59 軍学校の文化
調理室のコンロに鍋を二つ並べて、牛乳を火にかけていく。作っているのはミルクアイス液だ。
これからはアイス屋用とカフェ・ヘストン用に、ミルクアイスはたっぷりと作っておかなければいけない。
鍋から香る甘いバニラとミルクの匂いを楽しんでいると、後ろからエーナとジェイラに声をかけられた。
二人には調理テーブルで果物の皮をむいてもらっている。こちらはフルーツアイス用だ。
「アルメ、この前のチャリコットさんへの返事ってどうなったの? 実はもう、お付き合いしてたり?」
「まさか! 今週中にはお返事をしようと思っていたところ」
「お! もう返事決めてる感じー?」
エーナとジェイラに期待に満ちた目を向けられて、ちょっと身をすくめてしまった。良い答えは返せないので……。
「チャリコットさんのお誘いは、やっぱりお断りすることにしたわ。場数を踏むためにお付き合いをするっていうのは、なんだか誠実じゃない気がして……。気楽に考えてみようって思ったんだけど、楽な気持ちで考えた結果、この結論に至りました……」
仲を取り持ってくれたジェイラには本当に申し訳ない。けれど、やはりこういう軽い恋仲の始め方は、自分には向かない気がした。
これがアルメの率直な気持ちだ。
「せっかくジェイラさんに機会を作っていただいたのに、本当にごめんなさい。こんなんじゃ私、いつまでたっても経験値なんて得られませんね……」
「いいっていいってー。気が乗らないから断るってのも、経験っしょ」
思い切り渋い顔をするアルメとは裏腹に、ジェイラはいつも通りにカラッと笑っていた。
エーナがオレンジの皮をむきながら、話を続ける。
「そうね、断るっていうのも経験よね。人を振ってしまうっていうのも、結構勇気がいることだし」
「そう……そうなのよね。実はその勇気が出なくて、返事を先延ばしにしてしまっているの……本当に最低なことに……」
「大丈夫だよ、チャリコットの奴は気にしないと思うよー? 断りにくければ、いい方法教えてやろっか?」
「いい方法?」
アルメが聞き返すと、ジェイラは『軍人の気楽な振り方』なるものを教えてくれた。
「軍学校の連中がやってることなんだけど、相手を振る時は、返事の代わりにブレスレットを贈るんだよ。革紐に軍神の名前を入れて、『加護がありますように』つって渡すの」
「それは面白い文化ですね。初めて聞きました」
アルメの前世の学校には、好きな人から第二ボタンをもらう、なんて文化があったけれど、この世界の軍学校にも独自の文化があるらしい。
「振られれば振られるほど軍神の加護が増えていって、そいつは強くなる、っていう」
「恋人を逃す代わりに、加護を得る仕組みなんですね」
「そうそう。ブレスレットの数を競い合ってネタにもなるし、堅っ苦しいやり取りをするより、お互い気楽でいいっしょ~?」
確かに、この方法ならあまり気まずい雰囲気にならずに済みそうだ。それなりの物を贈れば、お詫びの品も兼ねることができる。
「明日アイス屋休みっしょ? 暇だったら買いに行くー? アタシの馴染みの店でいいとこあるんだけど」
「是非、お願いします! チャリコットさんの好みに合いそうなものも、教えていただけると助かります」
「それなら私も行きたい! アイデンのお守り兼、虫払い用に、派手なブレスレットが欲しいわ」
お守りという言葉を聞いて、ふと思いついた。それならこの機会に、ファルクにも一つ贈ろうか、と。
「軍人さんへのお守りを神官様に渡してもいいものかしら?」
「白鷹様に渡すのー? 従軍神官は半分軍人みたいなもんだから、いいんじゃね」
「――いや、でも、庶民から物を贈られても迷惑か……」
安っぽい装飾品を贈られても迷惑だろうか、という思いが胸をよぎる。――が、悩み込む前に、アルメの背をエーナの明るい声が押した。
「大丈夫よ、ファルクさんなら絶対に喜んでくれるって! ――って、なんか前にも私、アルメに同じようなことを言った記憶が」
