33 強盗との攻防
翌日、そして翌々日も、アルメはひたすら氷と格闘し続けた。
二日目はジェイラの言った通り、酷く暑い日となったが、気温に比例するかのようにかき氷――雪菓子の売上は大きく伸びた。
アイス屋と隣の串焼肉屋周辺に魔法で冷気を流していると、呼び込みをせずとも、通りの人々は涼しさに誘われて、店の前で自然と足を止めていった。
そして三日目は通行人だけでなく、周辺の店の人たちまで雪菓子を求めに来たのだった。
火を使う料理屋の店員たちは、三日目ともなるとさすがに疲れた顔をしていた。二日目の暑さが特にこたえたらしい。
氷魔法士が店を出しているという話がまわったのか、涼を求めて来る人が多かった。
途中から雪菓子の販売の他に、持ち込まれた空魔石に氷魔法を込めて渡すという副業まで発生して、思わぬ副収入を得ることになった。
――そうして祭りの三日間を駆け抜けて、もう夜を迎える時間だ。
最終日はシロップと氷を売り切りたかったので、日が沈んだ後も営業を続けていた。
周りの店も遅くまで続けていたので、皆考えることは一緒なのだろう。
星が輝きだした頃に、アイス屋も串焼肉屋も無事に品を売り切って、ようやく店じまいとなった。
深さを増す夜空の下、帰り支度をしながら、アルメはしみじみとした声をこぼしてしまった。
「お祭り三日間、長かったはずなのに一瞬で終わってしまった感じがしますね」
「それ毎回思うわ。むしろ前日とか翌日とかの準備と片付けの時間の方が長く感じるよねー。……あぁ~もう疲れた! 怠い! 全部明日の自分に任せよーっと」
ジェイラは道具類を木箱に放り込むと、足で適当に机の下に押しやった。潔く片付けを放って帰るらしい。
特に咎めることもせず――というより、アルメもそれを見習って、今日は手ぶらで帰ることにした。
もうすっかり疲れ切ってしまったので、片付けは全て明日にまわそうと思う。
撤収作業の期間も明日から三日間とられているので、放って帰っても問題はないのだ。
売上とつり銭の入った鞄だけ肩に下げて、帰りの途に就く。
今日も鞄はパンパンだ。氷魔法の補充という副収入も入ったので、今日の稼ぎが一番になりそうだ。
ジェイラも鞄と短剣だけ手にして、木札の守りを置いてスペースを後にした。
二人で並び、他愛もない話をしながら通りを歩いていく。
すれ違った人たちの会話を拾って、ジェイラが話題を引っ張ってきた。
「なんか南の方で火事あったっぽいよ」
「あら……お祭りの日は多いですよね、そういう事故」
「屋台の持ち込み火魔石に引火してブワッ! ってね」
「ひえ……」
想像して身を震わせてしまった。火魔石を多く使う店が連なっていたら、被害も大きくなりそうだ。
怖い怖い、なんて喋りながら、通りを抜けて路地に入る。
路地奥を進んで小広場に出たところで、二人はそろって歩をゆるめる。お別れの時間だ。
三日間の感慨深さに浸って、しっとりと言葉を交わし合いたいところだが、全身にまとわりつく疲れには抗えない。
結局昨日、一昨日と同じように、サラッとした挨拶を交わす。
「それじゃあ、三日間お疲れ様でした」
「お疲れさん。明日の片付けも頑張ろー」
ヒラヒラと手を振ってジェイラと別れた。
小広場を突っ切って、ジェイラは路地奥へ、アルメは自宅の玄関へと歩を進める。
(四季祭り、本当にあっという間だったわ。参加を決めた一月前は、当日のことを考えてドキドキしていたけれど……良い出会いもあったし、無事に終わって良かった。次のお祭りにも参加したいなぁ)
そんなことをぼんやりと考えながら、玄関扉の鍵を開ける。
ガチャリと扉を開けて、中に入ってホッと一息――……つこうとした瞬間だった。
後ろから思い切り、突き飛ばされた。
誰かが走り込み、背後から体当たりをしてきたのだ。
家の中に押し込まれるように突き飛ばされて、アルメはテーブルにぶつかりながら勢いよく床を転がった。
驚きと衝撃で声も出ないまま、反射に任せて顔を上げる。体当たりをしてきた者の姿を仰ぎ見た。
黒い布で顔を覆った男だ。背は低いが体格が良い。
男は床に這いつくばっているアルメの髪を乱暴に掴み上げると同時に言い放つ。
「騒いだら殺す。大人しくしてりゃ手は出さねぇ。金を出せ」
