前世のおみくじのような感覚だろうか。大吉から凶までの運勢で、勝ち負けを決めるような感覚だろう。
「そんで適当に入った占い屋がカード占いの店でさー。裏返しになってるカードを引いて、出てきた絵柄で未来を占うんだけど、それがなんか微妙だった」
「悪い絵のカードを引いてしまったんですか?」
「そー。真っ黒で角と翼が生えてるやつ。それ、『竜』のカードだってさ」
「カード占いだと竜のカードなんざ普通だろ。たまたま引いちまっただけっしょー」
ジェイラがあきれたようにツッコミを入れたが、チャリコットは腑に落ちない顔をしたままだった。
彼はぼそぼそと話を続ける。
「全員、同じカードを引いたんだよ。五人いたのに、全員『竜』を引いた。一回ごとにカードをシャッフルしてーっていうやり方だったのにさ。一枚しか入っていないカードを全員が引いちまった」
ぞくりと、背中に冷たいものが走った。そんな偶然あるのだろうか。
固まったアルメを見て、チャリコットは声音をやわらげた。表情を戻してゆるく笑う。
「ってまぁ、そんな結果が出たもんだから、みんな一気に酔いが冷めてさ~。ゲラゲラ笑いながら占い屋に入ったのに、出る時には誰も喋らねぇの。隊長に怒られた後みたいな空気になってて、それは結構面白かったわー」
「笑い事ですか……」
思い出したように肩を揺らして笑い始めたチャリコットを見て、アルメも体のこわばりを解いた。
ジェイラは売上金の計算に戻って、チャリコットに手を伸ばす。
「普段、占いなんか信じねぇ! とか言ってる軍人どもが、そろいもそろって何ビビってんだよー。――てかほら、早く代金寄越しな」
「はいはい」
アイスの代金を支払うと、チャリコットは席を立って伸びをした。カウンターに目を向けて、もう一つ残った巾着袋を指さす。
「こっちもブレスレット? アルメちゃん、俺の他にも振る相手いるのー? なかなかやるじゃ~ん!」
「いや、こっちは……特に振るとかそういうアレではなくって」
「そっちのブレスレットは本命なんだよなー! 白鷹様に贈る用の」
「本命とかそういうアレでもありませんが!」
ジェイラのからかいに、早口で言い返してしまった。チャリコットはまた大きく崩れ落ちた。
「ぐわ~っ! なんだよそれ、聞くんじゃなかった! やっぱり白鷹を選びやがったな、アルメちゃんめ~。くっそ~……白鷹の奴、許さん! 次会ったら泣かせてやる!」
「やめてください! 彼をいじめないでくださいよ……!」
つい前のめりになって止めてしまった。しょうもないことで内輪揉めをするのはやめてほしい。
「いやいや、冗談だよ。つーか、すかしたツラした戦場の鷹が泣くかって」
「ええと、まぁ、一応白鷹様も人間ですから……」
その泣きそうな顔を見たことがあるから、こうして止めているのだ。
土下座姿で泣き出しそうな顔を晒した白鷹は、か弱いヒヨコのようだった。あの姿を思うとどうしても、守らなければ、という気持ちになってしまう。
戦場での姿を知らないので、アルメにはこちらの印象の方が強いのだ。
チャリコットと会話をしているうちに、ジェイラが作業を終えた。
「よっしゃ、終わり~! そんじゃ、アタシも上がるわー」
「今日もありがとうございました。お疲れさまです」
彼女は脇に置いてあった鞄を背負うと、チャリコットを引っ張っていった。
「お疲れさん! またね~!」
「アルメちゃん、ブレスレットありがと~!」
「また食べにいらしてくださいね」
別れの挨拶を交わすと、二人は仲良くお喋りをしながら店を出ていった。
告白の返事を返す、というのは、アルメにとっては大きなイベントだったのだが、思っていたよりさらっと済んでしまった。
「チャリコットさん、大人だわ……これが経験値の差」
しみじみとした声で呟いてしまった。
ともあれ、気まずい雰囲気にせず、軽く流してくれたのは本当にありがたいことだ。彼の心遣いに感謝したい。
また友達として、楽しくご飯を食べられたらいいなと思う。できれば、今度はエーナやアイデン、そしてファルクも一緒に。
よく似た姉と弟は、夕焼け空の下、路地を歩いていく。
チャリコットは何てことない風を装っていたけれど、ジェイラの目から見ると、様子がおかしいことなんてバレバレだ。
アルメに振られる前――店に顔を出した時から、調子が悪そうだった。この強がりな弟は隠そうとしているようだが、まだまだ修練が足りない。
男の意地だとか、軍人のプライドだとか、そんなものはジェイラにとってはまるっと全部、どうでもいいことである。
脇腹を小突いて、元気のない理由をすっかり吐かせてみることにした。
「――で、どしたん? 元気ないじゃん」
「え~? やっぱわかる~? ……いやぁ、占いがさぁ、結構心にきてるっつーか」
「お前そういうの、そんなに信じるタイプだっけ?」
「いやぁ、まぁ……」
歯切れの悪い返事をするチャリコットを、急かさずに見守る。弱音を吐くのに時間がかかるのは、子供の頃からの彼の癖だ。
しばらく待っていると、ようやく続きを喋りだした。
「……占いで『竜』のカードを引いた後、酔いが冷めたって話したじゃん? みんなビビってたから、その後、もうちょっとちゃんとした占い屋に行ったんだよねー。そこで五人それぞれ、未来を占ってもらったんだけどさー」
「おー、どうだったの?」
チャリコットは一度口をつぐんだ後、ぽつりと言った。
「俺だけ、占いの結果が出なかった。何も見えないってさ。返金されちった」
未来を占ったのに、その結果が出なかった。……それはつまり、そういうことだ。
しょんぼりとした顔で、チャリコットは路地の石床を見つめて歩く。ジェイラはその背中を力一杯叩いてやった。
「やっぱ晩ご飯、今日もアタシのおごりにしてやるよ。好きなもんを好きなだけ、思いっきり食え。好きな酒をたらふく飲んで、なるべく早く、好きな奴らに会いに行っとけ。そんで全部済ませた後、教会に行こうぜ。アタシも神への祈りに付き合ってやるよ」
「……おう、そうする。ありがと」
顔を上げて、チャリコットは小さく笑った。
チャリコットがどの占い屋に行ったのかはわからないが、占い屋なんてものはピンからキリまである。
精度の低い占い屋に当たったのだと信じよう。
軍神の加護を、手首に二重に重ねた男が、そう簡単に天に昇るものか。加えてこちらには、『軍人の守り神』だってついているのだ。
ジェイラはチャリコットの手を引っ張って、焼肉屋に連行した。
弱った時には肉! と相場が決まっている。今日はたらふく食わせてやろうと思う。