「ベアトスさんへ贈るスカーフを選んだ時ね……」
「ごめん……今のなしにして」
前にフリオへのプレゼントを選んだ時のやり取りを繰り返してしまって、エーナと二人で苦笑してしまった。
今度こそは、プレゼントを無事に渡して、喜んでもらえたらと思う……。
■
翌日、アルメはエーナとジェイラの二人と待ち合わせて、革細工の店へと向かった。
ジェイラが軍学校時代からひいきにしている店だそう。迷路のような路地の奥の奥にある店で、地元民でも迷うほど、難易度の高い場所にあるらしい。
彼女について路地を進んでいくと、小さな工房があった。
壁にはつる草が絡まっていて、雰囲気のある店だ。魔女の家、もしくは秘密基地みたいでドキドキする。
ジェイラが元気よく扉を開けると、工房の中には魔女ではなく、高齢の男性の職人がいた。
もさもさとした真っ白な髭をたくわえた革職人――店主は、にっこりと目を細めた。
「おぉ、ジェイラちゃんかい。久しぶりだねぇ。どうした? ま~た男を泣かせるのか?」
「今日はアタシじゃないよ。男を泣かせるのはこっちの子~」
ジェイラはアルメの背をポンと押して、店主の前へと押し出した。
「な、泣かせるというのは語弊が……!」
「おやおや、お嬢さんは軍学校の子かい? なんだか、剣を握るようには見えないが。それにそっちの金髪のお嬢さんも、ずいぶんと綺麗な手をしているね」
「ええと、私たちは軍学校の人間ではないんです。部外者ですが、ブレスレットを購入できますか?」
アルメとエーナは身を寄せて、大丈夫だろうかと顔を見合わせる。二人の心配をよそに、店主は店の奥へと案内してくれた。
「もちろん、歓迎するよ。いや、大歓迎と言っておこうか。軍学校の子たちしか来ない店だから、街のお嬢さんたちが来てくれて嬉しいよ。さぁ、色々と見ていっておくれ」
小さな店の中には壁に沿って棚が並び、革紐と小物がズラリと並んでいる。
革紐は指の幅ほどの、平たいものが多い。シンプルな形だが、色とりどりで見ていて楽しい。
「ブレスレットにはこの平たい紐を使うから、好きな色を選んでおくれ。紐を選んだら、次に合わせるビーズを選ぶ。そして最後に、刻印する言葉を決めてもらう。それを仕立てて完成って流れだ。お代は一つ三千Gね」
「組み合わせを選べるんですね」
「楽しいわね! 何色にしようかな」
ブレスレットは半オーダーメイドで作れるらしい。センスが問われるけれど、組み合わせを選ぶのは楽しそうだ。
エーナとジェイラは早速紐を見まわして、それぞれ気に入った色を手に取った。
「アタシもチャリコットに贈ってやろ~っと。オレンジにしよっかなー」
「私は虹色にするわ。一番派手なやつ!」
「ジェイラさん、チャリコットさんは何色がお好きなんでしょう?」
「あいつは手持ちの物、赤系の色が多いかな~」
「じゃあ、チャリコットさんには赤色を贈ろうかしら。ファルクさんには――」
白色を手に取ろうとしたけれど、やめておいた。淡い色はすぐに汚れてしまいそうだ。
一応戦地へ行く人に贈るものなので、汚れの目立たない色を選んでおこう。……着けてくれるかはわからないけれど。
神官服の色から取って、青色を選ぶことにした。昼の空のように深い色合いで綺麗だ。
革紐はしっかりとしているわりにやわらかくて、着け心地も良さそう。
革紐を選んだら、次はビーズが置かれている場所に移動する。
テーブル一面にビーズ入れが置かれていて、革紐のサイズに合った四角く平たいビーズが輝いている。
艶やかなガラスのビーズは飴みたいだ。こちらも色とりどりで、迷ってしまう。
センスうんぬんは置いておいて、もう三人とも、好きな色を好きなように選んでしまった。カラフルなブレスレットが出来上がりそうだ。
選んだものをトレイに乗せて、次の場所へ移動する。次は革に彫る言葉を決めるそう。
