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54 出掛ける前に自宅にて

 カランカランと玄関の呼び出し鐘が鳴らされた。気持ちの良い朝の空の下、訪ねて来たのはファルクだ。


 今日はアイス屋はお休みなので、客としてではなく、友人としての来訪である。彼は変姿の魔法を使って、外歩き用の茶髪茶目の姿をしている。


 この前カフェ・ヘストンで決めた、コーヒーフロートの試作会の日が来たのだ。ファルクとも予定を調整して、今日これから一緒にカフェへと足を運ぶところ。


 白鷹の身分を明かしてくれた日から、彼とは即日届けの手紙でやり取りをするようになった。


 こうして休みの日を合わせることができるようになったのは、嬉しい限りである。

 もう、たまたま二人の休みが被った『偶然の休日』に頼らずとも、街に遊びに出掛けられるので。


 アルメは一階店舗の玄関扉を開けると、ファルクを招き入れた。


「こんにちは、ファルクさん。試作会の時間より早くに呼んでしまってすみません。どうぞ上がってください」

「こんにちは。むしろ早くからアルメさんと遊べて嬉しいです。休日は神殿をうろついていても、追い出されてしまう身なので」


 試作会は昼過ぎからの予定なのだが、その時間よりも早く、ファルクを家に呼んでしまった。――というのも、ちょっと相談事があったからだ。


 フリオの叔父、ダネルから慰謝料に関する合意書が届いたのだが、送り返す時に利用する証明郵便の書き方がわからなかったので……。彼に相談することにした。


 こういう小難しい社会の仕組みは、子供の頃に学院で名前だけ教わるものの、具体的な活用方法は総じて教えられないものだ。


 『大人になって必要になったら、各々自分で調べて活用するように』というスタンスなので、結局仕組みを把握しないまま、忘れ去る人々が大半である。……言わずもがな、アルメもその一人であった。


 図書館で情報を仕入れるにも、アルメには少々行きづらい事情がある。そういうようなことをぽろっとファルクに話したら、教えてくれることになったのだった。

 ありがたく、勉強させてもらうことにする。


 そういうわけで、カフェでの試作会の前に、諸々の相談会をする運びとなった。



 ファルクを店に招き入れると、アルメはそのまま二階の自宅へと案内した――のだけれど、階段の前でファルクが足を止めた。


「ご自宅に上がってしまっていいのですか?」

「えぇ、もちろんです。筆記用具なども上にそろっていますから、店よりも自宅の方がいいかと」


 そう答えると、ファルクはどことなく複雑な顔をした。


「人の暮らしに口を出すのは失礼かと存じますが……あまり、独りの家に軽々しく男を上げない方がよろしいかと」

「さすがに人は選んでいますよ! 誰でも上げているわけではありません。信頼できる友人だけです。アイデンとか」

「……アイデンさんは上がったのですか」

「えぇ。彼はもう、子供の頃から何度も」

「じゃあ、俺も失礼します」


 アイデンの名前をあげると、ファルクは態度を一転させて、さっさと付いてきた。なんだかむくれた表情をしているように見えるのは、階段が薄暗いせいだろうか。



 二階自宅の扉を開けて、彼を中へと招く。居間のテーブルで早速書類を見てもらう。


 書類に目を通してもらっている間に、アルメはお茶を用意した。作り置きの冷たいお茶をグラスに注いで出す。


 アルメも向かい側の席に座って、テーブルの上に広がる書類とファルクに目を向けた。


 こうして自宅の居間で、人と二人で向かい合って座るのは久しぶりだ。ファルクが座っている場所には、前まで祖母が座っていた。


 祖母はこの風景を見たら何と言うだろう。『あらまぁ、私の席を取られてしまったわ』なんて冗談を言って笑うだろうか。

 

(子供の頃、おばあちゃんの椅子にぬいぐるみを座らせてままごとをしていた時に、そんなことを言われたっけ)


 ふいに思い出された祖母の言葉にほっこりとしていると、ファルクが顔を上げた。


「どうしました? ニコニコしたお顔をして」

「いえ、ええと、慰謝料を頂けることになったので、ファルクさんにお借りしていたお金も無事に返すことができそうだなぁ、と思いまして」


 人に書類を読ませておいて、自分は全然関係ない思い出にひたっていた、というのはアレなので、誤魔化しておいた。


 ――この慰謝料を返済にあてる予定なので、ファルクへの借金も晴れて清算となる。早くに返すことができてよかった、という気持ちでニコニコしているのは本当だ。


 気持ちを切り替えて、アルメも書類に向き合う。


「慰謝料には四百万G(ゴールド)頂けるそうなのですが、金額が大きくて驚いてしまいました。百万Gくらいかと思っていたので」

「家の格にもよりますが、今回のこの額は妥当だと思いますよ。庶民の家同士の縁談、且つ浮気による婚約破棄でしたら、百五十万前後が相場でしょうね。そこに諸々の揉め事の詫びを乗せて百万。あとはこれ以上事を大きくしないでほしい、という願いを込めて、百五十万を乗せて、計四百万G。大体こういう内訳でしょうか」

