37 世にも麗しい土下座
翌日、アルメは自宅二階の居間で、ヘドロのようにベシャリと脱力していた。
小ぶりなダイニングテーブルに突っ伏したまま、死んだ魚のような目で、ぼうっと窓を見ている。
窓から見える外の景色は明るい。今日もルオーリオは快晴だ。
青空にサンサンとした日差し。小広場中央にある花壇の木が、葉を揺らしている。小鳥はピチチチと可愛らしい声で歌う。
こんなにも平和な一日の始まりだというのに、アルメの周辺だけは地獄のような空気の重さだ。どんよりと淀みきっている。
昨夜は神殿から自宅に帰ってきて、その場でジェイラに立て替えてもらった医療費を返した。
ジェイラは家に誘ってくれたけれど、気持ちだけ受け取って、一人で休むことにした。
彼女と別れて家に入り、それからズタボロになった服を処理したり――と、なんやかんやした後、壊れた人形のようにベッドに倒れ伏したのだった。
心身共にあまりにも疲れ切っていて、寝支度の後半からはもうほとんど意識がなかった。
そうして寝落ち、先ほど目覚めてもそもそと朝食を終えたところだ。
途中ジェイラが訪ねてきて、今日の祭りの片付けの話をした。
ジェイラはこれからもう片付けに行き、午前中のうちに撤収するそうだが、アルメはこの通りまだ寝起きだ。
『一緒に片付けといてやろっか?』と気を遣ってもらったが、さすがにそこまで迷惑をかけるわけにもいかない。
アルメは午後から片付けに行くことにして、彼女を見送った。
――そして今、ヘドロのようになっている。
体の怪我はおかげさまで綺麗に治してもらったが、心のダメージで瀕死状態だ。
一晩ぐっすり眠って休んだことで、ようやく頭が正常な働きを取り戻した。――が、それに伴って、昨夜の神殿での自分の醜態が正しく認識できてしまって、死にたくなっている。
せっかく傷を癒してもらったというのに、死にたいだなんて言葉を使うのは、良くないことだけれども……でも、そう思ってしまうほど、自身の愚かさに打ちのめされているのだった。
「昨夜の私、本当にとんでもない馬鹿者だったわ……なんでファルクさんにあんな失礼極まりないことを言ってしまったのかしら……。……時を戻す魔法があったらいいのに……」
思考力を取り戻した頭で思い返すと、昨夜の自分は本当に無礼な馬鹿者だった。
ファルクが今までずっと、身分を明かさずに、庶民遊びのようなことをしていたのには、確かにショックを受けた。……けれど、それはそれとしてだ。
アルメが『白鷹』を勝手に使って商品展開をしていることを、ファルクは今までずっと見逃していてくれたし、客としても店を支えてくれていたことは事実である。
優しい言葉ももらったし、彼に力をもらうことだってたくさんあった。
そして神殿でも、危ないことをしたアルメを諭して、怪我の診察にあたってくれたというのに……。
自分は勝手に被害者のような気持ちになって、ひねくれた無礼な態度をとってしまった。考えれば考えるほど、血の気が引いていく心地がする……。
「……せめて謝罪を……って、どうやって謝ればいいのかしら……。もうきっと思い切り嫌われてしまったし、身分を知ってしまったから、店にお忍びで来てくれることもないわよね……。どうしよう……神殿にお手紙とか? ……絶対、手元に届く前に処分されてしまうわね」
謝罪の手紙を送ろうにも、きっと仕分けの段階で弾かれてしまうだろう。
なんせ街中に白鷹のファンがいるのだ。神殿に恋文を押し付ける婦女子がいることは想像に易い。アルメの手紙もその一つとして処理されて終わりだ。
もう謝る機会すらない。自分にできることは、人知れず一人で猛省し続けることだけみたいだ……。
深く重いため息を吐いて、椅子から立ち上がった。
いつまでもヘドロのように過ごしているわけにもいかない。
午後からは片付けに向かうので、今のうちに他の用事を済ませておかないと。ものすごく腰が重いけれど。
一番大事な用事は、売上金の移動だ。
家の金庫に貯めていた祭りの売上金を、銀行に預けに行かなければならない。
家に大金を置いたままにしておくのは、なんだか気が休まらないので、さっさと銀行に預けてしまいたいところだ。
軽く身支度を整えて、出掛ける準備をする。
横にまとめて垂らした髪をゆるく括ったところで、ふと迷う。
いつものように白い花の髪飾りを手に取ってしまったけれど、この髪飾りを付けるべきか否か……。
友達からもらった大切な髪飾り……けれど、もうその肝心の友達とは、縁が切れてしまった。
……結局髪飾りはつけないことにした。見る度に思い出して悲しくなりそうなので、引き出しの奥へとしまっておいた。
金庫から売上金を出して、直近で必要な生活費の分を抜く。残りをすべて皮袋に詰めて、鞄の中に収めた。
これで出掛ける支度が整った。――はずなのに。
体は玄関へと向かわずに、ソファーへと沈んでしまった。
こんなことをしていたらあっという間に午後になってしまう、とわかってはいるのだけれど。どうにも気が重くて動けない。
(まだ警吏から連絡はないし……昨日の犯人はたぶん捕まっていないのよね。また路地で何かあったら……)
いざ出掛ける直前になって、そんなことを考え始めてしまった。
