6 女子会と噂の神官様の話
不動産屋を出て、また通りを歩き出す。
図書館へ向かっていた時とは打って変わって、足取りはもうすっかり軽い。
なぜなら次の予定――本日三つ目の予定は、友達とのランチだからだ。これこそが、今日のメインである。
大通りをいくらか歩き、開けた広場へと歩を進める。中央に噴水のある大広場は、今日も多くの人々で賑わっていた。
路上演奏者の奏でる音楽と歌声が耳に心地良い。曲目はこの街の定番、『人生は気楽に、愛は真心のままに』だ。
ズラリと並んだ出店からは、美味しそうな料理の匂いが漂ってくる。昼時ということもあり、店の前は人でごった返していた。
楽しい雰囲気に心を浮き立たせながら、噴水の方へと急ぐ。
噴水の中央には優美な女神の彫像があり、ちょうどその正面に、アルメの探している人物が待っていた。
その人物――仲良しの友達は、大きく手を振ってきた。
「アルメー! こっちこっち!」
「エーナ、待たせちゃってごめんね!」
友達の名前は、エーナ・コールという。アルメと同い年の幼馴染であり、親友だ。
肩のあたりで切り揃えられた外はねの金髪は、彼女の明るく元気な性格をそのまま映し出したかのようで、よく似合っている。
エーナは地味なアルメとは対照的な女性だけれど、逆にそれがパズルのようにハマったのか、不思議と小さい頃から馬が合った。
小学院の入学時――六歳の頃に知り合ってから、今までずっと仲良しの関係だ。
大人になってからも、定期的にランチをしては、近況を報告し合ってきた仲である。今日も遠慮なく、諸々の報告をさせてもらおうと思う。
エーナは元気な外はねの金髪を揺らし、青い瞳をキラキラさせて、こちらに歩み寄って来た。
「もうお腹ペコペコよ~! アルメは何食べたい?」
「私は何でもいいわ。今日はエーナに任せる」
「じゃあ、そこのケバブでいい? 待ってる間ずっと見てたから、もうケバブを食べる口になっちゃってて」
「ふふっ、何それ、どんな口よ」
ペラペラと喋り出すエーナに、思わず笑ってしまった。飾らない彼女の性格は、さっぱりとしていて気持ちがいい。
エーナには婚約者がいて、名をアイデンという。アイデンも幼馴染である。
アルメとエーナとアイデンは、たまたま小学院で席が近かったことから交流が始まった仲だ。未だに皆仲良しなので、本当に良い出会いに恵まれたと思う。
二人で屋台に寄って、野菜と肉とソースがたっぷりのケバブを買った。あたりを見まわして、ちょうど空いたテーブルを確保する。
エーナがジュースを購入しに行き、戻ってきたところで、本日のランチタイムはスタートした。
早速ケバブにかぶりつきながら、エーナは何の気なしに、もごもごと問いかけてきた。
「フリオさんへのプレゼントはどうだった? スカーフ喜んでた?」
「んぶっ、ごほっ……」
初っ端からド直球の話題を繰り出されて、思わずむせた。話すつもりだったから別に良いのだけれど、ワンクッションくらいはおきたかった。
涙目で咳をしながら、話を切り出すことになった。
「あのねエーナ……実はスカーフ、渡せなかったの。渡す前に、ちょっと揉め事が起きちゃって……」
「え、どうしたの? 喧嘩でもした?」
「まぁ、喧嘩と言えば喧嘩かも……。……驚かずに聞いてね。なんと浮気現場に遭遇して、そのままその場で婚約破棄されちゃったわ」
一息で言い切ると、エーナはケバブに嚙り付こうとした口のまま、ピシリと固まった。
「え……? は……?」
「彼、職場の作業室に浮気相手を連れ込んで、盛り上がってたの」
「何かの見間違いとかじゃなくて……?」
「それはもうガッツリと、口づけを交わしていたわ。ガッツリと」
あきれた半笑いで答えると、エーナはケバブを食べるのをやめて、思い切り険しい顔で言い放った。
「何よそれ、大馬鹿野郎じゃない! 信じられないんだけど……!!」