そう口早に言い切ったが、アルメは遅れて込み上げてきた悲鳴を止められなかった。
「ギャアアアアアアアア――――ッ!! 誰かッ!! 誰か――――ッ!!」
「クソッ、こいつ……ッ!」
狂ったような大絶叫に怯んだのか、男は慌ててアルメの鞄を引っ掴んだ。鞄の肩紐が体に引っかかって、そのまま家の床を引きずられる。
玄関の外まで力任せに引きずられたところで、アルメも大慌てで、盗られそうな鞄に縋りついた。
ほぼ無意識のうちに、パニックを起こした頭が体を動かしていた。両手のあらゆる力を動員して、鞄を引き寄せる。
「誰か助けてッ!! 助けて――ッ!! 泥棒が――――ッ!!」
「放しやがれ!! ぶっ殺すぞクソ女ァッ!!」
男も語気を荒げて、全身を使って掴んだ鞄を振りまわした。鞄に引っ張られて、体が地面やら玄関扉やら、あちこちにぶつかる。
焦れたのか、男が鞄から片手を離して殴りかかってきた。
――が、拳がアルメの顔に届く前に、突然男が大きくよろめいた。
なにやら金属の塊を顔面にくらって、男は石床に倒れて転がった。
男が倒れるのと同時に、金属の塊もガシャンと地面に落ちる。――これはジェイラの短剣だ。
そう気が付いたのと同時に、彼女の大声が聞こえた。
「アルメちゃん!? 大丈夫か――ッ!?」
ジェイラは絶叫しながら小広場に走り込んで来た。アルメの悲鳴に気が付いて、戻ってきてくれたみたいだ。
どうやら走りながら短剣をぶん投げてくれたらしい。結構距離があったけれど、男の顔面ど真ん中に入ったあたり、さすがである。
ジェイラが駆けつける前に、男は転がるように逃げ出していった。
「逃げやがったなクソ野郎め!! おい誰かー!! 強盗だ強盗!! 黒い男を追ってくれー!!」
良く通る大声を張り上げながら、ジェイラはしゃがみ込んで肩へと手を伸ばしてくれた。
「大丈夫!? うわわわっ血出てんじゃん! ハンカチハンカチ! あぁっ、くそっ、アタシハンカチ持ってねぇ!」
「……ありがとうございます、助かりました……」
「全然助かってねぇじゃんかよー!」
「……えっと……そうですね、確かに……」
ジェイラの声を聞いたら、パニック状態だった気持ちが少し落ち着いてきた。
まだ心臓はバクバクとうるさく鳴っているけれど、ひとまず状況を確認する余裕は出てきた。
アルメは今、玄関前の石床にペタリと座り込んでいる。ガッシリと鞄を抱え込んで。
どうやら売上の入った鞄は死守できたらしい。その代償で、全身ズタボロだけれど……。
あっちこっちぶつけたせいで、もはやどこが痛いのかもわからない。肘やら膝やらは酷く擦り切れて血が流れ、爪はいくつか割れて、赤いマニキュアでも塗ったかのように変色していた。
肘を打ち付けたせいか、手先はジンジンと痺れている。鞄を掴んでいられたのが不思議なくらいだ。
スカートもブラウスも大きく裂けてボロボロだ。エーナに見繕ってもらったお気に入りだったのに……。
髪もグシャグシャだけれど、髪飾りは無事だったみたい。傷や汚れがつかなくてよかった。
いつの間にか周囲には、騒ぎを聞きつけた人たちが集まってきていた。
グレーの髪色をした五十代くらいの婦人が、血の流れる傷にハンカチを当ててくれた。
「大丈夫? 今、夫が警吏を呼びに行ってるから、ちょっと待っててちょうだいね。――あの、どなたかハンカチを貸してくださらない? 私のだけじゃ足りなくて」
婦人が呼びかけると、周りの人たちがハンカチを差し出してくれた。人の優しさにじわりと目が潤む。
グッと涙をこらえて、ジェイラと婦人に手伝ってもらって流れる血を押さえた。
そうしていると、ほどなくして小広場に警吏が三人走って来た。一番後ろで息を切らしている四人目は、この婦人の夫のようだ。
警吏の一人がしゃがみ込むと、穏やかな声音で声をかけてきた。三十代くらいの女性の警吏だ。
「大丈夫ですか? どこか酷く痛むところがあったり、気分が悪かったりはしませんか?」
「いえ、大丈夫です……」
「事情をおうかがいする前に、神殿へ向かいましょうか。先に治療を――」
「あぁ、いえ……ほとんど打ち身と擦り傷なので、後で大丈夫です」
手当てを受けながら警吏と話をする。
神殿での治療となると費用が高くついてしまうので、できれば街医者にかかりたいのだけれど……という気持ちもあり、後にしてもらった。
