39 ベアトス一家との対峙
それからしばらく、二人でいくつか話をした。
アルメは婚約破棄から借金を抱えるまでの経緯を話し、ファルクは今まで姿を変えていた理由や、極北の街の話をしてくれた。
そうしてアイスを食べ終え、水出しの冷たいお茶も空になった頃。
ファルクがそういえば、と別の話を出してきた。
「アルメさんはもう、お祭りの片付けは済んでいるのですか? 神殿からここまで来る通り道で、街の皆さんが撤収作業をしているところを見てきたのですが」
「あ、そうでした、忘れかけていました。まだ済んでいないのですが、その前に銀行に寄って、片付けは午後から行こうかなと」
「お手伝いしましょうか? 今日は俺、一日休みなので。男手があったほうがいいのでは?」
ファルクの思わぬ来訪で、予定がすっかり意識から抜けていた。
もうすぐ昼の時間だ。夜までに片付けられればいいので、撤収作業事態は手を借りずとも平気である。
……けれど、もし手伝いを頼めるのならば、ちょっと別のことを頼みたい。
「荷物も少ないですし、片付けは台車を転がすだけなので大丈夫です。……けど、もしお手伝いいただけるのでしたら、ファルクさんの帰りの道中、馬車乗り場まで一緒に歩いてもらえませんか? ……ちょっと路地を歩きづらくて」
「もしかしてまだ足が痛むのですか?」
慌てた顔をしたファルクに、すぐ言葉を添えておく。
「いえ、怪我はもう平気です、綺麗に治していただいたので! お祭りの売上金を銀行に預けに行きたいのですが、大金を持って路地を歩くのがちょっと不安で……情けない話ですが」
「あんなことがあった後ですから、不安に思うのは当然です。馬車乗り場まで、と言わず、銀行までお供しますよ」
「ありがとうございます。甘えてしまってすみません」
「甘やかしたいので、どんどんどうぞ。何でもおっしゃってください」
甘ったるい笑みを向けられて、アルメは反射的に目をそらしてしまった。
姿を変えている状態でも危険な笑顔だというのに、このファルク本来の容姿――美しい白鷹の姿だとさらに攻撃力が増す。
うっかり直視してしまったら、照れに襲われて倒れてしまいそうなので、気を付けなければ……。
「いつ頃出掛けましょう? もうこの後出ましょうか?」
「はい、支度ももうできているので、お願いします。ちょうどお昼時ですし、銀行の後、よければどこかでランチでもどうでしょう?」
「是非!」
「では、鞄を取ってくるので、ちょっと待っててください」
楽しみな予定も決まったところで、アルメは鞄を取りに二階へと上がった。
二階の居間のソファーに放り出されていた鞄を、さっと肩にかける。
そのまますぐ戻ろうとしたところで、ふと思い出して、アクセサリー入れの引き出しを開けた。
朝に奥のほうにしまった花の髪飾りを取り出して、髪につける。鏡で確認して、へにゃりと笑ってしまった。
まだこれからも、このお気に入りの髪飾りを身に着けることができそうだ。
一階に戻ると、ファルクはもう玄関先に立っていた。銀色の首飾りを下げて、茶髪茶目の姿に変わっている。
「お待たせしました、ファルクさん」
「それでは向かいましょうか」
玄関に鍵をかけて、歩き出そうとした時、ファルクの手がそっと髪に伸びてきた。
「その髪飾り、やはりアルメさんの髪によくお似合いです。今日はつけてくれないのかと思いましたが……よかった」
「もうすっかりお気に入りです。可愛いだけでなく、使い心地も良くて」
「それはよかったです。――購入した日には遠まわしな言い方になってしまいましたが、今なら真正面から言えますね。アルメさん、とても可愛いです! 可愛い!!」
「ちょっ、ちょっと……! やめてください、声が大きい!」
ファルクは悪戯っぽい顔で大きく笑っていた。
思わず火照りそうになる頬の熱を、強めの氷魔法で急速冷却してやりすごした。……まったく、油断も隙もない。
■
アルメとファルクは表通りの乗り場から馬車に揺られて、銀行へと向かった。
銀行は歴史深い建物で、とても立派な造りをしている。通りに面した壁は鮮やかな壁画で飾られていて、ここもまた観光客の目を楽しませる人気のスポットだ。
正面に停まった馬車から降りて、アーチ状の大きな玄関をくぐった。重厚な鉄の扉は開け放たれていて、人々が忙しなく行き来している。
吹き抜けのホールに足を踏み入れて、ざっと中を見まわす。今日は祭り明けということもあってか、なかなかの混雑だ。
正面には石造りの大きく長いカウンターが鎮座していて、多くの銀行員が対応にあたっていた。