「うん……私も信じられなかったんだけど、今日午前中に図書館に寄ってきたら、二人そろってしっかりイチャイチャしていたわ。フリオは浮気相手と新しく婚約を結び直したんですって」
「はぁっ!? そんなことってある……!? 最低だわ……」
エーナは、はぁ……と深くため息を吐いた。そのまま静かになってしまった彼女に、困り顔を向けつつ話を続ける。
「一緒に贈り物のスカーフを選んでもらったのに、ごめんね」
「それはいいけどさぁ……」
フリオに贈る予定だったあの水色のスカーフは、エーナが一緒に選んでくれたものだった。
男性へのプレゼント選びに自信がなかったので、お願いして、買い物についてきてもらったのだ。
『大丈夫! 絶対喜んでもらえるよ!』と背中を押してくれたのに、贈ることもできずに終わって申し訳ない……。
エーナは気遣わしげにこちらを見る。
「スカーフはいいとして、アルメは大丈夫なの? ショックで寝込んだりしてない?」
「うん、私は大丈夫よ。……思い返せば、元々それほど上手くいってなかったような気がするし。思ったよりダメージは少ないわ。まぁ、ショックではあったけれど」
喋りながら、フリオとの日々を思い返す。実は以前から、フリオとの間には溝を感じ続けていたのだ。
そのきっかけは、初めての顔合わせを終えて、家まで送ってもらった馬車の中での出来事だった。
「なんだか情けなくてエーナにも話せずにいたんだけど……初めてフリオと縁談の顔合わせをした日に、二人きりになった馬車の中でキスされそうになってね……。私ビックリしちゃって、拒んじゃったのよ。その後から彼はちょっとトゲトゲしてて……。溝のある関係からスタートした仲だから、まぁこういう終わりでも仕方ないかなぁって思うわ」
ただでさえ緊張していた顔合わせの後、馬車の中で突然腕をまわされて、キスされそうになった。
つい体が大げさに動いてしまって、突き飛ばすようにフリオの体を押しのけてしまったのだった。
それからというもの、微妙な空気の関係を維持してきたのだった。もうフリオからキスを求められることも、触れられることすらもなかった。
婚約半年のプレゼントを贈ったのも、この溝を埋めてもう少し仲良くなりたい、という気持ちからだった。
「そういうわけで、結局溝は埋まらずに終わったけれど、まぁ、これで良かったのかもしれないなぁって思う」
「……そっかぁ、そんなことがあったのね……話してくれたら良かったのに」
「うん、ごめんね……。エーナとアイデンが仲良しだから、私も頑張らなきゃ、――なんて、変に気負ってたのかも。これからは、もう少し気楽にいくことにするわ。破談で人生の予定もパァになったことだし、しばらくは自由にやりたいことをやっていこうと思う」
笑顔で言い切って、ジュースをあおった。プハァっと豪快に息を吐くと、エーナも笑顔を見せた。
「そうね、その意気よ! ――やりたいことって、もう何か決めてるの?」
「えぇ! 家の一階でまたお店をやってみようかなって。氷のデザートを作ってみるつもり。苺とかリンゴとか、色んなフルーツの氷菓子を用意して」
「あら、良いじゃない! 前のジュース屋さんも人気だったし、きっとお客さんたくさん来るわ! 手が足りなかったら私も手伝いに行くから」
話題が変わって、いつも通りの楽しいお喋りが始まった。
食事を再開して、ケバブにかぶりつきながら、もごもごと言う。
「お手伝いは嬉しいけれど、エーナとアイデンは今年結婚するし、忙しいんじゃない?」
「まだ先の話だし、結婚といっても手続きするだけで軽く終わらせるつもりだから、全然余裕よ。あぁ、さすがに身内でパーティーくらいは開くから、是非来てね。……まぁ、アイデンの仕事の都合によっては流れるかもだけど」
エーナの婚約者――アイデンは軍人だ。魔物がはびこる黒霧の戦地を駆ける戦闘員である。
この世界には魔物と呼ばれるモノがいる。黒い霧が発生し、寄り集まって、動き出したモノ。真っ黒な姿をしていて、巨大な鳥や虫や、獣の形をしている。
