41 フリオとキャンベリナの胸の内
手続きを終えて短く一言挨拶を交わすと、アルメと白鷹は席を立った。
二人の姿を眺めながら、フリオはテーブルの下でギリリと拳を握りしめた。
……まさか前に市場で会ったこの男が、白鷹だとは思わなかった。
どうしてアルメがこんな雲の上のような男を連れているのか。どうして白鷹ほどの身分を持った男が、パッとしない庶民女なんかに肩入れしているのか。
上位神官にして従軍神官。地位も名誉も金も人心も、すべてを集めそろえている男。女なんていくらでも選べる立場にいる男が、どうしてアルメなんかを――。
……もしかして自分は、白鷹が選ぶほどの女を、みすみす手放してしまったのだろうか――……。
もう二人のことなど考えたくもないはずなのに、頭の中に勝手に思考が流れていく。
色々な衝撃が一度に襲ってきて、未だ放心状態のまま、テーブルの対面にいる二人をただぼうっと眺めていた。
席を離れて、二人が部屋の扉の方へと歩いていく。アルメの黒髪と水色のスカートがふわりとなびいた。
彼女の格好は、以前よりずいぶんと華やかになっている。けれど所詮は、その辺の街娘の域を出ない女だ。特別お洒落なわけでも、目を引くような美女というわけでもない。
通り過ぎようとするアルメの姿をぼんやりと観察する。一体彼女の何が、白鷹の心を掴んだというのか……。
(……高貴な人間の目には逆に、パッとしない庶民女が真新しく見えただけだろう……そうに違いない)
そう見当を付けて、このおかしな胸のモヤモヤをやり過ごそうとしてみる。
きっと白鷹と自分は趣味が違うのだ。別にアルメが特別に良い女というわけではないはず。
……だから別に、アルメを手放した自分は愚かではないし、アルメを侍らせている白鷹を羨ましがる必要は、これっぽっちもないのだ。
――そんなことを考えていた、ちょうどその時。アルメと白鷹が二人で顔を見合わせて、楽しそうに笑った。
(白鷹にとってアルメは、どうせ遊びだろう。せっかく僕が忠告してやったというのに、アルメの奴、そんな間の抜けた笑顔なんか晒して……そのうち捨てられるに決まっているのに)
そう思うのに、なぜだか二人の表情のやわらかさが目に焼き付いて離れない……胸のモヤがまた深まった心地がする。
……本当に、遊びなのだろうか。この二人の間にある優しげな雰囲気は、卑しい遊びとは程遠いものではないか……? わずかに、そんな思いが胸をよぎる。
アルメのやわらかい笑顔を見たら、初めて顔合わせした日に見た笑顔を思い出した。あの日見せた笑顔――いじらしく照れた微笑みは、好ましく感じられた。
今思えば、純粋に可愛かった……ように思う。
自分はその後の出来事で意地を張ってしまったが、その後もアルメはいじらしく、何かと気が利いた。決して目立つようなことはしていないけれど、地味ながらも親切で、優しかったような気がする。
……そう、彼女はいつも優しい人だった。
我が強いわりに気の利いたことができない、今の婚約者よりもずっと……。
そこまで考えかけて、首を振った。
(――やめよう、もう考えるのは。今の僕はちょっとおかしくなっているんだ。こんな妙な事態になってしまって、動揺しているだけ……ひとまず落ち着こう。こんな馬鹿げた考えなんて、すぐ忘れるさ)
そうだ。自分はキャンベリナを選んだのだ。華やかで可愛らしく、女性的な見目をしたキャンベリナこそが、自分の理想の女なのだ。婚約者であるキャンベリナこそが真実の愛の相手だ。
そう、強く自分に言い聞かせた。
アルメは白鷹に肩を抱かれて退室した。
なんとなく黒髪を目で追ってしまったけれど、アルメは一度もこちらを向くことなく歩き去った。
彼女とは目も合わなかったけれど、白鷹とは最後に思い切り視線が合った。去り際にこちらを振り返り、猛禽のような金色の瞳で見据えてきた。――アルメに向く自分の視線を、断ち切るような鋭いひと睨みだった。
あの宝石のように透き通った金の瞳は、人ならざる者のようで恐ろしさを感じた。慌てて目をそらしたら、もう次の瞬間には、二人は姿を消していた。
そうして、アルメとの縁はすっかり切れた。
これからは、自分は自分の人生を、アルメはアルメの人生を生きていくことになる。互いに関わることもなく。
……さっぱりしたはずなのに、さっぱりを通り越してどこか空虚感のようなものを覚えるのは、きっと何かの気のせいに違いない。
今は疲れているだけだ。明日にはいつも通りでいられるはず……。
おかしな心地をさっさと忘れるために、隣に座るキャンベリナに声をかけた。
「色々あって驚いたが……白鷹ともあろう男がアルメみたいな女と遊ぶなんて、意外と趣味が悪いんだな。君もそう思わないかい?」
「……」
キャンベリナが乗ってきそうな話を振ったのだが、彼女からの返事はなかった。
アルメと白鷹が去ったドアの方をぼうっと見つめたまま、何やら聞き取れないほどの小声でぶつぶつと呟いている。
「……どうしてあんな女が白鷹様と……全然……釣り合わないのに……」
目も合わず、顔も向けないキャンベリナを見て、胸に冷たい風が吹いた気がした。
キャンベリナの耳には、フリオの声などもう聞こえもしなかった。
(どうして……? どうしてあんなパッとしない地味女が白鷹様の隣にいるの……?)
もう先ほどから、それしか考えられずにいる。
この前ネズミみたいだとからかった女が、王子様のような男にエスコートされている。まったく絵にならない。不釣り合いもはなはだしい。
(……あたしの方が、ずっと似合いのはずだわ。そこにいるべきはあたしよ……。あたしなら白鷹様の麗しさと釣り合うもの……!)
身分も美貌も持たない、取るに足らない庶民の女が良い男と並ぶなんて、許されるわけがない。絶対に間違っている。……はずなのに、なぜあの女は肩を抱かれて、甘い笑顔を向けられているのか……。
二人の様子を思い返すほどに、悔しさと腹立たしさで、胸が張り裂けそうになる。
(白鷹様……前の出軍の見送りでは、あたしのことを見てくれたのに……挨拶だってしてくれたのに……! あたしを目に留めてくれたんじゃなかったの? なんでそんな取るに足らない女を……。…………もしかして、あの時、あたしを見てたんじゃなかったの……?)
ドレスのスカートをきつく握りしめて、どうにか叫び出しそうな気持ちを抑える。
……自分は昔、とても可哀想な女だったのだ。病気がちで何の自由もなかった。そんな可哀想な女なのだから、報われてしかるべきだというのに。
どうしてこうも、欲しいものが手に入らないのだろう……。
「……ずるい……あたしだって、王子様と……恋をしたい……。……真実の愛の相手は……白鷹様がいい…………」
想いがボソリと口からこぼれた。
隣のフリオがこちらをぼうっと見つめていることなど、キャンベリナはもう、まるで気が付きもしなかった。