警吏は心配そうな目を向けたが、同僚たちに目配せをした後、懐から手帳を取り出した。事情聴取を始めてくれるようだ。
「――では、先にお話をおうかがいしますね。ひとまず今は手短に済ませますから、終わり次第すぐに神殿へ向かってください」
「はい。……ええと、今さっき男の人が家に押し入ってきて、金を出せ、と」
「覚えのある人でしたか? 特徴は何か覚えています?」
「知らない人でした。背は一般的な男性より低めで、黒い布で顔を覆っていて……服は上下濃茶だったと思います。声はおじさんっぽかったような……」
「何か盗られましたか。もしくは――……」
そこまで言うと、女性警吏はゴホンと大きく咳払いをした。
同僚の警吏たちが、囲って様子をうかがっていた人々に声をかけて移動をお願いした。
ジェイラと手当てをしてくれている婦人と、警吏を呼んでくれた婦人の夫だけがその場に残る。人払いを済ませると、警吏は続けた。
「――どこか体を触られたり、嫌なことをされましたか?」
「あ……えっと、そういうことはなく……鞄に店の売上金が入っていたので、これを奪われそうになりました」
金の入った鞄を警吏に見せると、ふむ、と頷いた。
「犯人はこの鞄に触れたのですね? 他に何か触れたものはありますか?」
「私の髪、ですかね……」
「あ、触れたっつか、アタシの剣も顔面にぶち当たったけど」
落ちたままになっていた剣を指さして、ジェイラが言う。
警吏は鞄と短剣に目を向けて、キリッとした声音で口早に提案した。
「犯人の追跡のためにこちらの鞄と短剣を使わせていただきたいのですが、この後すぐ、このままお借りすることはできますか? 犯人の気が残っているうちに、精霊に追わせます」
「は、はい……! どうぞ」
「アタシの剣もどうぞー。あ、触んない方がいいっすか?」
鞄を渡し、ジェイラは短剣をどうぞと身振りで指した。
警吏は二つを受け取って、なにやら小声で呪文を唱える。その瞬間、シャラリと光の粒子が舞った。光は路地奥――犯人が逃げた方へキラキラと飛び去っていく。
街の警吏は特別な精霊と契約を結んでいるそう。詳しくは知らないけれど、今使った精霊の魔法は、祭りの木札の精霊と似たものだろうか。
鞄と短剣を抱えたまま、警吏はこちらに向き直った。
「今精霊を飛ばしました。追跡が上手くいかない場合もあるので、できれば三日ほど鞄と剣をお借りできるとありがたいのですが。もちろん、神と精霊に誓って、鞄の中身の着服などはいたしませんので、ご安心を」
「構いません、お願いします」
「どうぞどうぞ。犯人とっちめてやって!」
「ご協力に感謝します。それではお預かりいたします」
警吏は胸に手を当てて敬礼すると、同僚二人に鞄と剣を預けた。二人は光の粒子が飛んで行ったほうへと歩いて行く。
再びアルメに向き合うと、女性警吏は表情をやわらげた。警吏というより、母が子供を諭すかのような声音で言う。
「結構な怪我だから、ちゃんと神殿に向かってくださいね。街医者で済ませよう、なんて考えちゃ駄目ですよ? 怪我した直後は大したことないと思っても、後から動けなくなったりするのだから」
「はい……そうします」
考えが見透かされていたようで、しゅんと身をすくめてしまった。
ジェイラが傷の具合を見ながら言う。
「血は一応止まってきたけど、動けそう? アタシも一緒に神殿行くよ」
「すみません、ありがとうございます……」
会話を聞いて、警吏が思い出したような顔をした。
「東地区の神殿は今かなり混み合っていると聞きました。夕方頃、南地区で大きな火事がありまして。南と東の神殿に患者があふれているそうなので、向かうなら中央神殿が良いかと」
中央神殿は祖母もホスピスでお世話になった神殿だ。見舞いで何度も通った場所なので、アルメとしても行きやすい場所である。
通りから直通の相乗り大馬車も出ているので、満身創痍のこの身でも転がり込めそうだ。
「――では中央神殿に行ってきます。皆様、本当にありがとうございました」
ジェイラと夫婦、そして警吏に深くお礼をして、神殿に向かうために立ち上がった。
動くと途端に痛みがギャンと襲い掛かってきて、またちょっと泣きそうになってしまった。