アルメの前世の感覚では考えられない現象だが、この世界の感覚だと、『悪天候の災害』のようなものだ。
主要な大都市には聖女によって強力な結界が張られているので、中に入ってくることはないけれど、小さな街や農村なんかは時々大きな被害を受ける。
魔物が発生した知らせを受けると、近くの軍に掃討の命が出る。ここ副都ルオーリオの周囲でもちょくちょく魔物が発生するので、命令が下る度に、アイデンは戦地へと駆り出されるのだった。
魔物がいつ出現するかはわからないから、エーナとアイデンの結婚パーティーも魔物次第というわけだ。
「時期が近くなったら、魔物が出ないよう毎日神様に祈っておくね。せっかくの二人の結婚だもの、絶対パーティーしましょう!」
「うん、お願い! ――あ、そうだ。魔物で思い出したんだけど、」
ふいにエーナが別の話題を持ち出した。
「アルメは例の人、もう見た?」
「え? 例の人って、何の話?」
突然振られた話にキョトンとした。例の人とは誰のことだろう。思い当たらなくて、そのまま聞き返してしまった。
エーナはやれやれ、といった風に喋り出した。
「やっぱりそんなことだろうと思ったわ。例の人って言ったら、今話題のあの人しかいないでしょ。『極北の白鷹、ファルケルト・ラルトーゼ様』よ!」
「ご、ごめん……どちら様……?」
名前を出されたところで知らない人だった。
アルメはこの手の話題――世間の流行りのネタに弱いのだ。特に人物絡みとなると、まったくついていけなくなってしまう。
そういうところは前世の頃から何も変わっていない。
前世でも芸能人にうとかったし、流行りのグループのメンバーなんかも、まるでわからなかった。流行っていることすらも知らないまま、完全に乗り遅れて話にならない、というざまである。
そんなアルメとは対照的に、エーナは芸能通の女子のように、得意げに話し始めた。
「ラルトーゼ様は半月前くらいに、極北の街からルオーリオに異動してきた上位神官様よ。みんな『白鷹様』って愛称で呼んでるわ」
神官とは、前世でいうところの医者のような身分の人である。しかし前世の医者と決定的に違うところは、神官には治癒魔法が使えるところだ。
治癒魔法は、生まれ持って授かる普通の魔法とは違って、医神と契約することで初めて使えるようになる特殊な魔法だ。
医学や薬学、その他あらゆる学問を修め、神に認められた者しか契約の儀式を通ることができないという。神官とは、まさにエリートの職である。
さらに上位神官ともなれば、雲の上の人だ。上位神官が担当する患者は、王族や高位の貴人、国の重鎮たちである。
ちなみに一般庶民が神殿で治療を受ける時には、主に下位神官と見習い神官が担当してくれる。
専門の学院を修了した後、医神との契約をしないで街医者として開業する者も多くいる。神殿での神官の治療は医療費が高くつくので、庶民は街医者を利用する者も多い。
「へぇ、新しい上位神官様が来たのね? でも上位神官様って、お城にいるような人たちでしょう? 庶民が騒ぐことかしら」
「それがね、白鷹様はお城勤めじゃなくて、戦地に向かう従軍神官なの!」
「あら、それは珍しいわね」
従軍神官は、ルオーリオ軍について戦の前線に立ち、戦闘員たちを治療する神官だ。
兵士が魔物に噛みつかれたら、即座に治癒魔法を飛ばして命を繋ぐ――という、大変な仕事をしているとか。
腕のある従軍神官は、魔物に食い千切られた兵士の首を拾って、胴体と繋げて蘇生する。――なんて話も聞いたことがある……真偽のほどはわからないけれど。
現場を見たことがないけれど、なにやらすごい仕事らしいことは確かだ。
「ルオーリオ軍が出軍する時には、従軍神官も隊列に加わって行進していくでしょう? 白鷹様はこの街に来て早々の出軍で、見送りの人たちの間で一気に人気が出ちゃって。もうファンクラブまでできてるらしいわ」
