45 令嬢の恋の本番
路地の建物陰に隠れて、フワフワとした金髪の令嬢は、賑わうアイス屋を遠目に眺める。
キャンベリナ・デスモンドはいつもよりいくらか控えめな装いをして、身をひそめていた。
傍らには付き人一人と、庶民の格好をさせた二人の従者。キャンベリナは従者たちに命令する。
「あのアイス屋の商品を全て覚えてきてちょうだい。デスモンド家で同じものを作れるように」
「かしこまりました。レシピの再現には少しお時間をいただくことになるかと思いますが……」
「なるべく早くお願い。取るに足らない庶民娘のお菓子なんだから、再現なんて簡単でしょう? 料理人が泣き言を言わないでよね」
ピシャリと言い放って、二人の従者――デスモンド家お抱えの料理人を店へと送り込んだ。
彼らの後姿を見送りながら、キャンベリナは美貌を歪ませて笑った。
この前、銀行で白鷹とアルメが繋がっていたことを知った時には、地に叩き落とされたような心地がした。
あんなパッとしない黒ネズミのような女が、自分よりも良い男を連れているなんて、と……。
あの二人の様子が脳裏に焼き付いて、悔しさと腹立たしさのあまり、しばらく不眠に悩まされたほどだ。
――けれど少し日が経って、ようやく気持ちが落ち着いてきた。それというのも、考え方が前向きに変わってきたからだ。
アルメが白鷹と繋がっているということを知れたのは、良いことでもあるのだと、そう考えられるようになった。
ものすごく気分が悪いけれど、これは有益な情報なのだ。
だってあの程度の女でも、雲の上の人であるはずの白鷹と遊べるということが証明されたのだから。
客観的に見て、自分とアルメでは美貌と華やかさの格が天と地である。
レベルの低い女でも白鷹をたぶらかせたのだから、より格の高い自分が誘いをかけたなら、彼を魅了することなど余裕であろう。
接触することさえできれば、あっという間にこちらへ転げ落ちてくるに違いない。
(黒ネズミが身分不相応な関係を持っているなら、あたしだって良いに決まっているわ……!)
昔、神にドラマチックな恋愛を願ったが、今こそ、その願いが真に叶えられる時なのではないか――? と、そう思った。
神の後ろ盾を信じて、自分はこの燃え上がる気持ちのままに、自由に恋を追い求めても構わないのではないだろうか。
白鷹ほどの男なら、美貌の娘とこそ恋に落ちるべきだ。遊びとはいえ、あんな冴えない女を侍らせていたら、彼の名誉にも傷がつくというものだ。
白鷹のためにも、そしてもちろん自分のためにも、ファルケルト・ラルトーゼとキャンベリナ・デスモンドは二人で恋に落ちるべきである。
そう思い至って、心の調子を取り戻したのがここ数日のこと。今後の計画を練って、動き始めたのが三日前のことだ。
婚約者のフリオは何か言いたげな顔をしていたけれど、もうそんなことはどうでもいい。
(だってフリオは前座だったんだもの。あたしの恋の本番はここからなのよ! ね、そうでしょう、神様? だって白鷹様がお相手の方が、断然見栄えがいいもの! まさにあたしが望んでいた理想の恋だわ!)
胸の内で神へと喋りかけた。返事など返ってこないけれど、神はきっと応援してくれるに違いない、と信じている。
フリオはこれからの本番の恋を盛り上げるための、演出の一部に過ぎなかったのだろう。だってもう、これっぽっちも格好良く思えないのだから。
本当の王子様を間近に見てしまったら、もう他の男なんて取るに足らない脇役だ。
脇役との地味な恋などは望んでいない。自分が求めているのは、王子様との華やかで煌びやかな恋なのだ。
(……あの時はまさか白鷹様だなんて思わずに、ちょっと失敗しちゃったけれど……もっと彼に近づいて、関係さえ持てれば挽回できるはず)
この持って生まれた華やかな美貌を最大限利用して、白鷹を魅了してみせる。そう心に決めた。
――問題は、どうやって接触の機会を得るか。
その方法を考えていた時、世間の噂話が耳に届いた。
『白鷹はアルメ・ティティーのアイス屋をひいきにしているらしい』という噂。
アルメと白鷹がどうやって知り合ったのか不思議で仕方なかったが、この噂話で納得した。
アルメはアイスで白鷹を釣り上げたのだろう。この街では珍しい氷菓子なので、白鷹が面白がって目を付けたとか、そんなところだと思う。
――それなら、そのアイスをこちらのものにしてしまえばいい。
庶民娘の手作り菓子などたかが知れている。ちゃんとした料理人を使えば、より品質の高い美味しい菓子を作れるはず。
その辺の娘の菓子とデスモンド家の料理人の菓子。舌の肥えた貴人がどちらを選ぶかなんて、もうわかりきっている。
加えて、黒ネズミの売り子に対して、こちらは美貌の令嬢だ。
「アイス屋さん、あたしが継いであげるわ。お店も商品も白鷹様も、まるっと全部もらってあげるから、待っててね、黒ネズミさん」
クスリと微笑んで、キャンベリナは一人残った付き人と踵を返した。
路地を歩き、通りに停めてある馬車へと向かう。
頭の中にはもう、白鷹とのドラマチックな恋の空想が広がっている。――けれど、その楽しい想像を邪魔するものがあったことを、ふと思い出した。
歩きながら、独り言のようにポツリとこぼす。
「……婚約していたら、白鷹様との恋路に支障が出るかしら。脇役の役目は終わったし、破棄しちゃってもいいわね。お父様に相談してみようかなぁ」
口に出してみて、ふむ、と頷いた。デスモンド家としても、ベアトス家なんかより、白鷹のような貴人と縁を結べた方が良いだろうと思う。
我ながら親孝行なことだ。近々父に相談してみようと思う。
『白鷹様と縁ができたから』と添えておけば、きっと背中を押してもらえることだろう。