ホール端にある受付用のカウンターに歩を進めて、用件――依頼したい手続きと、名前を記入して事務員に渡す。
受付を済ませたら、後はベンチに座って名前を呼ばれるのを待つだけだ。
ズラリと並んだベンチは人で埋まっている。後ろの隅っこにわずかに空いたところを見つけて、お尻を滑り込ませた。
ファルクと隙間なく寄り添う形になってしまって、なんだかちょっと恥ずかしい。
『二七六番でお待ちのティティー様! アルメ・ティティー様!』
ほどなくして、正面カウンターの行員からアルメの名前が大きく呼ばれた。金を預けるだけの手続きなので、思っていたより早く順番がきた。
「行ってきますね」
「はい」
ファルクに短く伝えて席を立つ。
人をよけつつ、自分を呼んでいる行員の元へと急いだ。
鞄から皮袋を取り出して、石造りのカウンターの上に置いた。中から金の束を出して、口座のカードと共に行員の確認を受ける。
「お預かりでよろしいですね」
「はい、これすべてお願いします」
「金額を確認いたしますのでお待ちください」
対応にあたってくれた行員は若い男性だ。十代くらいに見えるので、入ったばかりの新人なのかもしれない。うやうやしい手つきで金をトレイに乗せ、奥へと下がっていった。
若いのに良い仕事に就いたなぁ、頑張れ、なんて微笑ましく見守ってしまった。
――が、ほっこりしていた気持ちが、途端に地に落とされることになった。
突然、よく知った声が背後から聞こえてきたので。
「アルメ、僕の口座に金を入れに来たのかい?」
ギョッとして振り向くと、フリオがいた。
……フリオだけでなく、その腕にはキャンベリナが絡みつき、さらに隣にはベアトス夫人まで連れている。
まったく、家族仲の良いことだ……。世間的には素敵なことなのだろうけれど、アルメとしてはげんなりしてしまう仲の良さである。
思わず口から出そうになった、げっ……、という呻き声を飲み込んで、ひとまず対応する。
「こ、こんにちは。皆さんお揃いで。ええと、自分の口座にお金を預けに来ただけですが……何か?」
「大金を預けているように見えたが? うちへの借金の返済じゃないのか? 今月分、まだ払っていないだろう」
「えぇ、まぁ……でも、まだ月末じゃないし――」
「まとまった金ができたのなら、まずベアトス家に声をかけるべきだろう。君は人から金を借りている立場なのだから、少しは心配りをしたらどうなんだ」
またフリオの小言が始まってしまった。まさかこんなところで絡まれるとは思わなかった。
――と言っても、こういう銀行や神殿、図書館や馬車乗り場など、人の集まる場所で知り合いにばったり会う、なんてことは、地区内ではたまにあることなのだが……よりによって、このタイミングとは。
何か上手いこと言って、さっさと切り抜けよう、と思ったのに、フリオに言葉を返す前に行員が戻ってきてしまった。
行員は集まった面々にチラと目を向けつつも、仕事を遂行するべく、アルメに向けて預かり金額が記された控えの紙を差し出してきた。
「お待たせしました。金額をお確かめください」
「あ、はい。――あっ、ちょっと!」
「まぁ、こんなに預けてるじゃないの!」
ベアトス夫人が横から割って入り、さっと控えの紙を奪い取ってきた。抗議する間もなく、ベアトス夫人はキンとする声でまくし立てた。
「こんな大金持っているのなら、返済を繰り上げるべきでしょうに! 何を自分の懐ばかり潤しているのかしら、この非常識な娘は! あなた借金をしている自覚ありまして?」
「そう言われましても、生活に必要なお金もあるので、この額すべてを返済にあてるというわけには……」
「甘えたこと言わないでちょうだい! 借りたものは早く返す! 子供でもわかることでしょう? まったく、これだからどこの馬の骨とも知れない、庶民の小娘は嫌なのよ。ベアトス家に入ってくる前に縁を切れてよかったわ。――こうして、ちゃんと身分の立派なご令嬢も迎えられたことだし。やれやれ、本当に危ないところだったわ」
「まぁ、お義母様ったら。フリオさんと無事に婚約できて、あたしもとっても嬉しいし、幸せですわ」
ベアトス夫人は半ば独り言のように吐き捨てた。
夫人の言葉に鼻を高くしたのか、キャンベリナがニヤニヤした顔で、見せつけるようにフリオの腕に擦り寄った。
耳をふさぎたくなるようなキンキンする声が響き、周囲もチラチラとこちらを気にしている。アルメの『破談借金女』という、しょうもない身分が晒されてしまった……。
人目から逃げるように身をすくめたら、フリオが機嫌良さそうに鼻で笑った。
