32 忍び寄る影
次から次へと入る注文をせっせとさばいているうちに、祭り初日はあっという間に夕方を迎えていた。
用意していた氷のブロックがなくなったので、晴れて完売だ。肩から下げていた売上用鞄も、ありがたいことにパンパンである。
街はまだまだ活気に満ちているけれど、アイス屋は今日はもう閉店。アルメは早々と、台車にシロップ瓶や魔石類を乗せて帰り支度を整えた。
夜からが本番という店も多いけれど、日中だけの店も少なくない。特に決まりはなく、個人に任されている。
翌日の仕込みをしなければいけないので、元々初日と中日は夕方までの営業と決めていた。
隣のジェイラも同じ予定だったようで、片付けは一緒に済ませた。
最後に参加証の木札に守りを任せて、アルメにとっての本日の祭りは終了だ。
「今日はありがとうございました、ジェイラさん。また明日もよろしくお願いします」
「こっちこそ、明日もよろしく~。――って、アルメちゃん家どのへん? 途中まで一緒に帰ろうよ」
別れの挨拶を済ませて台車を押し出そうとしたところで、ジェイラも隣に並んだ。彼女も台車に木箱を積んでいる。
「私は東地区の路地奥なんですが、ジェイラさんは?」
「アタシも東地区の路地入ったとこだよ。第三小広場と第四小広場の間くらいの、ず~っと奥らへん」
「あら! 結構うちと近いかもしれません。うちは第三小広場に面しているところです」
「よっしゃ! じゃあアルメちゃん家拝んでから帰ろーっと」
ジェイラはのん気にそう言うと、台車を押し始めた。少々扱いが雑なようで、積んである木箱がガタンと大きな音を立てた。
木箱の上には皮袋やらの小物類もごっちゃりと乗っている。その小物に紛れるようにして、剣と思しきものがある。指先から肘くらいの長さの短剣だ。
女性が剣を携帯するとは、と、つい見入ってしまった。
短剣の所持は公に許されていることだが、女性が持つのは稀である。街中で身に着けているのは、大体が身分のある男性なので。
「その剣はジェイラさんが使うのですか?」
「そー、一応防犯グッズってやつ。いざという時、戦う用に」
「ど、どうやって戦うのですか?」
「こう、グワッ! って振って、おりゃっ! ってぶっ刺すの」
全然わからないけれど、ジェイラなら言葉通りにやってのけそうな気がする。
アルメでは、とてもじゃないけれど剣など扱えそうにないが。
そう思ったのを見透かしたように、ジェイラは剣を勧めてきた。
「アルメちゃんも一本くらい持っといたほうがいいよー。特に祭りの日なんかは、ならず者どもも稼ぎ時だからな」
「まぁ、確かに……でも剣はちょっと私には」
「あ、でもアルメちゃん氷魔法使えっから、剣よりそっちのが強い感じ?」
「いえ、攻撃として使えるほど魔力が強いわけではないので……。――そうですね、防犯グッズ、私も一つくらい持っておこうかしら」
ふむ、と考え込んでしまった。
アルメの氷魔法は冷気を流してじわっと凍らせるものなので、いざという時に使えるかは微妙である。両手を添えて集中して――なんて時間、なさそうなので。
かといって、剣などの武器も使えないのだけれど。握り方すらわからない。
「ジェイラさんは何かそういう、剣とか武術とかの心得があるのですか?」
「アタシは一応、軍学校卒業してっからねー」
「えっ、すごい!」
サラリと言ってのけたが、軍学校卒の女性は珍しい。
軍人は八割が男性だと聞く。魔物と対峙する戦闘員に限って言うならば、隊の構成は全員男性である。体力や筋力の偏りを避けるためだとか。
「すごかないよ。うちは親父が軍人だからさー、なんか流れで軍学校に放り込まれてただけ」
「でも卒業までいったのは、やっぱりジェイラさんに実力があったからでは? 途中でお辞めになる人も多いのでしょう?」
「まぁ、剣持って走りまわるのは好きだったからねー。軍人になる気はこれっぽっちもなかったけど。――アタシの弟も軍学校に放り込まれたんだけど、奴はそのまま軍に入ったよ。この短剣も弟からもらったんだー」
「弟さんがいるんですね。プレゼントをくれるなんて、仲良しなんですね」
「いや、仮にも女相手にゴツイ剣贈って寄越すんじゃねぇよって感じだよ。なんかズレてんだよな~あいつ」
怠そうな声音で文句を言いながらも、ジェイラはニコニコ笑っていた。
ジェイラの話はざっくばらんで面白かった。
帰途の会話を楽しむうちに、通りから路地に入り、もう家の前の小広場に到着していた。
名残惜しいけれど、今日はここでお別れだ。
小広場の真ん中にある案内板の前で、別れの言葉を交わす。
「それじゃあ、また明日。帰り道、お気をつけて」
「おー、明日もガッツリ稼ごうぜ」
ガッツポーズを決めて、ジェイラは路地の奥へと歩いて行った。
ガタガタと鳴る台車の音が遠ざかっていく。
見送った後、玄関扉を開けて、台車ごと店の中に押し込んで戸締りをする。窓から差し込む夕日が眩しい。
家に帰り着いた瞬間、忘れていた疲れがどっと押し寄せてきた。
けれどまだ休むわけにはいかない。
今日はこの後、また山盛りのシロップを作って、氷のブロックも冷凍庫に追加しておかなければいけないのだ。
アルメは一度大きく伸びをした後、気合いを入れ直す。
ひとまず二階へと上がって、自宅居間のテーブルの上に売上鞄をドサリと置いた。
パンパンの鞄からお金を出して、数えながらまとめていく。今日は想定していたよりも売上が良かった。
「経費を引いたら、ざっと二十万Gくらいかしら。明日明後日がどうなるかはわからないけれど、もし同じくらいの売り上げを出せたら、ベアトス家への返済がすごく楽になる……!」
帳簿を確認しながらホッと息を吐く。
この調子で明日明後日も頑張ろう、という明るい気持ちが湧いてきた。
テーブルに広げた紙幣を皮袋に収めて、棚奥の金庫に入れておく。祭りの三日間が終わったら、まとめて銀行に預ける予定だ。
金庫はかつてないほど潤っている。――けれど、ほんの少しだけ物足りない気持ちがしてしまう。売上うんぬんというより、別のことが理由で。
(ファルクさん、やっぱり来れないみたいね。もしかしたら、お仕事の休憩中にでもチラッと顔を見せてくれたり――、なんて、ちょっと考えてしまったのだけれど)
この少しの物足りなさは、きっとアイス好きの常連客が欠けていたからだろう。
もしかしたらいつものように突然ヒョイと現れるのではないか、なんてことを頭の片隅で期待していたが、さすがにそう都合良くはいかなかった。
他の味のシロップも美味しく作れたので、食べてもらいたかったなぁと思う。なんだかおかしな悔しさがあって、心の中でぐぬぬ……と呻いてしまった。
(――って、仕方のないことをいつまでも考えていても、しょうがないわね。さて、私は私のやるべきことをやらないと)
ペシリと頬を叩いて、気持ちを切り替えた。
ファルクにも生活があり、アルメにも生活がある。都合が合わなかったことをうだうだと考えていても仕方ない。
わずかに胸に湧いたモヤモヤを振り切るようにして、一階の調理室へと向かった。
――そんなアルメの家の明かりを、小広場の路地奥からじとりと見つめる影があった。
出店から帰りの道中まで、その影がひたりと後ろをついてきていたことに、アルメが気が付くことはなかった。