店の端の小さなテーブル集まって、三人で身を寄せ合って席に座る。店主がテーブルの上に、何冊かの小冊子を置いた。
「これを参考にどうぞ。こっちの冊子には神と精霊の名前がまとめてある。こっちは祈りの言葉とまじないの呪文。こっちには詩と、流行りの歌の歌詞も載せてある。短い文しか入れられないが、もちろん、自分でメッセージを考えてもいいよ」
渡された冊子を手に取って、パラパラと見てみる。
神や精霊に加護を求める祈りや、幸運の祈り、ラブソングの歌詞など、色々載っていて面白い。
この街の古い歌『人生は気楽に、愛は真心のままに』も、ばっちり載っていた。
ジェイラは開いたページを指さして言う。
「チャリコットにはこれでいいと思うよー。軍神『グラディウス』の加護。軍人のお守りの定番。アタシもグラディウスにするわ~」
「じゃあ、チャリコットさんには神様の名前と加護を」
「アイデンにはどうしようかな。私の名前を大きく入れてもらおうかしら。でも強運のおまじないも捨てがたいわ」
アルメとエーナは冊子を見ながら悩み込む。アルメは詩が載っている冊子も開いてみた。
連なる文字を目で追っているうちに、一つ良さそうな詩を見つけた。
『大切な人よ。あなたと共に朝のパンを』
なんとなく、シンプルなフレーズが気に入った。すっきりとした言葉の中に、生活感があって温かみを感じる。
(一緒にご飯を食べましょう、って意味かしら? ファルクさんは朝に来店することが多いし、いいかもしれない。食べるのはパンではなくてアイスだけど)
戦地から無事に帰って、アイスを食べに来てほしい、という想いを込めて、この詩を刻印してもらうことにした。
「青いブレスレットの方は、この詩に決めました。エーナは何にした?」
「私はやっぱり自分の名前と、軍神への祈りに決めたわ」
「よっしゃー、じゃあ爺ちゃん、そんな感じでお願いしま~す!」
「はいよ。すぐ仕上げちまうから、待ってな」
店主はメモを取ると、三人のブレスレットセットのトレイを持って、奥の作業スペースへと歩いて行った。
刻印用の金具を木槌で叩いて、革に字を入れていく。字を入れた後はビーズを通して、紐の両端に留め具を付ける。
ほどなくして、出来上がったブレスレットをトレイに乗せて、三人の元に持ってきた。
テーブルに置かれた完成品を見て、ついはしゃいだ声を上げてしまった。
「わぁ、素敵!」
「お洒落ね! なんだかアイデンにあげるのがもったいなくなってきたわ……あの人すぐ汚しそうだし。今度は自分用にも作ろうかなぁ」
「軍人しか客がいねーの、本当もったいないよな~。爺ちゃんもっと店の宣伝したらいいのに」
「宣伝しようにも、店の場所を伝えるのが難しくってな。地区内の地元民にしか伝わらんから、もう諦めちまったよ。人の紹介が頼りだから、お嬢さんたちも友達を連れてきておくれ」
おおらかな店主はそう言うと、もさもさの髭を揺らして笑った。
会計を済ませて、アルメたち三人は店を出た。
店主は、路地の奥へと歩き去っていく娘三人組の背を見送って、しみじみと呟く。
「趣味でやってる店とはいえ、やっぱりお客さんが来てくれると嬉しいもんだ。――それにしても、あの詩を選ぶとは情熱的だねぇ。若さとは良いものだな!」
黒髪のお嬢さんが選んだ詩、『大切な人よ。あなたと共に朝のパンを』の一節は、とある古典文学から取り上げたものだ。
戦地に向かう夫に対して、妻が贈った情熱的な愛の言葉である。
『愛するあなた。早く帰って、私を夜通し抱きしめて。あなたの腕の中で朝日を迎えて、朝食のパンを共に食べたく思います』
これはこういう意味の詩だ。
古典に通じている者にとってはとても人気のある一節だが、知る人は多くはない。
冊子に載せてある大量の詩の中からこれを選び取ったとは、あの娘さんはなかなかに通であるらしい。
乙女にこの詩を贈られる者は、どんなにか幸せなことだろう。
店主は髭を撫でながら、この街のどこかにいる幸せ者へと思いを馳せた。