彼はベアトス夫人から控えの紙を受け取り、カウンターの行員に突き返した。
「今、この娘が預けた金を引き出してくれ。彼女は借金をしていてね。元をたどれば、うちの金みたいなものなんだ」
「は、はぁ……ええと、そういうことはできません。ご本人様に手続きしていただかないと――」
若い行員は困惑した顔で断った。当然の対応である。けれど、それで引き下がるベアトス家一行ではなかった。
ベアトス夫人の威勢の良い啖呵に調子づいてしまったのか、キャンベリナも高圧的な態度で、行員に無茶を言い出した。
「お金を引き出してちょうだい。これはデスモンド男爵家の命令です。お父様がこちらの銀行で、よくお取引をさせてもらっているでしょう? あたしを蔑ろにしたら、お父様に言いつけるわよ」
「いや、あの……困ります、お客様」
「すみません、お兄さん。こちらの方々は気にせず、手続きを終了してください。ご迷惑をおかけしました」
アルメは割って入って、困り切っている行員に頭を下げた。ひとまず彼を、この面倒な揉め事から解放してあげたい……。
そう思って謝罪した瞬間、隣のキャンベリナに思い切り肩を押された。
「ちょっと! あたしたちを迷惑な人みたいな言い方するのやめなさいよ!」
傍から見たら、間違いなく迷惑な人たちだと思うけれど……。心の内でツッコミつつ、押されるままに後ろによろめいた。
――と、思ったけれど。半歩後ろに足を出しただけで、体はすぐに安定した。
アルメよりも大きな体が背中にあたり、支えとなっていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ええと、はい。ありがとうございます」
いつの間に歩み寄っていたのか、ファルクが抱き留めるように後ろに立っている。
ファルクの座っていたベンチはカウンターから結構距離があったのだけれど、ベアトス夫人のキンキン声が響いて、揉め事に気が付いてくれたのかもしれない。
ファルクはアルメの横に並んで、ベアトス家の面々の顔を順に見まわしながら言う。
「公の場で大きな声で騒ぐのはおやめなさい。寄ってたかって、こんなところで何を揉めているんです?」
「はぁ!? 別に騒いでない、し……」
キャンベリナはファルクをキッと睨み上げたけれど、言葉尻の勢いがなくなった。惚けた顔をして、ポカンと見上げている。
最初に出会った時、アルメもファルクの顔を見て、その整い具合に感心したことがある。たぶんキャンベリナも、今きっとそういう状態なのだろう。
動作が停止してしまったキャンベリナを押しのけるようにして、フリオが前に出てきた。
先ほどまでのご機嫌な表情は消え、どこか硬い面持ちでファルクに言う。
「あなたは……またお会いしましたね。わざわざ注意をいただいたところ、お言葉ですが、我がベアトス家と、そこにいるティティー家の娘との問題ですから、あなたには関係のないことです。人の家の事情に我が物顔で割って入ってくるというのは、無作法というものでは?」
「そう仲間外れにしないでください。揉め事は第三者が仲裁に入った方が、上手く解決するものですよ」
とげとげしい声音のフリオに対して、ファルクは極めて穏やかだ。涼やかな風のように、さらりとした態度で応対する。
動じないファルクが頼もしく感じられ、なんだかホッとしてしまった。ピリついていた気持ちが少しやわらいだ。
――と、思ったのも束の間だった。
次のやりとりで、アルメの体はビシリと硬直するのだった。
「名も知らぬ他人に仲裁を任せろと? 馬鹿なことを言わないでもらいたい。なにやらその娘に肩入れしたいようですが、それなら堂々と身分を明かしてみせたらどうなんです。取るに足らない遊びの庶民娘なんかのために、こんな公の場で名を晒して、赤っ恥をかいても構わないのなら」
「卑しい遊びはしていませんし、恥もかきませんから構いませんよ。名乗りが遅れましたが、俺の名はファルケルト・ラルトーゼと申します」
ファルクが何てことないように、朗らかに名乗った。
その瞬間、今までチラチラと揉め事を見物していた周囲の人々が、一斉にこちらを向いた。
仕事熱心なカウンターの行員までもが、数人作業の手を止める。
フリオは目を丸くして固まり、ベアトス夫人とキャンベリナもポカンと口を開けていた。
「さて、これでよろしいでしょうか。身分も明かしましたし、そろそろ揉め事の内容をお聞かせいただいても? この後、彼女とランチの予定があるので、なるべくすみやかに事を収めたいのですが」
ファルクはアルメの肩に手を添えて、涼しい声で言った。