表の通りまで出てしまえば、馬車を使って安全に移動できる。昨夜と違って外は明るいのだし、心配はないと思うのだが……どうしても、悪い想像が頭にチラついてしまう。
ソファーに身を預けて、しばらくの間ウダウダしていた。
そうしていると、ふいに一階の玄関から鐘の音が聞こえてきたのだった。
「ジェイラさんかしら? もう片付け終わったのかな」
時間的に早い気がするが、彼女は祭りの常連なので、撤収作業も慣れたものなのかも。
アルメは二階の窓を開け放ち、下の玄関を確認した。
「……え? ……えっ!!」
玄関先にいた人物の姿を二度見して、ビシリと固まってしまった。
鐘を鳴らしたのはファルクだった。茶色い髪に茶色の瞳――いつもアイスを食べにきていた時の容姿だ。
なにやら両手に大量の紙袋を抱えている。
(ファルクさん!? どどどどうしよう! 来てくれた! けどまだ心の準備が……! えっと、お詫びの品とかも何も……あわわわ……っ)
頭だけが大焦りを始めてしまって、体がついていかずに、ギクシャクとして動けない。
ファルクはチラと上を向き、二階の窓から覗き込んで固まっているアルメに気が付いた。
その瞬間、彼は手に持っていた荷物を地面に置き、銀色の首飾りを外した。
――すると途端に、髪の色と瞳の色が変わった。
茶色の髪は白銀に。同じく茶色の瞳は透き通る金色へと変わる。
精霊の王子様、と言われても頷けるような神秘的な容姿は、日の光を浴びてキラキラしている。
その麗しい容姿を晒して、ファルクは地面に両膝をついたのだった。
その体勢からさらに両手を地につき、ガバリと勢いよく頭を下げてきた。
「アルメさん! 昨夜は大変申し訳ございませんでした――っ!!」
このポーズ、確か前世では『土下座』と呼ばれていたものだ。ファルクは豪快に、人の家の前で土下座をきめてきたのだった。
アルメは仰天のあまり、窓から身を乗り出して絶叫してしまった。
「わあああっ!! ちょっと!! えぇっ!?」
「昨夜の無礼をどうかお許しください!」
「ひえ――っ!! やめてください!!」
ギョッとして猛ダッシュで一階への階段を駆け降りた。
壊しそうな勢いで玄関扉を開けて、ファルクへと駆け寄る。
こんな光景、ご近所に見られたらまずすぎる。幸い小広場に人の姿はなかったが、いつその辺の人に見られるかわからない。
大慌てで声をかけようとしたが、その前にファルクが口早に喋り出した。
「名乗りがものすごく遅くなってしまい申し訳ございませんでした! 俺の名はファルケルト・ラルトーゼと申します! どうか今までの無礼をお許しください! どうぞお気の済むまで殴るなり蹴るなり……!」
「するわけないでしょう、そんなこと! 白鷹様が何をしているんです! お顔を上げてください!」
両手両膝をつくファルクを立ち上がらせようと、手を伸ばした。――が、ファルクはアルメの手を拒み、顔を上げなかった。
「……これが『白鷹様』とやらの素です。王子様でもなんでもない、ただの情けない男です。あなたを欺き傷つけて、本当に申し訳ございませんでした」
そう言うと、ファルクはようやく、おずおずと顔を上げた。
同時に、傍らの紙袋をこちらに差し出す。
大量に抱えていたうちの一つだ。紙袋は金の箔押しと繊細なリボンで飾られている。
「これはお詫びの品です……」
「え、ええと」
差し出された紙袋を前にして、アルメは咄嗟に身を引いてしまった。
前に高級蜂蜜を贈られた時のことが頭をよぎる。紙袋の見た目と質から、中身の金額に察しがついてしまった。受け取るのが怖い……。
口元を引きつらせたまま固まっていると、ファルクはくしゃりと顔を歪めた。
「……受け取ってはもらえませんか……。……でも、これだけはお納めください」
ファルクは別の紙袋を手に取ると、またアルメに差し出してきた。
迷いつつ、ソロソロと受け取ると、袋の口から中身が見えた。
渡された紙袋の中には、布に包まれたグラスが収まっていた。ちょうど五つ入っている。これはアイス屋のグラスだ。祭りの出店でかき氷に使ったもの――。
アルメはハッと思い至り、ファルクへと目を向けた。
「あの、これ」
「……祭りの間、俺は神殿から動けなかったので、人に頼んで買いに行ってもらいました。とても美味しかったです……」
そう言いながら、ファルクはしゅんとうつむいた。
その姿を見て、なんだか力が抜けきってしまった。
容姿が変わって、身分も知って……『白鷹様』という遠い存在になってしまったと思っていたのに。
こうして前にした彼は、何も変わらず『いつものアイス好きの常連客』のままだった。ぽやぽやした雰囲気の、アルメのよく知るファルクのままだ。
――ならば、自分もいつも通りでいいのかもしれない。
アルメは力の抜けた体を動かして、うつむくファルクの前にしゃがみ込んだ。
そっと肩に手を置いて、声をかける。
「ファルクさん、ここじゃ日が当たって暑いでしょう? どうぞ、中に入って涼んでいってください。アイスを食べながら、少し二人でお喋りでもしませんか」
そう、いつものように言ってみたら、ファルクはいつもは見せない、泣きそうな顔をした。