「そうなのですか……内訳とか、まったく考えていませんでした」


 この四百万という数字には、色々な思惑が込められているらしい。まじまじと書面の数字に見入っていたら、ファルクがニッコリと微笑んだ。


「あと百万G追加で請求して、五百万Gで合意としましょうか?」

「追加!? いや、あの、そこまでは……四百万Gで大丈夫です」


 穏やかな笑顔のわりに、抜かりない。


 こちらとしては、ダネルとは縁談の世話の件で今後もやり取りがありそうなので、あまり事を荒立てずにおきたい。


 アルメが現状のままを希望したら、ファルクは少し考える顔をした後に了承した。


「アルメさんがそれでよろしいのでしたら、このままで合意としましょう。では、サインを」

「はい」

「ついでに、俺も名を連ねておきます。少しばかり睨みを添えておきましょう」 

「ひえ……」


 白鷹の睨み添え……この書類が届いた時のダネルの胃が心配だ。フリオの胃はちょっとくらい、痛んでもいいとは思うけれど。


「なんだかダネルさんが可哀想に思えてきました……」

「アルメさん、人への優しさと甘さを混同してはいけませんよ。今は情をかける場面ではありません。毅然とした対応をしておかないと、相手側が付け上がってしまいますから」

「そう、ですね」


 付け上がる、という言葉に、なんとなくフリオが思い出された。フリオの意地悪癖は、へこへこと付き従っていたアルメの態度にも原因があったのかもしれない。


 もし、これから彼に応対することがあったなら、常にシャンとした態度でいようと思う。


 サインを終えると、ファルクは続けて、合意書と一緒に出す文書の作成を始めた。アルメの用意した紙に、さらさらと字を書き連ねていく。


 日付に、こちらの名前と住所、そして相手の名前と住所。慰謝料に合意した旨に、支払いを命じる通知文。そして支払い期限と銀行の口座番号。


 最後に、期限内に振り込みがなかった場合の処遇。ファルクはここに、『後見の者に手続きを代わる』という内容を盛り込んだ。


 この一文によって、アルメの名前に書き添えておいた、ファルクのサインが効いてくるらしい。

 意訳すると、『約束を守らなかったら白鷹が手を下すので、その覚悟をしておけ』という一文である。


 ……文書に同封して、胃薬でも送っておくべきだろうか、なんてことを考えてしまった。


 

 あっという間に書き上げられた文書を見て、アルメはしみじみとしてしまった。


「ファルクさんって、本当に何でも知っているし、何でもできますね」

「買い被らないでください。俺にはできないことも、苦手なものも多くあります。……最近だと、子供の患者の対応を間違えて、思い切り叱られてしまいました。四歳の女の子に……」

「四歳児に叱られるとは……何をしてしまったんです?」


 ファルクは今までの頼もしい顔つきを一変させて、情けない苦笑を見せた。


「子ども扱いしないでほしい! と怒られて、繋ごうとした手を振り払われてしまいました。身分の高い貴族のご令嬢とはいえ、まだ四歳ですから、ごく普通に子供に接するように振る舞っただけなのですが……。すっかり嫌われてしまいました」

「女の子は心の成長が早いですからね。子供だと思わず、お姫様を相手にするくらいの気持ちでいた方がいいのでは?」

「お姫様ですか。難しいですね。――こういう感じですか?」


 考える顔をした後、ファルクは席を立って、アルメの椅子の横に膝をついた。そのままの姿勢で手を差し出す。


「あなたをお慕いしております。どうか俺の手をお取りください。――こういう感じでしたら、女児に手を取ってもらえるでしょうか」

「人を女児に見立てて練習しないでください。そういうところを叱られたのでは?」

「……厳しいご指導、痛み入ります……」


 伸ばされたファルクの手をペシリと払うと、彼はしゅんと項垂れた。


 ……子供の頃絵本で見た、王子様とお姫様のワンシーンみたいで、ほんの少しだけ、乙女心がそわそわしてしまったのだけれど。その照れ隠しに手を叩いてしまったことは内緒だ。


 



 

 そうして雑談を楽しみつつ、書類を片付けて一息ついた後。アルメとファルクはアイス屋を出た。


 ファルクは肩に布鞄を下げている。この鞄の中にはアイスの容器と、保冷のためにたっぷりと氷魔石が入っている。これはコーヒーフロートの試作で使うミルクアイスだ。


 小ぶりな容器に詰めたので、アルメでも楽に持ち運べるのだけれど、出際にファルクに奪われてしまった。


 奪ったアイス鞄に手を添えて、ファルクは機嫌の良い声で言う。


「冷たくて心地が良いですね。ずっと抱えていたいくらいです」

「荷物持ちをさせてしまってすみません。肩が疲れたら、私が代わりますから」

「いえいえ、最後まで責任をもってお運びします。このアイスは俺が命をかけて、お守りいたしますよ」

 

 この神官はアイスが溶けたら、治癒魔法でもかけるつもりなのだろうか。

 アイスを治療する神官の姿を想像して、アルメは軽く吹き出してしまった。


 残念ながら、アイスを救えるのは氷魔法だけだ。

 

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