この街では軍が戦地に出向く時、士気の鼓舞と見送りを兼ねて、中央の大通りを隊列が行進していく。
軍人たちが列をなしていく様は圧巻で、もはや半分イベントのようになっている。もちろん、観光客にも大人気だ。
その行進イベントにおいて、容姿が華やかな軍人は当然、ものすごく人気が出る。
庶民はいわゆる『推し』を作って、街路から声をかけたり手を振ったり、キャーキャー言っているのだった。
どうやら、白鷹とやらはこの街に異動してきて早々に、多くのファンを得たらしい。
「ファンクラブって、すごいわね……そんなに素敵な人なの? エーナは見たことある?」
「えぇ、もちろん! アイデンの見送りついでにね。びっくりするくらい綺麗な人よ。極北の雪のような白銀の髪に、鷹の目みたいに鋭く輝く金色の瞳。『目が合うと、婦女子は気を失って倒れるから気をつけろ』なんて話が出まわってるくらい」
「こ、怖いわね……それ何の呪い?」
目が合ったら倒れるなんて、何かの呪いを疑ってしまう。そう言うと、エーナは大笑いしていた。
ひとしきり笑った後、エーナは微笑みながらも、真剣な目をして言う。
「まぁ、容姿は置いておくとして。実力のある人が来てくれて良かったわ。『極北の白鷹』って軍人の間では前から結構有名でね、極北の街では白鷹様が従軍神官になってから、軍人が一人も戦死していないそうなの」
ポツリと呟いたエーナの言葉にハッとした。
エーナは恋人のアイデンが戦に行くと、帰ってくるまでの間、毎日教会に通って神に祈りを捧げている。勝気な性格なので人には見せないようにしているけれど、きっと不安で仕方がないのだろう。
『極北の白鷹』がそんな彼女に安心をもたらしてくれる存在ならば、自分も心から、彼の来訪を喜びたいと思う。
「エーナ、今度出軍があったら、私も一緒に見送りに行ってもいいかしら。私も白鷹様に、街に来てくれた感謝と応援の気持ちを届けたいわ」
「えぇ、行きましょう! アイデンのことも忘れず応援してあげてね」
「ふふっ、もちろんよ。アイデンは手を振らないと拗ねそうだし」
喋りながら食べているうちに、ケバブはペロリと胃の中に収まった。
何かデザートでも買いに行こうかと相談している時、近くの出店から、店員の威勢の良い声が届いた。
「はいよ! バナナドリンク一つに、白鷹ドリンク二つね!」
聞こえてきた言葉に軽く吹き出した。今さっき覚えた名前を、もう別の場所で聞くことになるとは。
「白鷹ドリンクって何!?」
「気になるわね、覗いてみる?」
好奇心にニヤつくエーナに連れられ、出店へと歩み寄った。ドリンク屋を覗くと、店員のおじさんが陽気に喋りかけてきた。
「お嬢さんたち、注文かい?」
「あぁ、っと、あの、白鷹ドリンクって何かなぁと」
「ココナッツミルクのドリンクだよ。白いから白鷹ってな! 流行りには乗っかってなんぼだろ?」
店員のおじさんはガッハッハと豪快に笑った。
エーナも少々あきれた顔をしつつ笑う。
「今、白いものがすごく売れるのよ。うちの実家の花屋も、白い花を大量に入荷して売りさばいてるわ」
「商魂たくましい……」
世間の商売人たちは、もうガッツリ白鷹ブームに乗っているらしい。目をまるくしていると、エーナに肘でつつかれた。
「アルメもお店を始めるんでしょう? なら、世間のブームには乗っておいたほうがいいわよ」
「私も白鷹アイスを作るべきかしら。――あ、」
冗談のつもりで口に出したのだが、ふと思いついた。前世には、ちょうど真っ白なアイスがあったではないか、と。
「――そうだ、ミルクアイスを作ってみようかな」
思いついた案に胸が高鳴った。
無意識のうちに、先日の第一号の客――ファルクの顔を思い出す。
ミルクアイスを作ったら、あのお客さんはまたキラキラと目を輝かせてくれるだろうか。――そんなことを考えて、ついウキウキとしてしまった。
客の喜ぶ顔は、店主の一番の力となるのだ。